自伝的創愛記〈39〉 トマトが青い……

Vol.39
九州北部の街から瀬戸内海沿いの
四国の街へ。文化も生活もガラリ
と変わる街で母親をまず驚かせた
のは、トマトの青さだった――。
1週間後、ボクは住み慣れた北九州の街・小倉を離れた。九州から四国へ渡るには、いろんなコースがあるが、「どうせなら、別府で温泉に浸かって、関西汽船で松山へ渡ろう」と父親が言い出して、その引っ越しは、一泊温泉旅行付きということになった。
考えてみれば、家族みんなで旅行するなんていうのは、それが最初で最後だった。しかし、物心付き過ぎていた当時のボクは、それを素直に喜んだわけではなかった。
どうせ、引っ越しのついでだろう。
そう思ったから、家族旅行を無邪気に楽しむという気分にはなれなかったのだ。
弟や妹にはいなかったが、ボクには、「見送りに行きたい」という友だちがけっこういた。生徒会の副会長と書記が、クラスの代表が、そして小学校時代のクラス会の代表までが、手に手に餞別を持ってやって来た。
「駅まで来てもらうの大変やから」というので、一家はハイヤーで駅まで行き、そこから日豊線で別府へ行くことになった。「見送りの儀式」は、家の前で行われた。それが、ボクの思春期の終わりの儀式となった。
ボクの荷物の中には、先生たちから贈られた何冊かの本が含まれていた。学年主任でもある担任からは『一粒の麦』。「多くの実を結ぶ青年になってください」とのメッセージが添えられていた。ボクの「読書感想文コンクール」挑戦などを後押ししてくれた国語の先生からは、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』。「素敵な感想文を書いてください」のメッセージが添えられていた。
もう一冊は、チャボ先生からだった。パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』。共産党一党支配のソ連で発行禁止になった本だが、その年、時事通信社から発行されて、若者たちを中心に読者が広がっている話題の本だった。14歳が読む本とも思えなかったが、それには先生からのメッセージが添えられていた。
《光の中を歩いてくれることを願って。
重松クンだったら、きっと、光の中を歩いて、
立派なおとなになってくれるだろうと期待しています。
いつか、素敵な恋をしてください。
悦子》
生徒会やクラスからは寄せ書きの色紙、小学校のクラス会からはアルバム。それらは、紙袋に入れて持ち歩くことになった。

「この街、スーパーがないっちゃね」
新居浜の社宅に着いて、母親が最初にもらした不満の声は、それだった。
まだ、スーパーのチェーンが全国の街々に展開されているという時代ではなかったが、小倉にいるときは、近くにあった「主婦の店」でふだんの食材を仕入れるのが、母親の日常になっていた。それが、どこにもない。食品を扱う小売店が集まったマーケットもなかった。
社宅の住人たちは、生鮮品を積んで回ってくるトラックで日常品を買っているということだったが、その品揃えを見て、母親が言うのだった。
「トマトが青か。いっちょん、甘うないし……」
母親がそう言って嘆くトマトは、確かに甘くなかった。熊本⇒福岡⇒小倉……と、それまで育ってきた土地では、トマトは真っ赤に熟し、甘かった。ボクらは、それをおやつとして食べることもあるほどだったが、その街のトマトは、赤味が足りなかった。ヘタの部分などには、まだ青味が残ったまま売られていて、口にしても酸っぱいばかりだった。
考えてみれば、家族みんなで旅行するなんていうのは、それが最初で最後だった。しかし、物心付き過ぎていた当時のボクは、それを素直に喜んだわけではなかった。
どうせ、引っ越しのついでだろう。
そう思ったから、家族旅行を無邪気に楽しむという気分にはなれなかったのだ。
弟や妹にはいなかったが、ボクには、「見送りに行きたい」という友だちがけっこういた。生徒会の副会長と書記が、クラスの代表が、そして小学校時代のクラス会の代表までが、手に手に餞別を持ってやって来た。
「駅まで来てもらうの大変やから」というので、一家はハイヤーで駅まで行き、そこから日豊線で別府へ行くことになった。「見送りの儀式」は、家の前で行われた。それが、ボクの思春期の終わりの儀式となった。
ボクの荷物の中には、先生たちから贈られた何冊かの本が含まれていた。学年主任でもある担任からは『一粒の麦』。「多くの実を結ぶ青年になってください」とのメッセージが添えられていた。ボクの「読書感想文コンクール」挑戦などを後押ししてくれた国語の先生からは、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』。「素敵な感想文を書いてください」のメッセージが添えられていた。
もう一冊は、チャボ先生からだった。パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』。共産党一党支配のソ連で発行禁止になった本だが、その年、時事通信社から発行されて、若者たちを中心に読者が広がっている話題の本だった。14歳が読む本とも思えなかったが、それには先生からのメッセージが添えられていた。
《光の中を歩いてくれることを願って。
重松クンだったら、きっと、光の中を歩いて、
立派なおとなになってくれるだろうと期待しています。
いつか、素敵な恋をしてください。
悦子》
生徒会やクラスからは寄せ書きの色紙、小学校のクラス会からはアルバム。それらは、紙袋に入れて持ち歩くことになった。

「この街、スーパーがないっちゃね」
新居浜の社宅に着いて、母親が最初にもらした不満の声は、それだった。
まだ、スーパーのチェーンが全国の街々に展開されているという時代ではなかったが、小倉にいるときは、近くにあった「主婦の店」でふだんの食材を仕入れるのが、母親の日常になっていた。それが、どこにもない。食品を扱う小売店が集まったマーケットもなかった。
社宅の住人たちは、生鮮品を積んで回ってくるトラックで日常品を買っているということだったが、その品揃えを見て、母親が言うのだった。
「トマトが青か。いっちょん、甘うないし……」
母親がそう言って嘆くトマトは、確かに甘くなかった。熊本⇒福岡⇒小倉……と、それまで育ってきた土地では、トマトは真っ赤に熟し、甘かった。ボクらは、それをおやつとして食べることもあるほどだったが、その街のトマトは、赤味が足りなかった。ヘタの部分などには、まだ青味が残ったまま売られていて、口にしても酸っぱいばかりだった。
トマトばかりではない。他の野菜も果物も、全体にやせていて、甘味が足りないと感じられた。いつもだったら、自分が食べたい魚を買ってくる釣り道楽の父親も、「ここにはロクな魚がない」と、魚屋で魚を買ってくるのを止めた。
四国の瀬戸内海に面した工業都市。そこでうまい食生活を期待するなんていうのは、ムリな話かもしれなかった。

昼になって風が海風に変わると、社宅は変な匂いに包まれた。
海沿いに建つ化学工場が吐き出す煙から漂う匂いだった。なんだかアンモニアのようなその匂いが立ち込め始めると、ボクは鼻がムズムズとなった。
その匂いが漂う街に新しく通う中学校があった。社宅から3~4分も歩けば、校門に着く。
校舎には「W」の文字が掲げてあった。「ウエスト」の「W」だった。
まだ夏休み中だったが、その「W」の校門から入って行く生徒たちがいる。見ていると、彼らはユニフォームに着替えて運動場に散っていく。
やがて始まったのは、野球の練習だった。
ヘェ、こんな街中の中学校にまで野球チームがあるんだ――というのが、ちょっと意外だった。意外ではあったものの、考えてみれば当然でもあった。
四国と言えば、野球。野球と言えば、四国。そんなイメージで語られるほど、ここは野球の盛んな土地柄だった。逆に言うと、そこは、野球以外、自慢すべきものがない街――とも言えた。
そんな街の、そんな中学校で、ボクは、中学生活の最後の半年間を過ごすことになった。
⇒続きを読む
四国の瀬戸内海に面した工業都市。そこでうまい食生活を期待するなんていうのは、ムリな話かもしれなかった。

昼になって風が海風に変わると、社宅は変な匂いに包まれた。
海沿いに建つ化学工場が吐き出す煙から漂う匂いだった。なんだかアンモニアのようなその匂いが立ち込め始めると、ボクは鼻がムズムズとなった。
その匂いが漂う街に新しく通う中学校があった。社宅から3~4分も歩けば、校門に着く。
校舎には「W」の文字が掲げてあった。「ウエスト」の「W」だった。
まだ夏休み中だったが、その「W」の校門から入って行く生徒たちがいる。見ていると、彼らはユニフォームに着替えて運動場に散っていく。
やがて始まったのは、野球の練習だった。
ヘェ、こんな街中の中学校にまで野球チームがあるんだ――というのが、ちょっと意外だった。意外ではあったものの、考えてみれば当然でもあった。
四国と言えば、野球。野球と言えば、四国。そんなイメージで語られるほど、ここは野球の盛んな土地柄だった。逆に言うと、そこは、野球以外、自慢すべきものがない街――とも言えた。
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盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
⇒Kindle でお読みになる方は、ここをクリック。
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既刊本もどうぞよろしく 写真をクリックしてください。






明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
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管理人は、常に、下記3つの要素を満たすべく、知恵を絞って記事を書いています。
みなさんのポチ反応を見て、喜んだり、反省したり……の日々です。
今後の記事作成の参考としますので、正直な、しかし愛情ある感想ポチを、どうぞよろしくお願いいたします。



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