第113夜☆だれが「男の恋」を殺したのか?
第113夜
「愛とは何か?」をめぐって、管理人・哲雄がパートナー・AKIを相手に展開する、オヤジ・ギャグ風+ちょっぴりアカデミックおしゃべり。今回は、恋をするのは、男か、女か――をめぐってのお話。万葉以降の「男の恋」の長い歴史をひも解きながら、男の片思いこそ恋である、という持論を展開します――。
【今回のキーワード】 片思い 儒教 遊郭
【リンク・キーワード】 オーガズム 恋愛小説 エロ コミュニケーション 不倫
AKI ね、哲ジイ。前回、ちょっと気になることをおっしゃいましたわね。
哲雄 ハ? 何か、言いましたっけ?
AKI 確か……恋をするのは、男の専売特許であるとか何とか……。
哲雄 そりゃそうでしょう。空の鳥をご覧なさい。恋の歌をさえずっているのは、どっちです?
AKI それはまぁ……オスのほうでしょうけど……。
哲雄 川の魚をご覧なさい。メスがオスを追い回してますか?
AKI エーッと、おサカナくんに訊いてみます。
哲雄 豚や牛や馬をご覧なさい。メスからオスにシリを突き出してますか?
AKI たぶん、オスから仕掛けてますよね。
哲雄 人間だって、動物です。恋は男がするもの。女は、それに応えるもの。これ、動物界の、というより、精子を卵子にぶっかける仕組みを持った動物の恋の、ま、宿命みたいなもんですね。
AKI 「ぶっかける」なんて、そんなお下品な……。卵をご飯にぶっかけるのは大好きですけど。
哲雄 それです。卵をご飯にぶっかける習慣を身に着けて以降、日本の女たちの恋愛観が大きく変わりました。
AKI エッ、ホント?
哲雄 ウソです。文学的に見ても、万葉の昔から、恋の歌を詠み、恋愛物語をものしてきたのは、男たちだったよね。
AKI でも、女流もあるでしょ? 『源氏物語』があるじゃありませんか?
哲雄 しかし、そこで描かれているのは、恋する男たちの姿でしょ。書き手は女性だけど、恋の主人公は、やっぱり、男。
AKI そう言えば、そうですよねェ。不思議……。
哲雄 何が不思議です?
AKI なんか、私の感じでは、激しい恋に身をやつすのは、常に女……みたいな印象があるんですよ。八百屋お七にしても、阿部定にしても……。
哲雄 ジュリアン・ソレルとかでないところが、AKIクンらしいね。でもね、八百屋お七にしても、お夏清十郎のお夏にしても、そして、キミの好きな阿部定にしても、全部、江戸時代以降の登場人物だよね。
AKI 別に、阿部定が好きってわけじゃないですよ。でも、哲ジイ、何かあったんですか、江戸時代に?
哲雄 というより、封建時代そのものに、ある決定的な価値観の変化がありました。
AKI そう言えば、女性の帯の位置が高くなったのも、その頃からですよね。まるで、胸を押さえつけるみたいな位置に……。
哲雄 さすが、目のつけ所がスケベ! さて、これらの変化をもたらしたものは、いったい、何であったか? 実はね、この頃から日本人の精神は、儒教思想に大きく支配されるようになるんです。
AKI 哲ジイの大嫌いな儒教思想ですね。
哲雄 毛虫とサソリみたいに嫌いです!
AKI な、何ですか? その毛虫とサソリって?
哲雄 蛇蝎(だかつ)と言います。「蛇蝎の如く嫌う」の「蛇蝎」。
AKI 儒教思想のどこが「ダカツ」なんですか?
哲雄 儒教思想の根幹にあるのは、「家父長制の維持」という考え方なんだよね。つまり、何よりも「家」が大事、という考え方。それまでの日本の恋愛思想というのはね、どちらかというと、自由恋愛に近かった。少なくとも、平安時代までの恋愛文学に描かれた恋愛って、ものすごく自由なんだよね。愛してはいけない人に想いを寄せたり……とかさ。
AKI 母に恋をしたり……とか、ありますものね。
哲雄 ところが、そんなことをやってたんじゃ、「家父長制」が守れない。そこで、儒教的価値観は、「男の恋」を徹底的にやっつけた。
男たるもの、恋なぞにうつつを抜かすものではない
――というふうにね。
AKI 在原業平なんて、とんでもないやっちゃ、ってことになるわけですね。
哲雄 そんなものは、どこか他の場所で片づけてこい――ということになるわけです。
AKI 他の場所……? どこです、それは?
哲雄 色里。
AKI エ? 遊郭とかがある?
哲雄 そう。「恋」を「色里」に押し込めてしまったわけですね。で、この頃から、「恋」の世界は「色道」と呼ばれるようになった。そして、数ある恋愛物語の登場人物たちも、商家の若旦那と遊女というふうに、変わっていった。
AKI SEXを家庭に持ち込まない――っていうのは、
もしかしたら、その頃に作られた「伝統」?
哲雄 そうかもしれませんねぇ。少なくとも、男の頭脳の中には、「SEX=色恋」&「家=秩序」という「二重規範」が刷り込まれてしまったのかもしれません。
AKI すべては、儒教のせい?
哲雄 諸悪の根源は、儒教精神にあり! と、私は思っています。その儒教的要素を見て、日本人と西洋人の文化を比較したバカな学者もかつてはいたようですが、そもそも、この儒教なるもの、日本人古来の精神のありよう=メンタリティとは、何の関わりもない「外来文化」で、元はと言えば、中国で為政者のありようを追求した学問だったんだよね。
AKI それが、日本人本来の恋愛のありようまで変えてしまった……ってわけ?
哲雄 「恋する男」が、表通りから姿を消してしまいました。「恋愛なんぞにうつつをぬかす男」は、いまだに「蔑み」の目で見られたりするでしょ?
AKI 恋愛至上主義の哲ジイとしては、ガマンがならないわけですね?
哲雄 いや……私は、別に、「恋愛至上主義」ではないですよ。ただ、こうして「男の恋」が封じ込められたためかどうか、この江戸時代以降、恋の主役が、日本では、女たちになっていくわけです。それが、キミの言う「八百屋お七」であり、「阿部定」であり……ってことになるんだよね。
AKI 哲ジイとしては、「男の恋」の復権を願ってる……?
哲雄 男よ、もっと、みっともなく恋をせよ、と言いたいね。
AKI 「みっともなく」ですか?
哲雄 恋とは、本来、みっともないものです。みじめで情けないものです。それでも、胸を焦がさずにはいられない、何かとてつもなく価値のあるもの……だと私は思う。
AKI そう言えば、哲ジイの恋って、片思いが多いんですよね?
哲雄 というか、片思いこそ恋である、と私は思っています。
AKI そ、そうなの? 片思いこそ……?
哲雄 だから、安心して、片思いされなさい。この続きは、また次回。
あなたの感想をClick Please!(無制限、押し放題!)
管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。
この記事はためになった(FC2 恋愛)
この記事に共感した(にほんぶろぐ村 恋愛)
この記事は面白かった(人気ブログランキング 恋愛)
→このテーマの記事一覧に戻る →トップメニューに戻る
AKI でも、女流もあるでしょ? 『源氏物語』があるじゃありませんか?
哲雄 しかし、そこで描かれているのは、恋する男たちの姿でしょ。書き手は女性だけど、恋の主人公は、やっぱり、男。
AKI そう言えば、そうですよねェ。不思議……。
哲雄 何が不思議です?
AKI なんか、私の感じでは、激しい恋に身をやつすのは、常に女……みたいな印象があるんですよ。八百屋お七にしても、阿部定にしても……。
哲雄 ジュリアン・ソレルとかでないところが、AKIクンらしいね。でもね、八百屋お七にしても、お夏清十郎のお夏にしても、そして、キミの好きな阿部定にしても、全部、江戸時代以降の登場人物だよね。
AKI 別に、阿部定が好きってわけじゃないですよ。でも、哲ジイ、何かあったんですか、江戸時代に?
哲雄 というより、封建時代そのものに、ある決定的な価値観の変化がありました。
AKI そう言えば、女性の帯の位置が高くなったのも、その頃からですよね。まるで、胸を押さえつけるみたいな位置に……。
哲雄 さすが、目のつけ所がスケベ! さて、これらの変化をもたらしたものは、いったい、何であったか? 実はね、この頃から日本人の精神は、儒教思想に大きく支配されるようになるんです。
AKI 哲ジイの大嫌いな儒教思想ですね。
哲雄 毛虫とサソリみたいに嫌いです!
AKI な、何ですか? その毛虫とサソリって?
哲雄 蛇蝎(だかつ)と言います。「蛇蝎の如く嫌う」の「蛇蝎」。
AKI 儒教思想のどこが「ダカツ」なんですか?
哲雄 儒教思想の根幹にあるのは、「家父長制の維持」という考え方なんだよね。つまり、何よりも「家」が大事、という考え方。それまでの日本の恋愛思想というのはね、どちらかというと、自由恋愛に近かった。少なくとも、平安時代までの恋愛文学に描かれた恋愛って、ものすごく自由なんだよね。愛してはいけない人に想いを寄せたり……とかさ。
AKI 母に恋をしたり……とか、ありますものね。
哲雄 ところが、そんなことをやってたんじゃ、「家父長制」が守れない。そこで、儒教的価値観は、「男の恋」を徹底的にやっつけた。
男たるもの、恋なぞにうつつを抜かすものではない
――というふうにね。
AKI 在原業平なんて、とんでもないやっちゃ、ってことになるわけですね。
哲雄 そんなものは、どこか他の場所で片づけてこい――ということになるわけです。
AKI 他の場所……? どこです、それは?
哲雄 色里。
AKI エ? 遊郭とかがある?
哲雄 そう。「恋」を「色里」に押し込めてしまったわけですね。で、この頃から、「恋」の世界は「色道」と呼ばれるようになった。そして、数ある恋愛物語の登場人物たちも、商家の若旦那と遊女というふうに、変わっていった。
AKI SEXを家庭に持ち込まない――っていうのは、
もしかしたら、その頃に作られた「伝統」?
哲雄 そうかもしれませんねぇ。少なくとも、男の頭脳の中には、「SEX=色恋」&「家=秩序」という「二重規範」が刷り込まれてしまったのかもしれません。
AKI すべては、儒教のせい?
哲雄 諸悪の根源は、儒教精神にあり! と、私は思っています。その儒教的要素を見て、日本人と西洋人の文化を比較したバカな学者もかつてはいたようですが、そもそも、この儒教なるもの、日本人古来の精神のありよう=メンタリティとは、何の関わりもない「外来文化」で、元はと言えば、中国で為政者のありようを追求した学問だったんだよね。
AKI それが、日本人本来の恋愛のありようまで変えてしまった……ってわけ?
哲雄 「恋する男」が、表通りから姿を消してしまいました。「恋愛なんぞにうつつをぬかす男」は、いまだに「蔑み」の目で見られたりするでしょ?
AKI 恋愛至上主義の哲ジイとしては、ガマンがならないわけですね?
哲雄 いや……私は、別に、「恋愛至上主義」ではないですよ。ただ、こうして「男の恋」が封じ込められたためかどうか、この江戸時代以降、恋の主役が、日本では、女たちになっていくわけです。それが、キミの言う「八百屋お七」であり、「阿部定」であり……ってことになるんだよね。
AKI 哲ジイとしては、「男の恋」の復権を願ってる……?
哲雄 男よ、もっと、みっともなく恋をせよ、と言いたいね。
AKI 「みっともなく」ですか?
哲雄 恋とは、本来、みっともないものです。みじめで情けないものです。それでも、胸を焦がさずにはいられない、何かとてつもなく価値のあるもの……だと私は思う。
AKI そう言えば、哲ジイの恋って、片思いが多いんですよね?
哲雄 というか、片思いこそ恋である、と私は思っています。
AKI そ、そうなの? 片思いこそ……?
哲雄 だから、安心して、片思いされなさい。この続きは、また次回。

管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。



→このテーマの記事一覧に戻る →トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 第114夜☆相思相愛なんて「恋」じゃない (2010/03/27)
- 第113夜☆だれが「男の恋」を殺したのか? (2010/03/22)
- 第112夜☆男の浮気は「保険」、女の浮気は「投資」 (2010/03/17)