緩い急行、遥かな愛〈9〉 彼女を洗脳する男

緩やかな急行、遥かな愛
1966~75
「急行霧島」が運んだ
「愛」と「時代」 第9章
最終日、京都公演が終わると、私は、
約束の大橋の袂で昌子と落ち合った。
その彼女の背後に立つ男を「きょうの
民宿のおじさん」と紹介する昌子。
K大の学生寮に住む高城と名乗る男。
昌子の洗脳を試みる男だった――。
約束の大橋の袂で昌子と落ち合った。
その彼女の背後に立つ男を「きょうの
民宿のおじさん」と紹介する昌子。
K大の学生寮に住む高城と名乗る男。
昌子の洗脳を試みる男だった――。

前回から読みたい方は、こちらからどうぞ。
ここまでのあらすじ 横浜の大学から福岡へ帰省する私は、京都の女子大から鹿児島へ帰省する上園雅子と、「急行・霧島」で同席することになった。やがて迎える政治的激動の時代への序章。列車の中で私たちは、季節労働者に違いない赤鉢巻の男と同席するが、男が岡山で下車すると、私たちの距離は、少し縮まった山陽路の暗い闇を走る間、私たちは睡魔に襲われ、夢路の中で手をつなぎ合った。聖書を片手にしながら、大学の合唱団に所属する私と昌子。しかし、ふたりのキャンパスにも、静かに政治の風が吹き始めていた。ベトナムでは米軍の北爆が激しさを増し、各地で反戦運動が起こっていた。そんな中、私が所属する合唱団は演奏旅行をやることになり、その最終日、京都で昌子たちの合唱団とジョイントすることになった。「どうせだったら、京都で一泊すれば」と言い出したのは、昌子だった――
橋の袂で手を振っている人がいた。
ジーンズに白いTシャツ。肩の下まで伸びた髪が、鴨川を渡ってくる生ぬるい風に揺れている。その髪が頬にかかるのを左手でかき上げながら、その人は、まっすぐ上に伸ばした右手を、跳び上がるようにして振り続けている。
私が手を振り返すと、その人の手は、ちぎれるんじゃないかと思うくらい、激しく振られた。久しぶりに帰ってきた私を迎える実家のスコッチ・テリアのシッポだって、あんなに激しくは振られないだろう、と思うくらい……。
「打ち上げ、早めに終わったんやなぁ」
「ウン、これから夜行で東京に帰る人もいるし……」
「疲れてるんと違う?」
「8日間で7都市だもん。体はヘトヘト。でも、精神は元気だよ」
「ジョイント、よかったわぁ。さすが、グリークラブ。ハーモニーがごっつきれいやったわ」
いつもより、関西弁が多い上園昌子のしゃべり方。それを、後ろでニヤニヤしながら聞いている男がいた。
やたら背の高い男。昌子の頭のてっぺんが、あごの下におさまりそうな長身だ。口からあごにかけてヒゲを伸ばし、目には黒ブチの度の強そうな眼鏡をかけている。
最初は、知らない男がボクと昌子のやりとりを立ち聞きしているのかと思った。だとしたら、無礼なやつだ。
しかし、違った――。

「あ、そや。紹介しとかんと……」
昌子が後ろを振り返り、そのヒゲ男の腕を引いて前に押し出した。
「きょうの、民宿のおじさん」
「ミ、ミ・ン・シ・ュ・ク……?」
「せめて、《人民宿》ぐらいゆうてぇな」と、男が苦笑いした。
「はじめまして。K大の3回生で、高城言います。秋吉クン……でしたよね? 昌子からいろいろウワサはお聞きしてます」
言うなり、高城と名乗った男は、手を差し出してきた。
私が手を出すと、その手をまるでシベリアから帰還した兵士を迎えるような調子で、力いっぱい握り締めてくる。
呆気にとられている私を見て、昌子がクスリと笑った。
「ビックリした? ゴメンね。この人な、うちらが合同練習してるK大の合唱団の先輩なんよ。ホラ、ゆうたでしょ? 私を洗脳しようとして、うるさくゆうてくる人がおるんよぉ……て。その人」
「エッ!? 今度は、ボクを洗脳させようってわけ?」
「いやいや、とんでもない。キミんとこは、全学連委員長のおヒザ元やないですか? そんな大それたことは考えてませんよ。それに、キミの右手には、しっかり聖書が握られてるゆうし……」
昌子は、そんなことまで話してるんだ、この男に――と思った。
そして、男は、彼女を「昌子」と呼び捨てにする。ふたりの間に、私にはうかがい知れない絆があるように思えて、私は一瞬、たじろいだ。
ジーンズに白いTシャツ。肩の下まで伸びた髪が、鴨川を渡ってくる生ぬるい風に揺れている。その髪が頬にかかるのを左手でかき上げながら、その人は、まっすぐ上に伸ばした右手を、跳び上がるようにして振り続けている。
私が手を振り返すと、その人の手は、ちぎれるんじゃないかと思うくらい、激しく振られた。久しぶりに帰ってきた私を迎える実家のスコッチ・テリアのシッポだって、あんなに激しくは振られないだろう、と思うくらい……。
「打ち上げ、早めに終わったんやなぁ」
「ウン、これから夜行で東京に帰る人もいるし……」
「疲れてるんと違う?」
「8日間で7都市だもん。体はヘトヘト。でも、精神は元気だよ」
「ジョイント、よかったわぁ。さすが、グリークラブ。ハーモニーがごっつきれいやったわ」
いつもより、関西弁が多い上園昌子のしゃべり方。それを、後ろでニヤニヤしながら聞いている男がいた。
やたら背の高い男。昌子の頭のてっぺんが、あごの下におさまりそうな長身だ。口からあごにかけてヒゲを伸ばし、目には黒ブチの度の強そうな眼鏡をかけている。
最初は、知らない男がボクと昌子のやりとりを立ち聞きしているのかと思った。だとしたら、無礼なやつだ。
しかし、違った――。

「あ、そや。紹介しとかんと……」
昌子が後ろを振り返り、そのヒゲ男の腕を引いて前に押し出した。
「きょうの、民宿のおじさん」
「ミ、ミ・ン・シ・ュ・ク……?」
「せめて、《人民宿》ぐらいゆうてぇな」と、男が苦笑いした。
「はじめまして。K大の3回生で、高城言います。秋吉クン……でしたよね? 昌子からいろいろウワサはお聞きしてます」
言うなり、高城と名乗った男は、手を差し出してきた。
私が手を出すと、その手をまるでシベリアから帰還した兵士を迎えるような調子で、力いっぱい握り締めてくる。
呆気にとられている私を見て、昌子がクスリと笑った。
「ビックリした? ゴメンね。この人な、うちらが合同練習してるK大の合唱団の先輩なんよ。ホラ、ゆうたでしょ? 私を洗脳しようとして、うるさくゆうてくる人がおるんよぉ……て。その人」
「エッ!? 今度は、ボクを洗脳させようってわけ?」
「いやいや、とんでもない。キミんとこは、全学連委員長のおヒザ元やないですか? そんな大それたことは考えてませんよ。それに、キミの右手には、しっかり聖書が握られてるゆうし……」
昌子は、そんなことまで話してるんだ、この男に――と思った。
そして、男は、彼女を「昌子」と呼び捨てにする。ふたりの間に、私にはうかがい知れない絆があるように思えて、私は一瞬、たじろいだ。

「そしたら、高城さん、秋吉さんのこと、ひと晩、お願いします。私、明日の朝、寮の前まで迎えに行きますから。もう、ヘンなこと洗脳せんといてくださいよ」
「昌ちゃんの色男に、そんなことしいへん。ちょっと、世界について語り合うだけや。ほな、行きましょか?」
私は、どうやら高城のいる学生寮に、一夜の宿をとる――という話になっているらしかった。学生同士の間では、それは珍しいことでも何でもない。
「オンボロの寮やけど、もう夏休みに入ってるし。帰省してるヤツも多いんで、部屋はメチャクチャ空いてるんや。好きな部屋、使うてもろてええから」
言いながら歩き出した高城の後について行こうとすると、昌子が「秋吉さん」と呼び止めた。
「あの人、話、しつこいし。適当に聞き流して、ちゃんと寝てな。明日、いっぱい行きたいところあるんやから」
それだけ耳打ちすると、昌子は「じゃ、明日」と手を振って、信号を反対側へ渡っていった。
「ええ子でしょ?」
昌子の姿を見送りながら、高城が言う。
私には、「はぁ」としか答えようがない。
「その様子じゃ、まだ、何もしてませんね?」
「カンベンしてくださいよ。ボクたち、そういうんじゃ……」
「じゃ、まだメッチェンなんだ、昌ちゃん。キミ、グズグズしてると、ネラっちゃいますよ、ボクが」
「エッ……?」
「ハハ……ジョーダン、ジョーダン」
大またで歩いていく高城の後を追いながら、私の胸の中には、不安の風が吹き始めていた。
昌子のそばにいるこの大男、油断がならない――。

高城が案内した学生寮は、木造の2階建てで、確かにオンボロではあったが、オンボロ程度では、うちの大学の寮も負けてない。
一歩、踏み出すたびにギシギシと音を立てる階段を上っていくと、広い廊下に出た。その廊下を挟んで左右に居室が並んでいるが、高城の言うとおり、すでに夏休みに突入した寮の中は、シンと静まり返っていた。
「おう、高城。客人か?」
唯一、灯りのついた部屋から、パンツ一枚の男が顔を出して声をかけてきた。
「横浜からや。きょうは、ゲスト・ルームは空いてるんかな?」
「開店休業とちゃうか。好きなだけ使うたらええ」
「ほな、そうさせてもらお。汗臭いやつの布団に潜り込むより、そのほうが気分いいやろ?」
「そりゃええけど、明日から、食堂、休みやで」
「兵糧攻めか? そりゃ、しんどいな。秋吉クン、素泊まりになってしまうけど、それでもええかな?」
高城が私のほうを見てすまなそうに言うので、「腹のほうは大丈夫です」と答えた。
「どうせ、朝、昌ちゃんと会うのやろ? どっかで、ふたりでモーニングでも食べたらええ」
「なんや、客人は、昌ちゃんの知り合いかい? 残念なこっちゃな、高城」
「アホ。程度の低いこと言うな。ワシも、この人も、そんなんとちゃうわい」
上園昌子は、ここでも名前を知られているらしかった。
そして、どうやら、高城が昌子のただのサークルの先輩という立場でないらしいことも、うっすらと想像できた。

案内されたゲスト・ルームは、他大学などからやって来る訪問者のために用意されている空き部屋だった。ガランとした部屋に二段ベッドが2つ用意され、あとはちゃぶ台がひとつあるだけの簡素な作りだった。
汗でベトベトになった服を脱ぎ、短パン一枚になって上半身の汗を拭いていると、高城が一升瓶とコップを2つ持ってやって来た。
「昌ちゃんに言われてるから、ムリにとは勧めませんけど、ま、寝酒に一杯ぐらい、どうです?」
ちゃぶ台にコップをドンと2つ並べて置き、一升瓶の酒をトクトクと注いでいく。
なんや、この男、酒もようつき合わんのか――とは思われたくないので、「そしたら、一杯だけ」と、コップを持ち上げて乾杯した。
「そや。キミ、こんなん、見たことあるかな?」
高城が、いきなり、小脇に抱えてきた小冊子を私の前に広げて見せた。
ワラ半紙に謄写版で印刷した、粗末な冊子だった。
表紙には『武装闘争要綱』とある。
中のページを開いて、驚愕した。
いきなり出てきたのは、イラスト入りで解説された《火炎瓶の作り方》だった。
⇒続きを読む
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盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
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筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
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明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
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ある日、その秘密を知った??。
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