彼女には「負けてやる」のが男の器量

男は女の前では、自分を「強く見せよう」とします。
相手を言い負かして「自分が上」を主張しようと
するのですが、それじゃダメ。彼女には、美しく
負けてあげるのが、男の器量というものです――。
M は「男からのモテ技」、 W は「女からのモテ技」、 N は「男女共通のモテ技」です。
負けるが勝ち――という言葉があります。
通常は、人と人の争いごとに関して使われ、「勝とう、勝とうとするな。勝ちを譲ってやることが、最終的には勝ちになる」という意味で使われます。
しかし、人一倍、負けず嫌いな不肖・重松は、これが苦手です。
でも、それじゃいけない。特に、女性に対しては――と、つい、20年ほど前に気づいたんですね。やや、遅きに失した――の感が否めないのではありますが。
そして、悟ったのが、これ。
男よ、「いい女」には、負けてやれ!
です。
「負ける」と言っても、投げ飛ばされろ――ってことじゃないですよ。別にいいんですけどね、もし、投げ飛ばしてくれるのなら……。
私が言っている「負けろ」は、「精神的に」ということです。
「キミにはかなわない」と、手を挙げてしまえ――ということです。
そして、大事なのは、ここ。
手を挙げるときには、カッコよく手を挙げる――です。
「私を負かせてご覧」という女の挑発
世の中の男たちの多くは、女に勝とうとします。
「勝つ」と言っても、いきなり、「オレと相撲とろうよ」なんてやるわけじゃありません(最終的にはそれが目的だとしても)。まずは、「権力闘争」をします。
彼女が仕事をしている女だとしたら、「だから、女の仕事はダメなんだよ」的なことを言って、相手を屈服させようとします。
中には、地位や学歴や財力で屈服させようとする輩もいるかもしれませんが、ま、そんなゲスは放っておきましょう。
もう少し、頭のいい男だと、論理的に屈服させようとします。
彼女の主張を、哲学・思想・経済学・政治学・分子生物学・宇宙物理学……などなどの知識と論理を盾に、木っ端微塵に打ち砕いて、「フン、どうだ!」という顔をしようとします。
別に、女性と議論をしてはいけない――と言ってるわけではありません。
しかし、その議論は、あくまで「おたがいをわかり合うため」の議論でなくてはならない。けっして、相手を言い負かすための議論であってはならない。私は、そう思っています。
こういうことを言うと、たぶん、反論する方もいらっしゃるだろうと思います。
腕力だろうが、知力だろうが、女という生きものは、自分を屈服させることのできる「強いオス」を求めているんじゃないのか――と。
確かに、動物学的には、そうも言えます。
しかし、それは、メスが優秀なオスを選別するための「選抜試験」みたいなもの。選んでいる側のメスとしては、「私が欲しかったら、私を負かしてごらんなさいよ。ホラ」と、オスをけしかけている――とも言えます。
選んでいるメスと、選ばれようと必死こいているオスと、どっちがほんとはエラいのか?
勝負は、最初からついているような気がするのです。
通常は、人と人の争いごとに関して使われ、「勝とう、勝とうとするな。勝ちを譲ってやることが、最終的には勝ちになる」という意味で使われます。
しかし、人一倍、負けず嫌いな不肖・重松は、これが苦手です。
でも、それじゃいけない。特に、女性に対しては――と、つい、20年ほど前に気づいたんですね。やや、遅きに失した――の感が否めないのではありますが。
そして、悟ったのが、これ。
男よ、「いい女」には、負けてやれ!
です。
「負ける」と言っても、投げ飛ばされろ――ってことじゃないですよ。別にいいんですけどね、もし、投げ飛ばしてくれるのなら……。
私が言っている「負けろ」は、「精神的に」ということです。
「キミにはかなわない」と、手を挙げてしまえ――ということです。
そして、大事なのは、ここ。
手を挙げるときには、カッコよく手を挙げる――です。

世の中の男たちの多くは、女に勝とうとします。
「勝つ」と言っても、いきなり、「オレと相撲とろうよ」なんてやるわけじゃありません(最終的にはそれが目的だとしても)。まずは、「権力闘争」をします。
彼女が仕事をしている女だとしたら、「だから、女の仕事はダメなんだよ」的なことを言って、相手を屈服させようとします。
中には、地位や学歴や財力で屈服させようとする輩もいるかもしれませんが、ま、そんなゲスは放っておきましょう。
もう少し、頭のいい男だと、論理的に屈服させようとします。
彼女の主張を、哲学・思想・経済学・政治学・分子生物学・宇宙物理学……などなどの知識と論理を盾に、木っ端微塵に打ち砕いて、「フン、どうだ!」という顔をしようとします。
別に、女性と議論をしてはいけない――と言ってるわけではありません。
しかし、その議論は、あくまで「おたがいをわかり合うため」の議論でなくてはならない。けっして、相手を言い負かすための議論であってはならない。私は、そう思っています。
こういうことを言うと、たぶん、反論する方もいらっしゃるだろうと思います。
腕力だろうが、知力だろうが、女という生きものは、自分を屈服させることのできる「強いオス」を求めているんじゃないのか――と。
確かに、動物学的には、そうも言えます。
しかし、それは、メスが優秀なオスを選別するための「選抜試験」みたいなもの。選んでいる側のメスとしては、「私が欲しかったら、私を負かしてごらんなさいよ。ホラ」と、オスをけしかけている――とも言えます。
選んでいるメスと、選ばれようと必死こいているオスと、どっちがほんとはエラいのか?
勝負は、最初からついているような気がするのです。

だから、いいんです。
たとえば、何かの論争で、ちょっとばかり、自分のほうが旗色がいい――というようなことになっても。
あるいは、やっぱり、仕事の上では「あなたにはかなわないわ」と、彼女に思い知らせる結果になっても。
私が「勝とうと思うな」と言っているのは、それを「勝ったことにするな!」ということです。
「ホラ、やっぱり、オレが上」という顔をするな、勝ち誇るな、ということです。
コンペには勝った。でも、キミには負けた!
大事なのは、これをいかに、カッコよく、彼女に伝えてあげられるかだ――と、シランケンは思っています。
たとえば、何かとのことで、彼女と論争になって、あなたが理屈の上では優勢になってしまったとしましょう。
「何か」じゃ、わかりにくいですよね。
たとえば、《ディズニーランドは、美しいか醜いか?》というテーマだったとしましょう。
あなたは、

《美である》とは、とても思えない。
だいいち、ディズニーの世界を貫いているのは、西欧的な、
きわめて単純な《善悪二元論》じゃないか。
それが、われわれの情操を豊かにするとは、どうしても思えない。
思うんだけど、ディズニーの世界戦略というのは、
アメリカ資本が主導するグローバリゼーションとリンクしているんじゃないか。
などなどの論理を展開して、ほぼ、完全に彼女の「ディズニーランド行きた~い」を粉砕する寸前まで追い込んだとしましょう。
ここで、「負けてあげる」わけです。

キミの悲しそうな顔を見ることのほうが、ボクには辛いんだよね。
よし、ちょっとだけ、染まっちゃおうか。
打ちひしがれそうだった彼女の顔が、パッ……と、突然、咲いた朝顔みたいに明るくなる。
そういう顔を見るのが好きなので、私は、いつも最後は、「負ける」ことにしているのです。

カッコよく負ける――とは、そんなふうに、彼女の魅力に「降参」してあげることだと、私は思っています。
私がたびたびやる「降参ポーズ(心のですよ)」を、いくつか紹介しておきますね。

とうとうと自説を展開して、彼女が敗色濃厚……となったときには、突然、「なんてね……」とやるわけです。「それよか、ハラ減ったね」と続けたりして、話題を替えてしまいます。優勢だった「ボクの勝ち」は、雨天コールド・ゲームみたいに「なかったこと」になってしまいます。

何かの問題で言い合いになったり、彼女と対立する立場になったときの私の切り札は、これ。「確かに、この問題については、キミとボクの考え方は、180度違うみたいだね。でも、それよりも問題なのはさ……」と切り出して、「キミが、この問題のせいで傷ついたり、ボクを嫌いになったりしないか……ってことなんだ」とやるわけです。
その問題は重要かもしれないけど、しかし、ボクにとっては、「キミの悲しみのほうが、はるかにリアリティがある」という訴えです。
井上陽水も歌ってるじゃないですか。
《都会では、自殺する若者が増えている。
今朝来た新聞の 片隅に書いていた。
だけども、問題は、
今日の雨、傘がない。
行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ……》
ボクの最大のリアリティは「キミ」なんだから、そのためだったら、ボクのちっぽけな「正しい」なんて、引っ込めてしまうよ――と、白旗を掲げるわけです。

ゲームに勝って、心で負ける――の、最高の形はこれ。
「キミに悲しい目をしてほしくないから」と、勝ちを譲る。いざとなったら、私は、いつもこの手を使います。
「ボクは、どんな正しいことでも、キミの瞳の輝きのためだったら、それを放棄する」と訴えるわけですね。
これで溶解しない関係は、もうダメです。
あ、でもね、いくら「彼女の瞳のため」ではあれ、会社の金に手をつけるとか、第三者を傷つけるとか、そういうことはしませんよ。
そんなことを望む女の目くらいは、いくら彼女のためにブラインドになれる私だって、見分けがつきます。
筆者の官能小説! 電子書店から発売中です!
盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間の盆かかを終えて帰って来た妙は、その夜から
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
⇒BOOK☆WALKER からお読みになる方は、ここをクリック。
⇒Kindle でお読みになる方は、ここをクリック。
既刊本もどうぞよろしく 写真をクリックしてください。






明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間の盆かかを終えて帰って来た妙は、その夜から
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
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みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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