「反戦の時代」がボクたちに残したもの

1960年代後半になると激化していったベトナム戦争。そんな中、世界中で「反戦」の声が巻き起こり、「反戦」は、当時の若者たちの共通言語になっていきました。その動きは、文化人や知識人の世界にも広がり、映画や音楽の世界にも影響が。今回は、そんな話を――。
Talker
哲雄 自ら著作を手がけるエッセイスト。当ブログの管理人です。
AKI 元出張エステ嬢。作家を目指しているアラフォーの美女。
【今回のキーワード】 国際反戦デー 学園紛争
AKI アメリカは南ベトナムに傀儡政権を作って、北ベトナムの共産政権の侵出を食い止めようと軍事顧問団を送ったりしたんだけど、そもそも傀儡政権がロクでもない政権で、圧制を繰り返して市民の反発を招き、かえって南ベトナム解放民族戦線を勢いづけてしまった。それで、アメリカは正規軍を投入せざるを得なくなった。戦乱は長引き、泥沼化していく。そんな中で、世界中に反戦運動が広がっていったんですよね? 今回は、その時代の話をしよう――っていう話でした。
哲雄 フム……それはまた、小生の青春時代でもありました。
AKI てことは、アレっすか? 哲ジイもやってたんですか、そのハンセン運動とやらを?
哲雄 すまないが、「反戦」をカタカナになんぞ、しないでいただきたい。何だか、われわれの青春をおちょくられてるような気がするので。
AKI それは、大変、失礼しました。で、その反戦運動ですけど、どこでどう始まったんですか?
哲雄 意外と思うかもしれませんけど、運動が起こったのは、軍隊を派遣したアメリカなんですよ。
AKI エッ、アメリカ? つまり、アメリカの中に、政府の戦争政策に反対する人たちがいたってことですね?
哲雄 そうです。さすが「自由の国」ですよね。「この戦争は、国際法に違反し、合衆国憲法にも国際条約にも違反する」などとして、学者や知識人たちが各所で公開討論会などを行い、それが「ティーチ・イン」という流行語となって、世界の各地に広がりました。各地で「ベトナムからの米軍撤退」を訴えるデモが道路いっぱいを埋め尽くす。そんな光景が、ワシントンでも、パリでも、そして東京でも、毎週のように見られるようになりました。
AKI そのデモの中には、哲ジイの姿もあったんですか?
哲雄 ハァ、ま、何気に参加して、シュプレヒコールを叫んだりしておりましたなぁ。私が大学に入学したのは、1966年なんですが、その頃には、派遣アメリカ軍の数は、優に10万を超えており(最盛期50万人超)、空母の艦載機や空軍の爆撃機が北ベトナム国内への爆撃(=いわゆる北爆)を開始しておりました。
AKI 米軍は、南ベトナムでだけ闘っていたわけではないんですね?
哲雄 最初は、南ベトナムだけでしたよ。南ベトナム解放民族戦線を相手にジャングルで泥まみれの闘いを続けていたわけですが、その後ろには、北ベトナムの正規軍が控えていたし、さらにその背後には、武器などを支援するソ連や中国が控えていました。ソ連の軍事担当者などと直接ぶつかると、第三次世界大戦にもなりかねないので、アメリカは、空爆するときも、ソ連軍のいる場所は巧みに避けていました。しかし、それ以外の市民生活に関係する場所などには、徹底的な空爆を加えました。ベトナムの市民には、多くの死傷者が出て、メディアには、米軍のナパーム弾に焼かれた子どもの写真などが掲載されたりしました。「これを正義の戦争と言えるのか」という世論が高まり、1969年10月15日には、ワシントンを中心とする全米各地で「ベトナム反戦デー」と称する統一行動が行われました。その日は「国際反戦デー」として、世界中で反戦行動が行われる日になりました。
AKI そういう反戦運動の主役になったのは?
哲雄 フム……それはまた、小生の青春時代でもありました。
AKI てことは、アレっすか? 哲ジイもやってたんですか、そのハンセン運動とやらを?
哲雄 すまないが、「反戦」をカタカナになんぞ、しないでいただきたい。何だか、われわれの青春をおちょくられてるような気がするので。
AKI それは、大変、失礼しました。で、その反戦運動ですけど、どこでどう始まったんですか?
哲雄 意外と思うかもしれませんけど、運動が起こったのは、軍隊を派遣したアメリカなんですよ。
AKI エッ、アメリカ? つまり、アメリカの中に、政府の戦争政策に反対する人たちがいたってことですね?
哲雄 そうです。さすが「自由の国」ですよね。「この戦争は、国際法に違反し、合衆国憲法にも国際条約にも違反する」などとして、学者や知識人たちが各所で公開討論会などを行い、それが「ティーチ・イン」という流行語となって、世界の各地に広がりました。各地で「ベトナムからの米軍撤退」を訴えるデモが道路いっぱいを埋め尽くす。そんな光景が、ワシントンでも、パリでも、そして東京でも、毎週のように見られるようになりました。
AKI そのデモの中には、哲ジイの姿もあったんですか?
哲雄 ハァ、ま、何気に参加して、シュプレヒコールを叫んだりしておりましたなぁ。私が大学に入学したのは、1966年なんですが、その頃には、派遣アメリカ軍の数は、優に10万を超えており(最盛期50万人超)、空母の艦載機や空軍の爆撃機が北ベトナム国内への爆撃(=いわゆる北爆)を開始しておりました。
AKI 米軍は、南ベトナムでだけ闘っていたわけではないんですね?
哲雄 最初は、南ベトナムだけでしたよ。南ベトナム解放民族戦線を相手にジャングルで泥まみれの闘いを続けていたわけですが、その後ろには、北ベトナムの正規軍が控えていたし、さらにその背後には、武器などを支援するソ連や中国が控えていました。ソ連の軍事担当者などと直接ぶつかると、第三次世界大戦にもなりかねないので、アメリカは、空爆するときも、ソ連軍のいる場所は巧みに避けていました。しかし、それ以外の市民生活に関係する場所などには、徹底的な空爆を加えました。ベトナムの市民には、多くの死傷者が出て、メディアには、米軍のナパーム弾に焼かれた子どもの写真などが掲載されたりしました。「これを正義の戦争と言えるのか」という世論が高まり、1969年10月15日には、ワシントンを中心とする全米各地で「ベトナム反戦デー」と称する統一行動が行われました。その日は「国際反戦デー」として、世界中で反戦行動が行われる日になりました。
AKI そういう反戦運動の主役になったのは?
哲雄 ひとつは、学生たちでした。ベトナム反戦を訴えた学生たちは、大学の官僚的統制が強まることにも疑問の声を挙げて、学園を封鎖するなどの行動に出ました。その動きは、フランスや日本にも飛び火しました。
AKI 「反戦運動」と「学園紛争」がリンクしたわけですか?
哲雄 そうですね。ベトナム反戦を訴える学生の多くは、学園紛争にも関わって「改革」の声を挙げていました。アメリカでも、フランスでも、そして日本でも。日本では、全国ほとんどの大学で「全学共闘会議」が結成されて、学園を封鎖したり、ストを決行したり……ということをやっていました。
AKI 学生以外の人たちは、どうだったんでしょう?
哲雄 リベラルな考え方の一般市民も、知識人や文化人たちとともに、手をつなぐフランス式デモや、「ダイ・イン」と呼ばれた道路に寝転ぶ行動などで、抗議の意思を示しました。そしてね、もうひとつ驚くべきは、そういう抗議の列に、ベトナムからの帰還兵が加わった――ということです。
AKI エッ!? 帰還兵が……ですか? ほんとだったら、困難な闘いを闘ってきた勇士として凱旋できたかもしれないのに、どうして?
哲雄 とても、そんな状況ではなかったようですよ。あの戦争では、南北ベトナムでは500万余の戦死者を出しましたが、アメリカ兵の戦死者も5万8000人余に及び、行方不明者が2000人、負傷して帰国した人も相当な数に上りました。それにもまして大きかったのは、帰還した兵士たちの精神的なダメージです。
AKI 精神的な傷を受けたんですか? 闘ってきたのに……?
哲雄 あんな遠くまで出かけて闘ったのに、世界最強と思っていた軍隊が、アジアの小国に敗北した――という挫折感もあったでしょう。それよりも大きかったのは、その戦争が世界中から批判される「意味のない闘い」であったという喪失感だったかもしれません。ジャングルの中で、いつ襲って来るかわからないゲリラの恐怖と対峙し続けたことから、精神のバランスを崩した人も少なくありませんでした。戦場で無抵抗の市民や村民に銃を向け、虐殺や婦女子への暴行などを働いた兵士の中には、帰国後、犯罪に走る者もいましたが、そういう行為に加わったり、目撃した人間の中には、その記憶がトラウマとなって苦しみ続ける者もいました。
AKI そういうの、映画にもなりましたよね?
哲雄 ハイ。ジェーン・フォンダが主役を演じた『帰郷』とか、ロバート・デ・ニーロが戦争で屈折した若者の心理を好演した『ディア・ハンター』などが、その代表ですね。戦争は、悲惨な結果を生みましたが、それまでの「勧善懲悪」的なアメリカ映画とは違う、新しいシネマの流れを生み出したという意味では、世界的にも大きな出来事であった、と言うべきでしょう。映画ばかりじゃありません。音楽の世界も大きく変わりました。
AKI それ、それ。そこらへんを知りたいんですけど。
哲雄 ようがす。小生も、あの頃の記憶としては、それがいちばん大きいので、じっくり語ってお聞かせしましょう。では、次回に。
AKI ハイ、楽しみにしております。
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