もしも、時計が左回りを始めたら?〈8〉 待ち伏せの放課後

東京に出て来ている——と言う。その人の名は、
野中みずき。クラスでいちばん「かわいい」と思う
女の子だった。しかし、ボクには、彼女に対する
後悔があった。あのとき、ボクは、彼女を
救えなかった。6年生の放課後、掲示物を張り出す
仕事をしていたボクと彼女は、その帰り道——。
連載
もしも時計が左回りを始めたら? 第8章

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ここまでのあらすじ 8年間つき合った希美が、「別れてください」と切り出してから、ボクの腕時計は、ナゾの左回りを始めた。その瞬間から、ボクの「時間」は逆流を始めたのだった。修理しようかと見せた時計職人は、「コレ、修理するんですか?」と意外な顔をした。「せっかく逆回転を始めてくれたのに」と言うのだった。それまで腕時計などしなかったボクが、その腕時計を手首にはめたのは、16歳年下だった希美に、「セクシーじゃない」と言われたからだった。その時計が逆回転を始めた。逆回転とともに、ボクの周りでは不思議なことが起こり始めた。ある日、取材先を訪ねるために電車に乗っていたボクの隣に、いきなり、ドカッと腰を下ろしてきた女性。「なんで、こんなところに?」と声をかけてきたのは、17年前に、女性雑誌の編集部で編集者とライターとして、親しくつき合っていた戸川菜穂だった。過去が、次々に、ボクの「現在の時間」に立ち現れた。その日、帰りに拾ったタクシーは、10年前にも、ボクを乗せたことがあると言う。そして、都心を離れた住宅地のボクが住むマンションの目の前に、突然、出現した「ミュージック・パブ」を銘打つ店。なぜ、こんなところに? 恐る恐るドアを開けた店の中には、過去からの使者が潜んでいた。その男は、九州の小学校でボクの1級下だったと言う。学芸会で見た劇『ベニスの商人』でボクが演じたシャイロック役を覚えていると言うのだ。その男の口から語られる過去情報に、ボクを慄かせた――
男が口にした「あの人」という一語が、ボクの鼓膜から脳の奥の海馬に飛び込んできて、その回廊をグルグルと回り始めた。
野中みずき。
クラスでいちばんかわいいと思っていた女の子だった。
彫りの深い顔立ち、意志の強そうな大きな目、広い額、その額にかかる短く切りそろえられた前髪。どこか、東欧の体操選手を思わせるような風貌は、「かわいい」というより、「美人」というほうが近かったかもしれない。
ボクがシャイロックを演じた学芸会の『ベニスの商人』では、ユダヤ人の金貸しシャイロックを断罪する判事・ポーシャ姫を演じたが、それは、彼女の雰囲気にピッタリのはまり役でもあった。
聡明で厳格な判事役がぴったりだった美しい女の子は、同じ年ごろの男の子には人気ではあったが、気軽に声をかけられる相手でもなかった。「あいつ、いいな」と思いながらも、遠巻きに見ているだけの存在。野中みずきは、そういう女の子だった。
しかし、そうは思わない連中もいた。
野中みずき。
クラスでいちばんかわいいと思っていた女の子だった。
彫りの深い顔立ち、意志の強そうな大きな目、広い額、その額にかかる短く切りそろえられた前髪。どこか、東欧の体操選手を思わせるような風貌は、「かわいい」というより、「美人」というほうが近かったかもしれない。
ボクがシャイロックを演じた学芸会の『ベニスの商人』では、ユダヤ人の金貸しシャイロックを断罪する判事・ポーシャ姫を演じたが、それは、彼女の雰囲気にピッタリのはまり役でもあった。
聡明で厳格な判事役がぴったりだった美しい女の子は、同じ年ごろの男の子には人気ではあったが、気軽に声をかけられる相手でもなかった。「あいつ、いいな」と思いながらも、遠巻きに見ているだけの存在。野中みずきは、そういう女の子だった。
しかし、そうは思わない連中もいた。

あれは、6年の2学期の半ばだったろうか。
その日、ボクとみずきは、放課後、教室に残って、掲示板にみんなの絵を画鋲で張り出していた。文化祭のために「将来の夢」を絵に描くように――と、教師に言いつけられて描いた絵。それを、「テーマに分けて張り出しておくように」と言いつけられていたのだ。ボクとみずきは、「ああでもない」「こうでもない」と知恵を出し合い、全員の絵の掲示を終えた。
級長と副級長でもあったので、ボクとみずきは、そういうクラスの雑用を言いつけられることが多かった。中には、ふたりで協力し合って片づけなければならない仕事もあり、そういうときには、ボクたちは、「ああだ」「こうだ」と意見を交わしながら、言いつけられた仕事をこなした。
ふたりが交わすのは、その種のオフィシャルな会話ばかりだったが、ボクにはその時間が楽しみでもあった。
その日、作業が終わったのは、4時半を過ぎていた。
学校は、山を削って作った分校だった。学校が終わると、ボクたちは、赤土だらけの坂道を下って、それぞれの家路をたどる。
坂道の彼方に広がる響灘では、紅く燃えた夕日が水平線に落ちかかっていた。
坂道は、途中で二手に分かれている。ひとつは、市電の通りへと下って行く坂道。もうひとつは、国道バイパスに沿って住宅街へと向かっていく坂道。その分岐点は、ちょっとした林になっていて、奥には墓石の連なる墓地がある。
そこまで来ると、ボクとみずきは、「バイバイ」と手を振って別れる。
その分岐点の林の中に、うごめく何人かの人影があった。

ボクらが分岐点にさしかかると、林がガサッと揺れて、中から黒い人影が3人、道に飛び出してきた。
黒いと見えたのは、着ている学生服のせいだった。
「好か~ん」と、みずきが小さくつぶやいた。
3人は、中学校に通う卒業生たちだった。しかし、真面目な生徒には見えない。制服の前ボタンは外し、上着の袖は肘までまくられて、学帽は油で固めて平たくつぶされていた。
そのうちのいちばん背の高いひとりが、ノソッ……と、みずきににじり寄ってきた。
「野中やないか。こんな時間までなんしよったとや?」
そいつは肩を揺すり、全身を睨め回すようにしながら、みずきの体の回りをのっそりと旋回した。
「小6がこんな時間まで学校におったらいけんやろが」
言いながら、男の手がみずきの肩を小突いた。みずきが脅えたような目でチラ……とボクの目を見た。
「あ……ボクら、先生に言われて、クラスの文化祭の準備ばしよったけん」
助け舟を出したつもりだったが、「おまえには聞いとらん」と、もうひとりのズングリした男に体を突き飛ばされた。
起き上がって近づこうとすると、今度は、最後のひとりに「おまえ、帰れや」と再び体を押された。
「話があるけん、こっち来いや」
最初の背の高い男が、みずきのランドセルのベルトをつかんで、彼女の体を林の中に引っ張って行こうとする。
「野中さん」と呼びながら、その体を追おうとするボクの体は、その度に、2人の男に突き飛ばされた。
林の中に連れて行かれるみずきの姿が見えていた。
ランドセルを背中からはぎ取られて、林の奥に連れて行かれるみずき。
ボクはどうすることもできず、その姿を見送った。
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