ふたりの会話が、なぜか「冷たく」なってしまう理由

おたがいの反応を「冷たい」と感じて、会話が途切れてしまう。
そんなカップルが多いようです。その理由、実は、おたがいが
期待する反応が、スレ違っていることにありそうです……。
愛の会話力レッスン 第14回(改訂版)
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ふつうに話しているのに、なぜか、このふたりの会話には「愛」が感じられない――という会話があります。
どうしてそう感じられるのか?
ふつうの家庭でよく見られるこんな会話を例に、解説してみたいと思います。
どちらも、よく見られるごくフツーの会話のように見えます。
しかし、会話例1の夫は妻の反応を、会話例2の彼女は、カレの反応を、それぞれ「冷たい」と感じているはずです。
「冷たい」と感じる理由は、相手が自分の期待するスタンスで応じてくれてないからです。両者が期待した反応は、たぶん、こんな感じでしょう。
会話例1の夫が期待した反応
「ヘーッ、すごぉい。よくできてるねェ」と、子どものように感動してくれる反応。
会話例2の彼女が期待した反応
「いいじゃない、やってみなよ」とか「止めとけよ、たぶん続かないよ、そんなの」など、自分で決めかねている判断を、相手が決めてくれること。
さて、これも、前回同様、エゴグラムを使った「交流分析」の図にしてみると、よくその構造が理解できると思います。
どうしてそう感じられるのか?
ふつうの家庭でよく見られるこんな会話を例に、解説してみたいと思います。
会話例1 夫の趣味を「つまんないこと」と言う妻
夫 ジャーン、ついに完成したゾ。オレのフェラーリ! すごいだろう。(完成したプラモデルを手に)
妻 もぉッ、いつまで、つまんないことやってんの。そんなヒマがあるんなら、庭の掃除でも手伝ってよ!
会話例2 彼女の相談にそっけない返事の夫
S美 T子がさぁ、一緒にフィットネス・クラブに通おうよって言うの。ねェ、どう思う?
K次 やりたければやればいいし、イヤなら断ればいいよ。自分で決めなよ、そんなこと。
夫 ジャーン、ついに完成したゾ。オレのフェラーリ! すごいだろう。(完成したプラモデルを手に)
妻 もぉッ、いつまで、つまんないことやってんの。そんなヒマがあるんなら、庭の掃除でも手伝ってよ!
会話例2 彼女の相談にそっけない返事の夫
S美 T子がさぁ、一緒にフィットネス・クラブに通おうよって言うの。ねェ、どう思う?
K次 やりたければやればいいし、イヤなら断ればいいよ。自分で決めなよ、そんなこと。
どちらも、よく見られるごくフツーの会話のように見えます。
しかし、会話例1の夫は妻の反応を、会話例2の彼女は、カレの反応を、それぞれ「冷たい」と感じているはずです。
「冷たい」と感じる理由は、相手が自分の期待するスタンスで応じてくれてないからです。両者が期待した反応は、たぶん、こんな感じでしょう。

「ヘーッ、すごぉい。よくできてるねェ」と、子どものように感動してくれる反応。

「いいじゃない、やってみなよ」とか「止めとけよ、たぶん続かないよ、そんなの」など、自分で決めかねている判断を、相手が決めてくれること。
さて、これも、前回同様、エゴグラムを使った「交流分析」の図にしてみると、よくその構造が理解できると思います。
「エゴグラム」と「交流分析」の考え方については、前回の記事 『心理学が見つけた、絶対、ケンカにならない話法』 で詳しく解説しましたが、もう一度、簡単にまとめておきましょう。
さて、以上の基本を踏まえて、冒頭の会話例を図にすると、こうなります。
会話例1
会話例2
前回、会話の矢印同士が交差する会話を「交差交流」と呼び、こうした交流では相互にストレスが蓄積されるという話をしました。
厳密に言うと、会話例1の矢印は交差していませんが、交差する角度で伸びているので、これも「交差交流」のうちに含めて考えることにしましょう。
会話例1の夫は、妻にも子ども同士のように楽しんでほしいのに、妻が親の自我、それも「批判的親(CP)」という厳しいスタンスで臨んだために、ストレスを抱え込むことになりました。
こういう交流が続くと、夫は妻に心を閉ざし、自分の趣味などの世界には妻に立ち入らせないようになって、「家庭内引きこもり」のような状態になる恐れもなきにしもあらず。
ここは、いったん、夫の感動を「無邪気な子ども(FC)」同士のように共有してみせたあとで、苦言は「お願い」という形で示すのがベター。
改善法を図で示しましょう。
会話例1の改善法
↓
一方、会話例2の彼女のほうは、「子どもの自我」を使って、カレに保護者(親の自我=P)のようなアドバイスをもらうことを期待しているのですが、カレが、「そんなことは自分で決めろ」と、おとなの姿勢(自立したおとなの自我=A)を見せたため、彼女は、冷たく突き放されたような気持ちになってしまいました。
この場合、相談を持ちかけた彼女のほうにも改善の余地がありなのですが、ここでは、カレの応答を改善。「自分で考えろ」といきなり突き放す前に、「キミはどうしたいの?」と彼女の意思を聞き出すひと言を付け加え、そのあとで彼女に冷静な判断を求める「おとな同士の会話」に持ち込むのが、ベターです。
この改善法も図にしてみましょう。
会話例2の改善法
↓
どうでしょう?
「ちょっと冷たい」と感じられる会話が、相手の望むスタンスをワンクッション挟み込むだけで、ずいぶん温かいものに変わったような気がしませんか?
このワンクッションが、ふたりの愛の会話には、とても貴重なものなのだと覚えておいてくださいね。次回も、この交流分析の手法を応用して、ふたりの会話の問題点を探ります。
★「エゴグラム」では自我の状態を次の3つに分けて考えます。
P=親の自我……相手を子どものように支配したり、面倒をみたりしようとする自我の状態。
これにはCP=批判的親、NP=養護的親の2種類がありますが、図の中では、どちらも「P」とだけ表します。
A=自立したおとなの自我……合理的、客観的な冷静な心で、他者と接しますが、しばしばその態度は、「冷たい」と受け取られることも。
C=子どもの自我……相手に依存したり、わがままを言って甘えたり、順応して「いい子」になろうとする自我の状態。
これにはFC=自由な子ども、AC=順応する子どもの2種類がありますが、図の中では、どちらも「C」とだけ表します。
★話し手の自我と聞き手の自我の相性
人が人に向かって話をするときは、だいたい、この3つの自我のどれかを使って話しているのですが、そのとき、話す側の自我状態と聞き手側の自我状態の間には、以下のような相性関係があります。
P(親的自我)で話すとき→相手が素直に耳を傾け、言うことを聞いてくれるか、同じ親同士としての対等な反応を期待。
▼期待する相手の自我=C(子どもの自我)、P(共感する親の自我)
▼歓迎しない相手の自我=A(冷静なおとなの自我)、P(支配的な親の自我)
A(おとなの自我)で話すとき→相手が冷静で、客観的な反応を示してくれることを期待。
▼期待する相手の自我=A(おとなの自我)
▼歓迎しない相手の自我=P(支配的にふるまう親の自我)、C(依存的な子どもの自我)
C(子どもの自我)で話すとき→相手がわがままや願いを聞き入れてくれるか、子ども同士として共感し合うことを期待。
▼期待する相手の自我=P(養護的または指導的な親の自我)、C(共感する子どもの自我)
▼歓迎しない相手の自我=A(冷静なおとなの自我)、P(過度に批判的な親の自我)
★図の⇒の意味
話し手が、自分のどんな自我から相手のどんな自我に向けて語りかけているかを示します。「P→C」とあれば、その人は自分の「親の自我」を使って、相手の「子どもの自我」に向けて語りかけている――ということになるわけです。
P=親の自我……相手を子どものように支配したり、面倒をみたりしようとする自我の状態。
これにはCP=批判的親、NP=養護的親の2種類がありますが、図の中では、どちらも「P」とだけ表します。
A=自立したおとなの自我……合理的、客観的な冷静な心で、他者と接しますが、しばしばその態度は、「冷たい」と受け取られることも。
C=子どもの自我……相手に依存したり、わがままを言って甘えたり、順応して「いい子」になろうとする自我の状態。
これにはFC=自由な子ども、AC=順応する子どもの2種類がありますが、図の中では、どちらも「C」とだけ表します。
★話し手の自我と聞き手の自我の相性
人が人に向かって話をするときは、だいたい、この3つの自我のどれかを使って話しているのですが、そのとき、話す側の自我状態と聞き手側の自我状態の間には、以下のような相性関係があります。
P(親的自我)で話すとき→相手が素直に耳を傾け、言うことを聞いてくれるか、同じ親同士としての対等な反応を期待。
▼期待する相手の自我=C(子どもの自我)、P(共感する親の自我)
▼歓迎しない相手の自我=A(冷静なおとなの自我)、P(支配的な親の自我)
A(おとなの自我)で話すとき→相手が冷静で、客観的な反応を示してくれることを期待。
▼期待する相手の自我=A(おとなの自我)
▼歓迎しない相手の自我=P(支配的にふるまう親の自我)、C(依存的な子どもの自我)
C(子どもの自我)で話すとき→相手がわがままや願いを聞き入れてくれるか、子ども同士として共感し合うことを期待。
▼期待する相手の自我=P(養護的または指導的な親の自我)、C(共感する子どもの自我)
▼歓迎しない相手の自我=A(冷静なおとなの自我)、P(過度に批判的な親の自我)
★図の⇒の意味
話し手が、自分のどんな自我から相手のどんな自我に向けて語りかけているかを示します。「P→C」とあれば、その人は自分の「親の自我」を使って、相手の「子どもの自我」に向けて語りかけている――ということになるわけです。
さて、以上の基本を踏まえて、冒頭の会話例を図にすると、こうなります。
会話例1

会話例2

前回、会話の矢印同士が交差する会話を「交差交流」と呼び、こうした交流では相互にストレスが蓄積されるという話をしました。
厳密に言うと、会話例1の矢印は交差していませんが、交差する角度で伸びているので、これも「交差交流」のうちに含めて考えることにしましょう。
会話例1の夫は、妻にも子ども同士のように楽しんでほしいのに、妻が親の自我、それも「批判的親(CP)」という厳しいスタンスで臨んだために、ストレスを抱え込むことになりました。
こういう交流が続くと、夫は妻に心を閉ざし、自分の趣味などの世界には妻に立ち入らせないようになって、「家庭内引きこもり」のような状態になる恐れもなきにしもあらず。
ここは、いったん、夫の感動を「無邪気な子ども(FC)」同士のように共有してみせたあとで、苦言は「お願い」という形で示すのがベター。
改善法を図で示しましょう。
会話例1の改善法

↓

一方、会話例2の彼女のほうは、「子どもの自我」を使って、カレに保護者(親の自我=P)のようなアドバイスをもらうことを期待しているのですが、カレが、「そんなことは自分で決めろ」と、おとなの姿勢(自立したおとなの自我=A)を見せたため、彼女は、冷たく突き放されたような気持ちになってしまいました。
この場合、相談を持ちかけた彼女のほうにも改善の余地がありなのですが、ここでは、カレの応答を改善。「自分で考えろ」といきなり突き放す前に、「キミはどうしたいの?」と彼女の意思を聞き出すひと言を付け加え、そのあとで彼女に冷静な判断を求める「おとな同士の会話」に持ち込むのが、ベターです。
この改善法も図にしてみましょう。
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↓

どうでしょう?
「ちょっと冷たい」と感じられる会話が、相手の望むスタンスをワンクッション挟み込むだけで、ずいぶん温かいものに変わったような気がしませんか?
このワンクッションが、ふたりの愛の会話には、とても貴重なものなのだと覚えておいてくださいね。次回も、この交流分析の手法を応用して、ふたりの会話の問題点を探ります。


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