浮気亭主を地獄に落とす妻、懲らしめる妻、ゆるす妻
不純愛トーク 第182夜
あなたの愛のあり方を左右する「価値観」。前回に続いて、ユダヤ教的価値観、キリスト教敵価値観、イスラム教的価値観を比較してみます。それぞれの価値観からすると、たとえば浮気亭主に対する妻の態度は、どう変わるのでしょうか?――。
【今回のキーワード】 最後の審判 復活 浮気
【SEOリンク・キーワード】 エロ 恋愛 恋愛小説 オーガズム 不倫
AKI イスラム教って、キリスト教よりも戒律が厳しいんですか?
哲雄 てか、キリスト教には、戒律のようなものは存在しません。戒律という意味では、いちばん厳しいのがユダヤ教。前にも説明しましたが、ユダヤ教には、全部で613もの律法が定められていて、「禁止」とされている戒律も365項目に上ります。食事ひとつとっても、食べてはいけない動物、その殺し方、料理法にいたるまで、実にこと細かな規定があるんです。
AKI 私、とても、そんなの守れません。
哲雄 でしょ? そこで、イエスが現れて、「人は律法のためにあるのじゃない。律法が人のためにあるのだ」と言って、人は律法によって救われるのではなく、信仰によって救われるのだと説きました。では、イスラム教は、どうか?
AKI もしかして、その中間ってことですか?
哲雄 そうだね。ユダヤ教ほど細かくしたんじゃ、どうせ守れない人間が出てくる。といって、キリスト教みたいに信仰さえあれば救われる、なんて言ったんじゃ、人の心なんて計り知れないのだから、どこで揺らいでしまうかわからない。そこで、イスラム教では、《実践》ということを重視しました。《六信五行》というんだけどね。「六信」というのは、アッラー・天使・啓典・預言者・来世・予定、この6つを信じること。「五行」というのは、次の5つ。

①シャハーダ(信仰告白)…「アッラーの他に神はなし。ムハンマドはその使徒なり」と告白すること。入信のときも、礼拝のときも、これを告白します。
②サラート(礼拝)…毎日、夜明け前・正午・午後・日没後・夜、の5回、メッカに向かって礼拝を行うこと。
③サウム(断食)…イスラム暦第9月(ラマダーン)の30日間、日の出から日没まで、断食を行うこと。
④ザカート(喜捨)…1年間で得た財産の一部を、喜びを持ってウンマ(イスラム共同体)に寄付すること。
⑤ハッジ(巡礼)…メッカへの巡礼は、一生に一度は行うべき義務。イスラム暦12月の7~13日にかけて行われる。
AKI ワァ、けっこう厳しいじゃないですか。私、②と③は、絶対、ムリかもしれない。
哲雄 だから、AKIクンには向いてないと申し上げたんです。でもね、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教、同じ唯一神を信仰するこの3つの宗教の違い、ちょっと面白いでしょ? でも、共通している部分もある。まとめてみると、こうなります。
AKI エッ!? 死者も復活するんですか? それ、いいなぁ……。
哲雄 AKIクンは、おいしいところにだけ敏感になる耳を持ってますね。そうです、この3つの宗教は、「復活の宗教」とも言えると思います。「生まれ変わり=輪廻転生」を説く、ヒンドゥーや仏教との大きな違いがそこにあります。この違いについては、後で詳しくお話しますが、「復活」を信じるこれらの宗教では、原則として、死体を焼きません。最近は、一部で「火葬」も行われるようになりましたが、あくまで、原則は、「土葬」です。
AKI そうかぁ。焼いちゃうと、復活できないからですね。ゾンビにもなれないし……。
哲雄 なんか……AKIクンにかかると、オカルトっぽくなってしまいますけど、この「復活」は、「ワァーイ!」なんて喜んでられるものじゃありませんよ。なにしろ、復活するのは、最後の裁きを受けるためなんですから。
AKI それが「最後の審判」? 裁かれて、どうなっちゃうんですか?
哲雄 「天国行き」と「地獄行き」に分別されます。
AKI おっ……と。それ、大変じゃないですかぁ。うかうか復活もできない。
哲雄 その裁きの考え方が、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教では、まるっきり違う。いちばん厳しいユダヤ教では、律法を犯した人間は、復活しても「罪人」のまま。イスラム教では、たとえ罪を犯した人間でも、先の《六信五行》を行えば、その罪は赦されるとしています。最後の審判では、その善行と悪行が秤にかけられ、最終的に「天国行き」と「地獄行き」に分けられるのですが、この天国と地獄の差があまりにも激しい。なので、イスラム教徒は、この世での行いを厳しく律しようとする、と言われています。
AKI もしかして、自爆テロとかも、その善行の中に含まれたりするわけ?
哲雄 過激な原理主義グループの中には、そう主張しているところもあるようです。そう教えられると、天国に行きたい人たちは、喜々としてその任務に従うよね。イスラムの実践重視の考え方は、一歩間違うと、そういう方向に人を向かわせる危険性もある、ということです。
AKI キリスト教だと、その裁きはどうなるの?
哲雄 キリスト教は、その最後の審判を前倒ししちゃいました。
AKI エッ!? 前倒し……? 何ですか、それ?
哲雄 イエスが、すべての人間の罪を背負って十字架にかかることによって、その最後の審判で裁かれるべき罪を、あらかじめ贖ってくれた――というふうに考えます。あなたが罪を悔い改め、イエスの十字架とその復活を信じるならば、その罪は赦されるであろう、と説くわけですね。そうして、わが子・イエスを十字架にかけてまでわれわれを救おうとしてくれたのが、「神の愛」だ――と。キリスト教が「愛の宗教」だと言われるのは、そういうところからなんだよね。
AKI 私、やっぱり、そっちがいい。ラクだもん……。
哲雄 あのね、「ラク」かどうかとか、そういうことじゃなくてね……ダメだ、こりゃ。
AKI ね、哲ジイ。この罪と裁きと救済の関係ってさ、たとえば、浮気した亭主とその奥さん――なんて関係に置き換えたら、わかりやすくないですか?
哲雄 チョーわかりやすいですね。まずは、妻がユダヤ教的であった場合。あ、でもさ、こういう奥さんだと、浮気そのものがむずかしいかもしれないね。
AKI そうなんですか? 口うるさいから?
哲雄 朝は、○時にゴミを出してから出かけること。あ、部屋の中ではタバコを吸わない。外のホコリを部屋に持ち込まないでね。帰るときは、帰宅の30分以上前に、何時に帰れるかを電話すること。外で食事してくるときは、だれとどこで何を食べてくるかを、メールで報せておくこと。それから、食事中は、TVも新聞も見ないでね……なんて調子だからね。
AKI ああ、それじゃ、浮気どころじゃありませんね。でも、もししちゃったら? それが発覚しちゃったら?
哲雄 許してはもらえないでしょうね。場合によっちゃ、即、離婚。離婚まではいかなくても、よその女の汚いケツを追いかけ回した「不潔な亭主」という、一生消えない烙印を押されて、ことあるごとにそれを持ち出しては、口汚くののしられることになるでありましょう。
AKI ウワァ、大変。哲ジイも気をつけなくちゃ、お嫁さん、選ぶときには……。
哲雄 もう、あきらめてますから、おかまいなく。次に、もし妻がイスラム教的であった場合。
AKI わかった。反省を態度で示せ――と求められるんですね?
哲雄 ま、そんなとこでしょうね。「もう、二度としない――って約束できる?」と誓約を求められた挙句、以下のようなことを義務として課せられることになるでありましょう。
①きょうから、お風呂とトイレの掃除はあなたがやること。
②朝、目覚めたとき、夕方、帰ってきたとき、夜、寝る前、夜中に目が覚めたときは、必ず私にキスをすること。
③ボーナスが出たら、私にプラチナまたはルビーまたはダイヤのアクセサリーを「喜捨」するか、または、私を近場の温泉に連れて行くこと。
④お盆と暮れには、私の実家に「巡礼」すること。
②朝、目覚めたとき、夕方、帰ってきたとき、夜、寝る前、夜中に目が覚めたときは、必ず私にキスをすること。
③ボーナスが出たら、私にプラチナまたはルビーまたはダイヤのアクセサリーを「喜捨」するか、または、私を近場の温泉に連れて行くこと。
④お盆と暮れには、私の実家に「巡礼」すること。
AKI いいじゃないですか、それくらいですめば。要するに、反省の意思を行動で示せば、許さないでもないゾ――と、そういうことですね?
哲雄 では、最後に、妻がキリスト教的であった場合。これがむずかしい。
AKI むずかしいんですか? 悔い改めれば、「汝の罪は赦された」で、一件落着……になるんじゃないの?
哲雄 どうも、この罪深き乙女は、「悔い改める」ということの意味がわかってないようですな。「悔い改め」は、単なる「反省」とは違います。「わるかった。もう二度としないから、ね、機嫌直してよ」なんていうのとは、ワケが違います。
AKI ハァ……。違うんですね?
哲雄 「悔い改める」とは、おのれの心の中にもともとある「罪深さ」に気づき、それを告白して「赦し」を求める態度のことを言います。「総務課の○子ちゃんの件に関しては、確かにオレがわるかった」的な「反省」とは、ちと、奥深さが違うのですよ。
AKI あ、わかった。「わたくし、長住哲雄は、ちょっといい女がいると、どうしても、こいつとやりたい――なんていう気を起こしてしまいます。そんな情けないエロ・オヤジでございます。このたびも、『ローソン』のレジの○子ちゃんの手からおツリを受け取るときに、0・5秒だけ長く、その手に触れてしまいました。どうか、この罪深いオヤジの魂をお救いください」ていうふうに、深~く、その魂の奥にひそむ罪を悔いるわけですね。ウン、なんだか、とてもよくわかる。
哲雄 あんまり……よくわかっていただかなくてもいいのですが、ま、たとえば、亭主がそんなふうに「悔い改め」の姿勢を見せたとき、キリスト教的な妻であれば、どうするか?
AKI いいわ。じゃ、今回は、ゆるしてあげる……?
哲雄 ウンニャ、キリスト教的妻は、「ゆるしてあげる」権利など、自分にはないことを知っていますから、そんな言い方はしないと思います、本物ならね。自分も同じ「罪びと」であることを知っているからです。
AKI じゃ、ほんもののキリスト教的妻だったら、どう答えるの?
哲雄 仮に、私が、その妻の立場だったら――と仮定してお答えしましょうか?
AKI ちょっと気持ちわるいけど、プリーズ。
哲雄 ごめんね。今回のことは、きれいさっぱり水に流すわ――と言えるほど、私は寛容でもないし、心が強くもないの。だから、傷ついた。これ以上、私を傷つけないって、約束してくれる? そして、その相手の人も、これ以上傷つけない――って。
AKI オーッ! みなさん、哲ジイ、いい奥さんになりますよォ――ッ!
哲雄 よせよ、気持ちわるい!

管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。



→このテーマの記事一覧に戻る →トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 女性のヴェールを脱がせる思想と義務づける思想 (2011/05/16)
- 浮気亭主を地獄に落とす妻、懲らしめる妻、ゆるす妻 (2011/05/09)
- 怪物=ビンラディンを生んで殺した、西欧の「ご都合」 (2011/05/04)