留学難民・グエンの日々〈8〉 姫のご帰還

留学難民・グエンの日々
第8章
「今度、フォーを作ってあげる」
グエンのその言葉は実行されなかった。
その前にコロナが日本に上陸した。
そのグエンが発熱した。まさか……。
オレはグエンの感染を心配した――。

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ここまでのあらすじ ちょっとたどたどしい日本語の電話で、店のアルバイト店員に応募してきたグエンは、大学に通っていた。学費と生活費を稼ぎ出すために、3つのアルバイトを掛け持ちする彼女は、度々、遅刻する。その度に彼女は、オレに「お礼」を渡すのだった。彼女の出身は、ベトナム北部、ハノイ近郊の街。祖母の背中には、戦争中の北爆で焼かれたケロイドの跡があると言う。しかし、彼女たち若い世代は、その時代を知らない。グエンは、オレの背後をすり抜ける度に、胸の突起で背中をくすぐって、ニッと笑った。そして言うのだった。「今度、フォーを作って持っていってあげるよ」。しかし、その「今度」は、来なかった。その前にコロナがやって来た。そして――
「シゲマツさん、タ・ス・ケ・テ……」
オレが休みでグエンが店に出る日が、一日だけある。水曜日だ。その午後7時頃、突然、電話が鳴った。
「ど、どうした?」と訊くオレに、グエンは「ハァハア……」と苦しそうな息を吐きながら訴えるのだった。
「熱が出た。おなかも痛くて……。急でゴメンナサイだけど、シゲマツさん、8時ぐらいでいいですから、ワタシと代わってくれませんか?」
その声が悲痛に聞こえたので、オレは慌てて服を着替え、店に向かった。
グエンは、バックヤードで買い物用のバスケットの消毒作業をしていた。「ダイジョーブか?」と声をかけたオレの顔を見ると、「ダメ」というふうに首を振る。「どれ?」と額に手を当ててみると、火のように熱い。
「ヤバいよ、すぐ帰んな」
オレは彼女に退勤をすすめ、「明日、すぐに病院に行って検査してもらうんだよ」と言い含めた。
ちょっとだけ不安もあった。もし、感染していたら、店はしばらく休業しなくてはならなくなるだろう。一緒に働いているオレたちも、PCR検査を受け、全員「陰性」であることが証明されないと、業務停止を求められる。実際、近隣のスーパーなどでも、感染者を出して売り場を4~5日、閉めてしまうところが現れたりしていた。
ダイジョーブかよ、グエン? オレは、彼女が帰っていく姿を見送りながら思った。

不安は当たった。3日後の土曜日、本来なら5時に出てくるはずのグエンが、5時を3分回っても姿を見せない。オイオイ……と思いながら、携帯を鳴らしてみたが、電話にも出ない。
店長の携帯にも電話を入れてみたが、何も連絡は入ってないという。
「しょうがない。きょうは派遣を頼むから、それまでだれか残ってもらってくれる?」
結局、その日は、派遣がやって来るまで、昼勤のスタッフに残業を頼んで急場を凌いだ。
しかし、翌日になっても、グエンは姿を現さなかった。店には最初から、スタッフが派遣されてきたが、それは、派遣会社からの派遣ではなく、本社からの派遣だった。ということは、グエンの欠勤が長期になることを会社が把握している――ということになる。
まさか、グエン、感染しちまったんじゃ……。
オレが休みでグエンが店に出る日が、一日だけある。水曜日だ。その午後7時頃、突然、電話が鳴った。
「ど、どうした?」と訊くオレに、グエンは「ハァハア……」と苦しそうな息を吐きながら訴えるのだった。
「熱が出た。おなかも痛くて……。急でゴメンナサイだけど、シゲマツさん、8時ぐらいでいいですから、ワタシと代わってくれませんか?」
その声が悲痛に聞こえたので、オレは慌てて服を着替え、店に向かった。
グエンは、バックヤードで買い物用のバスケットの消毒作業をしていた。「ダイジョーブか?」と声をかけたオレの顔を見ると、「ダメ」というふうに首を振る。「どれ?」と額に手を当ててみると、火のように熱い。
「ヤバいよ、すぐ帰んな」
オレは彼女に退勤をすすめ、「明日、すぐに病院に行って検査してもらうんだよ」と言い含めた。
ちょっとだけ不安もあった。もし、感染していたら、店はしばらく休業しなくてはならなくなるだろう。一緒に働いているオレたちも、PCR検査を受け、全員「陰性」であることが証明されないと、業務停止を求められる。実際、近隣のスーパーなどでも、感染者を出して売り場を4~5日、閉めてしまうところが現れたりしていた。
ダイジョーブかよ、グエン? オレは、彼女が帰っていく姿を見送りながら思った。

不安は当たった。3日後の土曜日、本来なら5時に出てくるはずのグエンが、5時を3分回っても姿を見せない。オイオイ……と思いながら、携帯を鳴らしてみたが、電話にも出ない。
店長の携帯にも電話を入れてみたが、何も連絡は入ってないという。
「しょうがない。きょうは派遣を頼むから、それまでだれか残ってもらってくれる?」
結局、その日は、派遣がやって来るまで、昼勤のスタッフに残業を頼んで急場を凌いだ。
しかし、翌日になっても、グエンは姿を現さなかった。店には最初から、スタッフが派遣されてきたが、それは、派遣会社からの派遣ではなく、本社からの派遣だった。ということは、グエンの欠勤が長期になることを会社が把握している――ということになる。
まさか、グエン、感染しちまったんじゃ……。
心配になったオレは、翌日、グエンの携帯を鳴らしてみた。
「あ、シ・ゲ・マ・ツさん……?」
出ないだろう――と思ったグエンのスマホが通じた。しかし、その声が弱々しかった。
「ワ・タ・シ、いま……ビョーイン。あ・し・た、手術受けるよ」
コロナか……と思ったが、グエンの話では、原因は「盲腸」だった。腹痛と嘔吐に襲われ、救急車を呼んで病院に運んでもらったら、即、「盲腸です」と診断され、手術を勧められた。
店長にも報告してあり、「退院できたら連絡して」と言われているという話だった。
手術となったら、1カ月近くは入院しなくてはならないだろう。
その間、本社から派遣されてくるスタッフとコンピを組んで、レジを守ることになる。
ちょっとつまらなくなるなぁ――と、オレは思った。

あっ……という間に、1カ月が過ぎた。
もしかしたら、グエンはこのまま出てこないんじゃないか――と思い始めた頃だった。レジにひとり、正装した女の子がやってきた。リクルート・スーツのような黒いスカート・スーツの上から、淡いピンクのストールを羽織った女の子。ふだん、ストアに買い物にやって来る女性客とは、テイストが違う装いだ。
その女の子が、オレの顔をのぞくようにして、ベコンと頭を下げる。
エッ……と思って顔を見て、ちょっと驚いた。少し頬がこけて、いくぶんシャープな顔立ちになってはいたが、グエンだった。
「もう、ダイジョーブなの?」
尋ねると、コクンとうなずく。
「長い間、すみませんでした。来週から出ることになりました。あの、これ……」
何やら紙に包まれた箱を差し出すので、「エッ?」という顔をすると、「みなさんで食べてください」と言う。
そんな習慣、いつ身に着けた? 近頃は、日本人でもあまりやらなくなった「快気祝い」のつもりらしい。
「ありがとう。バックヤードに、《グエンさんから――》と書いて出しておくね」
グエンはホッとしたような顔をして、「じゃ、来週から」と店を後にした。
けっこう、いいとこあるじゃん……。
オレはその姿を見送りながら、つぶやいた。
⇒続きを読む
「あ、シ・ゲ・マ・ツさん……?」
出ないだろう――と思ったグエンのスマホが通じた。しかし、その声が弱々しかった。
「ワ・タ・シ、いま……ビョーイン。あ・し・た、手術受けるよ」
コロナか……と思ったが、グエンの話では、原因は「盲腸」だった。腹痛と嘔吐に襲われ、救急車を呼んで病院に運んでもらったら、即、「盲腸です」と診断され、手術を勧められた。
店長にも報告してあり、「退院できたら連絡して」と言われているという話だった。
手術となったら、1カ月近くは入院しなくてはならないだろう。
その間、本社から派遣されてくるスタッフとコンピを組んで、レジを守ることになる。
ちょっとつまらなくなるなぁ――と、オレは思った。

あっ……という間に、1カ月が過ぎた。
もしかしたら、グエンはこのまま出てこないんじゃないか――と思い始めた頃だった。レジにひとり、正装した女の子がやってきた。リクルート・スーツのような黒いスカート・スーツの上から、淡いピンクのストールを羽織った女の子。ふだん、ストアに買い物にやって来る女性客とは、テイストが違う装いだ。
その女の子が、オレの顔をのぞくようにして、ベコンと頭を下げる。
エッ……と思って顔を見て、ちょっと驚いた。少し頬がこけて、いくぶんシャープな顔立ちになってはいたが、グエンだった。
「もう、ダイジョーブなの?」
尋ねると、コクンとうなずく。
「長い間、すみませんでした。来週から出ることになりました。あの、これ……」
何やら紙に包まれた箱を差し出すので、「エッ?」という顔をすると、「みなさんで食べてください」と言う。
そんな習慣、いつ身に着けた? 近頃は、日本人でもあまりやらなくなった「快気祝い」のつもりらしい。
「ありがとう。バックヤードに、《グエンさんから――》と書いて出しておくね」
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けっこう、いいとこあるじゃん……。
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盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
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クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
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ある日、その秘密を知った??。
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管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
どうぞ正直な、しかしちょっぴり愛のこもった感想ポチをお願いいたします。
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