自伝的創愛記〈15〉 教育は政治的、と気づいた日々

第15章
生徒に自主性を持たせようとする
若い先生たちと「規律」「道徳」を
重視する古い時代の先生たち。
そんな矛盾の中で、ボクは、
少年時代を過ごした――。
「先生」と呼ばれる存在は、決して、均一に「先生」なわけではない。
ボクがそのことを学ばされたのは、九州の小倉で過ごした小学校高学年時代だった。
昭和30年代。
その時代は、激烈な受験競争の始まりの時代であると同時に、「戦後民主教育」の最盛期でもあった。
戦争時代の愛国教育や軍事教育を反省した教育界には、若い教師たちを中心に、子どもたちに自分でものを考える習慣を身につけさせよう――という動きがあった。
考えたことを整理し、発表する力をつけるために、作文を書かせる「つづり方運動」もそのひとつで、ボクたちは何かにつけて作文を書かされた。
ホームルームは、学級委員が司会や進行を務めて、生徒たちの討論で進められた。
そういう教育に熱心に取り組むのは若い先生たちで、そういう先生たちは、たいていは、当時、まだ元気のあった教職員の組合=日教組の組合員となって、研修会などに熱心に顔を出したりしていた。
その頃の九州は、大きな炭鉱事故が起こり、三池では、4000人の首切りをめぐって、会社と組合が警官隊が介入するような対立を続けるなど、社会に目を向け始めた子どもの目にも、あまり穏やかな時代ではなかった。
学校にも先生同士の対立があった。
組合活動に参加し、生徒に自由な考えを教え込もうとする若い先生たちと、規律や道徳で生徒を縛りつけようとする、ボクたちにはなじみのない旧い世代の先生たち。そのふたつの層の先生たちは、学校行事の進め方をめぐって、あるいは全国学力テストの実施をめぐって……というふうに、ことあるごとに対立を続けていた。
組合のストで学校が休校になるときには、年配の先生たちが校門に立って、スト派の先生たちをロックアウト(締出)したりもした。
ボクたちは、そんな社会的矛盾のただ中で、学校生活を送った。
それは、ボクたちが「社会性」に目覚め、将来の「政治性」の基礎を身につける貴重な期間でもあった。
ボクがそのことを学ばされたのは、九州の小倉で過ごした小学校高学年時代だった。
昭和30年代。
その時代は、激烈な受験競争の始まりの時代であると同時に、「戦後民主教育」の最盛期でもあった。
戦争時代の愛国教育や軍事教育を反省した教育界には、若い教師たちを中心に、子どもたちに自分でものを考える習慣を身につけさせよう――という動きがあった。
考えたことを整理し、発表する力をつけるために、作文を書かせる「つづり方運動」もそのひとつで、ボクたちは何かにつけて作文を書かされた。
ホームルームは、学級委員が司会や進行を務めて、生徒たちの討論で進められた。
そういう教育に熱心に取り組むのは若い先生たちで、そういう先生たちは、たいていは、当時、まだ元気のあった教職員の組合=日教組の組合員となって、研修会などに熱心に顔を出したりしていた。
その頃の九州は、大きな炭鉱事故が起こり、三池では、4000人の首切りをめぐって、会社と組合が警官隊が介入するような対立を続けるなど、社会に目を向け始めた子どもの目にも、あまり穏やかな時代ではなかった。
学校にも先生同士の対立があった。
組合活動に参加し、生徒に自由な考えを教え込もうとする若い先生たちと、規律や道徳で生徒を縛りつけようとする、ボクたちにはなじみのない旧い世代の先生たち。そのふたつの層の先生たちは、学校行事の進め方をめぐって、あるいは全国学力テストの実施をめぐって……というふうに、ことあるごとに対立を続けていた。
組合のストで学校が休校になるときには、年配の先生たちが校門に立って、スト派の先生たちをロックアウト(締出)したりもした。
ボクたちは、そんな社会的矛盾のただ中で、学校生活を送った。
それは、ボクたちが「社会性」に目覚め、将来の「政治性」の基礎を身につける貴重な期間でもあった。

矛盾は、担任の教師・青田先生個人の中にもある――と、ボクたちは感じていた。
団体の規律を守れと言い、乱す者はビンタで従わせるという「体罰教育」は、とても「民主的教育者」のものとは思われなかった。ただ、怖いだけの先生。逆らうことなど、とても考えられない先生だった。
しかし、文化的には、ちょっと違った。教師・青田は、ボクたちに教科書なんか読まなくていいと言う。そんな時間があったら、漱石を読め、龍之介を読め、シェークスピアを読め――などとすすめた。
そんなことを言う教師は、他のクラスにはいなかった。ボクたちは、競って文学全集などを読み漁り、勉強のできる子の中には、漱石気取りで作文を書いたり、龍之介風に日記を綴ったりする者もいた。
授業のスタイルも、自由気ままだった。時間割などあってないようなものだった。気が乗れば、午前中いっぱい、歴史の授業を続ける。きょうは国語だ――となると、机をコの字に並べ替えさせて、ひとつのテキストについて、そのテーマは何か、最終的に主張したかったことは何か……などを、生徒同士のフリートークで徹底的に議論させたりした。
たまにやる音楽の授業では、教科書に載っている唱歌などは、月1、2回程度、教室に回ってくる音楽担当の教師に任せ、自分では、思いつくままの曲の歌詞を黒板に書き出して、それを練習させた。
先生の選曲に、一貫したルールはなかった。その頃、流行っていたロシア民謡を教えたと思えば、アメリカのクリスマスソングを教える。『原爆を許すまじ』を歌わせたと思えば、『櫻井の訣別』(=忠君の武将として知られる楠正成・正行親子の父子の別れを歌った曲)や『田原坂』(=西南戦争における西郷隆盛軍の悲壮な行軍を歌った曲)を歌わせるといった具合で、右も左も、古いも新しいも、ごちゃ混ぜだった。
それらは、先生の気まぐれに見えた。気まぐれな教師・青田は、突然、「よし、午後の授業は中止」とやることもあった。机を教室の端に片づけさせると、ポータブル電蓄で『オクラホマ・ミキサー』をかけ、ボクらに男女別の輪を作らせ、フォーク・ダンスを踊らせた。そうして踊ったフォーク・ダンスは、ボクにとっては、初めて、女の子と手を取り合って踊るダンスだった。

「古い」と「新しい」が同居し、「右」なのか「左」なのかさっぱりわからない青田という教師は、当時のボクたちには、ワケのわからない魔物だった。
特攻隊を志願して「予科練」で訓練中に終戦を迎え、終戦になったと思ったら、今度は、いきなりアメリカ流の民主教育。そこへ、ソ連経由で流れ込んだ社会主義思想。教師・青田の中には、そういうものが「がめ煮」のように放り込まれていた。
「青田先生は、いろんなお面かぶるとよ」
という高木ユミの指摘は、単なる女の子のカンだったのかもしれないが、そのカンは当たっているかもしれない――とボクは思った。
高木ユミの言った「青田先生のお面」には、さらに意外な一面があった。
その一面のために、先生のクラスには、とんでもない悲劇が起こることになった。(続く)
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