七つの水仙~もっとも貧しかった宴の「美しい記憶」
この小さな愛から 〈4〉

ワラ半紙に塩豆とピーナッツ。粗末なコップにビール。
その貧しい「結婚の宴」が、
私にとっては、もっとも心に沁みる宴となった……。
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この歳になると、出席した結婚披露宴や結婚を祝う会の数も、半端じゃなくなる。
ずいぶん派手なパーティもあったし、凝りに凝った趣向で楽しませてくれたパーティもあった。
しかし、不思議なことに、その大部分は、いったいそれがだれとだれのパーティであったのかさえ、ほとんど忘れかけている。
人が幸せになっていく形なんて、どんなに飾り立て、趣向を凝らしたところで、そんなに変わるものではない。みんな一様に、幸せな笑顔に満たされ、歓喜の涙に潤い、あふれるばかりのシャンパンとバラの香りに包まれ、喝采とストロボの閃光に彩られて、幸福の階段を上っていく。
しかし、世の中には、そんな幸せな形とはまったく違う、つつましやかで、貧しく、そのぶん心に沁みる門出の儀式もある。
私にもひとつだけ、そんな儀式の思い出がある。
いまでも、その細部までが鮮やかによみがえる「KクンとTさんの結婚を祝う会」。
それは、ワラ半紙の上にひとつまみの塩豆とピーナッツを盛り、粗末なガラスのコップにビールを満たして乾杯しただけの、これ以上はないと思えるような、貧しく、簡素な「祝う会」だった。
ずいぶん派手なパーティもあったし、凝りに凝った趣向で楽しませてくれたパーティもあった。
しかし、不思議なことに、その大部分は、いったいそれがだれとだれのパーティであったのかさえ、ほとんど忘れかけている。
人が幸せになっていく形なんて、どんなに飾り立て、趣向を凝らしたところで、そんなに変わるものではない。みんな一様に、幸せな笑顔に満たされ、歓喜の涙に潤い、あふれるばかりのシャンパンとバラの香りに包まれ、喝采とストロボの閃光に彩られて、幸福の階段を上っていく。
しかし、世の中には、そんな幸せな形とはまったく違う、つつましやかで、貧しく、そのぶん心に沁みる門出の儀式もある。
私にもひとつだけ、そんな儀式の思い出がある。
いまでも、その細部までが鮮やかによみがえる「KクンとTさんの結婚を祝う会」。
それは、ワラ半紙の上にひとつまみの塩豆とピーナッツを盛り、粗末なガラスのコップにビールを満たして乾杯しただけの、これ以上はないと思えるような、貧しく、簡素な「祝う会」だった。

「もし、時間があったら、長住クンも参加してくれないかなぁ」
K先輩からそんな声をかけられたのは、私が大学の4年生になったばかりの頃だった。
その頃、私の通うキャンパスは、全学ストのまっただ中で、正門も本館もバリケード封鎖されていた。
いつ、大学側が機動隊の導入に踏み切るかわからない。
そんな緊張感の中で、封鎖からすでに3ヵ月が経っていた。
K先輩は、経済学部闘争委員会の主導権を握るS派の正規メンバーで、闘争委員会の中では、数少ない「プロの活動家」でもあった。
そのKさんが、「実は、結婚することになってね」と言う。
いつもは、対立する組織や学校当局と激しくやり合っている強面の顔が、そのときだけは照れくさそうに崩れたのを、いまでもはっきりと覚えている。
相手は、教育学部の1級上の先輩で、音楽教師を目指していたTさん。長い黒髪をバンダナで束ねて、いつもジーンズ姿。どこかキャンディス・バーゲンを思わせる風貌は、美人というわけではないが、清楚で野性味にあふれ、なおかつ慈愛に富み……というふうだったので、私たち全共闘派の学生たちの間では、マドンナ的な存在でもあった。
どちらの親も、結婚には反対していた。
学生運動にのめり込んでいる、というだけでも、親にしてみれば「とんでもない」ということなのに、そこへ学生結婚……という話である。保守的な親にしてみれば、「何を考えてるんだ」ということになる。無理のない話だった。
祝福されない結婚を、せめて、われわれ同志だけでも祝ってあげようじゃないか――ということで、だれ言うともなく「祝う会」の構想が持ち上がった。
勤労会館の会議室を借りて、そこに座卓をコの字に並べ、新郎新婦を中央に座らせて、塩豆・ピーナッツとビールだけの、粗末と言えば、これ以上の粗末さはない「結婚を祝う会」がスタートしたのだった。

ウエディング・ドレスもない、ケーキ入刀もない、花束の贈呈も、来賓の祝辞もない祝典は、ただ、参加者ひとりひとりがふたりにお祝いのメッセージを贈り、全員で労働歌を歌ったり、ロシア民謡やフォークソングを歌ったりして進行した。
だれかがギターだけは用意していたので、フォークソングを歌うときなどは、多少はコードを押さえられる私が、伴奏役を務めることになった。
「なぁ、長住クン。できたら、歌ってほしい曲があるんだけど……」
会も終盤になって、K先輩が言い出した。
「七つの水仙って曲、あるでしょ。実は、ボクら、あの曲が好きなんだ」
K先輩が、横のTさんと顔を見合わせながら、照れくさそうに言うのだ。
見合わせたTさんの顔が、ほんのりピンクに染まって、ウンウン…というふうにうなずいている。
自信はなかったが、歌詞もコードも、だいたいは覚えていた。
『七つの水仙』は、ブラザース・フォーが歌ってヒットさせた曲だが、すでにスタンダードになっていて、「ピーター、ポール・アンド・マリー(p.p.m)」などもレパートリーに加えていた。プロテスト・ソングが多かった当時のフォーク・ソングの中では、比較的牧歌的な……と思われている曲だった。
それだけに、KさんとTさんがそんな曲を「好きな曲」と言ったときには、少し意外な気もした。
《ボクには、豪華な邸宅もない、土地もない。
手の中でしわくちゃにする紙幣さえもない。
でも、ボクには、キミに見せてあげられるものがある。
この千の丘に、やってくる朝。
そしたら、ボクはキミに口づけして、そしてあげるんだ、
七つの水仙を……》
手の中でしわくちゃにする紙幣さえもない。
でも、ボクには、キミに見せてあげられるものがある。
この千の丘に、やってくる朝。
そしたら、ボクはキミに口づけして、そしてあげるんだ、
七つの水仙を……》
歌いながら、思った。
「活動家」として生きる道を選んだKさんには、これから先、物質的な充足という生活は、望めないに違いない。
それでもKさんは、その道を選び、Tさんは、そんなKさんと手を携えて生きる道を選んだ。
KさんはTさんに、TさんはKさんに、「何もあげられないけど、美しい朝を見せ、七つの水仙をあげる」、そんな生活を選んだのだ――と。
「アンド・キス・ユー、アンド・ギブ・ユー、セブン・ダファディル……」
歌いながら、込み上げてくるものがあってのどを詰まらせていると、部屋の入り口で、「どうぞ、お入りください」と、だれかが言っている声がした。
開け放たれた部屋のドアの入り口で、静かに頭を垂れている、すでに初老に近い男女の姿が目に入った。
たぶん、K先輩のご両親だろうと、その様子から推察できた。
半分、怒ったようなこわばった顔で、しかし、招き入れようとするボクたちの仲間にしきりに恐縮しながら、入り口近くの畳の上にちょこんと座ったふたりは、正面のふたりに軽く会釈をし、それから、いったいこの連中は何者だ――というふうに、一座を見回していた。
正面に座った新婦のTさんは、「ごめんなさい」というふうに頭を下げた。
最初は警戒心を露にしていたふたりの、特に父親の目の色が、少しずつ溶けていった。
《ボクには、キミにステキな物を買ってあげる財産なんてない。
でも、月の光を織って作ってあげよう、
キミの首飾りや指輪を……。
そして、キミに見せてあげる、
この千の丘にやってくる(ステキな)朝を。
ボクはキミに口づけして、それからあげるんだ、
七つの水仙を……》
でも、月の光を織って作ってあげよう、
キミの首飾りや指輪を……。
そして、キミに見せてあげる、
この千の丘にやってくる(ステキな)朝を。
ボクはキミに口づけして、それからあげるんだ、
七つの水仙を……》
歌が終わると、参列者の何人かが、どう見てもその場には似合わないと思われるほどに正装したふたりを、「どうぞ、どうぞ」と手をとって、新郎新婦の隣に座らせた。
幹事役のNが、ふたりのコップにビールを注ぎ、そして、言った。
「申し訳ありません。こんな席しかご用意できなくて。しかし、われわれがおふたりの幸せを願う気持ちは、どんな立派な式に集うきらびやかに着飾った人たちにも、絶対に負けないつもりです。お怒りの気持ちもおありかと思いますが、もし、お許し願えるなら、どうか、私たちと一緒に、ふたりの前途のために乾杯してやっていただけないでしょうか?」
ひざの上でギュッとこぶしを握っていたお父さんの背中が、小刻みに震えていた。
やがてお父さんは、手にしたコップをテーブルに置き、それから、背筋をシャンと伸ばし、突然、畳に両手をついた。
「親の承諾も得ず、こんな勝手なマネをする息子たちを、ほんとは、私も、家内も、怒っておりました。いまでも、怒っております。しかし、しかし……本日、こちらにおじゃまして、みなさんがこんなにも温かく、ふたりの結婚を祝福してくださっていることを知り、親として……まことに……感謝の申し上げようもありません。こんな未熟なふたりではありますが、どうか、みなさん、これからもこのふたりを……」
そこまで言うと、お父さんの声は嗚咽に変わった。
「オーッ!」と、会場の全員が喚声を上げ、銘々がビールを満たしたコップを持って立ち上がった。
「じゃ、お父さんも、お母さんもご一緒に。もう一度、みんなで乾杯しましょう。K先輩、Tさん、ご結婚、おめでとうごぞいま~す!」
Nの野太い声に続いて、全員が「おめでとうございます」と唱和し、コップのビールを飲み干した。K先輩のご両親も……。

会がお開きになると、参加者の何人かで、ご両親を二次会に誘った。
二次会と言っても、そこらの赤提灯に飛び込んで、焼き鳥をつまみにコップ酒を飲む程度だが、酒が進むほどに、私たちも、そして、ふたりのVIPも、饒舌になっていった。
中には、「お父さん、ボクらがこの国を変えて見せますからね。見ててくださいよ」などと壮語する者もいたが、そうなると今度はお父さんも、「あんな程度で国が変わるやら、あんたらは甘かばい」と、お国言葉丸出しで反論したりするのだった。
私たちとしては、貧乏学生のなけなしの金でふたりをおもてなししよう――という気持ちだったのだが、いざ、会計をとレジに行くと、勘定はすべて、ひと足先に帰ったお父さんがすませていた。
卒業して連絡の絶えたK先輩とTさんが、その後、どんな人生を送ったのか、いまでもふたりが幸せに暮らしているのかどうか、私にはもう、知る由がない。
しかし、私はいまでも、確信を持って言える。
あの「祝う会」ほど心に沁みた結婚パーティは、その前にも、後にもなかった。そして、おそらく、これからもないだろう――と。

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