愛には、やがて「退行する日」がやって来る

法則97 愛にはやがて「退行」する日がやって来る
人の愛は「進化」していきます。しかし、
人によっては「退行」する場合もある。その
「退行」はいつ、なぜ、起こるのでしょうか?
前回、愛は「進化」する――という話をしました。
「欲しがるだけ」の愛の段階から、「ひとりを愛するように世界を愛し、世界を愛する愛をひとりに振り向ける」という愛の段階へ。人は、精神の発達に合わせて、「愛のありよう」を進化させていく――と申し上げました。
お忘れになっている方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度、ご紹介しておきましょう。「愛の進化の図」は、こうなっておりました。

しかし、図に示したような「愛の進化」は、だれにも同じように起こるわけではありません。
本来なら「進化」していくべき愛が、どこかの段階でストップしてしまうこともあれば、逆に、元の段階へと戻ってしまうこともあります。
精神分析学の世界では、どこかの段階でストップしてしまうことを「固着」と呼び、逆戻りしてしまうことを「退行」と呼びます。問題は、その「固着」や「退行」がなぜ起こるか――です。
ごく大雑把に言うと、ある段階まで来た愛が、そこで、期待した愛の成果や報酬を得られなかった、あるいは、その愛の対象から手痛い傷を受けた――というとき、愛がその段階から一歩も先へ進めなくなって、そこに留まってしまう、もしくは、「このレベルの愛は自分にはムリ」と感じて、もっと低いレベルの愛へと戻ってしまおうとする。
シランケンは、愛のレベルに「固着」や「退行」が起こるのは、そうした理由からだろうと思っています。以下、各段階ごとに、「固着」「退行」の起こり方を見てみましょう。

《養護期》への固着が起こる理由とその結果
《養護期》とは、親から生存に必要な栄養を与えられ、外敵から守られて過ごす期間。しかし、その時期、その養護を十分に与えられないまま過ごすと、いつまでも《養護期》から、抜け出せない人間が育ってしまいます。
《養護期》には、それ以前の段階はありませんから、「退行」する場所もありません。つまり、いつまで経っても「養護期のまま」な人間に育ってしまうわけです。
この《養護期》を象徴するアイテムのひとつが、「母親の乳房」です。最近は、哺乳瓶で授乳する母親も多いかと思いますが、哺乳瓶にせよ、母親の乳房にせよ、それは、幼い子どもにとっては、自分の生命を維持するために欠かすことのできないアイテムです。
しかし、その授乳が十分ではなかった。ミルクを求めて乳房にしがみつこうとした手や唇を拒まれてしまった――などという経験があると、その人間の中には、いつまでも、「養護を求める」という性質が残ってしまいます。つまり、「固着」です。
《養護期》は、フロイトの言う《口唇期》とかなりな部分が重なります。この段階に固着した人間には、いくつになっても何かと言うと唇に触るクセが残ったり、自分の指をしゃぶるクセが残ったり、自分の髪に触ったりするクセが残ったりします。フロイトによれば、喫煙や飲酒の習慣から抜け出せないのも、この時期に「固着」した人間の特徴。さらには、「フェティシズム(=相手の持ち物や服などの持ち物に執着する性的傾向)」に陥る人間もいる――と、フロイトは指摘しています。
「固着」が起きた人間は、外に友だちを作って遊ぶという《仲間・友愛期》にすんなり進むことができません。外で遊ぶことをせず、いつまでも「父親」や「母親」にかまってもらいたがる子どもとして育っていきます。
逆に、親の養護が過剰であった場合にも、ある種の「固着」は起こり得ます。いくつになっても「親に頼めば何とかなる」と思ってしまうおとなになる危険性もなきにしもあらず――です。

《仲間・友愛期》は、裏切り・ケンカ・イジメなどで「退行」する
やがて人は、同性の仲間や友だちを作って、遊んだり学んだりするようになりますが、この時期の人間関係は、遊びであろうと、勉強やスポーツであろうと、「共通の目的」を持つことによって成立することが多いようです。
その「目的」が魅力的で、強烈であれば、人は、その仲間や友だちと、いつまでも「いい関係」を続けようとします。これはいい意味での「固着」と言っていいのですが、欠点もないわけではありません。おとなになって、もっと広い人間関係を形成すべき時期になっても、将来、伴侶を得て家族を営むようになっても、「昔の仲間」から誘いがかかったりすると、「そっちのほうが大事」と出かけてしまう。つまり、「いま」よりも「昔」が大事――という精神態度が、いつまでも抜けないというわけです。
こういう「固着」が強固に行われると、その人は愛の次の段階、《組織愛期》へも《恋愛期》へも進めなくなってしまいます。「やっぱり、気の合う仲間とつるんでるほうが楽しい」と、学校・会社・社会・国家……などの組織を愛する方向へは向かわず、恋愛⇒結婚という方向にも、向かわなくなってしまうわけです。こういう「固着」が起こってしまうのは、やはり、問題――というべきでしょう。
逆に、この時期に仲間や友だちに恵まれなかった、あるいは、仲間と思っていた人間からひどい裏切りを受けた、イジメに遭った、友だちと深刻なケンカをしてしまった――などという体験が重なると、そういう人間は、仲間や友だちと「外で遊ぼう」という意欲を失ってしまいます。学童期であれば、「学校に行くのがイヤ」と不登校になる人もいるかもしれません。
そこで起こるのは「退行」という現象です。自分が傷つくかもしれない「外の世界」との接触を避けて、自分が守ってもらえる《養護期》に戻ろうとする現象。この段階まで「退行」した人間は、母親の乳房を吸い、抱っこしてもらっていた時期に戻りたい――という欲求を抱えたまま、おとなになっていきます。
筆者の知人にも、ひとり、そういう御仁がいました。中小企業で管理職にまで昇りつめた男で、何かと言うと部下を怒鳴り散らしてばかりいる強面の男でしたが、夜の帳が下りると、そそくさと夜の街へ出かけていくのです。
一度、お供したことがあるのですが、彼がうれしそうに入っていったのは、当時、「おっぱいパブ」などと呼ばれていたピンク系のパブ。なんと、彼は、席に着くなり、いつも指名しているらしい女の子を席に呼んで、「オッパイ、オッパイ……」などと言いつつ、その胸に顔を埋めるではありませんか。
「恐い上司」という昼間の姿からは、想像もつかない変身ぶり。それが、その男の「真実の姿」。彼は、だれにも知られず、《養護期》に「退行」していたのです。
「欲しがるだけ」の愛の段階から、「ひとりを愛するように世界を愛し、世界を愛する愛をひとりに振り向ける」という愛の段階へ。人は、精神の発達に合わせて、「愛のありよう」を進化させていく――と申し上げました。
お忘れになっている方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度、ご紹介しておきましょう。「愛の進化の図」は、こうなっておりました。

しかし、図に示したような「愛の進化」は、だれにも同じように起こるわけではありません。
本来なら「進化」していくべき愛が、どこかの段階でストップしてしまうこともあれば、逆に、元の段階へと戻ってしまうこともあります。
精神分析学の世界では、どこかの段階でストップしてしまうことを「固着」と呼び、逆戻りしてしまうことを「退行」と呼びます。問題は、その「固着」や「退行」がなぜ起こるか――です。
ごく大雑把に言うと、ある段階まで来た愛が、そこで、期待した愛の成果や報酬を得られなかった、あるいは、その愛の対象から手痛い傷を受けた――というとき、愛がその段階から一歩も先へ進めなくなって、そこに留まってしまう、もしくは、「このレベルの愛は自分にはムリ」と感じて、もっと低いレベルの愛へと戻ってしまおうとする。
シランケンは、愛のレベルに「固着」や「退行」が起こるのは、そうした理由からだろうと思っています。以下、各段階ごとに、「固着」「退行」の起こり方を見てみましょう。

《養護期》への固着が起こる理由とその結果
《養護期》とは、親から生存に必要な栄養を与えられ、外敵から守られて過ごす期間。しかし、その時期、その養護を十分に与えられないまま過ごすと、いつまでも《養護期》から、抜け出せない人間が育ってしまいます。
《養護期》には、それ以前の段階はありませんから、「退行」する場所もありません。つまり、いつまで経っても「養護期のまま」な人間に育ってしまうわけです。
この《養護期》を象徴するアイテムのひとつが、「母親の乳房」です。最近は、哺乳瓶で授乳する母親も多いかと思いますが、哺乳瓶にせよ、母親の乳房にせよ、それは、幼い子どもにとっては、自分の生命を維持するために欠かすことのできないアイテムです。
しかし、その授乳が十分ではなかった。ミルクを求めて乳房にしがみつこうとした手や唇を拒まれてしまった――などという経験があると、その人間の中には、いつまでも、「養護を求める」という性質が残ってしまいます。つまり、「固着」です。
《養護期》は、フロイトの言う《口唇期》とかなりな部分が重なります。この段階に固着した人間には、いくつになっても何かと言うと唇に触るクセが残ったり、自分の指をしゃぶるクセが残ったり、自分の髪に触ったりするクセが残ったりします。フロイトによれば、喫煙や飲酒の習慣から抜け出せないのも、この時期に「固着」した人間の特徴。さらには、「フェティシズム(=相手の持ち物や服などの持ち物に執着する性的傾向)」に陥る人間もいる――と、フロイトは指摘しています。
「固着」が起きた人間は、外に友だちを作って遊ぶという《仲間・友愛期》にすんなり進むことができません。外で遊ぶことをせず、いつまでも「父親」や「母親」にかまってもらいたがる子どもとして育っていきます。
逆に、親の養護が過剰であった場合にも、ある種の「固着」は起こり得ます。いくつになっても「親に頼めば何とかなる」と思ってしまうおとなになる危険性もなきにしもあらず――です。

《仲間・友愛期》は、裏切り・ケンカ・イジメなどで「退行」する
やがて人は、同性の仲間や友だちを作って、遊んだり学んだりするようになりますが、この時期の人間関係は、遊びであろうと、勉強やスポーツであろうと、「共通の目的」を持つことによって成立することが多いようです。
その「目的」が魅力的で、強烈であれば、人は、その仲間や友だちと、いつまでも「いい関係」を続けようとします。これはいい意味での「固着」と言っていいのですが、欠点もないわけではありません。おとなになって、もっと広い人間関係を形成すべき時期になっても、将来、伴侶を得て家族を営むようになっても、「昔の仲間」から誘いがかかったりすると、「そっちのほうが大事」と出かけてしまう。つまり、「いま」よりも「昔」が大事――という精神態度が、いつまでも抜けないというわけです。
こういう「固着」が強固に行われると、その人は愛の次の段階、《組織愛期》へも《恋愛期》へも進めなくなってしまいます。「やっぱり、気の合う仲間とつるんでるほうが楽しい」と、学校・会社・社会・国家……などの組織を愛する方向へは向かわず、恋愛⇒結婚という方向にも、向かわなくなってしまうわけです。こういう「固着」が起こってしまうのは、やはり、問題――というべきでしょう。
逆に、この時期に仲間や友だちに恵まれなかった、あるいは、仲間と思っていた人間からひどい裏切りを受けた、イジメに遭った、友だちと深刻なケンカをしてしまった――などという体験が重なると、そういう人間は、仲間や友だちと「外で遊ぼう」という意欲を失ってしまいます。学童期であれば、「学校に行くのがイヤ」と不登校になる人もいるかもしれません。
そこで起こるのは「退行」という現象です。自分が傷つくかもしれない「外の世界」との接触を避けて、自分が守ってもらえる《養護期》に戻ろうとする現象。この段階まで「退行」した人間は、母親の乳房を吸い、抱っこしてもらっていた時期に戻りたい――という欲求を抱えたまま、おとなになっていきます。
筆者の知人にも、ひとり、そういう御仁がいました。中小企業で管理職にまで昇りつめた男で、何かと言うと部下を怒鳴り散らしてばかりいる強面の男でしたが、夜の帳が下りると、そそくさと夜の街へ出かけていくのです。
一度、お供したことがあるのですが、彼がうれしそうに入っていったのは、当時、「おっぱいパブ」などと呼ばれていたピンク系のパブ。なんと、彼は、席に着くなり、いつも指名しているらしい女の子を席に呼んで、「オッパイ、オッパイ……」などと言いつつ、その胸に顔を埋めるではありませんか。
「恐い上司」という昼間の姿からは、想像もつかない変身ぶり。それが、その男の「真実の姿」。彼は、だれにも知られず、《養護期》に「退行」していたのです。

組織になじめないその人は、《組織愛期》に適応できてないのかも
人は、成長するにつれて、より大きな組織の一員となります。遊び友だちレベルの「仲間」から、「学級=クラス」に、「同学年の同期生」へ、そして「学校」へ。就職すれば、自分が勤める「会社」に、さらには、その「業界」に。もっと視野が広がれば、「社会」に、「国家」に、その国が属する「アジア」や「ヨーロッパ」に、さらには「世界」へ――と、愛の対象は、本人の見聞が広がるとともに拡大していきます。
その組織が魅力的であり、その「共同の目標」や「組織ルール」などが心地よくて、自分の「生きがい」と「組織の目標」がピッタリ一致していたりすると、その人の愛は、「組織への愛」として「固着」してしまう場合もあります。
愛して止まないその組織が「会社」であれば、「会社人間」「仕事人間」と呼ばれる人間になり、なかなか、次の段階《恋愛期》へとは進めなくなってしまいます。仮に恋愛⇒結婚と進んだとしても、「会社=仕事」一途で家庭を顧みない、よくありがちな人間に。実は、日本には、こういう「固着」に陥る人間が多い――と言われています。
その逆のケースもあります。自分が属する組織になじめず、組織の「共通目標」や「ルール」に共感することができずに、他の成員たちから「仲間はずれ」にされたり、「パワハラ」を受けたりすると、「この組織は自分を幸せにはしてくれない」と感じて、《組織への愛》を失っていく――というケース。そういう喪失を経験した人たちは、その前の愛の段階へと「退行」していきます。たいていは、楽しかった仲間たちとの《友愛期》へ。場合によっては、もっと前の《養護期》へ。
その相手が異性という場合もあるのですが、この場合の異性は、愛を振り向ける「恋愛の対象」ではありません。ただ、自分を楽しい気分に導いてくれる「仲間」としての異性、または「養護者」としての異性。それも、一種の「退行」と考えられます。

フラれた結果、「恋愛」から逃げ出す「退行」
愛はやがて《恋愛期》の段階へと進みますが、その段階でも「退行」は起こります。
もっともありがちなのは、愛の対象とした異性から、その愛を遮断されてしまった場合。自分の愛がもはや受け入れてもらえない――と悟った人間は、その傷が大きければ大きいほど、「もう、女はいいや」「男なんて好きにならない」と、異性に向かおうとする愛そのものを「退行」させてしまいます。
どの段階へ「退行」するかは、傷の受け方によっても変わってきます。
仕事を持って、職場という組織に属している人間なら、仕事に埋没するという形で《恋愛期》からの「退行」を図るかもしれません。「恋愛の道」を閉ざして、「仕事中毒」な人生を進もうとする人もいるかもしれません。つまり、《組織愛期》への「退行」です。
異性との関係に絶望した結果、気楽で楽しい同性の仲間や友人との関係に立ち戻る人たちもいるかもしれません。「女同士で飲んだり食べたりしてるほうがラクでいいよね」「やっぱり、男同士で徒党を組んでたほうが気楽でいいよ」と、《仲間・友愛期》に「退行」していくパターンです。
中には、「家族がいちばん」と、自分が大事に養護されていた時期に戻ろうとする人も、いるかもしれません。一気に《養護期》にまで「退行」してしまうわけで、一時期「NEET」と呼ばれた一群の若者の中にも、そうして「退行」した人たちが、含まれていたかもしれません。

愛を「普遍化」できずに「退行」していくさまざまな人たち
最後に、人は、さまざまな愛の経験を経て、あるいは教育や新聞・書物などから得る知識や見聞の助けを借りて、「普遍的な愛」を知るに至ります。
おそらくそれが愛の最高レベル。しかし、人は、そうして得た「普遍レベル」の愛からも、「退行」することがあります。その理由も、「退行」していく愛の段階も、さまざまです。
以下、あり得るケースを挙げてみましょう。
〈1〉普遍性へと導くに至った「世界観」「価値観」が信じられないものになった⇒もう、世界や社会なんてどうでもいい、と思うようになる⇒自分と周りの小さな世界さえ幸せであれば、それでいいと思うようになる⇒《恋愛期》《組織愛期》《仲間・友愛期》に「退行」。
〈2〉普遍的な愛を目指したが、それでは損するだけだと悟った⇒損することは止めようと思うようになる⇒自分たちが豊かであればそれでいいと考えるようになる⇒《恋愛期》《組織愛期》《仲間・友愛期》に「退行」する。
〈3〉老化によって普遍性などに思いを致す知的能力が衰えた⇒面倒なこと、深い考えなどは頭に浮かばなくなる⇒「食う」「寝る」などの生理的欲求しか求めなくなる⇒《養護期》に「退行」する。
最後の〈3〉は、だれにも起こり得る変化。
人は、最後は「赤ん坊」に戻って死ぬ。これは、覚悟しておいたほうが、よさそうです。
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盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
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与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
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