「××のくせに」「××にもなって」~この修飾句は禁句です

人に注意を与えたり、叱ったりしようとするとき、
私たちは、つい、余計なひと言を付け加えてしまいます。
最たるものが、「××にもなって」と「××のくせに」。
口にしては敵を作ってしまうこの修飾句、禁句です。
愛が生まれる日本語・殺す日本語 レッスン5-6
先日……と言っても、つい、1年ほど前のことです。
パート帰りに電車に乗った私は、どこか空いてる席はないか――と、車内をキョロキョロ見回しながら、優先席付近のつり革につかまっていました。
まだ、
《優先席付近では携帯の電源をお切りください》
というルールが、社会のマナーとして通用していた時代です。
ところが――。
スマホ高校生にかみつくおばさん
私の目の前で優先席にどっかと腰を下ろして、しきりにスマホの画面をいじっている、まだ高校生と思われる若い男がいました。
オイ、少しは気を利かせろよ――という思いも、ないではありませんでした。
目の前に、相当に疲れているように見える(自分ではそうは思ってないのですがね……)高齢の域に達した男が立って、つり革に捕まっている。
ふつうなら、サッと立ち上がるフリをして、「座りますか?」ぐらいのことは訊いてもいいよなぁ――と思うのですが、そんな顔で相手を見ていると、物欲しげに見えてしまうかもしれないし、譲られても「いや、私はすぐ降りますから」とウソのひとつもつく覚悟はできているので、あえて、知らん顔して、窓の外を流れていく下町の風景を眺めていました。
ま、それが、大方の「寛容なる年寄り」の心意気だと思うのですが、どうも、そういう心意気は持ち合わせてないらしい御仁が、同じ車両の優先席付近に、やはり、つり革に捕まって、電車の揺れに身を任せておられました。
年の頃、50代前半ぐらい……と思われる、私から見れば、まだまだ若いご婦人。
その人が、目の前のスマホの若者に向かって、突然、尖った声で語りかけ始めたのです。
いや、「語りかける」なんてものじゃない。どう見ても、それは、「噛みついている」という感じの語調でした。
あなたさ、優先席付近では携帯使用禁止って知らないのッ!
その声の鋭さに、周りにいた乗客も、みんな声の主のほうに視線を向けます。
声をかけられた若い男のほうは、一瞬、「なんだよ、このおばさん?」という顔で、声の主の顔を見ています。
ウン……? キレる気か、この若者……?
険悪な情勢になったら、止めなくちゃな――と、私もそれなりに覚悟を決めて見守っていたのですが、若者は渋々という感じで、スマホの電源を切ってポケットにしまいこみました。
やれやれ、一件落着か……。
しかし、ホッと安堵している私の耳に、信じられない言葉が飛び込んできたのです。
高校生にもなって、そういう常識もわかんないのッ?
オイオイ、いくらなんでも、そりゃ言い過ぎだろう。
風雲急を告げる、通勤電車の車内。
次に起こることは、キレた若者が「何を、このババァ!」とつかみかかるか、それとも、若者が無視を決め込んで、夫人がなおもわめき続けるか……。
しかし、若者は、「チッ」と舌を鳴らして、次の駅で電車を降りてしまいました。
目の前の席が空いたので、じゃ、座るか――と動き始めると、私の体を押しのけるようにして、先ほどの婦人が体を潜り込ませ、目にも止まらぬ素早さで、その席にドカッと座り込んだのでした。
速ッ――です。
なるほど、そういう人だったのね。
「叱る」と「怒る」は、似て非なるもの
電車の中での「マナー違反」を注意しようとした。
婦人のその勇気は、ある意味、賞賛に値する――とも、私は思います。
しかし、婦人の「注意」は、私には「注意」とは思えませんでした。
「注意する」は、ほとんど「叱る」に近い「モノの言い方」ですが、婦人の言い方では、単に「クレームをつけている」としか感じられません。「クレームをつける」は「文句をつける」と同義。そして、「叱る」ではなく「怒る」に近い言い方だと、私は思っています。
もっとも問題なのは、婦人が最後に付け加えたひと言です。
高校生にもなって、そういう常識もわかんないのッ?
「注意」を与えるためには、まったく必要のないひと言。
ただ、相手の人格を一段低く貶め、自分のほうが「位が上」を示すためだけに付け加えられるひと言のように、私には感じられました。
実は、注意したり、叱ったりするときに、私たちはうっかりすると、こういう「余計なひと言」を付け加えてしまうのですね。
その代表が、ここに挙げた「高校性にもなって」なのですが、問題なのは、この中で使われている「××にもなって」というフレーズです。
パート帰りに電車に乗った私は、どこか空いてる席はないか――と、車内をキョロキョロ見回しながら、優先席付近のつり革につかまっていました。
まだ、
《優先席付近では携帯の電源をお切りください》
というルールが、社会のマナーとして通用していた時代です。
ところが――。

私の目の前で優先席にどっかと腰を下ろして、しきりにスマホの画面をいじっている、まだ高校生と思われる若い男がいました。
オイ、少しは気を利かせろよ――という思いも、ないではありませんでした。
目の前に、相当に疲れているように見える(自分ではそうは思ってないのですがね……)高齢の域に達した男が立って、つり革に捕まっている。
ふつうなら、サッと立ち上がるフリをして、「座りますか?」ぐらいのことは訊いてもいいよなぁ――と思うのですが、そんな顔で相手を見ていると、物欲しげに見えてしまうかもしれないし、譲られても「いや、私はすぐ降りますから」とウソのひとつもつく覚悟はできているので、あえて、知らん顔して、窓の外を流れていく下町の風景を眺めていました。
ま、それが、大方の「寛容なる年寄り」の心意気だと思うのですが、どうも、そういう心意気は持ち合わせてないらしい御仁が、同じ車両の優先席付近に、やはり、つり革に捕まって、電車の揺れに身を任せておられました。
年の頃、50代前半ぐらい……と思われる、私から見れば、まだまだ若いご婦人。
その人が、目の前のスマホの若者に向かって、突然、尖った声で語りかけ始めたのです。
いや、「語りかける」なんてものじゃない。どう見ても、それは、「噛みついている」という感じの語調でした。

その声の鋭さに、周りにいた乗客も、みんな声の主のほうに視線を向けます。
声をかけられた若い男のほうは、一瞬、「なんだよ、このおばさん?」という顔で、声の主の顔を見ています。
ウン……? キレる気か、この若者……?
険悪な情勢になったら、止めなくちゃな――と、私もそれなりに覚悟を決めて見守っていたのですが、若者は渋々という感じで、スマホの電源を切ってポケットにしまいこみました。
やれやれ、一件落着か……。
しかし、ホッと安堵している私の耳に、信じられない言葉が飛び込んできたのです。

オイオイ、いくらなんでも、そりゃ言い過ぎだろう。
風雲急を告げる、通勤電車の車内。
次に起こることは、キレた若者が「何を、このババァ!」とつかみかかるか、それとも、若者が無視を決め込んで、夫人がなおもわめき続けるか……。
しかし、若者は、「チッ」と舌を鳴らして、次の駅で電車を降りてしまいました。
目の前の席が空いたので、じゃ、座るか――と動き始めると、私の体を押しのけるようにして、先ほどの婦人が体を潜り込ませ、目にも止まらぬ素早さで、その席にドカッと座り込んだのでした。
速ッ――です。
なるほど、そういう人だったのね。

電車の中での「マナー違反」を注意しようとした。
婦人のその勇気は、ある意味、賞賛に値する――とも、私は思います。
しかし、婦人の「注意」は、私には「注意」とは思えませんでした。
「注意する」は、ほとんど「叱る」に近い「モノの言い方」ですが、婦人の言い方では、単に「クレームをつけている」としか感じられません。「クレームをつける」は「文句をつける」と同義。そして、「叱る」ではなく「怒る」に近い言い方だと、私は思っています。
もっとも問題なのは、婦人が最後に付け加えたひと言です。

「注意」を与えるためには、まったく必要のないひと言。
ただ、相手の人格を一段低く貶め、自分のほうが「位が上」を示すためだけに付け加えられるひと言のように、私には感じられました。
実は、注意したり、叱ったりするときに、私たちはうっかりすると、こういう「余計なひと言」を付け加えてしまうのですね。
その代表が、ここに挙げた「高校性にもなって」なのですが、問題なのは、この中で使われている「××にもなって」というフレーズです。

もし、婦人の言い方がこんなふうであったら、スマホの若者の態度も、多少は変わっていただろうと思います。

シランケン個人は、このひと言も要らないと思うのですが、「高校生にもなって」よりは、数段ましです。
「××にもなって」と「××なんだから」は、似て非なる言い方、と言っていいでしょう。
「××にもなって」は、「非難」しようとして発せられる言葉です。相手が、その年齢・地位・立場に、一般的に求められる能力や知識やマナーなどを備えていないことを責めているのですが、その裏には、相手をその地位から引きずり下ろし、見下そうとする心理的動機が秘められています。相手を引きずり下ろすことによって、「自分のほうがエラい」を示そうとするわけです。
なので、言われたほうは、素直にその言葉を受け入れようとはしません。「ムッ」として、「おまえにそんなことは言われたくない」と思ってしまうかもしれません。
一方、「××なんだから」は、「説諭」しようとして発せられる言葉です。相手に、自分の年齢・地位・立場などを自覚させ、それにふさわしい行動・態度をとるように――と、諭しているわけで、その奥にあるのは「教育的動機」と言ってもいいでしょう。
こういう言い方をされると、言われたほうも、「期待に応えなくちゃ」と思う場合が多いだろうと思われます。
こういう話をすると、みなさんの中には、「もっとカチンとくる余計なひと言があるじゃないか」と思う方もいらっしゃろうかと思います。
ハイ、おっしゃるとおり。
人に何かを注意したり、叱責したり、助言したりしようとするとき、つい付け加えて、相手をムカつかせてしまう「余計なひと言」、もっとすごいのがあります。
それが、こちら↓です。

これは、もう言わずもがなでしょう。
もっとも、頻繁に使われるのが、
女のくせに。
男のくせに。
というフレーズ。


というふうに使われたりしますが、こういう言い方は、どちらもヘタすると、「セクハラ」と受け取られかねない言い方です。
「××のくせに」と言うときの「××」は、たいていの場合、発言者から見て「一段、地位が低い」と思われる存在だったり、逆に、「やっかみや怨嗟の対象」となる存在だったりします。
「女のくせに」と言うときの「女」は、前者の「自分より地位が低い」ですが、「社長のくせに」とか「給料高いくせに」と言うときの「社長」や「給料高い」は、後者の「やっかみや怨嗟の対象」です。
どちらにしても、この「××のくせに」と言うときの「××」には、発言者のあまりよくない感情が込められている――と思っていいわけです。なので、「××のくせに」と言われたほうは、やはり、発言者に対して「ムッ」としてしまいます。
ちなみに――ですが、筆者の友人の中には、何かにつけて「給料安いくせに」とヨメになじられ続けた末に、とうとうガマンならず、家出してしまった男もいました。
口は災いの元。
「余計な修飾句」には特にご用心――という話でした。
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盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
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明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
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与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
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