第118夜☆みゆきの愛は「聖母的」、ユーミンの愛は「天使的」
第118夜
中島みゆきの歌には泣かされ、ユーミンの歌には元気づけられる。その理由は、「みゆき的愛」と「ユーミン的愛」の「愛のかたち」の違いにある、というのが、今回のテーマ。前回に引き続き、ふたりの歌の歌詞を引用しながら、「聖母的」と「天使的」という2つの愛のあり方について、話を進めます――。
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AKI ね、哲ジイでも、歌を聴いて泣かされるなんてことあるの?
哲雄 何度も申し上げておりますが、その「でも……」っての、お止めいただけないでしょうかね。血も、涙も、人一倍豊かな、この私に向かって。
AKI ヘーッ、豊かなんだぁ。ま、だれでもだいたい、歳をとると涙もろくはなりますけどね。
哲雄 ええ、煙も目にしみやすくなってしまいますしね。特に、中島みゆきの歌なんかはしみますねぇ。くすぶってるタバコの煙くらい……。
AKI やっぱり、泣かされるのは、みゆきの歌なんですね。
哲雄 ひとつは、そのリアリティなんだろうね。なんかね、不意をつかれたみたいに、「こんな場面あったよな」っていうのが出てくるんですよ、歌詞の中に。たとえばね、もう都会を離れて郷里に帰ろうか――と考えている人が、そのふるさとへ向かう「空色の汽車」に乗ろうとホームへ向かう。そこに、「ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさい」というやさしい駅長の声がする。
AKI それ、聴いたことある。『ホームにて』とかいう曲ですよね。
哲雄 ウン、初期の名曲だね。走り出せば間に合うんだけど、その人は、「街に挨拶を」なんて逡巡してるうちに、汽車のドアは閉まってしまう。みゆきは歌うんだね、その情景を。
AKI グッときますね。私にも、そういうのあったなぁ――とか思っちゃう。
哲雄 リアリティがあって、だれでもそんな情景と出会ってるよなぁ……と感じさせるものが、みゆきの詩にはある。「心の原風景」みたいなものだね。そうして原風景を提示したあとで、手元に残った乗車券を「ネオンライトでは燃やせない」と詩人の感傷が締めくくる。うまいなぁ――と思うんだよね。
AKI 私の知ってるおじさんが、これいいよって聴かせてくれた曲があるのよね。なんか、そばでも食いなよ……みたいな歌詞の曲。
哲雄 ああ、『蕎麦屋』でしょ。いい曲ですよ。自分がこの世に必要ないんじゃないか――と落ち込んでる女性(だと思う)を、「そばでも食わないかあ」って誘う男友だち(だと思う)がいて、「どうでもいいけどとんがらし そんなにかけちゃよくないよ」とか言っちゃうんだよね。
AKI ユーミンの曲には、そういう身につまされる風景みたいなものは、あんまり出てきませんよね。
哲雄 そうだね。どっちかと言うと、ユーミンの歌に出てくる情景は幻想的だと、私は感じてます。都会の片隅なんていうリアルな場所じゃなくて、空とか、月の光とか、海とかが出てくるんだよね。たとえば、『Bueno Adios』なんて曲があって、たぶんこれは、ロスト・ラブを歌った曲なんだけど、「外した指輪」「しまい忘れた心」「別れの言葉」「ナイフのような冷めた瞳」……と、激しい言葉で表現された喪失感を抱えた彼女がさまよっているのは、「眩しい夏の午後」なんだよね。で、その激しい陽差しの中で、ユーミンは女にこう言わせるわけです。
AKI なんか、すごく前向きな感じ。地中海が似合いそうな恋の歌ですねぇ。
哲雄 行ったこともないくせに。キミもよく言いますね。
AKI イメージですよ、イメージ。
哲雄 でも、そのイメージは、あまり外れてないような気がします。ユーミンの歌の世界では、「喪失」は常に「将来の夢や希望」と引き換えにされてるような気がします。
AKI じゃ、みゆきの歌では?
哲雄 みゆき的世界では、「喪失」はいつも「いやし」と交換されてるように感じる。私だけの感じ方かもしれないけど。
AKI ユーミンの曲で夢を見て、みゆきの曲でいやされる? じゃ、どっちも聴けばいいのに……。
哲雄 さすが、欲深なAKIクン。らしい感想ですね。でも、世の中の男性も、もしかしたら、そうかもしれませんねぇ。
AKI そうかも……って、どうかもなんです?
哲雄 「夢を見させてくれる愛」も、「いやしてくれる愛」も、どちらも欲しいってことです。私はこれを、「天使的」と「聖母的」というふうに呼んでるんだけど。
AKI ユーミンが見せてくれる愛は「天使的」、みゆきが見せてくれる愛は「聖母的」ってことですか?
哲雄 そう。それがいちばん表れてると思える歌詞を抜き出してみるので、ちょっと比べてみようか?
男は女には言わないことが多いから
疲れているのなら だまって抱いていよう
おそれているのなら いつまでも抱いていよう
もう愛だとか恋だとかむずかしく言わないで
わたしの子供になりなさい
――中島みゆき『わたしの子供になりなさい』より
AKI ワァ、わかりやすい! もろに天使と聖母じゃないですか? で、哲ジイはどっちを求めてるんですか?
哲雄 聖母を妻にして、天使を恋人にしたい。
AKI ズルッ。それってズルいですよ。
哲雄 でもね、実際にそうするかどうかはともかくとして、これって、男が永久に抱えるジレンマかもしれないね。ピーターパンもそうだったし……。
AKI ああ、いつもピーターパンを遊びに誘い出す妖精のティンカーベルと、そんなピーターパンをいつも心配してばかりいる恋人・ウエンディですね。この話、前にもしましたよね。
哲雄 第87夜『妻は「マネージャー」、愛人は「チアリーダー」』ですね。「チアリーダー」が「天使的」であるのは確かだし、「マネージャー」が「聖母的」であるのも確かだけど、少し、ニュアンスが違うかな。
AKI もう少し深い?
哲雄 ユーミンの歌から感じる「天使的愛」には、「いつも自分らしく」というアイデンティティが不可欠だし、みゆきの歌から感じる「聖母的愛」には、その根底に「原罪意識」が前提されてるような気がする。
AKI 「アイデンティティ」と「原罪意識」ですか? なんだかむずかしそう。
哲雄 ウン、この話は、次回、じっくりとお話することにしましょう。ところで、AKIクンの愛は、どちらかと言うと……。
AKI ストップ! どうせ、幼女的とか言うわけでしょ?
哲雄 あれ!? どうしてわかったかなぁ……。
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AKI グッときますね。私にも、そういうのあったなぁ――とか思っちゃう。
哲雄 リアリティがあって、だれでもそんな情景と出会ってるよなぁ……と感じさせるものが、みゆきの詩にはある。「心の原風景」みたいなものだね。そうして原風景を提示したあとで、手元に残った乗車券を「ネオンライトでは燃やせない」と詩人の感傷が締めくくる。うまいなぁ――と思うんだよね。
AKI 私の知ってるおじさんが、これいいよって聴かせてくれた曲があるのよね。なんか、そばでも食いなよ……みたいな歌詞の曲。
哲雄 ああ、『蕎麦屋』でしょ。いい曲ですよ。自分がこの世に必要ないんじゃないか――と落ち込んでる女性(だと思う)を、「そばでも食わないかあ」って誘う男友だち(だと思う)がいて、「どうでもいいけどとんがらし そんなにかけちゃよくないよ」とか言っちゃうんだよね。
AKI ユーミンの曲には、そういう身につまされる風景みたいなものは、あんまり出てきませんよね。
哲雄 そうだね。どっちかと言うと、ユーミンの歌に出てくる情景は幻想的だと、私は感じてます。都会の片隅なんていうリアルな場所じゃなくて、空とか、月の光とか、海とかが出てくるんだよね。たとえば、『Bueno Adios』なんて曲があって、たぶんこれは、ロスト・ラブを歌った曲なんだけど、「外した指輪」「しまい忘れた心」「別れの言葉」「ナイフのような冷めた瞳」……と、激しい言葉で表現された喪失感を抱えた彼女がさまよっているのは、「眩しい夏の午後」なんだよね。で、その激しい陽差しの中で、ユーミンは女にこう言わせるわけです。
AKI なんか、すごく前向きな感じ。地中海が似合いそうな恋の歌ですねぇ。
哲雄 行ったこともないくせに。キミもよく言いますね。
AKI イメージですよ、イメージ。
哲雄 でも、そのイメージは、あまり外れてないような気がします。ユーミンの歌の世界では、「喪失」は常に「将来の夢や希望」と引き換えにされてるような気がします。
AKI じゃ、みゆきの歌では?
哲雄 みゆき的世界では、「喪失」はいつも「いやし」と交換されてるように感じる。私だけの感じ方かもしれないけど。
AKI ユーミンの曲で夢を見て、みゆきの曲でいやされる? じゃ、どっちも聴けばいいのに……。
哲雄 さすが、欲深なAKIクン。らしい感想ですね。でも、世の中の男性も、もしかしたら、そうかもしれませんねぇ。
AKI そうかも……って、どうかもなんです?
哲雄 「夢を見させてくれる愛」も、「いやしてくれる愛」も、どちらも欲しいってことです。私はこれを、「天使的」と「聖母的」というふうに呼んでるんだけど。
AKI ユーミンが見せてくれる愛は「天使的」、みゆきが見せてくれる愛は「聖母的」ってことですか?
哲雄 そう。それがいちばん表れてると思える歌詞を抜き出してみるので、ちょっと比べてみようか?

疲れているのなら だまって抱いていよう
おそれているのなら いつまでも抱いていよう
もう愛だとか恋だとかむずかしく言わないで
わたしの子供になりなさい
――中島みゆき『わたしの子供になりなさい』より
AKI ワァ、わかりやすい! もろに天使と聖母じゃないですか? で、哲ジイはどっちを求めてるんですか?
哲雄 聖母を妻にして、天使を恋人にしたい。
AKI ズルッ。それってズルいですよ。
哲雄 でもね、実際にそうするかどうかはともかくとして、これって、男が永久に抱えるジレンマかもしれないね。ピーターパンもそうだったし……。
AKI ああ、いつもピーターパンを遊びに誘い出す妖精のティンカーベルと、そんなピーターパンをいつも心配してばかりいる恋人・ウエンディですね。この話、前にもしましたよね。
哲雄 第87夜『妻は「マネージャー」、愛人は「チアリーダー」』ですね。「チアリーダー」が「天使的」であるのは確かだし、「マネージャー」が「聖母的」であるのも確かだけど、少し、ニュアンスが違うかな。
AKI もう少し深い?
哲雄 ユーミンの歌から感じる「天使的愛」には、「いつも自分らしく」というアイデンティティが不可欠だし、みゆきの歌から感じる「聖母的愛」には、その根底に「原罪意識」が前提されてるような気がする。
AKI 「アイデンティティ」と「原罪意識」ですか? なんだかむずかしそう。
哲雄 ウン、この話は、次回、じっくりとお話することにしましょう。ところで、AKIクンの愛は、どちらかと言うと……。
AKI ストップ! どうせ、幼女的とか言うわけでしょ?
哲雄 あれ!? どうしてわかったかなぁ……。

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