恋愛・ボイルの法則=愛の濃さ×広さは、常に一定

法則98 愛の「深さ」と「広さ」は反比例する
広く愛せば浅くなり、深く愛せば狭くなる。
愛の深さと対象の広さの間には、
「反比例」という法則が存在する――?
だれかが言ったわけではありません。不肖・シランケンが、限りある恋愛経験を通して確信するにいたっただけですが、恋愛に関しては、「ある法則」が確かに存在する――と、私は信じています。
あえて名前をつけるとすれば、それは《恋愛・ボイルの法則》とでも言うべきでしょうか。
《ボイルの法則》については、高校の物理の授業で習った記憶もおありかと思いますが、簡単に言うと、こういうことです。
同じことが恋愛に関しても言えるのではないか――と、シランケンは推論したわけです。ええ、20歳になったばかりの頃に。
つまり、こうです。
わかりやすく言うと、こういうことになります。
ここで言う「愛の量」は、フロイト流に言うと、「リビドー」と言ってもいいかもしれません。「リビドー」とは、単純に言うと、人に「あの人と結ばれたい」と望む欲求を起こさせる心理的熱量と言えばいいでしょうか。人がだれしも持っている成分ですが、その量は、人によってさまざまです。
生まれつきたっぷり持っている人もいれば、少ししか持ってない人もいます。たっぷり持っている人は、「肉食系」と呼ばれたり「濃い人」と評されたりしますが、少ししか持ってない人は、「淡泊」と言われたり「草食系」と呼ばれたりします。しかし、どっちにしても、その量は、人それぞれに「一定」です。
総量は「一定」なので、それを多くの対象にバラ撒けば、ひとりひとりに注ぐ「愛の量」は薄くなり、ひとりの人に集中的に注げば、濃くなる。
それが、ここで言う《恋愛・ボイルの法則》の原理です。
あえて名前をつけるとすれば、それは《恋愛・ボイルの法則》とでも言うべきでしょうか。
《ボイルの法則》については、高校の物理の授業で習った記憶もおありかと思いますが、簡単に言うと、こういうことです。
一定の温度のもとでは、気体の体積と圧力は反比例する。つまり、
気体の圧力×体積=一定である。
気体の圧力×体積=一定である。
同じことが恋愛に関しても言えるのではないか――と、シランケンは推論したわけです。ええ、20歳になったばかりの頃に。
つまり、こうです。
一定の環境のもとでは、愛の深さと広さは反比例する。つまり、
愛の濃度×愛する人数=一定である。
愛の濃度×愛する人数=一定である。
わかりやすく言うと、こういうことになります。
幅広くいろんな異性とつき合う男(女)も、
ひとりの異性と深く、濃くつき合う男(女)も、
その「愛の量」は、一定である。
ひとりの異性と深く、濃くつき合う男(女)も、
その「愛の量」は、一定である。
ここで言う「愛の量」は、フロイト流に言うと、「リビドー」と言ってもいいかもしれません。「リビドー」とは、単純に言うと、人に「あの人と結ばれたい」と望む欲求を起こさせる心理的熱量と言えばいいでしょうか。人がだれしも持っている成分ですが、その量は、人によってさまざまです。
生まれつきたっぷり持っている人もいれば、少ししか持ってない人もいます。たっぷり持っている人は、「肉食系」と呼ばれたり「濃い人」と評されたりしますが、少ししか持ってない人は、「淡泊」と言われたり「草食系」と呼ばれたりします。しかし、どっちにしても、その量は、人それぞれに「一定」です。
総量は「一定」なので、それを多くの対象にバラ撒けば、ひとりひとりに注ぐ「愛の量」は薄くなり、ひとりの人に集中的に注げば、濃くなる。
それが、ここで言う《恋愛・ボイルの法則》の原理です。

ひとりへの強い愛は、その他に分散された愛を亡ぼす
筆者の友人たちの中にも、その法則を見事に体現していると思われる人々がいました。
ひとりは、女と見ればやたら声をかけまくり、必ず「合体」に持ち込んでいる――と言うHクン。しかし、Hクンは、一度ベッドを共にした相手とは、二度と会いません。それをやると、濃い関係が生まれてしまう。「広く、浅く」を旨として生きるHクンとしては、それは「選べない選択」でした。
しかし、そんなHクンにも転機がやって来ます。職場に配属されてきた新入社員のカナエちゃん。男子社員が全員、目を点にするようなかわいい子。その子が、Hクンの直属の部下となったその日から、Hクンの全リビドーは、カナエちゃんひとりに注がれることになりました。
それまで日課のように繰り返していたクルマでのナマンパもピタリと止めて、口を開けば「カナエちゃんが」「カナエちゃんは」……とばかり。結局、Hクンは《ボイルの法則》に従って、カナエちゃんひと筋に思いを募らせ、見事、ゴールインを果たしたのでした。

ひとりを失うと、愛の対象は拡散する
逆のケースもあります。
Kクンには、学生時代から思いを寄せる女性がいました。同じ仏文科に籍を置く才媛で、名前を仮に美紀としておきましょうか。その美紀が出版社への就職を希望すると、Kクンも、その後を追うように、同じ出版社への就職を希望。そして、ふたりとも同じ出版社に入社することになりました。
まるで「追っかけ」のようなKクンの行動ですが、海千山千の猛者たちが集う編集部に配属された美紀は、たちまちおとなの男たちが見せる無頼だが思慮深い行動に心惹かれ、その世界に取り込まれていきます。もう、Kクンが立ち入るスキなどなし。
結局、Kクンは、「あなたみたいなお子ちゃまには興味がないの」という言葉を浴びせられて、彼女を追いかけることを諦めてしまいました。
それからのKクンの変貌ぶりは、筆者にも驚くばかりでした。それまで目にも留めなかったスタッフの女性たちとも遊び回るようになり、その中の何人かとは、浅からぬ関係になっているらしい――と、私の目には映りました。
6年間、美紀ひとりに注いできたKクンのリビドーは、いつの間にか、希釈されて、10人近い女たちにばら撒かれることになったのでした。

かくして愛の総量は、「定量」に保たれる
というわけで、だれの身にも、これは起こり得ること。もちろん、女性にも起こります。
筆者が知っている女性の中にも、愛する人を失った悲しみから立ち直るために、慈善活動に身を投じた人がいましたし、それまで複数の男性に愛をばら撒いては、貢ぎ物をせしめていた女性が、ひとりのイケメンに魅了それてしまった途端、逆に貢ぐ立場になって、他の男たちに見向きもしなくなった、というケースも見てきました。
そうして、人は、濃すぎると判断した愛は薄め、薄すぎると判断した愛は濃くして、愛の総量が一定に保たれるように調節しているに違いない。
シランケンはそう思うのですが、みなさんはどう思いますか?
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