明治が作った、醜い地主国家=日本

土地を「私権」化した日本の社会は、やがて、
「私権の墓場」と化して朽ちていく。もともと
「公共のもの」であった土地に「私有」を認め、
「地主社会」を作ったのは、明治の愚策――。
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シランケン・重松シュタイン 自ら著作を手がけるエッセイスト&作家。当ブログの管理人です。旧ペンネーム/長住哲雄。
AKI エステ嬢として働きながら作家を目指すアラサーの美女。
AKI この日本の国土は、「私権」の「墓場」と化してしまう。前回は、そんな話をしたんですよね?
シランケン ハイ、乱立する高層マンションは売れ残り、老後のためにと建てたアパートは「空室率」の上昇で苦しみ、後を継ぐ者のいない墓地は放置され、農地は耕作放棄地として草むし、あちらにもこちらにも「放置住宅」が鉄さびて、朽ち果てるのを待っている。これじゃ、私たちの国土は、ゴースト化していくしかありません。
AKI それ、困るゥ~。何がいけなかったのでしょうか?
シランケン 考え方でしょうね。「土地」を「資産」と考える――その考え方が、諸悪の根源だと思います。「この土地は値上がりするから」と、使いもしない土地を持とうとしたり、マンションなどに住んでも、使い勝手がいいかどうかよりも、「資産価値」ばかりを気にしたりする。だから、近くに保育所ができたり、保護施設の計画が持ち上がったりすると、「資産価値が下がる」と反対運動を起こしたりする。
AKI 私も、ああいうの、おかしいんじゃないか――って思ってます。「住民エゴ」と批判する論調もありましたよね?
シランケン ハイ、ありました。何をもって「エゴ」と呼んだかと言うと、地域の共通の目的や利益に対して、自分の利益を優先させようとするその姿勢に対してです。しかしね、AKIクン、私は思うんですよ。エゴと言うなら、土地を「所有」しようとするその欲こそが「エゴ」に他ならない。
AKI エーッ、そうなんですか? でも、資本主義の社会ですよね? 土地を所有するっていうの、当たり前じゃないんですか?
シランケン 前にもチラとお話したことがあるかと思いますが、土地に関しては、世界の主流の考え方は、「公共の利益優先」だと思います。少なくとも、「いつか高く売れるだろうから持っておくか」なんて考え方は、世界のどこに行っても通用しません。
AKI あら、ダメなんですか?
シランケン ダメです。欧米では「土地の私有」には、「利用」が義務づけられていることが多い。何にも使わないで「持っているだけ」という不動産の「所有」は許されてないんですね。そういう持ち方をしていると、その不動産は没収されてしまいます。
AKI ワッ、厳しいですね。
シランケン 日本も、昔はそうだったんですよ。古代には、土地はすべて天皇の持ち物で、人民や各地の氏族は、租税を納める代わりに、その土地を利用することを認められていました。逆に言うと、租税を集めるために、土地を利用させた――とも言えるわけです。耕作もしないでほったらかしにした農地は、租税を生み出しませんから、取り上げられてしまいました。
AKI 租税を徴収していたのは、地主ですか?
シランケン 地主というものは、そもそも存在しませんでした。王朝時代には「国司」がその任に当たっていました。平安期になると荘園制度が発達して、その荘園主が任を遂行するようになったりもしていたのですが、鎌倉期になると、地頭制度が登場します。
AKI 「地主」じゃなくて「地頭」ですね。何か、語感が似てますけど……。
シランケン 似てるのは語感だけ。「地主」は所有者になりますが、「地頭」はその土地の租税の徴収と警察権を任されるだけ。しかし、租税徴収や警察権に関しては、荘園主や国司とその権限がぶつかり合います。両者の間には、その権限をめぐる争いもあったようですが、次第に地頭が優勢になっていきます。
AKI そう言えば、泣く子と地頭には勝てぬ――なんていう言葉、ありましたね?
シランケン 地頭の中には、支配地域の住民に重税を課して、中抜きをしようなんていう輩もいましたからね。そういう地頭には何を言っても勝ち目がない――ってところから、出た言葉でしょうね。しかし、その地頭も、江戸時代のようなガチガチの封建制の時代になると、影が薄くなりました。
AKI 頭が薄くなった? そりゃ、大変だ!
シランケン そっちの頭じゃなくて。各地の大名は幕府から所領を与えられ、その家臣たちは領主から、それぞれ「〇石取り」というふうに知行地を与えられて、そこから自分たちの生活や使用人に俸禄として与える「扶持」を取り、残りを領主に納めました。領主もまた、それぞれの藩の運営に必要な石高を押さえて、残りを幕府に上納していました。地頭が出る幕は、なくなっていったんですね。
AKI それでも、「私有」は認められていなかったんですね?
シランケン ハイ、認められていませんでした。知行地をうまく治められなかったり、職務に不始末があったり、領主への不義があったりすると、知行地は召し上げられ、「禄」を失ってしまう。封建時代の支配階級であった武家は、そういうプレッシャーとも闘っていたんですよ。
AKI 土地を持つのも、命がけだったってことですね。で、個人が土地を「私有」できるようになったのは?
シランケン ハイ、乱立する高層マンションは売れ残り、老後のためにと建てたアパートは「空室率」の上昇で苦しみ、後を継ぐ者のいない墓地は放置され、農地は耕作放棄地として草むし、あちらにもこちらにも「放置住宅」が鉄さびて、朽ち果てるのを待っている。これじゃ、私たちの国土は、ゴースト化していくしかありません。
AKI それ、困るゥ~。何がいけなかったのでしょうか?
シランケン 考え方でしょうね。「土地」を「資産」と考える――その考え方が、諸悪の根源だと思います。「この土地は値上がりするから」と、使いもしない土地を持とうとしたり、マンションなどに住んでも、使い勝手がいいかどうかよりも、「資産価値」ばかりを気にしたりする。だから、近くに保育所ができたり、保護施設の計画が持ち上がったりすると、「資産価値が下がる」と反対運動を起こしたりする。
AKI 私も、ああいうの、おかしいんじゃないか――って思ってます。「住民エゴ」と批判する論調もありましたよね?
シランケン ハイ、ありました。何をもって「エゴ」と呼んだかと言うと、地域の共通の目的や利益に対して、自分の利益を優先させようとするその姿勢に対してです。しかしね、AKIクン、私は思うんですよ。エゴと言うなら、土地を「所有」しようとするその欲こそが「エゴ」に他ならない。
AKI エーッ、そうなんですか? でも、資本主義の社会ですよね? 土地を所有するっていうの、当たり前じゃないんですか?
シランケン 前にもチラとお話したことがあるかと思いますが、土地に関しては、世界の主流の考え方は、「公共の利益優先」だと思います。少なくとも、「いつか高く売れるだろうから持っておくか」なんて考え方は、世界のどこに行っても通用しません。
AKI あら、ダメなんですか?
シランケン ダメです。欧米では「土地の私有」には、「利用」が義務づけられていることが多い。何にも使わないで「持っているだけ」という不動産の「所有」は許されてないんですね。そういう持ち方をしていると、その不動産は没収されてしまいます。
AKI ワッ、厳しいですね。
シランケン 日本も、昔はそうだったんですよ。古代には、土地はすべて天皇の持ち物で、人民や各地の氏族は、租税を納める代わりに、その土地を利用することを認められていました。逆に言うと、租税を集めるために、土地を利用させた――とも言えるわけです。耕作もしないでほったらかしにした農地は、租税を生み出しませんから、取り上げられてしまいました。
AKI 租税を徴収していたのは、地主ですか?
シランケン 地主というものは、そもそも存在しませんでした。王朝時代には「国司」がその任に当たっていました。平安期になると荘園制度が発達して、その荘園主が任を遂行するようになったりもしていたのですが、鎌倉期になると、地頭制度が登場します。
AKI 「地主」じゃなくて「地頭」ですね。何か、語感が似てますけど……。
シランケン 似てるのは語感だけ。「地主」は所有者になりますが、「地頭」はその土地の租税の徴収と警察権を任されるだけ。しかし、租税徴収や警察権に関しては、荘園主や国司とその権限がぶつかり合います。両者の間には、その権限をめぐる争いもあったようですが、次第に地頭が優勢になっていきます。
AKI そう言えば、泣く子と地頭には勝てぬ――なんていう言葉、ありましたね?
シランケン 地頭の中には、支配地域の住民に重税を課して、中抜きをしようなんていう輩もいましたからね。そういう地頭には何を言っても勝ち目がない――ってところから、出た言葉でしょうね。しかし、その地頭も、江戸時代のようなガチガチの封建制の時代になると、影が薄くなりました。
AKI 頭が薄くなった? そりゃ、大変だ!
シランケン そっちの頭じゃなくて。各地の大名は幕府から所領を与えられ、その家臣たちは領主から、それぞれ「〇石取り」というふうに知行地を与えられて、そこから自分たちの生活や使用人に俸禄として与える「扶持」を取り、残りを領主に納めました。領主もまた、それぞれの藩の運営に必要な石高を押さえて、残りを幕府に上納していました。地頭が出る幕は、なくなっていったんですね。
AKI それでも、「私有」は認められていなかったんですね?
シランケン ハイ、認められていませんでした。知行地をうまく治められなかったり、職務に不始末があったり、領主への不義があったりすると、知行地は召し上げられ、「禄」を失ってしまう。封建時代の支配階級であった武家は、そういうプレッシャーとも闘っていたんですよ。
AKI 土地を持つのも、命がけだったってことですね。で、個人が土地を「私有」できるようになったのは?
シランケン 明治になってからです。時の明治政府は「地券」というものを発行して、これを購入した者に土地の所有を認めました。しかし、当然ですが、この権利を手にするには、金がかかります。貧乏人には買えません。それでも耕作したい農民は、土地を所有している人間から土地を借りて、耕作するしかありませんでした。土地を持っている人間を「地主」と呼び、その地主に「小作料」を払って耕作に当たる人間を「小作人」と言う。悪名高い「地主」と「小作人」という関係が、明治の愚策によって始まりました。
AKI 愚策だったんですか?
シランケン 愚策でしたねェ。その結果、生まれたのが「寄生地主」でした。
AKI キセイ……? 「寄生虫」の「キセイ」ですか?
シランケン そうです。自分は農作業などは行わず、遠隔地に住んだまま、小作人たちに農地を耕作させて、小作料を稼ぐ人たちをそう呼びました。まるで「小作人」に寄生して生きているように見えるので、そう呼ばれたのですが、この「小作料」がバカ高かった。
AKI どれくらい取られてたんですか?
シランケン 農地から収穫される農産物のうち、小作人の取り分になるのは、わずか32%でした。残り68%は、国が税金として34%、地主が地代として34%を取得。何もしない地主はますます太っていき、小作人は、働けども働けども、貧しくなっていく一方。そうして貧富の差が拡大していったのですが、豊かになった地主たちは、その資金を、もっぱら商工業に注ぎ込んで、それが日本の軍国主義化を進めた――として、戦後、GHQなどによって、「農地改革」が進められました。
AKI それで? 「小作制度」はなくなったんですか?
シランケン なくなりはしませんでしたが、小作地は、田んぼで14%にまで減りました。純小作農の数は8%に。しかし、それでも、日本の社会は、依然として、「土地を持ってなんぼ」の「地主社会」なんですね。
AKI エーッ、どうしてェ?
シランケン どうしてなんでしょうねェ。それについては、次回、じっくり考えてみることにしましょうか。
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盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
権太との三日間を終えた妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
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既刊本もどうぞよろしく 写真をクリックしてください。






明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
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クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
権太との三日間を終えた妙は、その夜から、
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管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。



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