第19夜☆「やりたい」という目で見ただけで「姦淫」?
AKI エーと、律法学者たちが、「姦淫しました」と引っ立ててきた女を、イエスさんは赦しちゃったんだよね。
哲雄 というか、だれも、罰することができなかった。
AKI ネ、その律法学者って何なの?
哲雄 モーセの「十戒」っていうのは知ってる?
AKI 聞いたことがある。モーセって、あの、海を2つに分けちゃったって人でしょ?
哲雄 別にイリュージョンやったわけじゃないよ。その頃、イスラエルの民は、エジプトで奴隷として暮らしてたわけだけど、モーセっていうのは、彼らのリーダーとして、エジプト脱出を試みるんだよね。ところが、エジプトの軍隊に紅海の縁まで追い詰められてしまうんだ。そのとき、神のお告げがあるんだ。「その杖を振り上げて海を分けよ」って。モーセがその通りにすると、海はまっ2つに分かれ、イスラエルの人たちは、海を越えて対岸に渡ることができた。
AKI すごい脱出劇ですね。
哲雄 見事、脱出した一行が、故郷の地・カナンへと向かう途中、神がモーセをシナイ山に呼んで授けたのが「十戒」。「十の戒め」ってことで、ま、神とイスラエルの民の間で交わされた契約みたいなものだね。この戒めを守りなさい、そうすれば、私はあなたたちを守ってあげよう……みたいな。
AKI その神さまが、キリストなの?
哲雄 全然、違う。「キリスト」っていうのは、いつの日かイスラエルの救済のために、神が地上に遣わす「救い主」っていう意味。後に登場するイエスを「この人こそキリストである」と信じたのがキリスト教で、「そんなヤツはキリストでもなんでもない」として退けたのが、ユダヤ教。
AKI そっかぁ。だから「イエス・キリスト」なんだね?
哲雄 で、この神っていうのは、「ヤハウェ」とか「ヤーウェ」と呼ばれてる全能の唯一神で、天地の創造主でもある。イスラムの世界では、「アッラー」というふうに呼び方が変わるんだけどね。
AKI エッ!? じゃ、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、神さまは同じなの?
哲雄 そうだよ。元は同じ。
AKI フーン、知らなかった。それで? その戒めには何が書いてあったの?
哲雄 いちばん大事な戒めは、「私以外の神を信じてはいけない」ってことだね。
AKI 独占欲、強いんだね。
哲雄 そう。なにしろ、唯一絶対の神だからね。で、そのほかに、「父母を敬いなさい」とか、「盗んではいけない」とか、「姦淫してはいけない」とか、全部で10項目の戒めが書いてあった。これが、律法の元になったんだ。
AKI 元なの?
哲雄 ウン。「十戒」には、ただ「姦淫するなかれ」とか書いてあるだけだからね、じゃ、どういうことをすれば「姦淫」になるのかみたいな、細かい規定を作らないと、運用できないわけですよ。
AKI それをやるのが、律法学者なわけ?
哲雄 そう。で、この律法学者たちは、なんと、全部で613項目にも及ぶ「ユダヤの律法」を作り上げちゃったんだね。そして、それをひとつひとつ、人々の生活に当てはめて、「これは違反」「これはOK」という判断をしていく。それも、律法学者の仕事になったわけだ。
AKI 判事と弁護士と検察官が一緒になったようなものね。
哲雄 ま、そんなもんかな。たとえば「姦淫」についても、既婚の男が未婚の娘を誘惑しても罪にはならない、しかし、既婚の女が未婚の男と情を交わせば「姦淫だ」というふうに、ま、実に細かい規定を作って、それを杓子定規に運用しようとしたんだね。
AKI それで、「この女は姦淫を犯したぞ、さぁ、どうする?」って、イエスさんのところに連れてきたってわけ?
哲雄 イエスを試そうとしてね。彼らとしては、イエスを「律法を無視するとんでもない男」として、糾弾したかったわけ。ところが、イエスはそんなことは先刻承知とばかりに、公然と、彼らの形式主義を非難するんだね。
AKI どうやって?
哲雄 姦淫するなと言われてるけど、キミらだって、「この女とやりたい」という目で女を見ることがあるだろう? それは、姦淫したのと同じことなんだよ、ってね。
AKI そんなこと言われたら、姦淫してない人なんていないんじゃない。
哲雄 そう。そこでイエスは言うんだ。「この中で、自分は姦淫なんかしてないと胸を張って言える人間がいたら、女に石を投げるがいい」って。
AKI だれか投げたの?
哲雄 だれも投げられなかった。
AKI でしょうね。哲ジイだって投げられないよね、絶対。
哲雄 絶対だけ余計だけど、ま、投げられないし、元々、投げようとも思わないよ。
AKI 結局、女は無罪放免?
哲雄 そう。イエスの考え方の基本は、人は律法によっては救われないっていうことなんだよね。何をやったから救われる、何をやったから救われないっていう、そんなものじゃない。しょせん、人間のやることなんてたかが知れてて、だれだって心の中では、ひとしく罪びとなんだ。そのことに気づいて赦しを乞えば救われるけど、それに気づかないで、「いいや、オレはわるいことなんて何ひとつやってない」なんて言うヤツは、もっとも救いから遠い。
AKI そこへ行くと、哲ジイは、救われやすいタイプだよね。
哲雄 なんか引っかかるなぁ。その「やすい」てのは何ですか?
AKI ちょいちょいワルいことをしてるけど、ま、反省もしてるからね。
哲雄 ま、そんなわけでさ、イエスそのものの教えからは、性的な放縦さを厳しく戒めるような思想は見えてこない。ところが、後のキリスト教会は、やたら性に関して厳格で、ちょっと禁欲主義に見えるようなところもある。どうもね、初期のキリスト教の指導者たちが、当時、ギリシャで力を持っていた禁欲主義哲学の影響を受けたんじゃないか、とも言われてるんだけど、ま、これは、確かめようがない。
AKI 私、もうひとつ気になってることがあるんですけど……。
哲雄 何でしょう?
AKI 売春についてはどうなの?
哲雄 ウン、それについても、世界の文化はいろいろ。次回は、そのことについて話そうか。
AKI すごい脱出劇ですね。
哲雄 見事、脱出した一行が、故郷の地・カナンへと向かう途中、神がモーセをシナイ山に呼んで授けたのが「十戒」。「十の戒め」ってことで、ま、神とイスラエルの民の間で交わされた契約みたいなものだね。この戒めを守りなさい、そうすれば、私はあなたたちを守ってあげよう……みたいな。
AKI その神さまが、キリストなの?
哲雄 全然、違う。「キリスト」っていうのは、いつの日かイスラエルの救済のために、神が地上に遣わす「救い主」っていう意味。後に登場するイエスを「この人こそキリストである」と信じたのがキリスト教で、「そんなヤツはキリストでもなんでもない」として退けたのが、ユダヤ教。
AKI そっかぁ。だから「イエス・キリスト」なんだね?
哲雄 で、この神っていうのは、「ヤハウェ」とか「ヤーウェ」と呼ばれてる全能の唯一神で、天地の創造主でもある。イスラムの世界では、「アッラー」というふうに呼び方が変わるんだけどね。
AKI エッ!? じゃ、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、神さまは同じなの?
哲雄 そうだよ。元は同じ。
AKI フーン、知らなかった。それで? その戒めには何が書いてあったの?
哲雄 いちばん大事な戒めは、「私以外の神を信じてはいけない」ってことだね。
AKI 独占欲、強いんだね。
哲雄 そう。なにしろ、唯一絶対の神だからね。で、そのほかに、「父母を敬いなさい」とか、「盗んではいけない」とか、「姦淫してはいけない」とか、全部で10項目の戒めが書いてあった。これが、律法の元になったんだ。
AKI 元なの?
哲雄 ウン。「十戒」には、ただ「姦淫するなかれ」とか書いてあるだけだからね、じゃ、どういうことをすれば「姦淫」になるのかみたいな、細かい規定を作らないと、運用できないわけですよ。
AKI それをやるのが、律法学者なわけ?
哲雄 そう。で、この律法学者たちは、なんと、全部で613項目にも及ぶ「ユダヤの律法」を作り上げちゃったんだね。そして、それをひとつひとつ、人々の生活に当てはめて、「これは違反」「これはOK」という判断をしていく。それも、律法学者の仕事になったわけだ。
AKI 判事と弁護士と検察官が一緒になったようなものね。
哲雄 ま、そんなもんかな。たとえば「姦淫」についても、既婚の男が未婚の娘を誘惑しても罪にはならない、しかし、既婚の女が未婚の男と情を交わせば「姦淫だ」というふうに、ま、実に細かい規定を作って、それを杓子定規に運用しようとしたんだね。
AKI それで、「この女は姦淫を犯したぞ、さぁ、どうする?」って、イエスさんのところに連れてきたってわけ?
哲雄 イエスを試そうとしてね。彼らとしては、イエスを「律法を無視するとんでもない男」として、糾弾したかったわけ。ところが、イエスはそんなことは先刻承知とばかりに、公然と、彼らの形式主義を非難するんだね。
AKI どうやって?
哲雄 姦淫するなと言われてるけど、キミらだって、「この女とやりたい」という目で女を見ることがあるだろう? それは、姦淫したのと同じことなんだよ、ってね。
AKI そんなこと言われたら、姦淫してない人なんていないんじゃない。
哲雄 そう。そこでイエスは言うんだ。「この中で、自分は姦淫なんかしてないと胸を張って言える人間がいたら、女に石を投げるがいい」って。
AKI だれか投げたの?
哲雄 だれも投げられなかった。
AKI でしょうね。哲ジイだって投げられないよね、絶対。
哲雄 絶対だけ余計だけど、ま、投げられないし、元々、投げようとも思わないよ。
AKI 結局、女は無罪放免?
哲雄 そう。イエスの考え方の基本は、人は律法によっては救われないっていうことなんだよね。何をやったから救われる、何をやったから救われないっていう、そんなものじゃない。しょせん、人間のやることなんてたかが知れてて、だれだって心の中では、ひとしく罪びとなんだ。そのことに気づいて赦しを乞えば救われるけど、それに気づかないで、「いいや、オレはわるいことなんて何ひとつやってない」なんて言うヤツは、もっとも救いから遠い。
AKI そこへ行くと、哲ジイは、救われやすいタイプだよね。
哲雄 なんか引っかかるなぁ。その「やすい」てのは何ですか?
AKI ちょいちょいワルいことをしてるけど、ま、反省もしてるからね。
哲雄 ま、そんなわけでさ、イエスそのものの教えからは、性的な放縦さを厳しく戒めるような思想は見えてこない。ところが、後のキリスト教会は、やたら性に関して厳格で、ちょっと禁欲主義に見えるようなところもある。どうもね、初期のキリスト教の指導者たちが、当時、ギリシャで力を持っていた禁欲主義哲学の影響を受けたんじゃないか、とも言われてるんだけど、ま、これは、確かめようがない。
AKI 私、もうひとつ気になってることがあるんですけど……。
哲雄 何でしょう?
AKI 売春についてはどうなの?
哲雄 ウン、それについても、世界の文化はいろいろ。次回は、そのことについて話そうか。
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