愛が冷めかけると少なくなるもの

法則86 愛がなくなると、あることの回数が目に見えて減る!
「前のようには愛してくれてないのだろうか?」
人にそう感じさせる兆候のひとつに、あることの
「回数の減少」があります。それは何――??

交際が1か月、2か月……半年と進むうちに、そう感じ始める瞬間が、やって来るかもしれません。交際初期は、おたがいが夢中になっていますから、時間が経つにつれてその熱がやや冷めたように感じられるのは、当たり前と言えば当たり前。
しかし、熱狂が冷めただけではない、「ある種の危険な兆候」を感じ取ってしまうことがあります。その「危険な兆候」とは、「愛の消滅」を予感させる兆候です。
筆者・シランケンも、何度か、そんな兆候を感じたことがあり、それが見事に的中して大喜び……じゃなくて、ガックシきたこともありました。あるいは、自らの態度を顧みて、「ああ、あのときはもう、彼女への愛が消えかかってたんだなぁ」と、反省することもあります。
そんな自らの経験も交えて、今回は、「愛が消えかかる兆候」についてお話しようと思うのですが、実は、この兆候の中で、筆者は、ある事象に特に注目しています。
それが、コレ!
愛が冷めかかると、
あることの回数が、目に見えて少なくなる!
こう申し上げると、「わかった、エッチでしょ」と言う人もいるかもしれません。
しかし、違うんですね。「エッチ」なんてものは、意思の力でいくらでもコントロールできます。愛が冷めかかっていても、いや、冷めかかっていると余計に、それを隠そうとして、熱心にエッチに励もうとする人だっているかもしれません。
ハイ、エッチはウソつきなんです。
では、ウソがつけないものは何か? それをまとめてみましょう。

「アポ」なしのデート
みなさんにも、記憶がありませんか?
交際が始まったばかりの頃は、毎日でもカレの顔、彼女の顔が見たくて、アポがあろうがなかろうが、「いまから会えない?」と電話をかけたり、メールしたりしなかったでしょうか? 中には、「来ちゃった」と、突然、カレや彼女の部屋を訪ねたりした人もいるかもしれません。
この段階の恋人たちは、相手に会うのに、「○月○日の○時、空いてる?」と、いちいち予約を入れたりはしません。会いたければ、「いますぐ会いたい」と言い、実際に会いに行く。それが、「愛」という情念に衝き動かされている状態の男女のあり方だろうと思うのですが、時間とともに、そのありようが変化していきます。


こうして「アポなし」がハネつけられると、ハネつけられたほうは、こう思います。

こんな不安が芽生えてしまうのも、ムリはないと思われます。
もちろん、おたがいに仕事を持っているふたりであれば、「アポなしデート」をいつでも受け入れるというわけにはいきません。自然に、ふたりの間に、「会うのは週末にしよう」などのルールが出来上がっていきます。
それでも、不意に「声を聞きたい」「顔を見たい」と思うことがあるかもしれません。
「ね、ちょっとだけでも会えない」とムリを言い、言われたほうも「しょうがないなぁ」と、そのムリに何とか応じようとする。
この「ムリを言う」回数が少なくなる、あるいは「ムリに応える」回数が少なくなる。
こういう現象が顕著になったら、「どうしても会いたい」という気持ちが、どちらかの側で減少している――と判断するしかありません。つまり、「アポなしデート」の減少は、「愛の減少」の結果、というわけです。

半年~1年先の「アポ=約束」
こちらは、わかりやすい変化です。
たとえば、半年後のクリスマスの約束、1年後の海外旅行の約束、映画が公開されたら観に行こうという3か月後の約束……。1週間先とか2週間先ならOKだけど、2~3か月先とか、半年後とか来年になると、「そんな先のこと、いまからじゃわからないよ」と、確約を避けられる。
こういう変化が顕著にみられるようになったら、これもまた、「愛の減量」を示す変化のひとつと考えられます。
これには、おそらくワケがあります。そんな先まで、愛していられる自信がない――というワケです。自信がないので、言質を取られまいとして「確答」を避けるのです。
半年後や1年後がわからない――というんじゃ、10年後なんてもっとわからない。そんな人と生涯を共にしようという気になれるかと言うと、ちょっとムリな気がします。

目を合わせる回数
心理学的には、もっともわかりやすい「愛減量」のサインです。
何か話しかけても、「ウン」「まぁ……」「そうだね」と返事は返ってくるけど、目を合わせない。その目は、スマホの画面を見ていたり、新聞・雑誌を見ていたり、うつろに遠くを眺めていたりして、けっして相手の目を見ようとはしない。
元からシャイで目を合わせない人だった――というのなら別ですが、最初は、飽くほどに目を見て話していた人が、なぜか目を合わせなくなったとしたら、考えられる理由はただひとつ。
目を合わせることによって、目の色を読まれたくない――です。
「読まれたくない目の色」とは、「もはや、愛なんてない」という「うつろ色」です。
昔、親や教師から言われませんでしたか? 「ちゃんと目を見て答えなさい」と。
そうなのです。人は、ウソをつこうとするときや、何かを隠そうとするときには、無意識のうちに目が泳ぎ、その目の色に力がなくなります。
視線はごまかせても、その目の色まではごまかせない。隠そうとすればするほど、目が合わせられなくなってしまう、というわけです。

手をつなぐ回数
「肩を抱く」とか「腕をからめる」ぐらいだったら、義理でもできる――と、筆者は思います。しかし、「手をつなぐ」は、なかなかできない。
だれかと手と手をつなぎ合わせるという行為は、人に見られると、ちょっと恥ずかしい行為です。だれの目にも、「仲いいんだね、あのふたり」と思われる行為でもあるので、「そう見られてもかまわない」という覚悟がないとできません。
そして、もうひとつ。手をつなぎ合わせるという行為は、自分の手の自由を相手に預けるという行為。大げさに言うと、命を預ける行為ですから、相手を信頼してないとなかなかできない行為でもあります。
どこかで相手に疑念を抱いていたり、ふたりの関係を周囲に知られたくないという配慮が強くはたらいていると、「手をつなぐ」という行為は、自然にはできなくなってしまいます。
最初から、手などつながなかったというふたりならともかく、昔は、いつも手をつないでくれていたのに、最近はちっとも……となったら、手をつなぐ「心的動機」が失われつつある――と見るのが妥当だろう、と私は思います。
いつもつながっていた手が、最近はあんまり――となったら、これもやはり「愛の減量」を物語る現象と言っていい。シランケンは、そう思います。
他にも、「愛が消えかかっているのではないか」を示す現象はいろいろあるのですが、すべて取り上げているとキリがありません。
もっとも重要と思われる4ポイントを取り上げて解説しましたので、「そう言えば……」と心当たりのある方は、ちょっとご用心を――という話でした。
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