あなたにウソをつかせてしまう「4人の番人」

File-8 自あなたにウソをつかせる「4人の番人」
そもそも、人はなぜ、自分の本心を偽って、
ウソをつこうとするのでしょうか?
実はあなたの心には、都合のわるい本心が
表に出ないように見張っている
意識の「番人」がいるのです。
さて、ここでちょいと整理をしておきましょうか。
そもそも人は、なぜ、自分の本心を隠してウソをついたりするのか?
実は、心の中に「番人」が棲んでいるからだ――と、私は思っています。
精神分析学の創始者であるフロイトは、「無意識」と「意識」の境界に立ちはだかる番人を発見して、これを「意識の検閲」と呼びました。
しかし、どうも、番人は他にもいるらしい。人間は、精神が発達していくそれぞれの段階で、必要に応じて、さまざまな番人を創り上げていくのではないか――と、私は思っています。
筆者は、自らの意識の歴史をグッチャグチャに掘り起こして、どこでどういう番人が創り出されたかを、虚心に分析してみました。もちろん、他人の心の働き方もつぶさに観察してきました。
半世紀余(ハイ、けっこう歳なんです、私)に及ぶ観察の結果、この番人には、だいたい4つのタイプがいるなぁ――と悟るにいたりました。
「だいたい」ですよ。私の言うことは、実験やデータによって確かめたわけでも何でもありませんから、いつも「だいたい」で「テキトー」なんですが、その「テキトー心理学」によれば、「4人の番人」は、おおむね、次の4タイプです。
[1]意識の番人
「いやらしい自分」を意識の奥に隠してしまう
これは、フロイト大先生の受け売りです。
フロイトは、人間の意識を「性の意識」として捉えた人なんですが、「意識」が「番人」となって覆い隠すのは、いや、覆い隠すだけではなくて、無意識の闇に押し込めてしまおうとするのは、性に関する意識です。
母親と結ばれたいという欲動、父親と結ばれたいという欲動、ときには、そうした性的欲動があること自体をも、無意識化してしまうことがある――と、フロイトは指摘しました。
この隠ぺい工作は、私たちがごく幼い頃に行われるので、そういう工作が行われたことも、押し込められた性的欲動が顔をのぞかせないように、怖い顔をした「意識の番人」が、無意識と意識の境界を見張り続けていることも知らないまま、私たちはおとなとしての自我を築き上げていきます。
この番人が覆い隠す「本心」は、知ったら、「ワッ、いやらしい! 私って、そんなこと考えてたの?」と思うような「本心」です。
しかし、この番人は、訓練を受けたガードマンぐらい頑強なので、私たちは、滅多なことでは、この「いやらしい本心」に気づくことがありません。浅い眠り(レム睡眠)で夢を見ているときを除いては……。
[2]道徳の番人
「自分は正しい」というフリをするためにウソをつく
「道徳」というのは、「○○をしてはいけない」「××すべき」と、親や教師や社会から教え込まれ、ときには押しつけられる行動規範のことです。
これもリッパな「番人」になります。
道で立小便をしたいと思っても、「出すものはトイレに出しなさい」と、厳しく厳しくしつけた親の顔がまぶたに浮かんで、下ろしかけたジッパーを上げてしまったりします。
「おまえの母ちゃん、出ベソ」と、友だちをからかおうと思っても、「友だちのことをわるく言うものではありません」と諭した女先生の言葉が頭に浮かんだりして、口を閉ざしてしまいます。
「道徳」そのものは、「こういうときはこうしなさい」という個別の行動規範の集大成にすぎず、また多くの場合、他者に対して体面を整える程度のモチベーションで作られていますから、「ま、だれも見てないからいいか」となったら、その番人はしばしば、目をつぶってしまいます。
日本人が海外に出たら、とたんにハメを外す――というのも、その規範が道徳レベルにとどまっているからです。
「道徳」として語られる規範を「なぜ、そうしなくてはいけないか?」まで掘り下げ、体系化すると、「倫理」になります。
さらに、そこから「社会はどうあるべきか?」「そういう規範を持つ人生そのものにどんな意味を持たせるか?」というところまで考えを深めると、「思想」になります。
ここまでくると、かなり強固な番人が登場します。
たとえば、「金をもうける(本心)のが先決か、社会のために正しいことをする(倫理観)のが先決か?」などという岐路に立たされたとき、この番人は、ときに、命をかけてでも「正しい」を守れ、と厳しい判断を下します。
「ほんとはちょっぴり金ももうけたいんだけど」とか「うちの亭主、そろそろくたばってくれないかしら」なんていう本心を、密閉冷凍してしまうわけですね。
道徳レベルの番人は、小中学段階までに、親や教師を通して創り出されることが多く、倫理・思想レベルの番人は、10代後半から20代前半ぐらいの時期に、教師・友人・書物などを通して創り出されることが多いのですが、どちらも「教育」「学習」によって創られるものですから、新たな価値を学び取ると同時に、「古い番人」はクビになります。
つまり、この番人には、しばしば「政権交代」が起こるのです。
そもそも人は、なぜ、自分の本心を隠してウソをついたりするのか?
実は、心の中に「番人」が棲んでいるからだ――と、私は思っています。
精神分析学の創始者であるフロイトは、「無意識」と「意識」の境界に立ちはだかる番人を発見して、これを「意識の検閲」と呼びました。
しかし、どうも、番人は他にもいるらしい。人間は、精神が発達していくそれぞれの段階で、必要に応じて、さまざまな番人を創り上げていくのではないか――と、私は思っています。
筆者は、自らの意識の歴史をグッチャグチャに掘り起こして、どこでどういう番人が創り出されたかを、虚心に分析してみました。もちろん、他人の心の働き方もつぶさに観察してきました。
半世紀余(ハイ、けっこう歳なんです、私)に及ぶ観察の結果、この番人には、だいたい4つのタイプがいるなぁ――と悟るにいたりました。
「だいたい」ですよ。私の言うことは、実験やデータによって確かめたわけでも何でもありませんから、いつも「だいたい」で「テキトー」なんですが、その「テキトー心理学」によれば、「4人の番人」は、おおむね、次の4タイプです。

「いやらしい自分」を意識の奥に隠してしまう
これは、フロイト大先生の受け売りです。
フロイトは、人間の意識を「性の意識」として捉えた人なんですが、「意識」が「番人」となって覆い隠すのは、いや、覆い隠すだけではなくて、無意識の闇に押し込めてしまおうとするのは、性に関する意識です。
母親と結ばれたいという欲動、父親と結ばれたいという欲動、ときには、そうした性的欲動があること自体をも、無意識化してしまうことがある――と、フロイトは指摘しました。
この隠ぺい工作は、私たちがごく幼い頃に行われるので、そういう工作が行われたことも、押し込められた性的欲動が顔をのぞかせないように、怖い顔をした「意識の番人」が、無意識と意識の境界を見張り続けていることも知らないまま、私たちはおとなとしての自我を築き上げていきます。
この番人が覆い隠す「本心」は、知ったら、「ワッ、いやらしい! 私って、そんなこと考えてたの?」と思うような「本心」です。
しかし、この番人は、訓練を受けたガードマンぐらい頑強なので、私たちは、滅多なことでは、この「いやらしい本心」に気づくことがありません。浅い眠り(レム睡眠)で夢を見ているときを除いては……。

「自分は正しい」というフリをするためにウソをつく
「道徳」というのは、「○○をしてはいけない」「××すべき」と、親や教師や社会から教え込まれ、ときには押しつけられる行動規範のことです。
これもリッパな「番人」になります。
道で立小便をしたいと思っても、「出すものはトイレに出しなさい」と、厳しく厳しくしつけた親の顔がまぶたに浮かんで、下ろしかけたジッパーを上げてしまったりします。
「おまえの母ちゃん、出ベソ」と、友だちをからかおうと思っても、「友だちのことをわるく言うものではありません」と諭した女先生の言葉が頭に浮かんだりして、口を閉ざしてしまいます。
「道徳」そのものは、「こういうときはこうしなさい」という個別の行動規範の集大成にすぎず、また多くの場合、他者に対して体面を整える程度のモチベーションで作られていますから、「ま、だれも見てないからいいか」となったら、その番人はしばしば、目をつぶってしまいます。
日本人が海外に出たら、とたんにハメを外す――というのも、その規範が道徳レベルにとどまっているからです。
「道徳」として語られる規範を「なぜ、そうしなくてはいけないか?」まで掘り下げ、体系化すると、「倫理」になります。
さらに、そこから「社会はどうあるべきか?」「そういう規範を持つ人生そのものにどんな意味を持たせるか?」というところまで考えを深めると、「思想」になります。
ここまでくると、かなり強固な番人が登場します。
たとえば、「金をもうける(本心)のが先決か、社会のために正しいことをする(倫理観)のが先決か?」などという岐路に立たされたとき、この番人は、ときに、命をかけてでも「正しい」を守れ、と厳しい判断を下します。
「ほんとはちょっぴり金ももうけたいんだけど」とか「うちの亭主、そろそろくたばってくれないかしら」なんていう本心を、密閉冷凍してしまうわけですね。
道徳レベルの番人は、小中学段階までに、親や教師を通して創り出されることが多く、倫理・思想レベルの番人は、10代後半から20代前半ぐらいの時期に、教師・友人・書物などを通して創り出されることが多いのですが、どちらも「教育」「学習」によって創られるものですから、新たな価値を学び取ると同時に、「古い番人」はクビになります。
つまり、この番人には、しばしば「政権交代」が起こるのです。

「弱い自分」を隠そうとして「実は強い」とウソをつく
これはわかりやすい「番人」です。
弱い自分を他人の攻撃から守るために、「ほんとは弱い」を隠そうとする「番人」です。
この「番人」がやることは、だいたい次の2つ。
ひとつは、自分の「弱点」を徹底的に隠蔽します。感じやすい乳首をブラで隠すように(←不適切な例で申し訳ない)、性格上の弱点を隠蔽し、苦手科目を隠し、体力のなさを隠し、ミスを責められそうになると、猛烈に反撃して、相手の攻撃を封じ込めます。
もうひとつは、強がり。「私は弱くなんてない」と思わせるために、表面上は、ものすごく強いフリをします。ときには、権力をカサに着て威張り散らしたり、ありもしない武勇伝をでっち上げたり、バレバレのモテ話をねつ造したりもします。
すべては、「弱い自分」を守るためのウソ。
しかし、この「番人」はとてもわかりやすいので、たいていは、本心を見破られてしまいます。

「実は自分が得するため」を隠そうとしてウソをつく
これもわかりやすい「番人」です。
自分の利益になるようにと、不利な材料や条件を隠すのが主な役目で、ときには、有利な材料をねつ造したりもします。
得ようとする利益が何かによって、その隠し方もさまざまです。
婚活中の女性なら、「実はバツイチで、高校生になる子どもがいる」なんて条件は、ギリギリまで隠し通そうとするかもしれません。
ただの平社員が、「課長補佐代理」(←チョー怪しい)なんて肩書きの名刺を持ち歩くのは、取引を有利にするための偽装工作。
何としてもこの女を落としたいと思う男なら、「実はキミとは遊び目的」という本心は、少なくともエッチを完遂するまでは、絶対に口にしないでしょう。
この種の隠ぺい工作で、もっともたちが悪いのは、「あなたのため」「御社のため」というウソでしょう。隠されているのは、「実は自分のため」という「利益」。
筆者など、何度この手で、ムダなリース契約を結ばされたことか……。
もちろん、この種の隠蔽は、おとなになるほどに狡猾になっていくわけですが、子どもだって、リッパに使いこなします。

などと、自分の功績を言い立てて、ご褒美にありつこうぐらいの計算は、子どもだってやっちゃいます。ゴリラだって、チンパンジーだってやっちゃいます。
さて、こんなふうに、人はその心の中に、さまざまな「番人」を抱えているわけです。
人がその「本心」を容易には見せようとせず、ときにウソでその本心を隠そうとするのは、この「番人」たちの働きによるものなのです。
あなたの中には、どんな番人が住んでいて、あなたにどんな「ウソ」をつかせているのか――ひとつひとつの番人がつくウソについては、すでに何回か、解説しましたが、必要があれば、また触れてみたいと思います。
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管理人は、常に、下記3つの要素を満たすべく、知恵を絞って記事を書いています。
みなさんのポチ反応を見て、喜んだり、反省したり……の日々です。
今後の記事作成の参考としますので、正直な、しかし愛情ある感想ポチを、どうぞよろしくお願いいたします。



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