緩い急行、遥かな愛〈8〉 十九歳は残酷…?

緩やかな急行、遥かな愛
1966~75
「急行霧島」が運んだ
「愛」と「時代」 第7章
春休みの帰省。「急行霧島」の
デッキに立って、私と昌子は、
束の間のコーラスを楽しんだ。
楽しい時間。しかし、それは、
束の間の楽しみだった。19歳は、
残酷な一年でもあった――。
デッキに立って、私と昌子は、
束の間のコーラスを楽しんだ。
楽しい時間。しかし、それは、
束の間の楽しみだった。19歳は、
残酷な一年でもあった――。

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ここまでのあらすじ 横浜の大学から福岡へ帰省する私は、京都の女子大から鹿児島へ帰省する上園雅子と、「急行・霧島」で同席することになった。やがて迎える政治的激動の時代への序章。列車の中で私たちは、季節労働者に違いない赤鉢巻の男と同席するが、男が岡山で下車すると、私たちの距離は、少し縮まった山陽路の暗い闇を走る間、私たちは睡魔に襲われ、夢路の中で手をつなぎ合った。聖書を片手にしながら、大学の合唱団に所属する私と昌子。しかし、ふたりのキャンパスにも、静かに政治の風が吹き始めていた――
デッキまでたどりつくと、昌子は乗降口の折りたたみ式のドアに手をかけた。
取っ手を手前に引くと、乗降口が開き、外気がデッキの中に吹き込んでくる。
効きすぎたヒーターとタバコの煙と人の吐き出す息とで、ムッとしていた車内の空気から、一瞬、解放された。
「気持ちいいーッ!」
昌子は乗降口のバーを両手で握って、開いたドアから外へ体を乗り出した。
疾走する「霧島」が作り出す風は、春の嵐となって、彼女の少し長くなった髪をなびかせ、春色のワンピースの裾をはためかせた。
昌子の体が外に飛び出してしまわないように、私は両手を彼女の手に重ねてバーをつかみ、その体をすっぽり包み込むような形で、外気のシャワーを浴びた。
風になびく昌子の髪が、サワサワと私の頬を打つ。
レールからはじかれて飛散する鉄サビの匂いに混じって、昌子の汗混じりの髪の匂いが、鼻孔をくすぐった。
「あー、あー、あー、あー、あー」
ミ・ファ・ソ・ソ・ドー。
昌子は、風に向かって発声練習の音階を響かせ、「ね……」と、少女のような笑顔をボクに向けた。
「パートは?」
「セカンド・テナー」
「じゃ、ハモって」
昌子の声に合わせて、私は、ド・ド・ド・シ・ドー。
ふたりで時速80キロの風に向かって「あー、あー、あー、あー、あー」と、ハーモニー を奏でた。
発声練習が終わると、バッハの147番は? フォーレのレクイエムは? 別れの唄は?――と、次々に知っている曲を並べ合っては、つかの間の、ふたりだけの、風のリサイタルを楽しんだ。
取っ手を手前に引くと、乗降口が開き、外気がデッキの中に吹き込んでくる。
効きすぎたヒーターとタバコの煙と人の吐き出す息とで、ムッとしていた車内の空気から、一瞬、解放された。
「気持ちいいーッ!」
昌子は乗降口のバーを両手で握って、開いたドアから外へ体を乗り出した。
疾走する「霧島」が作り出す風は、春の嵐となって、彼女の少し長くなった髪をなびかせ、春色のワンピースの裾をはためかせた。
昌子の体が外に飛び出してしまわないように、私は両手を彼女の手に重ねてバーをつかみ、その体をすっぽり包み込むような形で、外気のシャワーを浴びた。
風になびく昌子の髪が、サワサワと私の頬を打つ。
レールからはじかれて飛散する鉄サビの匂いに混じって、昌子の汗混じりの髪の匂いが、鼻孔をくすぐった。
「あー、あー、あー、あー、あー」
ミ・ファ・ソ・ソ・ドー。
昌子は、風に向かって発声練習の音階を響かせ、「ね……」と、少女のような笑顔をボクに向けた。
「パートは?」
「セカンド・テナー」
「じゃ、ハモって」
昌子の声に合わせて、私は、ド・ド・ド・シ・ドー。
ふたりで時速80キロの風に向かって「あー、あー、あー、あー、あー」と、ハーモニー を奏でた。
発声練習が終わると、バッハの147番は? フォーレのレクイエムは? 別れの唄は?――と、次々に知っている曲を並べ合っては、つかの間の、ふたりだけの、風のリサイタルを楽しんだ。

何曲か歌うと、昌子はそっと乗降口を閉じ、背中をボクの胸に預けた。
「楽しいね……」
「ウン、楽しい」
私は、もたれかかる昌子の肩にそっと手を置いて、ほんの少しだけ、彼女の体を引き寄せた。
「ダメなのかなぁ……楽しいだけじゃ?」
言いながら、昌子はボクの腕の中で体を反転させた。
「ダメなのかなぁ?」と問いかける目の色が、それまでとは一転して真剣なのに、私は少し驚いた。
「だれかに、苦しめとでも言われた?」
「苦しめ、とは言わないけど……」
「じゃ、ムリに苦しむ必要はないんじゃないの。ボクたちは、いま、楽しい。それはそれでOK! ってことにしないと、生きる力が湧いてこないよ」
「そうよね……」
「もし、ボクたちの『楽しい』が、だれかの犠牲の上に成り立っているんだとしたら、それは自ら批判しなくちゃいけないことだろうけど、ボクたちは、ただ、このどん臭くて退屈な急行のデッキで、3度のハーモニーを奏でただけだし」
「そうね。ハーモニーを奏でただけ……。それだけよね」
私を見上げる昌子の目の光が、少し緩んだような気がした。その光の奥から、激しい色が滲み出してきて、私は、一瞬、たじろいだ。
「あ、でも……」
あわてて言葉を足そうとしたとき、彼女の手が私のシャツの袖を引っ張った。
「少し冷えてきたわ。戻りましょう」

座席に戻ると、昌子は、教会の牧師を手伝って続けているというボランティア活動の話を始めた。
昌子が通う教会の牧師は、まだ30代だが、社会活動にはかなり熱心らしく、西成でのボランティア活動のほかにも、ベトナムに向かう米兵たちに「反戦」を呼びかけるビラを配ったり、反核集会に宗教者の立場から参加したりしている――と、昌子は、誇らしげに話してくれた。
「うちの牧師とは、えらい違いだ」
「あなたも、教会に通ってるの?」
「正確に言うと、通ってた……かな」
「いまは?」
「止めた。うちの牧師ってさ、バリバリのキリスト教保守派なんだよね。去年も、アメリカから宣教師を呼んで、ベトナムで共産主義の悪魔と戦うアメリカの若者のために、祈りと献金を――なんてやるから、ジョーダンじゃないって思って……」
「まさか、殴ったりしないでしょうね」
「これでも一応、キリスト者だから。ただ、最後の祈祷のときに、立ち上がってボクなりの祈りを捧げてやった」
「なんて?」
「この地上の強欲な欲望のために、ムリヤリ戦場に駆り出されるアメリカの若者の心が、これ以上、血で汚されることがありませんように。そして何より、蚊のように殺されていくアジアの若者、老人、妊婦、赤子の魂が、あなたの大きな愛によって救われますように――って」
パチパチパチ……と昌子は手を叩いた。
「どうなったの、それから?」
「ここにも、悪魔の手先がいま~す、って、その宣教師が言うから、ボクが悪魔なら、あなたはインチキな聖書を売りつける悪徳セールスマンだ、と言ってやった」
「そしたら?」
「牧師に、あなたはもう、この教会には来ないでいただきたい……と、そりゃもう、気持ちわるいくらいていねいな言葉で言われちゃった。首、ってことだね」
「フーン、教会にもいろいろあるんだね」
「アメリカでも、キリスト教会は、リベラル派と保守派のまっ二つに分かれて、論争し合ってるみたいだよ」
「うちの先生は、バリバリのリベラルかもね。でもね……」
昌子は、フッと顔を曇らせた。
「私、言われたの。K大の……ホラ、私たち、よくジョイントするって言ったでしょ。そのK大の合唱団の中に、すごく弁の立つ人がいるんだけど、その人、私たちがやってるボランティア活動のことを、ただの自己満足だって言うの」
「フーン、きついね、それも」
「だけど、その人の言うこともわからないわけじゃない。こういう矛盾を生み出してる世の中の仕組みそのものを正さない限り、問題は、根本的には解決しない。おまえたちのやってることは、ただ、その穴っぽこを埋めて歩いてるだけだ。ヘタすると、それは、ただ矛盾を覆い隠すことにしかならないかもしれないんだぞ――ってね」
「その人の言うことは、正論っちゃ、正論だね。でも、その正論を貫くには、革命しかないってことになるよ」
「だから、革命なんだって。いま、革命のために立ち上がらない人間は、いまの社会の矛盾に手を貸すことになる。キミはどっちを選ぶんだ、って言うんだけど、なんだか、それって、極端すぎる理屈のような気がするのよね」
上園昌子の近くにいて、昌子に影響を与え続けている2つの存在が、「霧島」の中で明らかになった。
私が揺れ動いているものと、昌子の身を引き裂こうとしているものの正体は、案外、似ているのかもしれない、と思った。
「霧島」は、そんな悩みと苦悩を乗せて、広島を過ぎ、関門海峡を超え、九州路に入った。
「私たち、まだ十九歳なのよね」
「そうだね、まだ十九歳。でも、もう十九歳」
「残酷だわ、十九って……」
そう言って、昌子は口をつぐんだ。
「何が?」と訊こうとした瞬間、昌子は、車窓に見え始めた八幡製鉄所の巨大な溶鉱炉を見上げながらつぶやいた。
「いままで積み上げてきたものが、ボロボロに壊されていく……」
十九歳とは、そういう年齢だった。
私も、昌子も、その真っ只中にいた。
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「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
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みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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