緩い急行、遥かな愛〈14〉 昌子の祈り



追憶   連載小説 
 緩やかな急行、遥かな愛
  1966~75
 「急行霧島」が運んだ
 「愛」と「時代」
  第14章 

キャンパスが「政治の季節」へと
突入する中、その集会、
大学キリスト者の全国大会は
開かれた。キリスト者は政治と
どう関わるべきか、ここでも、
リベラルと保守は、ぶつかり合った。
そんな中、祈りに立った昌子は――。

157 この話は連載15回目です。この話を最初から読みたい方は、こちらから、
前回から読みたい方は、こちらからどうぞ。
 ここまでのあらすじ  横浜の大学から福岡へ帰省する私は、京都の女子大から鹿児島へ帰省する上園雅子と、「急行・霧島」で同席することになった。やがて迎える政治的激動の時代への序章。列車の中で私たちは、季節労働者に違いない赤鉢巻の男と同席するが、男が岡山で下車すると、私たちの距離は、少し縮まった山陽路の暗い闇を走る間、私たちは睡魔に襲われ、夢路の中で手をつなぎ合った。聖書を片手にしながら、大学の合唱団に所属する私と昌子。しかし、ふたりのキャンパスにも、静かに政治の風が吹き始めていた。ベトナムでは米軍の北爆が激しさを増し、各地で反戦運動が起こっていた。そんな中、私が所属する合唱団は演奏旅行をやることになり、その最終日、京都で昌子たちの合唱団とジョイントすることになった。「どうせだったら、京都で一泊すれば」と言い出したのは、昌子だった。昌子が手配した宿は、K大の学生寮だった。案内した高城は、昌子をオルグしようとしている高城という男だった。寮に着くと、高城は、「こんなの見たことあるか?」と、一冊の小冊子と酒を持って部屋にやって来た。「火炎瓶は投げるか、投げないか」をめぐって、私と高城は論争し、そのうち、私は酔いつぶれた。翌朝、迎えに来た昌子は、ふたりの酒を責め、翌日の京都見物を「哲学の道」の散策に切り替えた。「愛に思想は必要か?」と問う昌子と私は、鴨川の川辺で暮れなずむ京都の街を眺めながら、唇を重ね合った。秋になると、私たちの世界は、にわかに騒がしくなった。ヘルメットと角材で武装した学生のデモ隊が、羽田で機動隊とぶつかり、京大生が命を落とした。政治の季節へと向かうキャンパス。そんな中、「キリスト教系学生」の全国大会が開かれた――



 米軍は、毎日のように北ベトナムにB52を飛ばして、無差別爆撃を続けていた。
 ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の活動の拠点となっていた南ベトナムのジャングルは、連日、枯葉剤を散布されて、丸裸にされつつあった。
 米を作る南ベトナムの農民たちの村落は、ベトコンを匿う恐れがあるということで、強制移住を命じられ、それに従わず、怪しいと判断された農民たちの家は、村落ごと焼き払われていた。
 アメリカ国内では、4月にニューヨークで、10月にはワシントンで、大規模な反戦集会が開かれ、この動きにヒッピーや反戦帰還兵たちも同調して、「反戦」は、米国内でも大きなうねりになっていた。
 アメリカでの反戦運動は、単なる「反戦」ではなく、既存の体制や文化への反発という要素も持っていたため、旧来の価値体系に依存しようとする保守層との間に、大きな軋轢を生み出していった。
 キリスト教界も、保守派とリベラル派のまっ二つに分かれていた。
 その年の「大学キリスト者全国協議会」は、そんな中で開かれた。

          クローバー

 「われわれは、聖書が教示する価値をこそ唯一の価値として、それに殉じる知的使命を帯びている。その価値を破壊しようとする者たちとは、自らの血を流してでも闘うべきではないのか。私は、悪に立ち向かう十字軍の若者たちを支援し、祈りを捧げることこそ、キリスト者の正しいありようだと考える」
 F大の若原たちは、そう主張した。その頃、アメリカでも勢いを増しつつあった「原理主義」に与する主張だった。

 「ならば、キミに聞こう。キミの言う《聖書が教示する価値》とは、いったい何だ? 悪に立ち向かう十字軍だと? キミは、十字軍が略奪者の群れであったことを知らないのか? バチカンでさえ、それを認めて謝罪しているではないか。それに、キミの言う《悪》とは何か?」
 T大の楠本たちは、若原たちにかみついた。H大、K大、W大などのリベラル派に属するメンバーも、それに同調した。

 「聖書が教示する価値とは、創造主である神を唯一絶対の神として信じ、キリストの復活を信じることだ。それを否定する者たち、否定して人間の価値を物の価値に置き換えようとする思想。それこそ、われわれが闘わなければならない《悪》の正体だ」
 「キミは、共産主義や社会主義が、人間の価値を物の価値に置き換える思想だとでも言うつもりか! ならば、《資本》を《物神化》している資本主義はどうなんだ? その資本の利益のために、強大な軍隊の力でアジアを焼き尽くそうとしている連中は、キミの言う《悪》ではないのか?」

 「そうだ」とヤジが飛び、会場の半数以上が拍手を送った。その中に、昌子の姿もあった。
 会議は、のっけから対決色が濃厚となった。
 これじゃまずい――と、ボクは手を挙げた。

 「ちょっと議論が横道に逸れているような気がするので、修正を提案したい。聖書が教示している価値を何よりも重要と考える、その点については、ここにいるだれも異存はないはずだ。しかし、その価値に、資本主義が合致しているか、共産主義のほうがふさわしいか――などという議論は、ナンセンスだ。資本主義か、共産主義かは、政治社会の問題として、純粋に政治社会学的に議論されるべきであり、われわれが、いま、ここで議論すべき内容ではないと思う。われわれがここに集まったのは、私たちはベトナムをどう考えるか? というテーマについて、実存的にわれわれの答えを見出すためではないのか?」

 「そのとおり」と、会場のいちばん後ろから声がかかった。浅黒い肌に精悍な顔つき。昌子と一緒に、オブザーバーとして参加した落合牧師だった。
 その落合牧師が、「私もひと言、いいですか?」と、立ち上がった。

 「イエスは、カエサル(皇帝)のものは、カエサルに、と言いました。つまり、政治のことは、政治にまかせましょう、ということです。ここで、政治家のように政治のことを論ずることが、キリスト者として集まった私たちにふさわしいこととは、私にも思えません。ではなぜ、いま《ベトナム》をテーマとして取り上げるのか? それは、この戦争が、当事者であるベトナムの人々にも、アメリカの若者たちにも、それに、多かれ少なかれこの戦争に関与している私たち日本の若者にも、言いようのない苦痛を与え、その心を傷つけているからです。私たちにできることはただひとつ。それらの苦痛が取り除かれることを祈るしかありません。その祈りとして、私たちがとるべき行動は何か? それを、いま、秋吉委員が言われたように、実存的に考えること。それこそ、私たちがここに集まった理由ではありませんか?」

 「異議なし!」と、会場の過半数から声がかかった。
 席に戻りながら、落合牧師がポンとボクの肩を叩いた。少し離れた席で、昌子が親指を立てて見せた。
 しかし、それで一件落着とはならなかった。
 なるはずがない。

 では、その祈りとは何か?
 キリスト者の実存とは何か?
 祈りとしての行動とは何か?
 デモや座り込みやハンガーストライキも、「祈りの行動」と考えるべきか?

 3泊4日の協議会の日程は、そんな議論で埋め尽くされた。

          クローバー

 3泊目、最後の夜は、キャンプファイアを囲んでの祈祷会になった。
 燃え上がるファイアを囲んで、銘々が自分の想いを「祈り」の形で口にした。
 プロテスタントの各派には、決められた祈祷文というものはない。それぞれが、自分の感じる感謝や願いを「イエス・キリストの御名を通して」と神に捧げる。
 中に、「それは違うだろう」と思うような内容が含まれていたとしても、それをとがめることはしない。それが、「信仰は自らの告白によってこそ行われるべき」と考えるプロテスタント各派に共通のスタンスだからだ。 何人かが、祈りを捧げた。
 ある者は、「ベトナムに平和を」と祈り、ある者は「この世に正義が実現されますように」と祈り、ある者は「私たちの討論が実りあるものとなりますように」と祈った。
 そんな祈りが何人か続いたあと、「イエス・キリストの父なる神様」と呼びかける一段と澄んだソプラノが、凛と冷えた晩秋の夜空に響いた。
 上園昌子の声だった。

 《きょう、私たちは、この場に集まって、
 いま、世界で起こっている不幸なできごとについて、語り合うことができました。
 私たちをこの場にいざない、つたない議論を見守ってくださった
 あなたのお導きに感謝申し上げます。
 私たちの目に映る世界の片隅では、いまも、不幸な争いのために、
 多くの若者、老人、そして子どもまでもが、
 傷つき、苦しみ、命を落としています。
 そんな状況を生きるキリスト者として、私たちに何ができるか、
 懸命に知恵を出し合いましたが、
 私たちの知恵はあまりにも貧しく、そして無力です。
 それでも私たちは、
 あなたが御子イエスの血をもってあがなってくださったこの世界が、
 人々の愛で満たされ、平和な笑顔で満ちあふれるように、
 このつたない知恵と力を振り絞らなくてはなりません。
 そんな私たちに、どうか、あなたのお力をお貸しください。
 そして何より、
 不幸な戦いのために命を落とした人たちの魂をお救いください。
 残された家族、友人、愛する人たちの悲しみをお癒しください。
 不幸にも彼らの血を犠牲としなければならなかった者たちの罪をお赦しください。
 その罪ゆえに悩み、苦しむ者たちの心に、愛のあるべき道をお示しください。
 闘う者たちの心の目が、怒りの炎で曇ってしまうことがありませんよう、
 それを見つめる私たちの目が、思いあがりや偏見や無知や欲望ゆえに、
 濁ってしまうことがありませんよう、
 あなたの愛でお導きください。

 最後に……
 この場に集ったすべての者たち、
 小さくて、無力で、罪深い私たちの日々が、
 心の平安と豊かな愛で満たされますよう、
 どうか、どうか……私たちにほんの少しの勇気と知恵をお与えください。
 言葉足らずで、思いもいたらない、この小さな祈りを
 われらが主イエス・キリストの御名を通して、
 御前にお捧げいたします。アーメン》

 「アーメン」とみんなで唱和したあと、沈黙がその場を支配した。
 ただ、焚き火のパチパチとはじける音だけが聞こえている。
 だれも後に続く者がいなかった。いや、だれも続けなかった。
 静かに目を開けると、昌子はまだ、両手を胸の前に組み合わせたまま、頭をたれて目を閉じていた。
 焚き火の赤い炎が、その横顔を照らしていた。
 美しい……と思った。
 だれも、手を触れることのできない、手を触れようとさえ思えない美しさだった。
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