矛盾に満ちた社会をそれでも生きていく――という歌

「政治の時代」が衰退するとともに、「反戦フォーク」は、「4畳半フォーク」へ、さらに「ニューミュージック」へと姿を変えていきました。その中で、ソングライターたちは――。
Talker
シランケン・重松シュタイン 自ら著作を手がけるエッセイスト&作家。当ブログの管理人です。旧ペンネーム/長住哲雄
AKI 出張エステ嬢として働きながら、作家を目指すアラサーの美女。
【今回のキーワード】 反戦フォーク 四畳半フォーク
AKI 若い人たちの「政治離れ」が進む中、「四畳半フォーク」もまた衰退していって、「ニューミュージック」と呼ばれる時代がやって来たんですよね。世捨て人となった重ジイも、はまったんですか、その「ニュー」な「ミュージック」に?
シランケン 確かに「ニューミュージック」ではありましたが、「ニュー」な「ミュージック」というわけではありませんでしたからね。それにね、言っときますけど、私は、別に「世」を「捨てた」りなんぞはしておりませんので。捨ててないから、いまだに、このブログを続けたりしておるわけです。
AKI ナルホド。それは失礼しました。で、どうだったんです? やっぱり、ギター弾いて口ずさんだりしてたんですか、その「ニュー」を?
シランケン 一部はね。「ニューミュージック」とひとまとめに呼ばれてはいますが、その中には、「反戦フォーク」であった時代の、社会に対する批判的態度を保持しているミュージシャンや楽曲もありました。とは言っても、そういう批判をあからさまに歌うのではなく、批判すべき社会ではあるけれども、そんな社会の中で、それでも生きていく「私たちの生き方」を、美しい詩にして歌い上げる。そういう歌を好んで歌っておりましたね、70年代の私は。
AKI たとえば、どんな歌を? ちょっと教えなさいよ、シランケン。
シランケン とうとう呼び捨てですか? いいですとも、シランケンで。そうですね、その頃、「オッ」と思って譜面を手に入れ、歌った曲の中には、たとえば、井上陽水の『傘がない』なんて名曲もありましたね。こんな歌詞が出てくるんですよ。
そうやって、社会の不安な状態を嘆いてみせた後で、陽水は、こう歌うんです。
ってね。なぜ「問題」かと言うと、「君に逢いに行かなくちゃ」ならない、「雨にぬれて」というわけです。なんか、すごいでしょ、この「落差」?
AKI 「落差」ってか、なんか「開き直り」みたいにも聞こえますけど。
シランケン ま、そういう「うがった見方」もあるかもしれませんがね……。
AKI 穿ってますか、私?
シランケン かなりね。陽水は、その後で、こう歌っているんですよ。雨に濡れて君の街まで行くと、「冷たい雨」が目の中に降ってきた。その結果、どうなったか? 陽水は、こう歌っています。
つまり、この社会には、いろいろ醜いこともあるし、矛盾に満ちた問題もあるけど、ボクにとっての「リアリティ」は、あなたにある。「それでもいいじゃないか」というわけです。私には、そのメッセージは、時代の矛盾と闘い、苦しむ同世代人へのレクイエムのようにも感じられたものです。
AKI レ、レクイエム……? ああ、「鎮魂歌」ですか? 単なる「開き直り」じゃないゾ――と。そうおっしゃりたいわけですね、シランケンとしては?
シランケン ま、私はそういう聴き方をしていました、という話です。ちなみに『傘がない』は、連合赤軍が「あさま山荘事件」を起こした1972年の曲でしたが、陽水はその17年後の1989年にも、似たようなテイストの曲を発表しています。某テレビ局の夜11時台のニュース番組のエンディングテーマに使われたりしたので、あるいは覚えているかもしれませんが、『最後のニュース』という曲です。
AKI もしかして、子どもの頃に聴いていたかもしれない。
シランケン 世界中の悲惨なニュースなどを歌い上げた後で、
と歌う曲で、「陽水、変わらんなぁ」と思ったものです。
シランケン 確かに「ニューミュージック」ではありましたが、「ニュー」な「ミュージック」というわけではありませんでしたからね。それにね、言っときますけど、私は、別に「世」を「捨てた」りなんぞはしておりませんので。捨ててないから、いまだに、このブログを続けたりしておるわけです。
AKI ナルホド。それは失礼しました。で、どうだったんです? やっぱり、ギター弾いて口ずさんだりしてたんですか、その「ニュー」を?
シランケン 一部はね。「ニューミュージック」とひとまとめに呼ばれてはいますが、その中には、「反戦フォーク」であった時代の、社会に対する批判的態度を保持しているミュージシャンや楽曲もありました。とは言っても、そういう批判をあからさまに歌うのではなく、批判すべき社会ではあるけれども、そんな社会の中で、それでも生きていく「私たちの生き方」を、美しい詩にして歌い上げる。そういう歌を好んで歌っておりましたね、70年代の私は。
AKI たとえば、どんな歌を? ちょっと教えなさいよ、シランケン。
シランケン とうとう呼び捨てですか? いいですとも、シランケンで。そうですね、その頃、「オッ」と思って譜面を手に入れ、歌った曲の中には、たとえば、井上陽水の『傘がない』なんて名曲もありましたね。こんな歌詞が出てくるんですよ。
都会では自殺する若者が増えている
今朝きた新聞の片隅に書いていた~
今朝きた新聞の片隅に書いていた~

そうやって、社会の不安な状態を嘆いてみせた後で、陽水は、こう歌うんです。
だけども、問題は、きょうの雨、傘がない~ 

ってね。なぜ「問題」かと言うと、「君に逢いに行かなくちゃ」ならない、「雨にぬれて」というわけです。なんか、すごいでしょ、この「落差」?
AKI 「落差」ってか、なんか「開き直り」みたいにも聞こえますけど。
シランケン ま、そういう「うがった見方」もあるかもしれませんがね……。
AKI 穿ってますか、私?
シランケン かなりね。陽水は、その後で、こう歌っているんですよ。雨に濡れて君の街まで行くと、「冷たい雨」が目の中に降ってきた。その結果、どうなったか? 陽水は、こう歌っています。
君の事以外は、何もみえなくなる。
それは、いいことだろう~
それは、いいことだろう~

つまり、この社会には、いろいろ醜いこともあるし、矛盾に満ちた問題もあるけど、ボクにとっての「リアリティ」は、あなたにある。「それでもいいじゃないか」というわけです。私には、そのメッセージは、時代の矛盾と闘い、苦しむ同世代人へのレクイエムのようにも感じられたものです。
AKI レ、レクイエム……? ああ、「鎮魂歌」ですか? 単なる「開き直り」じゃないゾ――と。そうおっしゃりたいわけですね、シランケンとしては?
シランケン ま、私はそういう聴き方をしていました、という話です。ちなみに『傘がない』は、連合赤軍が「あさま山荘事件」を起こした1972年の曲でしたが、陽水はその17年後の1989年にも、似たようなテイストの曲を発表しています。某テレビ局の夜11時台のニュース番組のエンディングテーマに使われたりしたので、あるいは覚えているかもしれませんが、『最後のニュース』という曲です。
AKI もしかして、子どもの頃に聴いていたかもしれない。
シランケン 世界中の悲惨なニュースなどを歌い上げた後で、
今、あなたにGood-Night
ただ、あなたにGood-Bye
ただ、あなたにGood-Bye

と歌う曲で、「陽水、変わらんなぁ」と思ったものです。
AKI 「変わらない」と感じたのは、どんなこと?
シランケン 「大きな矛盾」を歌い上げては、それを「小さなリアリティ」に落とし込む――という手法です。初期の「ニューミュージック」には、そういう手法が多かったかもしれません。
AKI 他にもいたんですか、シランケンがよく歌ったソング・ライター?
シランケン 泉谷しげるも、よく歌いましたかねェ。こちらは、もう少し、「反骨精神」が旺盛だったような気がします。代表的なのが、『春夏秋冬』とか……。
AKI 春夏秋冬? たぶん、私は知らない。どんな曲です?
シランケン じゃ、ほんのさわりだけ。最初の8小節、歌詞で言うと頭の4ラインに、この人の風刺的精神が凝縮されているような気がするんです。
季節のない街に生まれ、
風のない丘に育ち、
夢のない家を出て、
愛のない人にあう
風のない丘に育ち、
夢のない家を出て、
愛のない人にあう
1971年の曲ですが、大学を出たばかりだった私は、この8小節を聴いただけで、「ああ、これは、自分のことだなぁ」と思ったものです。
AKI ヘェ、シランケンって、そんな育ち方してたんだ。知らんかったけん。
シランケン バカにしてるんですか、AKIクン? ま、そんなわけでね、AKIクン、その頃の「ニューミュージック」として登場したフォークソングには、けっこういい曲が多かったんですよ。
AKI やっぱり、「ニューミュージック」も、ジャンルとしては、「フォークソング」だったんですか?
シランケン 「フォーク」の中でも、「フォーク・ロック」と呼ばれるジャンルですね。ボブ・ディランとかが、得意にしていた演奏スタイルでした。陽水たちの音楽も、当初は、「フォーク・ロック」と呼ばれていたのですが、そのうち、「ニューミュージック」という言葉が生まれ、拓郎、陽水、泉谷などの音楽は、「ニューミュージック」と呼ばれるようになりました。
AKI いまじゃもう、その言葉も「死語」となってますけどね。
シランケン 「死語」にはなってないと思いますけど、2010年代になると、フォークもロックもポップスも、歌謡曲以外は、まとめて「J-Pop」と呼ばれるようになりました。
AKI 私、その言い方、あんまり好きじゃないんですけど……。
シランケン 私もです。中には、音楽と呼ぶべきか、パフォーマンスと呼ぶべきか、区別のつかないものもありますしね。
AKI もしかして、音楽って、もう終わりなのかな?
シランケン そうならないことを願うばかりですなぁ。
筆者の最新刊官能小説です!
盆になると、男たちがクジで「かか」を交換し合う。
明治半ばまで、一部の地域で実際に行われていた
「盆かか」と呼ばれる風習。本作品は、その風習を
題材に描いた官能フィクションです。
与一の新婚の妻・妙も、今年は、クジの対象になる。
クジを引き当てたのは、村いちばんの乱暴者・権太。
権太との三日間を終えた妙は、その夜から、
様子が変わった。その変化に戸惑う与一は、
ある日、その秘密を知った??。
筆者初の官能作品、どうぞお愉しみください。
2020年9月発売 定価:200円 発行/虹BOOKS
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管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。



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