21世紀の音楽から失われていったもの

「反戦フォーク」から「四畳半フォーク」へ、「ニューミュージック」へと移り変わるにつれて、「社会的メッセージ」を失っていった日本のPOPミュージック。いまは、そのメッセージそのものも失われようとしています――。
Talker
シランケン・重松シュタイン 自ら著作を手がけるエッセイスト&作家。当ブログの管理人です。旧ペンネーム/長住哲雄
AKI 出張エステ嬢として働きながら、作家を目指すアラサーの美女。
【今回のキーワード】 J-POP 四畳半フォーク
AKI 若いミュージシャンたちが作る曲が「J-POP」と呼ばれるようになって、音楽がつまらなくなった。ジイは、そう思ってるんですよね?
シランケン そうですね。「J-POP」というのは、特に音楽のジャンルを表す言葉ではなく、日本のプロ・サッカーリーグを「Jリーグ」と呼ぶのと同じように、「日本でつくられたポピュラー・ミュージック」を「J-POP」と呼ぶようになったというだけの話なんですがね。
AKI 何だか、奥歯にものが挟まったような言い方。
シランケン ええ、昨日、食ったニラレバのニラが、歯に挟まっちまったもんで……といのはジョーダンで、実は、この「J-POP」と呼ばれるようになった音楽からは、何か大事なものが失われたような気がするんです。
AKI 「反戦」の思想――とかですか?
シランケン 「思想」と言うと「反戦か?」と言う。そういうの、何とかのひとつ覚えって言うんですよ。残念ながら、その時代には、もう、「反戦」という言葉は、世の中からはほとんど消えてましたね。
AKI あら、失礼。どこかのジイ様から「反戦フォーク」の話ばっかり聞いていたもんで、てっきり、失われたとお嘆きなのも、また、あれかな……と思いまして。
シランケン 「また、あれ」とは失礼な。それにね、AKIクン、私が「失われた」と嘆いているのは、何も「思想」というところまで体系化されたメッセージではありません。何かの思想に体系化されるかもしれない、「ある考え」の原型。メッセージそのものと言ってもいいかもしれません。
AKI エッ、メッセージそのもの? つまり、「J-POP」にはメッセージがないじゃないか――と、ジイはそうおっしゃりたいわけですか?
シランケン 私は、そう感じています。この社会に何を期待するのか、その中で自分はどう生きたいのか――というメッセージも伝わってこないし、愛する人へのラブ・ソングだとしても、その人をどう愛するのか、どんな愛の世界を築きたいのか――というメッセージが、さっぱり伝わってこない。
シランケン そうですね。「J-POP」というのは、特に音楽のジャンルを表す言葉ではなく、日本のプロ・サッカーリーグを「Jリーグ」と呼ぶのと同じように、「日本でつくられたポピュラー・ミュージック」を「J-POP」と呼ぶようになったというだけの話なんですがね。
AKI 何だか、奥歯にものが挟まったような言い方。
シランケン ええ、昨日、食ったニラレバのニラが、歯に挟まっちまったもんで……といのはジョーダンで、実は、この「J-POP」と呼ばれるようになった音楽からは、何か大事なものが失われたような気がするんです。
AKI 「反戦」の思想――とかですか?
シランケン 「思想」と言うと「反戦か?」と言う。そういうの、何とかのひとつ覚えって言うんですよ。残念ながら、その時代には、もう、「反戦」という言葉は、世の中からはほとんど消えてましたね。
AKI あら、失礼。どこかのジイ様から「反戦フォーク」の話ばっかり聞いていたもんで、てっきり、失われたとお嘆きなのも、また、あれかな……と思いまして。
シランケン 「また、あれ」とは失礼な。それにね、AKIクン、私が「失われた」と嘆いているのは、何も「思想」というところまで体系化されたメッセージではありません。何かの思想に体系化されるかもしれない、「ある考え」の原型。メッセージそのものと言ってもいいかもしれません。
AKI エッ、メッセージそのもの? つまり、「J-POP」にはメッセージがないじゃないか――と、ジイはそうおっしゃりたいわけですか?
シランケン 私は、そう感じています。この社会に何を期待するのか、その中で自分はどう生きたいのか――というメッセージも伝わってこないし、愛する人へのラブ・ソングだとしても、その人をどう愛するのか、どんな愛の世界を築きたいのか――というメッセージが、さっぱり伝わってこない。
AKI 確かに、その傾向は、私も感じます。ただ、「好きだ、好きだ」と叫んでいるだけの曲が多いような気もします。
シランケン しかも、それがダンス付きってなると、これを音楽と呼ぶべきかどうか? 私は疑問を感じざるを得ない。
AKI てか、そもそもダンス嫌いだしね、このジイ様は。
シランケン バレてましたか――というか、どっちかと言うと、聴覚人間でしたからね、私は。歌を聴いても、「何を言いたいんだろ、この人は?」と、懸命にメッセージを聞き取ろうとしてたと思いますね。しかし、歌を聴いて体を動かそうとは思わなかったですね、昔も、そして、今も……。
AKI でも、いまの音楽は、体を動かすために歌われているような気がするんですね、シランケンとしては。
シランケン ま、太古の時代に戻った――ってことですかね。
AKI た、太古……?
シランケン 音楽が、大地を踏みしめて踊るための道具として使われていた「太古」です。以後、人間は、その音を進化させ、芸術にまで高めていったのですが、最近の音楽を聴いていると――というか、見聞きすると、どうも、そういう時代に「進化」、いや「退化」しているような気がする。
AKI そう言えば、やたら「群舞」っぽくなったなぁ――って、私も思います。
シランケン 「群舞」ですか? キミにしては、鋭い突っ込み――いや、観察ですねェ。実はね、私は、これはちと危険な兆候でもあるなぁ……と思っているんですよ。
AKI 危険……なんですか?
シランケン 「群舞」は、人が何か喜びを「共有」したいなんていうときに踊られますが、逆に、何かの怒りを爆発させたいというときにも、敵への闘争心を鼓舞したいというときにも、踊られます。私が「危険だ」と感じるのは、ある特定の集団で行われるそういう感情の「共有」です。これは、一歩間違えると、社会全体を危険な方向に導きかねない。
AKI シランケンのジイ様は、どうも、そういう方向に向かっているな――と感じているんですね?
シランケン ハイ、ちと感じ始めています。しかも、ダンスと共に歌われる言葉が、かなり「単純化」されてるような気もする。単純な言葉を声を揃えて歌いながら、体を動かす。何だか、歌手が「コーラー」になったような、そんな感じの曲が多くなったような気がするんです。
AKI コーラー? 清涼飲料水の……ですか?
シランケン それは、コーラ。「コーラー」っていうのは、たとえば、ジムやダンス・スタジオなどで、「ワン、ツー、ハイ、今度は頭の上まで手を挙げて、ワン、ツー」という風に、次の動作を指示する声を上げたり、デモや集会で「××立法反対!」とシュプレヒコールの掛け声をかけたりする人のことです。
AKI つまり、歌手が「コーラー」みたいに掛け声を発する人になってるんじゃないか――と。ジイは、そう言いたかったわけですね?
シランケン 音楽が、そういうツールになりかけてるんじゃないか――と、最近、そう思い始めたわけです。しかも、そういう音楽がコーリングしている内容が、どうも、単純になり、幼稚になっているような気がする。そのことに、私は、ちょっとゾッとしています。
AKI ゾッとするというのは、「危険だ」と感じるからですか?
シランケン 単純な、スローガンのようなメッセージを、みんなで声を揃えて発する。音楽がそんなふうに使われるようになる社会は、あまり、健全な社会とは言い難い。私は、そう思っているんですよ。
AKI 重ジイの好きなラブ・バラードも、すっかり聞かれなくなりましたしね。
シランケン 聞かれなくはないのでしょうが、あまり、胸に響いては来ませんね。
AKI それは、なぜでしょうね?
シランケン 言葉が直接的すぎるからじゃないですか。
AKI 直接的すぎる……?
シランケン 「好き」を「好き」という言葉にして言ってしまう、「愛してる」を「愛してる」という言葉で口にしてしまう。しかも、それを「ずっと、ずっと」とか、簡単に言ってくれちゃう。これじゃあ、感情移入のしようがない。この人、たぶん、すごく好きなんだろうなぁ――と想像させる、その「間」が欲しいんですが、それがない。
AKI なぜでしょう。
シランケン ひとつには、詞を作り出すプロがいないからだと思います。だから、詞が胸に引っかからない。その理由は、いずれまた……。
AKI ファ~イ。では、よいお年を。
筆者の最新刊官能小説です!
盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
権太との三日間を終えた妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
⇒Kindle でお読みになる方は、ここをクリック。
⇒BOOK☆WALKER からお読みになる方は、ここをクリック。
既刊本もどうぞよろしく 写真をクリックしてください。






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