人がその行為を鏡に写したがる理由

自分たちの行為を鏡に写したがる人たち
がいます。圧倒的に男のほうが多い。
実はコレ、自分を「他者イメージ」として
獲得したい心理に基づくのですが――。
性とエッチの《雑学》file.65 R15
このシリーズは真面目に「性」を取り上げるシリーズです。
15歳未満の方はご退出ください。
女性のみなさん、たとえばあなたがカレと一緒にラブホに行ったとしましょう。
そのラブホには、ふたりのベッドでの様子を写し出せる大きな鏡が備えられており、壁には、ふたりの様子を撮影できるVTRも設置されている。
さて、この鏡やVTRを使いたがるのは、どっちか?
女性の中にも、そういう趣味の人がいないわけではありませんが、筆者の知る限りでは、圧倒的に男性のほうだと思います。
そう。男は、自分たちの愛し合う姿を、鏡に写したり、ビデオに撮ったりしたがるのです。
なぜなのか?
本日は、その話をしたいと思うのですが、この話、意外と深いのです。
というのも、このナゾを解くためには、《「自分」って何?》ということから話を始めないといけないからです。
たぶん、1回では語りつくせないと思うので、2夜に分けてお届けすることになると思いますが、どうぞ、ごゆるりとおつき合いください。

水に映った「自分」に恋をするナルシスの物語
みなさんは、ナルシスという人の話を聞いたことがあるでしょうか?
そうです。「ナルシシズム」という言葉を生み出す語源となった、ギリシャ神話の中に出てくる美しい青年の名前です。
この青年の美しさに、森の娘たちも妖精たちも夢中になるのですが、この青年は、人を愛するということを知りませんでした。怒ったネメシスの女神は、この青年に呪いをかけます。
人を愛そうとしない者は、自分自身を愛するがいい。
あるとき、青年ナルシスは、水を飲みたくなって、泉の縁に身を屈めます。そこでナルシスは、それまで見たこともない美しい姿を発見して、たちまち心を奪われてしまいます。
それは、水に映った自分自身の姿でした。
自らの美しい姿に恋をしたナルシスは、その場を動くことができなくなり、そのまま死んでしまうのです。
この神話から、後に、「ナルシシズム=自己愛、自己陶酔」という言葉が生まれるのですが、この話を紹介したのは、自分たちの愛し合う姿を鏡に映したがる男が「ナルシスト」である――などと言うためではありません。
実は、このとき、ナルシスが水に映った自分の姿に恋をしたのと同じような経験を、私たちはみな、幼少期にしている――という話をするためです。
ナルシスが水面に発見したものは、自分自身の姿でしたが、同時にそれは、「恋の対象」となる「他者」でもありました。
人は、鏡を通して、「他者」である自分を発見する
このことを理論化して、「鏡像段階論」を唱えたのは、ジャック・ラカンという構造主義の精神分析学者でした。
ラカンの理論は非常に難解なので、ごくかみくだいてご紹介しましょう。
そのラブホには、ふたりのベッドでの様子を写し出せる大きな鏡が備えられており、壁には、ふたりの様子を撮影できるVTRも設置されている。
さて、この鏡やVTRを使いたがるのは、どっちか?
女性の中にも、そういう趣味の人がいないわけではありませんが、筆者の知る限りでは、圧倒的に男性のほうだと思います。
そう。男は、自分たちの愛し合う姿を、鏡に写したり、ビデオに撮ったりしたがるのです。
なぜなのか?
本日は、その話をしたいと思うのですが、この話、意外と深いのです。
というのも、このナゾを解くためには、《「自分」って何?》ということから話を始めないといけないからです。
たぶん、1回では語りつくせないと思うので、2夜に分けてお届けすることになると思いますが、どうぞ、ごゆるりとおつき合いください。

水に映った「自分」に恋をするナルシスの物語
みなさんは、ナルシスという人の話を聞いたことがあるでしょうか?
そうです。「ナルシシズム」という言葉を生み出す語源となった、ギリシャ神話の中に出てくる美しい青年の名前です。
この青年の美しさに、森の娘たちも妖精たちも夢中になるのですが、この青年は、人を愛するということを知りませんでした。怒ったネメシスの女神は、この青年に呪いをかけます。

あるとき、青年ナルシスは、水を飲みたくなって、泉の縁に身を屈めます。そこでナルシスは、それまで見たこともない美しい姿を発見して、たちまち心を奪われてしまいます。
それは、水に映った自分自身の姿でした。
自らの美しい姿に恋をしたナルシスは、その場を動くことができなくなり、そのまま死んでしまうのです。
この神話から、後に、「ナルシシズム=自己愛、自己陶酔」という言葉が生まれるのですが、この話を紹介したのは、自分たちの愛し合う姿を鏡に映したがる男が「ナルシスト」である――などと言うためではありません。
実は、このとき、ナルシスが水に映った自分の姿に恋をしたのと同じような経験を、私たちはみな、幼少期にしている――という話をするためです。
ナルシスが水面に発見したものは、自分自身の姿でしたが、同時にそれは、「恋の対象」となる「他者」でもありました。
人は、鏡を通して、「他者」である自分を発見する
このことを理論化して、「鏡像段階論」を唱えたのは、ジャック・ラカンという構造主義の精神分析学者でした。
ラカンの理論は非常に難解なので、ごくかみくだいてご紹介しましょう。

「自分」とは、鏡に映った「他者」である
生まれて間もない私たちには、「自分」という意識がありません。
ただ、ハラが減れば「何か食わせろ」とわめき、疲れたら眠り、ウン×がしたくなったら不快な顔をして「ワァワァ」と泣く――そんな、バラバラの欲動の集まりにすぎません。
そんな「私」という存在に、「これが自分だよ」を統一的なイメージとして提示するのが、「鏡像=鏡に映った自分の像」だと、ラカンは言うのです。
しかし、この像は、あくまで像であって、「私そのもの」ではありません。鏡に映った「自分」は、ナルシスが感じたように、愛すべき(ときには嫌悪すべき)「他者」です。その「他者」を、「統一的な自己イメージ」として引き受けるところから、「自我」が発生する――と、ラカンは言っています。
ラカンの理論によれば、この段階で、私たちは、「私そのもの」ではない「自我」を「仮面」のように身にまとっていくことになります。ラカンの言葉を借りれば、「自我」とは、
《イメージのうちに呈示された、見栄えのいい、本人お気に入りの仮面のこと》
ということになります。
私たちは、鏡を通して初めて、統一的イメージとしての「自分」を知ることができる。しかし、それは、あくまで「他者としてイメージされた自分」に他ならず、「自分そのもの」ではない。ここから、ラカンは、独自の理論を展開していくのですが、むずかしくなるので、この話は、これくらいにしておきましょう。

彼女のハラの上の、この男、だれだ?
話をラブホに戻します。
彼女をベッドに組み伏せた男は、チラと、壁に嵌め込まれた大きな鏡に目をやります。
そこに映っているのは、裸の美女の上に覆いかぶさって、汚いケツ(?)を動かしているひとりの男。
筆者も経験があるのですが、このとき、男は不思議な気分に捕らわれます。
この男、だれ?
エリカちゃんの脚を開かせて、きったねえケツを動かしてやがるこの男、
いったい、どこのどいつだよ?
あ、オレか……。
オレって、こんな粗野な男だったんだ。
まるでオレって、エリカを襲ってるデバガメ・オヤジみたいだな……。
もしかしたら、彼女に覆いかぶさる自分の姿を「なんてワイルドでステキなんだ」と思う人もいるかもしれませんが、いずれにしても、そのとき、鏡の中に男が見るものは、「自分でありながら自分ではない、自分のようなもの」です。
ここで、先ほどのラカンの鏡像理論を思い出してください。
ラカン流に言うなら、鏡の中で「汚いケツ」を動かしている「自分」は、「他者としての自分」です。
もうひとりの、「自分そのもの」は、彼女の肌の温度を感じ、荒い息を吐きながら、必死で体を動かしています。そんな「自分」が、「他者」として鏡に映し出されているのです。
「他者としての自分」は、若い彼女の肌をむさぼる汚いケツのオヤジ(私の場合ですが)にすぎません。
鏡を見ることによって、男は、彼女を愛する当事者でありながら、同時にそんな自分と自分の行為を傍観している観察者にもなるわけです。
ラカンの理論からすると、人が自分の姿を鏡に映すのは、獲得した「自己イメージ」を確認する行為、ということになるのでしょう。ラブホで鏡を使いたくなるのも、心理的には、「女を愛する自分」というイメージを鏡像として確認したい――という動機から、とも説明できます。
しかし、もしそういう動機なら、女性も同じように持っているはずです。
むしろ、日常的に自分の姿を鏡に映す回数は、圧倒的に女性のほうが多いはずです。
なのに、ラブホで鏡を使いたがるのは、どっちかと言うと、男。
どうも、これは、ベッドの中で、男性が能動的で征服者的、女性が受動的で被征服者的である――ということと、無関係ではないような気がします。
もし、女性のタイプが攻撃的で、男を責めて楽しむというタイプであれば、鏡に映したがるのは、もしかしたら女性側になるかもしれません。
というのも、鏡の中で人が確認したいと思っているのは、多くの場合「征服者として自分のイメージ」(まれに逆の場合もあるかもしれませんが)だからです。
男も、女も、鏡に映し出された「他者としての自分」が征服者であることに酔い、一段と劣情をかき立てられ、一層激しく、欲情をほとばしらせる。
これが、鏡を使いたがるひとつの理由です。
しかし、理由は、これだけではありません。
もうひとつ、その人の個人的性歴に起因する、ある重大な理由があるのですが、これについては、後日お届けする《続編》の中で、詳しく解説したいと思います。
筆者初の官能小説! 電子書店から発売中です!
盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
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クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
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筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
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既刊本もどうぞよろしく 写真をクリックしてください。






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