他人を「ゲス」となじる人間の「ゲスい」本性

File-61 他人を「ゲス」となじる人間の本性
いつの間にか世間では、「ゲス」なる言葉が
弄ばれるようになりました。「不倫」には、
決まって「ゲス」という修飾語が付きます。
こういう言葉を好んで使う人たちには、
実は、共通する本性があるのです。
最近、よく使われますねェ。
「ゲス」という言葉がです。
漢字で書くと、「下種」「下衆」「下司」などと書き、「卑しい」「身分が低い」などの意味で使われます。「士農工商」の時代であれば、武士から見れば、農民や商人は「下種」だったわけです。
この「ゲス」なる言葉が、最近、しばしば報道機関で使われるようになったことは、すでに、みなさんも見聞きしていらっしゃるとおりです。もちろん、だれかを評価するためではありません。「この最低野郎!」ぐらいの意味で、相手の人品を貶める目的で使われています。
公正中立であるべき報道機関が、
あらかじめ、特定の人物の特定の行為を貶める目的で、
こんな言葉を使っていいのか?
と、シランケンは、少々、怒っております。
こういう言葉を好んで使うのは、「文春」「新潮」などの俗流ジャーナリズム。例の、「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音とタレント・ベッキーの不倫疑惑報道の際にも、「ゲス不倫」などの言葉が使われ、それが巷にあふれて、いつの間にか「不倫」=「ゲス」という観念が世の中に広がってしまいました。
不倫ははたして「ゲス」なのか――という議論は、ここでは置いておきましょう。
今回、問題にしたいのは、「ゲス」なんぞという汚い言葉を、人はなぜ、使いたがるのか? そこには、どんな本心が潜んでいるのか?――ということです。

「ゲス」を口にする人たちは、不安定な中間層
最初に申し上げたように、「ゲス」という言葉は、本来は、相手の身分が自分より低いことを示すために使われた言葉です。この種の言葉を使うときには、多かれ少なかれ、そこに「身分意識」が介在していることが想像されます。
実際、「上流」と思われる人たちは、こういう言葉を滅多に口にしません。自分たちは、何も言わなくても「上種」であるとわかっているので、わざわざ、そういう言葉を使って、自分たちの身分をひけらかす必要がないからです。
「下流」に属する人たちも、まず、口にしません。自分たちが「下種」であることはすでにわかっているので、使うとしても、「オレたちのようなゲスな人間には……」というふうに、自分を卑下する場合に限られます。
口にしたがるのは、その中間層。つまり、「中流」に位置する人たちです。
この階層の人たちの意識は、かなり複雑です。「上の階層に上がりたい」という意識もあるし、「下の階層に落ちたくない」という意識もあり、「いまの階層をキープしたい」という意識もあります。
しかも、この「中流」という階層は、さらに複雑に分かれています。「あとちょっとガンバれば、上流に手が届くかもしれない」という《中の上》もいれば、「ヘタすると、下流に落ちてしまうかもしれない」という《中の下》もいます。そして、その中間で揺れている《中の中》。
私が見るところ、「ゲス」などと他人を攻撃する行為は、この同じ階層の中の上⇔中、中⇔下のように、きわめて近接した階層の間で行われることが多いように思えます。
「ゲス」という言葉がです。
漢字で書くと、「下種」「下衆」「下司」などと書き、「卑しい」「身分が低い」などの意味で使われます。「士農工商」の時代であれば、武士から見れば、農民や商人は「下種」だったわけです。
この「ゲス」なる言葉が、最近、しばしば報道機関で使われるようになったことは、すでに、みなさんも見聞きしていらっしゃるとおりです。もちろん、だれかを評価するためではありません。「この最低野郎!」ぐらいの意味で、相手の人品を貶める目的で使われています。
公正中立であるべき報道機関が、
あらかじめ、特定の人物の特定の行為を貶める目的で、
こんな言葉を使っていいのか?
と、シランケンは、少々、怒っております。
こういう言葉を好んで使うのは、「文春」「新潮」などの俗流ジャーナリズム。例の、「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音とタレント・ベッキーの不倫疑惑報道の際にも、「ゲス不倫」などの言葉が使われ、それが巷にあふれて、いつの間にか「不倫」=「ゲス」という観念が世の中に広がってしまいました。
不倫ははたして「ゲス」なのか――という議論は、ここでは置いておきましょう。
今回、問題にしたいのは、「ゲス」なんぞという汚い言葉を、人はなぜ、使いたがるのか? そこには、どんな本心が潜んでいるのか?――ということです。

「ゲス」を口にする人たちは、不安定な中間層
最初に申し上げたように、「ゲス」という言葉は、本来は、相手の身分が自分より低いことを示すために使われた言葉です。この種の言葉を使うときには、多かれ少なかれ、そこに「身分意識」が介在していることが想像されます。
実際、「上流」と思われる人たちは、こういう言葉を滅多に口にしません。自分たちは、何も言わなくても「上種」であるとわかっているので、わざわざ、そういう言葉を使って、自分たちの身分をひけらかす必要がないからです。
「下流」に属する人たちも、まず、口にしません。自分たちが「下種」であることはすでにわかっているので、使うとしても、「オレたちのようなゲスな人間には……」というふうに、自分を卑下する場合に限られます。
口にしたがるのは、その中間層。つまり、「中流」に位置する人たちです。
この階層の人たちの意識は、かなり複雑です。「上の階層に上がりたい」という意識もあるし、「下の階層に落ちたくない」という意識もあり、「いまの階層をキープしたい」という意識もあります。
しかも、この「中流」という階層は、さらに複雑に分かれています。「あとちょっとガンバれば、上流に手が届くかもしれない」という《中の上》もいれば、「ヘタすると、下流に落ちてしまうかもしれない」という《中の下》もいます。そして、その中間で揺れている《中の中》。
私が見るところ、「ゲス」などと他人を攻撃する行為は、この同じ階層の中の上⇔中、中⇔下のように、きわめて近接した階層の間で行われることが多いように思えます。

「ゲス攻撃」は、「階層間抗争」である!
私は、こう思うのです。
人間という生きものは、「群れ」を作って生きる生きものなので、どうしてもそこには「階層」が形成されてしまいます。そして、自分を少しでも上の階層に置きたいという欲求も、当然のように生まれてきます。
その欲求にもっとも強く動かされるのは、不安定な位置に身を置く中間層。前出の区分で言うと、「中流」です。中でも、不安定さNo.1と言っていい「中流の中」クラスです。
このクラスに属する人間の中には、こういう心理的動機が働きます。
動機1
自分より上の階層にいる人間の足を引っ張って、その地位から引きずり下ろしたい。
動機2
下から這い上がって来ようとする人間を足で蹴落として、自分の地位が脅かされる恐れを排除したい。
自分より上の階層にいる人間の足を引っ張って、その地位から引きずり下ろしたい。
動機2
下から這い上がって来ようとする人間を足で蹴落として、自分の地位が脅かされる恐れを排除したい。
こういう動機に突き動かされた人間が取る行動は、「相手を攻撃する」です。
しかも、この「攻撃」は、相手の弱点や失策を見つけては、口汚い言葉でそれを言い立て、その品位を汚す――というような方法で行われます。


どちらも、その言葉には「悪意」が満ちあふれています。
「他人の男を食事に誘った」だけの行動を「寝取る」という汚い言葉に置き換える。「ちょっと会社の費用で飲み食いした」が「着服して使いまくってる」になってしまう。
そんなときに、決め台詞のように登場するのが、「ゲス」という言葉なわけです。

「ゲス」を口にする人たちの精神こそ「ゲス」である
つまり、「ゲス」などという言葉を好んで使いたがるのは、自分の階層を少しでも上げたい――と、必死こいてる中間層ということになるわけです。これを「上昇志向」と言います。
しかし、世の中には、そういう「上昇志向」なんぞはまったく持ち合わせてない、という人もいます。仮に「上昇志向」があるとしても、それは、自分の人格的向上や精神的完成へと向けられる「上昇志向」であって、「自分が属する階層レベルを上げたい」という欲求ではありません。
前者を「階層的上昇志向」とするなら、後者が持つ上昇志向は「人格的上昇志向」です。
筆者・重松は思うのです。
人格的上昇志向は、尊敬に値する人間の精神的傾向だが、
階層的上昇志向は、軽蔑すべき見苦しい精神のありようである。
階層的上昇志向は、軽蔑すべき見苦しい精神のありようである。
もちろん、「ゲス」などと口にする人たちの上昇志向は、後の「階層的上昇志向」のほうです。つまり、見苦しくて軽蔑に値する精神の持ち主ということになります。
本日の結論は、こうです。
「ゲス」を口にする人たちこそ、その精神は「ゲス」である。
それでは、また――。
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管理人は、常に、下記3つの要素を満たすべく、知恵を絞って記事を書いています。
みなさんのポチ反応を見て、喜んだり、反省したり……の日々です。
今後の記事作成の参考としますので、正直な、しかし愛情ある感想ポチを、どうぞよろしくお願いいたします。



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