創価学会員と共産党員の「結婚」は、可能か?
不純愛トーク 第178夜
愛し合うふたりの間に横たわる「障害」。「価値観の違い」もそのひとつになります。はたして、価値観が大きく違うふたりが、一緒に暮らすことはムリなのか? 今回は、創価学会員と共産党員の「結婚」を例に、価値観の違いがふたりの関係にどう影響するかを考えてみます――。
【今回のキーワード】 価値観 障害 宗教
【SEOリンク・キーワード】 エロ 恋愛 恋愛小説 オーガズム 不倫
AKI 愛するふたりが一緒に暮らせるかどうか? そこでは、「ワールド」を共有できるかどうかがカギになる。前回、哲ジイは、そうおっしゃいましたね。
哲雄 確かに申し上げました。
AKI その「ワールド」とは「価値観」であると言ってもいい――ということなんですよね。
哲雄 ま、中には、「ワールド」とは呼べないような価値観もあるようですが、おおむね、そのようにお考えいただいてよろしいかと思います。
AKI では、わかりやすく「価値観」で統一していただくとして、その価値観にはどのようなものがあって、どういう価値観とどういう価値観が合い、どんな価値観とどんな価値観だと合わないのか? そこらへんをかいつまんで話していただきたいのですが……。
哲雄 ゼンゼン、かいつまめません。いったい、この世に「価値観」と呼ばれているものがいくつあると思っているんです?
AKI そんなにあるんだぁ……。
哲雄 本人が、「私の価値観はこうだ」と言えば、それが「価値観」になってしまう。たとえば、目玉焼きにはしょうゆをかける。それが私の価値観だ――とだれかが言えば、それも、ひとつの価値観になってしまう。
AKI もっと大きな価値観だってあるでしょう。
哲雄 ようがす。じゃ、いきなり、大きなところでいきましょう。たとえば――
創価学会員と日本共産党員の結婚は、可能か?
AKIクンは、どう思います?
AKI ふつうにできるでしょ? エッ!! まさか……禁止されてたりして?
哲雄 禁止はされてないでしょ? 創価学会にだって、日本共産党にだって、「共産党員と結婚しちゃあかん」とか「創価学会員と結婚するべからず」なんていう規範が設けられてるわけじゃない。
AKI じゃ、問題ないじゃないですか?
哲雄 ないっちゃ……ない。ある……っちゃある。
AKI なんすか、それ?
哲雄 これがね、自民党員と民主党員の結婚とか、社民党員とみんなの党党員の結婚……とかなら、ふつうにあるでしょう。ま、家の中でたまにカンカンガクガクの議論になったりするかもしれないけど、それもまぁ、切磋琢磨の範囲で収まると思います。しかしね、創価学会と日本共産党だと、そうはいかない。
AKI どうして?
哲雄 この2つの組織は、他の組織のようにゆるい組織じゃないから。「ゆるい」っていうのは「大雑把」とか「いい加減なところがある」というふうに解釈してもいいんだけど、要するに、多様な考えや意見をどの程度まで受け入れるか――という、その柔軟性だと思ってくれたらいい。
AKI つまり、創価学会や日本共産党の場合は、それが「きつい」ってことなんですね。
哲雄 どちらにも、どんな世界を理想的と考えるか、そのためにどう行動すべきか――という原理原則みたいなものがしっかりとあって、組織を構成する人間に、その原理原則にのっとるようにと求める拘束力が、かなり強い。そして、その原理原則が、創価学会と日本共産党では、水と油のように違っている。その違いについて言い出すとキリがないので、ここでは触れませんけど、創価学会を支持母体とする公明党と共産党とは、ことごとく対立し合って、何かと言うと相手を攻撃し合ってるよね。
AKI てことはですよ、哲ジイ。その原理原則に忠実であろうとすると、どうしても、ふたりはぶつからざるを得なくなる――ってことなんですね?
哲雄 そうです。しかも、この2つの組織は、ただ入会、入党すればそれでおしまい……っていうんじゃなくて、日常活動を求められる。地域ごとに班があって、それが網の目のように組織されてるから、「オレ、さぼる」ってわけにも、なかなかいかない。
AKI あ、もしかして、選挙のときとかも、ぶつかりますよね。
哲雄 ひとり何軒に電話をかけて、投票依頼しろ――とか、そういうノルマみたいなのもあるみたいだから、女房が「公明党の○○をよろしく」と電話をかけてる横で、亭主が「日本共産党の○○をぜひ」とやることになるよね。もしかしたら、同じご近所さんに、夫婦がそれぞれ、別々の候補者への投票をお願いする、てなことにだってなりかねない。新聞だって、2紙、別々に取らなくちゃならないし……。
AKI ああ、そうかぁ。『赤旗』と『聖教新聞』ですね。
哲雄 ね、そんなふたりが一緒に暮らすって、事実上、むずかしいでしょ? すごく不真面目な学会員と堕落しきった共産党員、なんて組み合わせだったら、別だけど。
AKI なるほど。つまり、ふたりがどちらも真面目に創価学会員をやり、日本共産党員をやってる限り、そんなふたりが生活を共にするなんてことは、あり得ない――と。これも、価値観の不一致ってことになるわけですね。
哲雄 大きいでしょ、この価値観。目玉焼きにソースか、しょうゆか――程度の価値観なら、笑ってすませるスレ違いだけど、創価学会か日本共産党か――なんていう価値観の違いは、その人間の生き方、社会的・政治的スタンス、生活信条にまで関わる全人格的な問題になってしまうから、そこが相手と合わないってなったら、そんなふたりは、傷だらけになりながらも、必死でその価値観を闘わせるか、でなければ、「キミとは価値観(世界観)が合わない」と決別するしかなくなっちゃうわけだよね。
AKI 共存できない価値観って、他にもいろいろありそうですね?
哲雄 ボクらが若い頃までは、資本主義か共産主義か――が、世界を二分する価値観になってて、ものすごくわかりやすかったんだけどね。
AKI でも、ベルリンの壁、壊れちゃったし……。
哲雄 オッ、よく知ってる!
AKI もしかして、私のこと、バカにしてます?
哲雄 いいえ、ちっとも……。そうなんだ、キミが言うように、ベルリンの壁が壊れて冷戦時代が終了すると、それまでの縛りが解けたように、一気に、いろんな価値観が前面に出てくるようになって、世界のいたるところで地域紛争が起こるようになった。そのほとんどは、宗教とか民族問題が根底にあって……という対立だったんだけどさ。
AKI 宗教も、価値観としては大きいですよね。
哲雄 日本人は、宗教に関しては「何でも来い」的な民族なんだけど、さすがに、相手がカルトな宗教にはまってる、なんてことになると、やっぱり、その違いは障害になっちゃうよね。
AKI 大きな問題としては、あと、クジラ問題とか……。
哲雄 そんなのは、小さい、小さい。現実生活を営む上で問題になる大きな価値観の違いと言えば、あとは、グローバリズムかスロー・ライフか――とか、原理主義かリベラリズムか――とか、市場原理主義か調整型の資本主義か――とか、そういうところだろうね。
AKI なんか、むずかしそう……。
哲雄 でもね、これらはわりと共通した対立軸を持ってる。簡単に言っちゃうと、世の中を単一の原理で動かして、力の強いものがメチャ勝ちするような世界にしたいと思うか、それとも、ひとりひとりの原理を尊重して、みんなで調整し合って生きていくような世界を目指すか――っていう選択なんだよね。グローバリズムも、原理主義も、市場原理主義も、どっちかというと、「強いものがメチャ勝ち」のほうで、スロー・ライフやリベラリズムや調整型資本主義は、どちらかというと、「みんなで調整し合って」のほうなんだよね。
AKI それって、家庭生活とかにも影響しますか?
哲雄 影響しますとも。もし、私のカミさん(もしいたらですが)が、バリバリの市場原理主義者だったりしたら、私は、3日ともたずに別れてしまうだろうと思います。
AKI どうしてェ?
哲雄 そういう女性は、多文化を認めようとしないからです。私が、たまの日曜日、趣味のジャズ・ボーカルを究めようと練習に励んでいるとしましょうか。そういうカミさんは、「そんなことして何になるの?」と、私の貴重なる時間を一刀両断にかかります。「そんな時間があったら、日経新聞でも読みなさいよ」と、自分がこの世で唯一、認めている価値=資産の増殖にあいつとめることを、きっと私にも強要するに違いない。そんなカミさんと、この寛容なる愚人とが、一緒に暮らせると思いますか?
AKI ま、愚人であることは確かですが……。
哲雄 ハ? 何か……?
AKI いえいえ、こっちの話です。大きな価値観が違っているふたりだと、一緒に暮らすのはむずかしい――と。本日は、そんな話をしてきたわけですが、この話、まだまだ続きがありますよね。
哲雄 つーか、この話、まだ、イントロを話したばかりのところです。次回以降をお楽しみに。

管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。



→このテーマの記事一覧に戻る →トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 浮気は罪ですか?《ユダヤ教の価値観とキリスト教の価値観》 (2011/04/21)
- 創価学会員と共産党員の「結婚」は、可能か? (2011/04/13)
- 「実らない恋」に惹かれてしまう《恋愛体質》 (2011/04/05)