「フォークソング」が歌われた時代

ベトナム戦争の激化とともに世界中に広がっていった「反戦」の動きは、若者の文化にいろんな意味で影響を与えました。音楽もそのひとつ。そんな中に登場したのが「フォーク・ソング」でした。今回は、それまでの音楽ビジネスのあり方を変えたフォーク・ソングのブームとその作り手たちの話――。
Talker
哲雄 自ら著作を手がけるエッセイスト。当ブログの管理人です。
AKI 出張エステ嬢として働きながら、作家を目指すアラサーの美女。
【今回のキーワード】 セックスレス スキンシップ
AKI ベトナム戦争は、アメリカ国内での「反戦運動」を呼び起こし、それが世界中に広がっていった。そんな「反戦」の動きが、映画にも反映されたし、音楽の世界も変えていった。前回は、そんな話をお聞きしました。
哲雄 ハイ、不肖・長住の青春時代も、そんな変化のまっただ中で過ぎていきました。特に、音楽に関しては変化が大きくて、私も、いろいろとインスパイアされました。
AKI そこそこ、そこらへんをお聞きしたいんです。いちばん大きかったのは、どういうことです?
哲雄 フォークソングの登場ですかね。あ、別に、そのときに登場したってわけじゃなくて、フォークソングそのものは、前からあるにはあったんだけど、その時代、新たに歌われるようになった「新しいスタイルのフォークソング」が、世界的に流行したんですね。
AKI 新しいスタイルの……? そもそも「フォークソング」の「フォーク」って何だったんです?
哲雄 「フォーク」は「FOLK」と綴って、「民族」とか「部族」という意味です。「フォークソング」で、本来は「民謡」という意味になるわけですが、この時代になると、伝統的なフォルクローレ調のメロディーに乗せて、戦争を嘆き、平和を願う歌詞をつけた歌が、歌われるようになりました。
AKI それが、1960年代の後半ぐらいですか?
哲雄 森山良子が『この広い野原いっぱい』という曲を引っ下げてデビューしたのが、1967年。その頃から、フォークソングという言葉が、日本の音楽市場にあふれ始めました。ちょうど、アメリカではジョーン・バエズがフォークソングを歌いながら、デモの先頭に立ったりしているような時代でした。
AKI フォークソングと反戦運動ですか? その動きは日本でも?
哲雄 いや、まだその頃の日本の反政府的なデモの主流は、学生や労働者でした。そういうデモで歌われるのは、たいていは、労働歌とか革命歌でしたね。『インターナショナル』とか『ワルシャワ労働歌』っていう。その最大の政治目標は、1970年の「日米安保改定阻止」でしたから、「ベトナム反戦」は、それに付随する二次的なテーマでしかなかったような気がします。すでに、1965年には「べ平連」が結成されていたんですがね。
AKI エッ、べ平連? そんなの、あったんですか?
哲雄 ああ、それもご存じない? 正式には「ベトナムに平和を!市民連合」と言いましてね、どんな政党の縛りも受けない、援助も受けない、日本では最大と言っていい市民運動の組織でした。すごいんですよ、そのメンバーが。鶴見俊輔に小田実、吉川勇一、これに開高健が加わって、『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』に全面広告を出したりもしました。
AKI エーッ、『ニューヨーク・タイムズ』に『ワシントン・ポスト』? それ、すごくないですか?
哲雄 すごいですよ。ま、何しろ、後で加わった開高健は作家ですが、元は、サントリーで活躍したコピーライターでもありましたからね。それまでの既成左翼が思いつきもしない方法で反戦活動を試みたんでしょうね。既成左翼の活動家たちには、そういう市民運動のあり方に、冷ややかな目を向けるムキもありました。「文化人たちがお遊びでやってるような運動」なんてね。新左翼の中には、そういう市民運動と連動しようという動きもあるにはありましたが、新左翼は、この時期、どんどん過激化していきましたからね。「国際反戦デー(432夜参照)」などの大きなカンパニア(街頭大衆行動)では、行動を共にすることもありましたが、火炎瓶を投げたり、鉄パイプで機動隊に突っ込んでいったりする行動には、市民運動側のほうで距離をとるようになりました。
AKI もっと幅広く手をつなげばよかったのにね。
哲雄 ま、そうなんですが、戦後の日本の左翼運動は、党派の分裂が激しく、新左翼では党派間の抗争も起こったりしましたので、一般市民の心は離れていってしまいました。そんな中で、その影響がもっとも深く、広範に広がったのが、音楽の世界でした。
AKI それ、それ。きょうはその話を詳しく聞きたいんですよォ。
哲雄 ハイ、不肖・長住の青春時代も、そんな変化のまっただ中で過ぎていきました。特に、音楽に関しては変化が大きくて、私も、いろいろとインスパイアされました。
AKI そこそこ、そこらへんをお聞きしたいんです。いちばん大きかったのは、どういうことです?
哲雄 フォークソングの登場ですかね。あ、別に、そのときに登場したってわけじゃなくて、フォークソングそのものは、前からあるにはあったんだけど、その時代、新たに歌われるようになった「新しいスタイルのフォークソング」が、世界的に流行したんですね。
AKI 新しいスタイルの……? そもそも「フォークソング」の「フォーク」って何だったんです?
哲雄 「フォーク」は「FOLK」と綴って、「民族」とか「部族」という意味です。「フォークソング」で、本来は「民謡」という意味になるわけですが、この時代になると、伝統的なフォルクローレ調のメロディーに乗せて、戦争を嘆き、平和を願う歌詞をつけた歌が、歌われるようになりました。
AKI それが、1960年代の後半ぐらいですか?
哲雄 森山良子が『この広い野原いっぱい』という曲を引っ下げてデビューしたのが、1967年。その頃から、フォークソングという言葉が、日本の音楽市場にあふれ始めました。ちょうど、アメリカではジョーン・バエズがフォークソングを歌いながら、デモの先頭に立ったりしているような時代でした。
AKI フォークソングと反戦運動ですか? その動きは日本でも?
哲雄 いや、まだその頃の日本の反政府的なデモの主流は、学生や労働者でした。そういうデモで歌われるのは、たいていは、労働歌とか革命歌でしたね。『インターナショナル』とか『ワルシャワ労働歌』っていう。その最大の政治目標は、1970年の「日米安保改定阻止」でしたから、「ベトナム反戦」は、それに付随する二次的なテーマでしかなかったような気がします。すでに、1965年には「べ平連」が結成されていたんですがね。
AKI エッ、べ平連? そんなの、あったんですか?
哲雄 ああ、それもご存じない? 正式には「ベトナムに平和を!市民連合」と言いましてね、どんな政党の縛りも受けない、援助も受けない、日本では最大と言っていい市民運動の組織でした。すごいんですよ、そのメンバーが。鶴見俊輔に小田実、吉川勇一、これに開高健が加わって、『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』に全面広告を出したりもしました。
AKI エーッ、『ニューヨーク・タイムズ』に『ワシントン・ポスト』? それ、すごくないですか?
哲雄 すごいですよ。ま、何しろ、後で加わった開高健は作家ですが、元は、サントリーで活躍したコピーライターでもありましたからね。それまでの既成左翼が思いつきもしない方法で反戦活動を試みたんでしょうね。既成左翼の活動家たちには、そういう市民運動のあり方に、冷ややかな目を向けるムキもありました。「文化人たちがお遊びでやってるような運動」なんてね。新左翼の中には、そういう市民運動と連動しようという動きもあるにはありましたが、新左翼は、この時期、どんどん過激化していきましたからね。「国際反戦デー(432夜参照)」などの大きなカンパニア(街頭大衆行動)では、行動を共にすることもありましたが、火炎瓶を投げたり、鉄パイプで機動隊に突っ込んでいったりする行動には、市民運動側のほうで距離をとるようになりました。
AKI もっと幅広く手をつなげばよかったのにね。
哲雄 ま、そうなんですが、戦後の日本の左翼運動は、党派の分裂が激しく、新左翼では党派間の抗争も起こったりしましたので、一般市民の心は離れていってしまいました。そんな中で、その影響がもっとも深く、広範に広がったのが、音楽の世界でした。
AKI それ、それ。きょうはその話を詳しく聞きたいんですよォ。
哲雄 そうでした。少し、話が脇道にそれてしまいましたね。実はね、このフォークソングの登場は、それまでの音楽制作に、ある革命的とも言える変化をもたらしました。
AKI 革命的? それは、どういうこと?
哲雄 それまでの音楽……と言っても、ポピュラーな音楽の世界では――という話ですが、ひと握りのメジャーが、音楽の制作からレコード化(当時は、レコードが主流。のち、CDに移行)、その販売権などを牛耳っていました。ポピュラーでも、歌謡曲でも、ひとつの楽曲を世に出すには、メジャーが作詞家や作曲家に曲作りを依頼し、専属の楽団が伴奏などを吹き込んだ上で、歌手が声を吹き込むという形が一般的でした。
AKI メジャーって言うと、日本では?
哲雄 ビクターにコロンビア、あ、これは外資ですけどね、それにテイチクとかキング、後にソニーとか東芝といった家電メーカーも加わってきました。しかし、そういうメジャーによる楽曲作りに満足できない人たちが出てきたんですね、特にフォークソングが出てきてからは……。AKIクンは、「シンガー・ソング・ライター」という言葉を聞いたことありますか?
AKI ハイ、私が物心ついた頃には、その言葉はもう、世の中にあふれていたような気がします。
哲雄 日本の音楽市場にその言葉があふれ出したのは、1972年以降のことでした。吉田拓郎が私小説的なラブソングでブレイクして以降のことでしたから。AKIクンも、それなりに、風雪を重ねてきたんですねェ。
AKI 風雪のほうはどうでもいいです。じゃ、日本のシンガー・ソング・ライターの走りは、吉田拓郎ってことになるんですか?
哲雄 いや、そうではありません。吉田拓郎は、自作自演の曲をヒットさせ、後に「ニュー・ミュージック」ブームを巻き起こした功労者ではありましたが、「走り」ではありませんでした。そもそもシンガー・ソング・ライターが登場してきたのは、それまでの商業主義的な音楽の作り方に反発したミュージシャンたちが、自分で詩を書き、曲を作って自ら演奏するというスタイルをとったのが最初でした。アメリカでは、1960年代後半からそういう動きが現れ、PP&Mやボブ・ディランが登場して、社会的メッセージ性の強い曲を歌うようになると、一気に、フォークソングがブームになりました。
AKI PP&M……? ボブ・ディラン……? エーッ、それ、知らな~い。
哲雄 エッ、知らないの? 超ジェネレーション・ギャップ! あのね、ボブ・ディランは『風に吹かれて』『時代は変わる』などの曲をヒットさせた、当時のプロテスト・ソングのカリスマ的存在でした。最近、ノーベル文学賞を受賞した――てのは、ご存じでしょう?
AKI ああ、あのおじさん? そういう人だったんだ。フーン……で、そのプロテスト・ソングっていうのは?
哲雄 その頃のシンガー・ソング・ライターたちが作るフォークソングには、社会の矛盾を嘆き、批判するようなメッセージが込められたものが多かったので、世の中からは「プロテスト・ソング」と呼ばれました。「プロテスト」っていうのは、日本語で言うと「抗議する」とか「異議を申し立てる」という意味です。「反戦」も「プロテスト」のひとつだったわけです。
AKI じゃ、PP&Mっていうのも、そのプロテスト・ソングを?
哲雄 PP&Mっていうのは、「ピーター、ポール&マリー」の略で、男性2人、女性1人のフォーク・グループでした。『500マイル』とか『パフ』というオリジナル曲は日本でもヒットして、反戦派の若者たちの中には、ギターを抱えて自分で弾き語りする人たちもいました。そんな中で、日本でも、プロテスト・ソングを歌うシンガー・ソング・ライターたちが登場してきました。
AKI 吉田拓郎が登場する前の話ですね?
哲雄 ハイ、4~5年前の話です。
AKI 私、ますますわからないかも。
哲雄 じゃ、話すの、止めた。
AKI 止めないでくださいよォ。ジイさまたちの時代、知りたいんですから。
哲雄 じゃ、いきますか。昔々、あるところに……。
AKI そうじゃないでしょ! 真面目に!
哲雄 ハイ。では、次回、そこらへんの話をたっぷりと……。
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管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
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