自分を愛するように人を愛せてますか?

File-1 自分を愛するように人を愛せてますか?
「愛は、ときどき、ウソつき」という
タイトルでお届けしてきたこのシリーズ、
タイトルを替えてリニューアルします。
実は「愛」は、それを口にしたその段階から
「ウソ」かもしれないからです。
「愛」という言葉を、簡単に使う人たちがいます。
「いっぱい、いっぱい愛してるから」と、恋人らしい男の肩に頭を乗せて、耳に向けてささやく女。
たぶん、2年か3年、4年か5年には、その同じ口から、信じられない言葉が飛び出すかもしれません。
嫌いだよ、あんたなんて。
周りに「かつての愛」を問われても、その女は、吐き捨てるように言うかもしれません。
止めてよ、あんな男の話するの。
理由を問われて、女が口にする言葉は、さまざまです。
裏切ったの、あの男。〇〇にも、××にも、手出してたんだよ。
あるいは、
あの人、経済力なさすぎ。全然、お金稼いでこないし、入ってきたお金も、すぐ使っちゃうし……あれじゃ、一緒に暮らすの、ムリ。
あるいは、
やさしかったのは、最初だけ。だんだん言葉も乱暴になって、手を挙げたりするようになったの。あんな人だとわかってたら……。
と、それはもういろいろ。
「好きになる理由」は、どれも似通っていますが、「イヤになる理由」は、人それぞれに違っています。
「お母さんは、〇〇ちゃんが大好き。アイチテルよ……」と、赤ん坊語まる出しで愛を語る母親。
しかし、15年後、20年後、30年後……その子どもが親離れしていく程度、自立していく程度に応じて、その言葉は、悲しくも変化していきます。
母さんは、したいこともせずに、あなたのためだけにガンバってきたんだからね。
と、泣きを入れるような言い方に変化し、
「育ててやった」と、あからさまに恩を着せるような言い方に変化し、最後には、
「何のために育ててやったんだか」と、嘆きや愚痴へと変わっていきます。
かつて口にした「愛」という言葉が、そんな憐れとも言うべき末路を迎えるのは、そもそも、「愛」という言葉の理解が違っているからだ――と、筆者は思います。
「いっぱい、いっぱい愛してるから」と、恋人らしい男の肩に頭を乗せて、耳に向けてささやく女。
たぶん、2年か3年、4年か5年には、その同じ口から、信じられない言葉が飛び出すかもしれません。

周りに「かつての愛」を問われても、その女は、吐き捨てるように言うかもしれません。

理由を問われて、女が口にする言葉は、さまざまです。

あるいは、

あるいは、

と、それはもういろいろ。
「好きになる理由」は、どれも似通っていますが、「イヤになる理由」は、人それぞれに違っています。
「お母さんは、〇〇ちゃんが大好き。アイチテルよ……」と、赤ん坊語まる出しで愛を語る母親。
しかし、15年後、20年後、30年後……その子どもが親離れしていく程度、自立していく程度に応じて、その言葉は、悲しくも変化していきます。

と、泣きを入れるような言い方に変化し、
「育ててやった」と、あからさまに恩を着せるような言い方に変化し、最後には、
「何のために育ててやったんだか」と、嘆きや愚痴へと変わっていきます。
かつて口にした「愛」という言葉が、そんな憐れとも言うべき末路を迎えるのは、そもそも、「愛」という言葉の理解が違っているからだ――と、筆者は思います。

「報酬」を期待する「愛」は、「愛」とは呼べない
「愛」が返ってくることを期待するから、愛する。管理人は、「そんなの愛とは呼べない」と思っています。「無償の愛」という言葉がありますが、まさに「愛」は「無償であるべき」と思うからです。
そういう「愛のありよう」をもっとも熱く説いたのは、「愛の思想家」とも言うべき、イエスです。その言説を記録した『マタイによる福音書』には、こんな記述があります。
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。――第5章46節
ここに出てくる「取税人」というのは、当時、ユダヤの地を支配していたローマのために、住人たちから税金を徴収していた役人。しかし、その徴収は、正規の税金に自分の懐に入れる分を上乗せして巻き上げ、払わない者には暴力を振るう――というふうだったので、住民たちからは「悪人」の代表のように嫌われていました。その「悪人」でさえ、「自分を愛ししてくれる者」には「愛」を示す。
そんな「利己的な愛」を「愛」とは呼べない――と、イエスは主張しているのです。
ならば、どんな「愛」であればいいのか?
同じ『マタイによる福音書』の第22章には、こんな一節があります。
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』
これが、律法(モーセが啓示を受けた神の戒め)の中ではもっとも重要――と、イエスは群衆の問いに対して答えています。
高校1年で『新約聖書』を読んだ私は、それ以来、口から「愛」という言葉が出そうになる度に、そのフレーズを自らに問いかけています。
おまえ、ほんとうにそれは「愛」と言えるのか?
自分を愛するように、その人を愛してると言えるのか?
いまだに、「YES」とは言えていません。
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