第8夜☆大きな愛は小さな愛を奪う?
AKI 人間は「愛」という言葉を発明した。だから、何の見返りも期待できないところでも、他人を思いやったり、困っている人を助けたりできるようになった。私がこの仕事をできるのも、幼稚園の先生が他人の子どもたちと愛情をもって接触できるのも、この「愛の発明」のおかげだ――と、かいつまんで言うと、ここまでの話は、そんな流れでしたね。
哲雄 ハイ、よくかいつまんでくださいました。
AKI かいつまむの、得意ですから……。
哲雄 つまむのは、別のものだったりしてね……。
AKI 怒りますよ。
哲雄 その「愛」という概念は、時代とともに進化をとげた。「進化」とボクが言っているのは、「愛」という概念が、どんどん純化されて、純化されるとともにその対象が広がっていったことを言ってるんだけどね……。
AKI ウーン……むずかしいなぁ。
哲雄 じゃ、まず「純化」ということについて話そうか。AがBを愛するのも、CがDを愛するのも、EがFを愛するのも、みな同じじゃないか、と気づくことで、人は「愛する」ということがどういうことかを知り、それで「愛」という言葉を発明したんだったよね。
AKI ハイ、そこまでは覚えてますよ。
哲雄 ところで、この、A:BとかC:Dという関係には、「○○だから愛する」という「○○だから」が含まれてる。たとえば、親子だったら、「わが子だから愛する」、恋人同士だったら、「私の大好きな○○さんだから」、クラスメートだったら、「同じクラスの仲間だから」……っていうふうにね。
AKI 別に、いいじゃないですか?
哲雄 いけないとは言ってない。でもね、この「だから」がついている限り、「愛」は普遍的なものにはならない。なぜなら、この「○○だから」の中には、報酬が含まれてるから。たぶん、キミは、「エーッ」って言うと思うけど。
AKI じゃ、言っちゃおう。エーッ!? 親の子に対する愛なんて、何の見返りも期待しない、純粋なものだと思うけど……。
哲雄 でも、キミは前にも言ったじゃないか。自分の気持ちの満足という報酬を得てるって。でね、問題はここからなんだ。その報酬をくれるのがだれかという問題。
AKI ま、親子だったら、子どもでしょうねェ。何も返してくれなくてもいいから、その子がそこにいて育ってくれている、というだけで満足。それにまさる報酬はない。
哲雄 いいお母さんになりそうだねェ。早くお父さんを見つけなくちゃねェ……。
AKI なに、ニヤニヤしてんですか?
哲雄 友だちだったら?
AKI 仲よくしてくれるってこと自体が報酬かなぁ。でも、仲よくできなくても、その人がこの世にいてくれるってだけで、私は満足かもしれないし……。
哲雄 クラスだったら?
AKI ウーン。クラスの一員としていられるってこと、私の居場所がそこにあるってことが、報酬と言えば報酬よねェ。
哲雄 というふうにさ、このA:B、C:Dという関係では、報酬は「愛してる」というその相手から返ってくる。目に見える形であれ、ただ気持ちの満足という形であれ……。
AKI そう言えばそうよね。
哲雄 でね、こうして愛する相手から報酬が返ってくる愛のことを、哲学用語では「エロス」という。別に、エッチな愛って意味じゃないよ。「エゴに導かれた愛」っていうぐらいの意味だと思っててほしいんだけど、愛を純化させるとは、この「エゴ」を取り除いていくというプロセスなんだ。さっきの言い方で言うと、「○○だから」の「だから」を取り除いていく。
AKI そんなこと、できるのかなぁ。
哲雄 できるんですね。人間は、理念としては、少しずつそれをやってきた。そのために必要なのは、もっと大きなもの、もっと高位なものへの愛に目覚めるってこと。
AKI もっと大きくて、もっと高位なもの? なんスか、それ?
哲雄 最初は、家族だけがその対象だったかもしれない。でも、そのうち部族とか氏族への愛が目覚める。こっから先は、西洋と東洋で発展の仕方が違うんだけど、ま、いまの社会制度はほとんど、西洋的発想で作られてるから、西洋で見てみようか。ま、西洋というより、中東まで含んだアブラハム系社会という範囲で見てみよう。
AKI アブラハム系社会? 何です、それ? 学校じゃ教わらなかったけど……。
哲雄 わかりやすく言うと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、このどれかの宗教的影響を受けている社会、という意味。元が同じだからね。
AKI 元が……?
哲雄 みんな、同じ神さまを信じてるってこと。エホバと言ったり、ヤーウェと言ったり、父と言ったり、アッラーと言ったりしてるけど、みんな同じ。ま、そんなことはどうでもいい。でね、これらの世界では、部族への愛がやがて、都市への愛、民族への愛、国家への愛(民族と国家は、順番が逆のこともあれば、国家=民族である場合もある)……というふうに発展していく。そして、いまは……。
AKI 地球への愛。
哲雄 オーッ、すばらしいーッ。なんか、ハグしたくなっちゃった。
AKI 60分、1万2000円です。
哲雄 高ッ!
AKI オイル・マッサージ付きのハグですからね、私のハグは。それで? 「地球への愛」で完成なの? 「愛の純化」のプロセスは?
哲雄 ぜんぜん。それもしょせん、エロスでしかない、と小生は考える。
AKI じゃ、行き着く先は?
哲雄 愛そのもの。何かを愛するという愛ではない愛。キリスト教的に言うと、神への愛。
AKI こりゃまた、むずかしい。
哲雄 だって、そうならざるを得ない。さっきまでの理屈で言うと、より大きな愛は、より大きなエゴに導かれる。そして、そのより大きなエゴの前では、小さなエゴは犠牲にしなさいと求められる。たとえば、一族全体への愛のためには、家族というエゴは犠牲にしなさい、と要求される。国家への愛のためには、家族というエゴや部族というエゴは犠牲にしなさいと求められる。地球全体への愛のためには、国家のエゴだって犠牲にしなさい、と求めるでしょう?
AKI 京都議定書とかもそうだよね。
哲雄 たいへん、よくできました。最後に行き着くのは、神への愛。すべてを犠牲にしなさいと求める。
AKI エーッ、それじゃ、生活できないよぉ。
哲雄 だよね。出家して、修道院とか寺にこもるしかなくなる。でも、そんなことは神さまも仏さまも望んじゃいない。
AKI じゃ、どう考えればいいんですか、小生。
哲雄 あのネ、小生っていうのは、自分のことをへりくだって言う言葉。他人が使っちゃいけないの。
AKI 失礼しやした~。それで、その答えは?
哲雄 一即多。多即一。
AKI な、何ですか、それ?
哲雄 ここから先は、次回ということにしましょう。
AKI ウーン……むずかしいなぁ。
哲雄 じゃ、まず「純化」ということについて話そうか。AがBを愛するのも、CがDを愛するのも、EがFを愛するのも、みな同じじゃないか、と気づくことで、人は「愛する」ということがどういうことかを知り、それで「愛」という言葉を発明したんだったよね。
AKI ハイ、そこまでは覚えてますよ。
哲雄 ところで、この、A:BとかC:Dという関係には、「○○だから愛する」という「○○だから」が含まれてる。たとえば、親子だったら、「わが子だから愛する」、恋人同士だったら、「私の大好きな○○さんだから」、クラスメートだったら、「同じクラスの仲間だから」……っていうふうにね。
AKI 別に、いいじゃないですか?
哲雄 いけないとは言ってない。でもね、この「だから」がついている限り、「愛」は普遍的なものにはならない。なぜなら、この「○○だから」の中には、報酬が含まれてるから。たぶん、キミは、「エーッ」って言うと思うけど。
AKI じゃ、言っちゃおう。エーッ!? 親の子に対する愛なんて、何の見返りも期待しない、純粋なものだと思うけど……。
哲雄 でも、キミは前にも言ったじゃないか。自分の気持ちの満足という報酬を得てるって。でね、問題はここからなんだ。その報酬をくれるのがだれかという問題。
AKI ま、親子だったら、子どもでしょうねェ。何も返してくれなくてもいいから、その子がそこにいて育ってくれている、というだけで満足。それにまさる報酬はない。
哲雄 いいお母さんになりそうだねェ。早くお父さんを見つけなくちゃねェ……。
AKI なに、ニヤニヤしてんですか?
哲雄 友だちだったら?
AKI 仲よくしてくれるってこと自体が報酬かなぁ。でも、仲よくできなくても、その人がこの世にいてくれるってだけで、私は満足かもしれないし……。
哲雄 クラスだったら?
AKI ウーン。クラスの一員としていられるってこと、私の居場所がそこにあるってことが、報酬と言えば報酬よねェ。
哲雄 というふうにさ、このA:B、C:Dという関係では、報酬は「愛してる」というその相手から返ってくる。目に見える形であれ、ただ気持ちの満足という形であれ……。
AKI そう言えばそうよね。
哲雄 でね、こうして愛する相手から報酬が返ってくる愛のことを、哲学用語では「エロス」という。別に、エッチな愛って意味じゃないよ。「エゴに導かれた愛」っていうぐらいの意味だと思っててほしいんだけど、愛を純化させるとは、この「エゴ」を取り除いていくというプロセスなんだ。さっきの言い方で言うと、「○○だから」の「だから」を取り除いていく。
AKI そんなこと、できるのかなぁ。
哲雄 できるんですね。人間は、理念としては、少しずつそれをやってきた。そのために必要なのは、もっと大きなもの、もっと高位なものへの愛に目覚めるってこと。
AKI もっと大きくて、もっと高位なもの? なんスか、それ?
哲雄 最初は、家族だけがその対象だったかもしれない。でも、そのうち部族とか氏族への愛が目覚める。こっから先は、西洋と東洋で発展の仕方が違うんだけど、ま、いまの社会制度はほとんど、西洋的発想で作られてるから、西洋で見てみようか。ま、西洋というより、中東まで含んだアブラハム系社会という範囲で見てみよう。
AKI アブラハム系社会? 何です、それ? 学校じゃ教わらなかったけど……。
哲雄 わかりやすく言うと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、このどれかの宗教的影響を受けている社会、という意味。元が同じだからね。
AKI 元が……?
哲雄 みんな、同じ神さまを信じてるってこと。エホバと言ったり、ヤーウェと言ったり、父と言ったり、アッラーと言ったりしてるけど、みんな同じ。ま、そんなことはどうでもいい。でね、これらの世界では、部族への愛がやがて、都市への愛、民族への愛、国家への愛(民族と国家は、順番が逆のこともあれば、国家=民族である場合もある)……というふうに発展していく。そして、いまは……。
AKI 地球への愛。
哲雄 オーッ、すばらしいーッ。なんか、ハグしたくなっちゃった。
AKI 60分、1万2000円です。
哲雄 高ッ!
AKI オイル・マッサージ付きのハグですからね、私のハグは。それで? 「地球への愛」で完成なの? 「愛の純化」のプロセスは?
哲雄 ぜんぜん。それもしょせん、エロスでしかない、と小生は考える。
AKI じゃ、行き着く先は?
哲雄 愛そのもの。何かを愛するという愛ではない愛。キリスト教的に言うと、神への愛。
AKI こりゃまた、むずかしい。
哲雄 だって、そうならざるを得ない。さっきまでの理屈で言うと、より大きな愛は、より大きなエゴに導かれる。そして、そのより大きなエゴの前では、小さなエゴは犠牲にしなさいと求められる。たとえば、一族全体への愛のためには、家族というエゴは犠牲にしなさい、と要求される。国家への愛のためには、家族というエゴや部族というエゴは犠牲にしなさいと求められる。地球全体への愛のためには、国家のエゴだって犠牲にしなさい、と求めるでしょう?
AKI 京都議定書とかもそうだよね。
哲雄 たいへん、よくできました。最後に行き着くのは、神への愛。すべてを犠牲にしなさいと求める。
AKI エーッ、それじゃ、生活できないよぉ。
哲雄 だよね。出家して、修道院とか寺にこもるしかなくなる。でも、そんなことは神さまも仏さまも望んじゃいない。
AKI じゃ、どう考えればいいんですか、小生。
哲雄 あのネ、小生っていうのは、自分のことをへりくだって言う言葉。他人が使っちゃいけないの。
AKI 失礼しやした~。それで、その答えは?
哲雄 一即多。多即一。
AKI な、何ですか、それ?
哲雄 ここから先は、次回ということにしましょう。
- 関連記事
-
- 第9夜☆この小さな愛を通して世界を愛する (2009/02/22)
- 第8夜☆大きな愛は小さな愛を奪う? (2009/02/19)
- 第7夜~愛せるのは、愛が発明されたから? (2009/02/16)