女性のヴェールを脱がせる思想と義務づける思想
不純愛トーク 第183夜
あなたの愛のあり方に大きな影響を与える価値観。今回は、その価値観の違いが生み出したキリスト教とイスラム教の抗争を振り返りながら、なぜ、イスラム世界で争いが絶えないのか、について、解説。イスラム世界には、女性のヴェールを脱がせる思想も、義務づける思想も存在するのです――。
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AKI ユダヤ教的価値観とイスラム教的価値観とキリスト教的価値観の違い、前回までの話でよくわかりました。
哲雄 厳しく裁きを下す神と、こらしめて改心させる神と、愛をもって赦す神。でも、元は同じ唯一絶対の人格神。その唯一絶対神の解釈の違いが、この3つの宗教の違いを生み出していると言っていいでしょうね。では、その解釈をするのはだれかと言うと、預言者。
AKI あの、1999年7の月に、人類は滅亡する――とか言った……?
哲雄 ノストラダムスですか? あれは予言者。予言者なんてものは、あーた、あれは占い師のなりそこないみたいなもんですから、信頼するには当たりません。「預言者」というのは、神の言葉を託って、それを人々に伝える役目を仰せつかった人のことを言います。そのいちばん大事な役目を果たしたのが、ユダヤ教ではモーセだし、キリスト教ではイエスだし、イスラム教ではムハンマドであったわけです。
AKI イエスも預言者?
哲雄 キリスト教では、「三位一体説」をとっていて、イエスは「神の子」ということになっているけど、イスラム教では単なる預言者としてしか扱っていません。ユダヤ教にいたっては、イエスそのものを詐欺師扱いして、処刑してしまいましたからね。
AKI それで、キリスト教とユダヤ教は、仲がわるいんですね?
哲雄 ユダヤ教とイスラム教、イスラム教とキリスト教も、仲わるいですよ。ただ、ユダヤ教の場合は、「ユダヤ」という国そのものがローマに滅ぼされて、ユダヤ人は、西暦132年頃までには、ヨーロッパの各地に離散せざるを得なくなります。その、離散先であるヨーロッパでは、12世紀以降、各地に「ゲットー(隔離区域)」が造られて、「ユダヤ人はこの居住区内に住め」ということになってしまいます。
AKI ということは、差別……?
哲雄 そうです。ユダヤ教vsキリスト教は、第二次世界大戦が終わるまでは、主にヨーロッパ域内での「域内差別問題」として存在し続けました。15世紀半ばに行われたスペインでの数十万人の大虐殺。それが原因で、大量のユダヤ人が東欧に逃れるんだけど、今度は、1881年にロシアで大虐殺。それが1921年まで続きます。そして、ドイツでのナチスによる「ホロコースト」(600万人が犠牲になった)。そういうこともあって、ヨーロッパ各地に離散していたユダヤ人が、1948年にパレスチナにイスラエルを建国するんですが、これがまた、新たな紛争、イスラエルvs全アラブ世界の対立を生むことになるわけですね。
AKI パレスチナ問題ですね?
哲雄 全部で4回にわたる「中東戦争」が勃発するんですが、そのたびに、イスラエルは勝利して国土を広げ、現在の支配下地域は、1947年に国連が提示した「パレスチナ分割案」の1・4倍にもなっています。それが、大量の「パレスチナ難民」を生むことになり、イスラム過激派を生み出す大きな原因ともなりました。
AKI キリスト教vsイスラム教の対立のほうは、どうだったんですか?
哲雄 十字軍って知ってるよね?
AKI ハイ。獅子王リチャードとかが活躍したんですよね?
哲雄 物語的にはね。元々、この十字軍が始まったのは、エルサレムを当時のセルジュク・トルコが占領してしまったのに対して、それを奪還しようとして始まったんだよね。実はね、エルサレムは、キリスト教にとっても聖地だけど、ユダヤ教にとっても、イスラム教にとっても聖地なんだ。
AKI そうか……。元は、同じ神様なんだものね。
哲雄 で、この聖地を奪ったり、奪い返したり……っていう争いが、1096年の第1回から1270年の第7回まで、計7回にわたって繰り広げられるんだけど、前にも言ったように、繰り返されるうちに十字軍の性格が変わっていって、最後は、道々、略奪や虐殺を繰り返すならず者の集団みたいになっちゃった。
AKI で、結局、エルサレムはどうなっちゃったんですか?
哲雄 イスラム軍に占領されてしまいました。エルサレムどころか、かつての東ローマ帝国、後のラテン帝国の首都・コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)までもイスラム軍に陥落して、十字軍は終結してしまいました。ま、ここまでは、時代劇の世界なんだけどね……。
AKI 現代劇的にも、何かあるんですね?
哲雄 その後、ヨーロッパは産業革命や市民革命を経て、資本主義を掲げる近代国家へと生まれ変わっていきます。やがて、それは帝国主義へと発展して、アジアやアフリカや南米などに、次々と植民地を作っていきます。
AKI アラブ世界も、その標的になったんですか?
哲雄 ところがね、当時のアラブ世界には、オスマン・トルコという強大な国家が成立していて、アラブのほぼ全域をその支配化に収めていた。このトルコはドイツと同盟関係を結んで、これを押さえ込もうとした英仏を中心とする連盟国側との間に、第1次世界大戦(1914~1918)が勃発しました。現在のアラブ問題の根っこは、ほとんどがこの大戦中に作られることになるんだよね。キミは、『アラビアのロレンス』という映画を観ましたか?
AKI ハイ、テレビで。確か、主役が、ピーター・オトゥールでしたよね?
哲雄 私に負けず、渋くていい男でした。
AKI あの……もしもし……。
哲雄 ま、ジョーダンはともかく、この映画でも描かれていましたが、当時の英仏両国は、オスマン・トルコをやっつけるために、オスマン帝国内のアラブ諸民族を焚きつけました。「戦後はあなたたちの独立を保証するから、一緒にトルコと闘わないか?」と、持ちかけたわけです。
AKI そのために奔走したのが、ロレンスでしたよね、映画の中では?
哲雄 たぶん、そこまでは史実だろうと思います。ところがね、そんな口約束をしておきながら、その裏でイギリスとフランスは、戦後、オスマン帝国の領土を「ボクとキミとで分けちゃおうよ」という約束をし、さらにユダヤ人に対しても、「パレスチナでの祖国建設を支持する」という口約束をしてしまいます。
AKI まったく、腹黒い連中ですね。で、実際、その通りにしちゃったわけですか?
哲雄 ハイ。大戦が終結すると、英仏両国は、アラブ諸民族との約束を反故にして、シリアをフランスが、イラクをイギリスが委任統治することにしてしまいます。実質的には、植民地化ですね。
AKI 怒ったでしょ、アラブの諸民族は?
哲雄 怒りましたね。反乱も起こしました。そこで、今度は、その反乱を押さえ込むために、イラクからヨルダンを、シリアからレバノンとパレスチナを分割してしまいます。
AKI そんな、勝手な……。
哲雄 ほんと、勝手なんです。その結果、アラブ世界はズタズタに引き裂かれ、勝手に国境線を引かれ、それがのちのちまで、この地域の政治的不安定を生み出す要因となりました。ま、ここまでは、政治のお話。なんだか、池上彰さんみたいな講釈になってしまいましたが、価値観を語る上で大事なのは、実は、ここから先なんですね。
AKI 反西洋みたいな価値観が生まれた……とか?
哲雄 オーッ、かなりいい線、ついてますね。大戦後のアラブ世界には、3つの大きな考え方が生まれました。整理してみると、こうなります。

①近代化路線……西欧の近代文明(民主主義など)を積極的に取り入れることによって、近代化を図ろうとする考え方。
②世俗的民族主義路線……社会主義的な思想や政策によって、民族主義を実現させようとする考え方。
③イスラム原理主義路線……「ムハンマドの時代の純粋なイスラム」に立ち帰ることによって、イスラム法が支配する国家を建設しようとする考え方。
この3つです。
AKI ホメイニさんの「イラン革命」は、これで言うと③の「イスラム原理主義路線」だったんですよね?
哲雄 オオッ、よくおわかりで。一時期、アフガニスタンで政権を支配し、いまもアメリカ軍などと争っているタリバンも、③の原理主義を標榜するグループです。一方、①の路線を推し進めたのは、第1次大戦後のトルコがその典型。大戦で敗北してオスマン・トルコが解体されたあと、1923年のローザンヌ条約で「トルコ共和国」が成立するんだけど、この「トルコ共和国」は、女性のヴェール着用を禁止する、教育制度の中で政教分離を図る――など、徹底的な近代化政策を推進して、アラブ世界内に衝撃を与えるんですね。
AKI 反発もあったでしょうね。
哲雄 反発もあったし、後に続けという同調の動きもありました。そんな中で、独自の民族主義を推し進めたのがエジプトでした。エジプトでも、知識層などを中心に、世俗的な近代化を進めようという声が高まっていたのですが、そんな動きに危機感を覚える宗教指導者などの間から、「イスラムの原点に帰れ」という運動が生まれ、後のイスラム過激派の母体ともなる「ムスリム同胞団」が結成され、首相の暗殺などを引き起こしてしまいます。そこへ、登場したのが、ひとりの英雄的指導者でした。
AKI たぶん、私、その人、知らない。
哲雄 ええ、知らないだろうと思います。ナセルという人です。この人は、第2次世界大戦後に登場して、後に大統領となるのですが、ナセルが推し進めたのは、①でも③でもなく、②の路線でした。当時、イギリスが権益を握っていたスエズ運河を国有化し、「アラブ民族主義」をぶち上げて、シリアとの間に「アラブ連合共和国」を結成したりするのですが、どちらかというと、当時の東西冷戦構造の中でソ連寄りの姿勢を示して、社会主義的民族主義の道を歩みました。
AKI 影響、大きかったでしょうね。
哲雄 ええ、大変に影響力の大きい人でした。その頃のアジア・アフリカ諸国をリードするような人物でした。しかし、このナセル大統領は、1970年に急死してしまいます。それからどうなったか? イスラム世界は再び、混乱し始めるんですが、その話は、また後日。ナセルば成る。ナセルあらねば成らぬ、何事も――ってね。
AKI ハァ? よくわかりませんけど、きょうはちょっとお勉強させていただきました。

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