緩い急行、遥かな愛〈8〉 奇跡のジョイント

緩やかな急行、遥かな愛
1966~75
「急行霧島」が運んだ
「愛」と「時代」 第8章
米軍が北ベトナムへの北爆を
始めた翌年の夏休み、私の合唱団は
演奏旅行をすることになり、最終日、
京都で昌子たちの合唱団とジョイント
することになった。喜んだ昌子は、
「京都で一泊すれば」と言い出した。
宿は自分が手配するから――と。
始めた翌年の夏休み、私の合唱団は
演奏旅行をすることになり、最終日、
京都で昌子たちの合唱団とジョイント
することになった。喜んだ昌子は、
「京都で一泊すれば」と言い出した。
宿は自分が手配するから――と。

前回から読みたい方は、こちらからどうぞ。
ここまでのあらすじ 横浜の大学から福岡へ帰省する私は、京都の女子大から鹿児島へ帰省する上園雅子と、「急行・霧島」で同席することになった。やがて迎える政治的激動の時代への序章。列車の中で私たちは、季節労働者に違いない赤鉢巻の男と同席するが、男が岡山で下車すると、私たちの距離は、少し縮まった山陽路の暗い闇を走る間、私たちは睡魔に襲われ、夢路の中で手をつなぎ合った。聖書を片手にしながら、大学の合唱団に所属する私と昌子。しかし、ふたりのキャンパスにも、静かに政治の風が吹き始めていた――
ベトナムで南ベトナム解放戦線と対峙するアメリカ軍が、大規模な「北爆」を開始したのは、私たちがまだ大学1年生のときだった。
解放戦線を支援する北ベトナムを、直接、攻撃するために、米軍はB52を北ベトナムに飛ばして、第二次大戦中の日本への空襲に匹敵するような絨毯爆撃を敢行した。
この大規模な空爆は、学校や病院を誤爆するなどの事態が相次ぎ、一般市民にも多大な犠牲者を出して、ナパーム弾で火傷を負った子どもたちのケロイド状にただれた皮膚や、腕や足を失った子どもたちの姿などが、盛んにメディアにも登場するようになった。
「反戦運動」は、最初、アメリカ国内での市民運動として盛り上がっていった。
その頃のアメリカは、「公民権運動」のまっただ中だった。黒人に対等な市民権を実現しようとする運動の先頭に、マルチン・ルーサー・キング牧師が立っていた時代だった。
「公民権運動」と「反戦運動」は、大学での自治権を主張する学生運動とも結びつき、全米に広がる気配を見せていた。そのうねりは、パリにも、ロンドンにも、そして日本にも押し寄せつつあった。
日本で「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が結成されたのも、その年だった。
私の机の上のトランジスタ・ラジオから流れる深夜放送は、しきりにピーター・ポール・アンド&マリーの『花はどこへ行った』や『風に吹かれて』を流していた。ジョーン・バエズは『We shall overcome』を歌い、ジェーン・フォンダは反戦デモの先頭に立っていた。
左手に『聖書』を、右手に『共産党宣言』を握りしめたままの私は、そんな世界の動きの中で、自分の立つべき位置を探しあぐねていた。
「キリスト者には、キリスト者として、この時代に対して主張すべきことがあるんじゃないか?」
と、ある者たちは主張した。
「いや、政治や社会のことは、あくまで政治思想として捉えるべきで、そこに聖書を絡ませるのはおかしい」
と主張する者たちもいた。
大学に入学以来、関わってきたキリスト教系学生組織の中では、いつも、そのことが議論の対象となった。
上園昌子も、教会を通して、その問題に直面していた。
昌子は、社会活動に熱心な教会の牧師とともに、奉仕活動を通して「社会」にコミットするという方法をとっていた。しかし、その昌子の背後から、「もっと政治的であれ」と熱く語りかけてくる声がある。その声の主は、昌子のわりと近くにいて、昌子の耳に熱いメッセージを吹き込み続けている。
いったい、どんなやつだ?
私の中には、その男に対する特別な興味が芽生えていた。それは、単に、思想的な……というだけではない興味だった。

2年の夏休み、私が所属する男性合唱団は、関東~関西にかけての7都市を、演奏旅行で回ることになった。
その最終公演地が、京都に決まった。
京都での演奏会はジョイントということになった。そのジョイントの相手が、K女子大の「フローラル・コール」と聞かされたときには、思わず声を挙げそうになった。「フローラル・コール」は、昌子が所属する合唱団だった。
早速、昌子に、手紙でそのことを知らせると、1週間後に返事が返ってきた。
「京都で一泊」の文字に、心が躍った。
しかし、「宿は、私のほうで」の一文に、不安が胸を掠めた。
昌子が手配する宿……? 顔が広い……?
期待と不安が交差したまま、2年生の前期は、過ぎていった。
解放戦線を支援する北ベトナムを、直接、攻撃するために、米軍はB52を北ベトナムに飛ばして、第二次大戦中の日本への空襲に匹敵するような絨毯爆撃を敢行した。
この大規模な空爆は、学校や病院を誤爆するなどの事態が相次ぎ、一般市民にも多大な犠牲者を出して、ナパーム弾で火傷を負った子どもたちのケロイド状にただれた皮膚や、腕や足を失った子どもたちの姿などが、盛んにメディアにも登場するようになった。
「反戦運動」は、最初、アメリカ国内での市民運動として盛り上がっていった。
その頃のアメリカは、「公民権運動」のまっただ中だった。黒人に対等な市民権を実現しようとする運動の先頭に、マルチン・ルーサー・キング牧師が立っていた時代だった。
「公民権運動」と「反戦運動」は、大学での自治権を主張する学生運動とも結びつき、全米に広がる気配を見せていた。そのうねりは、パリにも、ロンドンにも、そして日本にも押し寄せつつあった。
日本で「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が結成されたのも、その年だった。
私の机の上のトランジスタ・ラジオから流れる深夜放送は、しきりにピーター・ポール・アンド&マリーの『花はどこへ行った』や『風に吹かれて』を流していた。ジョーン・バエズは『We shall overcome』を歌い、ジェーン・フォンダは反戦デモの先頭に立っていた。
左手に『聖書』を、右手に『共産党宣言』を握りしめたままの私は、そんな世界の動きの中で、自分の立つべき位置を探しあぐねていた。
「キリスト者には、キリスト者として、この時代に対して主張すべきことがあるんじゃないか?」
と、ある者たちは主張した。
「いや、政治や社会のことは、あくまで政治思想として捉えるべきで、そこに聖書を絡ませるのはおかしい」
と主張する者たちもいた。
大学に入学以来、関わってきたキリスト教系学生組織の中では、いつも、そのことが議論の対象となった。
上園昌子も、教会を通して、その問題に直面していた。
昌子は、社会活動に熱心な教会の牧師とともに、奉仕活動を通して「社会」にコミットするという方法をとっていた。しかし、その昌子の背後から、「もっと政治的であれ」と熱く語りかけてくる声がある。その声の主は、昌子のわりと近くにいて、昌子の耳に熱いメッセージを吹き込み続けている。
いったい、どんなやつだ?
私の中には、その男に対する特別な興味が芽生えていた。それは、単に、思想的な……というだけではない興味だった。

2年の夏休み、私が所属する男性合唱団は、関東~関西にかけての7都市を、演奏旅行で回ることになった。
その最終公演地が、京都に決まった。
京都での演奏会はジョイントということになった。そのジョイントの相手が、K女子大の「フローラル・コール」と聞かされたときには、思わず声を挙げそうになった。「フローラル・コール」は、昌子が所属する合唱団だった。
夏休みの演奏旅行で、あなたの合唱団とジョイントすることになりました。
ちょっとビックリだけど、お会いできるのが楽しみです。
ボクたちは、京都で現地解散なので、そのまま帰省するつもりですが、
昌子さんのご予定はいかがですか?
ちょっとビックリだけど、お会いできるのが楽しみです。
ボクたちは、京都で現地解散なので、そのまま帰省するつもりですが、
昌子さんのご予定はいかがですか?
早速、昌子に、手紙でそのことを知らせると、1週間後に返事が返ってきた。
私も、聞かされて驚いているところです。
「霧島」でハモってるから、私たちのアンサンブルはバッチリですよね。
私も、演奏会が終わったら、帰省する予定ですが、
もし、よかったら、京都で一泊しませんか?
せっかくだから、京都をご案内したいので……。
宿は、私のほうで何とかします。
あ、費用の心配はご無用に。
これでも、顔が広いんですよ、私。
それでは、お目にかかるのを楽しみにしてますね。
「霧島」でハモってるから、私たちのアンサンブルはバッチリですよね。
私も、演奏会が終わったら、帰省する予定ですが、
もし、よかったら、京都で一泊しませんか?
せっかくだから、京都をご案内したいので……。
宿は、私のほうで何とかします。
あ、費用の心配はご無用に。
これでも、顔が広いんですよ、私。
それでは、お目にかかるのを楽しみにしてますね。
「京都で一泊」の文字に、心が躍った。
しかし、「宿は、私のほうで」の一文に、不安が胸を掠めた。
昌子が手配する宿……? 顔が広い……?
期待と不安が交差したまま、2年生の前期は、過ぎていった。

《Y大学グリークラブ&K女子大学フローラル・コール joint in KYOTO》は、演奏旅行の最終日、うどん屋の釜の底のような、炎熱下の京都で行われた。
前日の昼間に京都に到着して、すぐに合同練習。夕食をはさんで再び練習。演奏会当日も、午前中・午後と、突貫で合同演奏の曲目を練習した。
それぞれのパートは、すでに事前の練習で仕上げてあるのだが、合同でとなると、全体のアンサンブルを仕上げるのに、かなりの時間がかかる。特に、ふだん、男声だけで曲を仕上げている私たちにとって、女声が加わった混声というスタイルに慣れるのには、時間がかかった。
何度か合わせ練習を重ねているうちに、最初は異質だった2つのグループの音が、お互いを理解し合い、支え合い、溶け合うようになる。
相手が奏でる音に、ときにはフワリと乗り、ときにはズンと支え、ときには絡み合って、いい音が出せるようになると、共鳴し合う音は、私の背中をゾクゾクと震わせた。
その共鳴の中に、私は昌子の音を探した。自分の背中を震わせる音の中に、昌子の音が含まれていると考えるだけで、私の魂は悦びに震えた。
初めての顔合わせのときも、それからの合同練習のときも、私と昌子は言葉を交わさなかった。
しかし、たがいのメンバーの中に相手の顔を見つけると、私たちは、ふたりだけにわかる方法で特別の視線を送り合った。総勢80人近くのメンバーの中で、私と昌子だけが共有している秘密がある。それは、ちょっぴりセクシーなことでもあった。

開演30分前。
私たちは、黒のズボンにワッペン付きのクリーム色のブレザー、昌子たちは、黒のロングスカートに光沢のある純白のブラウスに着替えて、1ベルが鳴ると、ステージの所定の位置についた。
昌子は、いちばん最後にステージに現れて、私のいるテナーの前を通過するとき、スカートの裾をからげるようにちょいと持ち上げて、軽く右ひざを折ってみせた。
それが、私に向けた特別のメッセージであることは、他のだれにもわからなかったに違いない。
その姿は、私の胸を打った。
ステージ衣装に包まれた昌子の姿が、神殿に仕える巫女のように見えた。その全身から漂ってくる気品には、神々しささえ感じられ、他のメンバーからも「オーッ」とため息がもれた。
私はちょっとだけ誇らしい気持ちになって、その誇りの分だけ、背筋が伸びた。

それから始まった1時間30分の演奏会は、特に昌子たちとの合同演奏のステージは、私にとっては、エクスタシーの時間とも言えた。
そのエクスタシーの中で、私はチラチラと昌子の姿を追った。ステージのいちばん右端で、指揮者のコンダクトに合わせて体を揺らす昌子の姿を追った。大きくブレスするたびに、純白のブラウスの下で息づく昌子の胸を想った。
《打ち上げが終わったら、三条大橋のたもとで》
頭にイメージする五線譜の中に、何度も何度も、昌子が手渡してくれたメモの文字が浮かんで見えた。
⇒続きを読む
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盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
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既刊本もどうぞよろしく 写真をクリックしてください。






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「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
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与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
三日間を終えて帰って来た妙は、その夜から、
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ある日、その秘密を知った??。
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管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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