数をこなす男と質にこだわる男の性比べ

射精は回数だと言う男がいます。
いや、回数より中身の濃さだと言う男も。
2種の両極端。はたしてどちらが、
自分も相手も、幸せにできるのでしょうか?
性とエッチの《雑学》file.76 R15
このシリーズは真面目に「性」を取り上げるシリーズです。
15歳未満の方はご退出ください。
2回戦、4発OK!
みなさん、このコピー、何のことだかわかりますか?
かつて、池袋とか、巣鴨とかのピンク街に足を踏み入れると、入り口の看板にこんなキャッチコピーが、妍を競うように張り出されていた時代がありました。
「2回戦、4発」は、女の子が2回(2人)、入れ替わりで席に着いて、2発ずつ計4発、抜いてあげますよ――という意味なんですね。
その時代には、こういうコピーを見て、「おっ、いいね。安いし」と鼻の下を伸ばす男が、確かに存在した、ということなんです。
エッ、私ですか?
引いてしまいました。
1時間で4発も抜くの? カンベンしてよ――という口でした。
ハイ。淡白だったんです、その頃から。
世の中には、明らかに2種類の男がいる。
私は、その頃から固く信じています。
ひとつは、射精の回数こそ、男としての幸せである――と考える男。
もうひとつは、SEXに関しては、射精も含めたクオリティが重要だ――と考える男。
回数派は、ほんとは、相手なんてどうでもいいのかもしれません。
「1時間で4発、7000円」という店と、「90分で3万5000円。超美女ぞろい」という店があったら、経済的理由からではなく、文句なしに「4発7000円」を選ぶタイプです。そんな店にいる女なんて、ロクなもんじゃないゾ――なんてことは、気にもしないわけです。
クオリティ派は、それでは満足しません。というより、そもそも「何発もしたい」というモチベーション自体が、存在しません。
性愛は、その前段階も含めて、質高く楽しみたい――と思っているので、相手だって、一定以上のレベルを満たしてないと、まったくと言っていいほど、食指が動かないのです。
この違いは、どこから来るのか?
もっとも大きな要因は、リビドー(性的欲望)の強度の差、男性ホルモン(テストステロン)の濃度の差ではないか――と、筆者はニラんでいます。
フロイトが唱えた「リビドー」は、通常、成長するに従って、スポーツとか、勉強とか、ゲージツとかに向かうエネルギーへと進化し、転化されていくのですが、「回数派」の場合は、そのような上昇転化がほとんど行われず、「やりたい一心」のまま、おとなになったのであろう――と、想像できるわけです。
男性ホルモンの濃度については、遺伝的影響もあるでしょうし、食べ物などの生活習慣もあるだろうと思いますが、いずれにしても、このタイプは、確実にハゲます。そして、かなり高い確率で、脳血管障害でくたばることになるだろうと思います。
ま、それも、ひとつの生き方ではありましょう。

「もう1回」は、女も大変だが、男はもっと大変
回数派は、彼女や妻を相手にしても、数をこなそうとします。
1回果てても、「もう1回」。やっと2回目が終わっても、「今度はバックで…」とさらなるリクエスト。
これを、「まぁ、そんなに愛してくれるの?」と悦ぶか、「エーッ、またぁ!? もう許してよ」と苦痛に感じるかは、相手の女性次第だろうと思います。
体力のない女性にとっては、回数派の夜のお相手は、かなり大変です。小林一茶の若妻は、それがゆえに若死にした――とも伝えられていますが、ま、これは、あくまで俗説の範囲。
もちろん、男だって、大変です。
「もう1回」を連続してやろうとすると、あれは、けっこう痛くなったりします。
何回もそれを繰り返すと、最後には、精液が黄緑色になったりして、「オレ、ついに壊れたかも」とまっ青になることもあります(←たぶん、これは、急性の前立腺炎)。
にもかかわらず、同じ女性を相手に「もう1回」を試みるのは、なぜか?
根っからの「回数派」の場合は、1回じゃ自分が満足できないからで、これはまぁ、当然と言えば当然。こちらのケースについては、ここでは触れないことにします。
問題は、そうではないケース。
「回数派」でもない男が、もし「もう1回」を試みることがあるとすれば、そこには生理的ではない別の動機がひそんでいる、と考えなくてはなりません。
ズバリ、言いましょう。
それは、「見栄」か「思いやり」のどらかです。
みなさん、このコピー、何のことだかわかりますか?
かつて、池袋とか、巣鴨とかのピンク街に足を踏み入れると、入り口の看板にこんなキャッチコピーが、妍を競うように張り出されていた時代がありました。
「2回戦、4発」は、女の子が2回(2人)、入れ替わりで席に着いて、2発ずつ計4発、抜いてあげますよ――という意味なんですね。
その時代には、こういうコピーを見て、「おっ、いいね。安いし」と鼻の下を伸ばす男が、確かに存在した、ということなんです。
エッ、私ですか?
引いてしまいました。
1時間で4発も抜くの? カンベンしてよ――という口でした。
ハイ。淡白だったんです、その頃から。
世の中には、明らかに2種類の男がいる。
私は、その頃から固く信じています。
ひとつは、射精の回数こそ、男としての幸せである――と考える男。
もうひとつは、SEXに関しては、射精も含めたクオリティが重要だ――と考える男。
回数派は、ほんとは、相手なんてどうでもいいのかもしれません。
「1時間で4発、7000円」という店と、「90分で3万5000円。超美女ぞろい」という店があったら、経済的理由からではなく、文句なしに「4発7000円」を選ぶタイプです。そんな店にいる女なんて、ロクなもんじゃないゾ――なんてことは、気にもしないわけです。
クオリティ派は、それでは満足しません。というより、そもそも「何発もしたい」というモチベーション自体が、存在しません。
性愛は、その前段階も含めて、質高く楽しみたい――と思っているので、相手だって、一定以上のレベルを満たしてないと、まったくと言っていいほど、食指が動かないのです。
この違いは、どこから来るのか?
もっとも大きな要因は、リビドー(性的欲望)の強度の差、男性ホルモン(テストステロン)の濃度の差ではないか――と、筆者はニラんでいます。
フロイトが唱えた「リビドー」は、通常、成長するに従って、スポーツとか、勉強とか、ゲージツとかに向かうエネルギーへと進化し、転化されていくのですが、「回数派」の場合は、そのような上昇転化がほとんど行われず、「やりたい一心」のまま、おとなになったのであろう――と、想像できるわけです。
男性ホルモンの濃度については、遺伝的影響もあるでしょうし、食べ物などの生活習慣もあるだろうと思いますが、いずれにしても、このタイプは、確実にハゲます。そして、かなり高い確率で、脳血管障害でくたばることになるだろうと思います。
ま、それも、ひとつの生き方ではありましょう。

「もう1回」は、女も大変だが、男はもっと大変
回数派は、彼女や妻を相手にしても、数をこなそうとします。
1回果てても、「もう1回」。やっと2回目が終わっても、「今度はバックで…」とさらなるリクエスト。
これを、「まぁ、そんなに愛してくれるの?」と悦ぶか、「エーッ、またぁ!? もう許してよ」と苦痛に感じるかは、相手の女性次第だろうと思います。
体力のない女性にとっては、回数派の夜のお相手は、かなり大変です。小林一茶の若妻は、それがゆえに若死にした――とも伝えられていますが、ま、これは、あくまで俗説の範囲。
もちろん、男だって、大変です。
「もう1回」を連続してやろうとすると、あれは、けっこう痛くなったりします。
何回もそれを繰り返すと、最後には、精液が黄緑色になったりして、「オレ、ついに壊れたかも」とまっ青になることもあります(←たぶん、これは、急性の前立腺炎)。
にもかかわらず、同じ女性を相手に「もう1回」を試みるのは、なぜか?
根っからの「回数派」の場合は、1回じゃ自分が満足できないからで、これはまぁ、当然と言えば当然。こちらのケースについては、ここでは触れないことにします。
問題は、そうではないケース。
「回数派」でもない男が、もし「もう1回」を試みることがあるとすれば、そこには生理的ではない別の動機がひそんでいる、と考えなくてはなりません。
ズバリ、言いましょう。
それは、「見栄」か「思いやり」のどらかです。

男は女を「失神」させなきゃダメ――という迷信
「見栄」でもう1回。
これには、お相手の彼女に対して、あるいは事後報告する友人またはインストラクター(いるんです、しばしばそれに該当するような先輩などが)に対して、「3回もやっちゃったよ。どうだ?」と、誇らしげに胸を張りたい――という動機が絡んでいます。
いるんですよねェ。無垢の青少年(私もそうでした)に対して、「おまえ、女はな、もう許してって言うまで、突いて、突いて、突きまくんなきゃダメだゾ」なんて吹き込む、すごくメイワクな先輩や友人が。
もし、この先輩や友人が、百戦錬磨の女だったりしたら、目も当てられません。

無知であった重松青年は、彼女に何とか「失神」していただくために、それはもう、血のにじむような努力を重ね、ついには、愛する愚息を捻挫させてしまい……と言いたいところですが、やりませんでした。
そんな言葉を信じるほど、愚かではなかったからです。
しかし、中には、こういう間違った情報を、特にそれが一目置く先輩からのものであればなおさら、金科玉条のように信奉して、回数街道を突っ走ることになったりするわけです。
「思いやり」というのは、こういうことです。
はたして、彼女は、十分に満足してくれただろうか?
一戦を終えたベッドの上で、横たわる彼女を見ながら不安に駆られる男。
あれだけじゃ、もしかしたら、彼女には不十分かもしれない。
いや、きっと、足りないはずだ。
彼女、何も言ってくれないしなぁ……。
よし、ここは、ガンバってもう一発、いっとくか。ガンバれ、オレ!
こうして、カレは、いったん萎えてしまったそれを、こすったり、握りしめたり、彼女が元カレにいたぶられる姿を想像したりなどして、再充電し、「エッ、ど、どうしたの?」と驚く彼女の体に、再び、挑みかかっていく――というわけです。
すべては、彼女の「いいッ!」のために。
「愛」から出る行為ではあるわけですが、ここでも、もしかしたら、間違った情報がひとり歩きしているかもしれません。
いわく、女は、自分の体が悦ぶ度合いに応じて、その相手を好きになる。
いわく、女は、愛があれば、男は何度でも自分を喜ばせることができる、と信じている。
いわく、女は、愛があれば、男は何度でも自分を喜ばせることができる、と信じている。
ほんとに「思いやり」があれば、やさしく彼女の髪を撫でているだけでも、彼女は十分に幸せなはずなのに、それを、「こんなもんじゃ、ダメに決まっている」と、自分を責めてしまうわけですね。

日本人の性交回数は、世界最低!?
彼女に何回も挑もうとする男には、以上のようなタイプがあるわけですが、では、逆に、1回しかしない男は、どうなのか?
最初に挙げた「クオリティ派」は、「1回しかしない」ではなくて、「1回で十分なような、中身の濃いSEXをしよう」と心がけるタイプです。
何も、回数を1回と限定するのではなく、回数なんて関係ないよ――というスタンスです。
問題なのは、クオリティを重視するわけでもないのに、「1回しかしない」あるいは「1回もすれば十分」と考えている男たちでしょう。
さらに問題なのは、「1回もすれば十分」と考えている男たちの中には、その「1回」さえ、満足にしない――という男たちが増えている、ということです。
ちょっと、ショッキングなデータをご紹介しましょう。
日本人の年間性交回数は、45回。
これは、なんと世界最低水準。
だというのです。
あまりに大きな問題なので、これについては、後日、改めて取り上げることにします。
筆者初の官能小説! 電子書店から発売中です!
盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
⇒BOOK☆WALKER からお読みになる方は、ここをクリック。
⇒Kindle でお読みになる方は、ここをクリック。
既刊本もどうぞよろしく 写真をクリックしてください。






明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
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管理人は、常に、下記3つの要素を満たすべく、知恵を絞って記事を書いています。
みなさんのポチ反応を見て、喜んだり、反省したり……の日々です。
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