洗濯板に捧げ銃〈4〉 リリー、谷間を去る

転職してきたミス・リリー。しかし、
彼女は教壇を去ると言う。理由は——。
マリアたちへ 第20話
洗濯板に捧げ銃 第4章

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ここまでのあらすじ 受験校であるボクらの学校に音楽教師としてやって来た中尾百合。ボクらが「ミス・リリー」と呼んだ彼女は、いつも白いブラウスに黒いタイトスカートという合唱団のような格好で教壇に立った。「色気がない」とけなす生徒もいたが、村上たちがどこかから聞き出してきた話は、少し違った。前任の高校は、やや荒れたスクールだった。「お宅の生徒たちが、カラオケハウスで酒を飲んでいる」。通報を受けたリリーは、無防備にもそのカラオケ店に乗り込んだ。しかし、そこには生徒たちを束ねる反社会的と思われる男がいた。リリーは、その男に体を押さえつけられ、暴行を受けた。その暴行は「事件」になり、男は逮捕された。中尾百合は、その学校を退職し、教職を辞した。彼女を教職から葬ったのは、暴行で受けた心と体の傷ではなく、周囲にまき散らされた「淫乱教師」の醜聞だった――
広島県の高校教師を退職した中尾百合に、海を渡った四国へ行くことを勧めてくれたのは、百合が通う教会の司祭だった。
その司祭が所属する教団が、四国の対岸の街で、学園を経営している。ただし、その学校は受験校なので、音楽や美術などの授業にはあまり力を入れていない。「それでもよければ」というのだったが、司祭の話には、ひとつだけ、百合の胸に希望の灯をともす言葉があった。
「中尾さん、この学校は受験校ではあるのですが、その設立の趣旨にはこうあります。この学園の教育の目的は、学んだ者たちを《愛と知性の使徒》として、世界に送り出すことにある――とね。ここを巣立った子どもたちは、みんな一流の大学に進んでいくのですが、中尾さん、私たちは、ただ彼らが教科でいい成績を上げて最高学府に進むことだけを望んでいるわけではないんですよ。私たちは、彼らがその最高学府でさらに学問を積んで、この世界を知性の光で満たしてくれることを望んでいるんです。あなたが音楽を通して教えることも、きっといつか、その知性の光のひとつになるでしょう」
中尾百合は、司祭の言葉に励まされて海を渡り、この街にやって来て、ボクたちの学校の音楽教師を拝命した。
それが3年前の話だった。
「恋人とかおらんの?」という亀山たちの質問に、「イッツ・ノット・フォー・ミー」と答えたのは、おそらく、そんな経緯があったからに違いなかった。
「イッツ・ノット・フォー・ミー」は、「そんなもん、私には合わない」とか「そんなの、趣味じゃない」という意味だが、実は、それは、彼女の本心ではなかったらしい。
本心ではなかった――ということを、ボクたちは、突然、知らされることになった。
その司祭が所属する教団が、四国の対岸の街で、学園を経営している。ただし、その学校は受験校なので、音楽や美術などの授業にはあまり力を入れていない。「それでもよければ」というのだったが、司祭の話には、ひとつだけ、百合の胸に希望の灯をともす言葉があった。
「中尾さん、この学校は受験校ではあるのですが、その設立の趣旨にはこうあります。この学園の教育の目的は、学んだ者たちを《愛と知性の使徒》として、世界に送り出すことにある――とね。ここを巣立った子どもたちは、みんな一流の大学に進んでいくのですが、中尾さん、私たちは、ただ彼らが教科でいい成績を上げて最高学府に進むことだけを望んでいるわけではないんですよ。私たちは、彼らがその最高学府でさらに学問を積んで、この世界を知性の光で満たしてくれることを望んでいるんです。あなたが音楽を通して教えることも、きっといつか、その知性の光のひとつになるでしょう」
中尾百合は、司祭の言葉に励まされて海を渡り、この街にやって来て、ボクたちの学校の音楽教師を拝命した。
それが3年前の話だった。
「恋人とかおらんの?」という亀山たちの質問に、「イッツ・ノット・フォー・ミー」と答えたのは、おそらく、そんな経緯があったからに違いなかった。
「イッツ・ノット・フォー・ミー」は、「そんなもん、私には合わない」とか「そんなの、趣味じゃない」という意味だが、実は、それは、彼女の本心ではなかったらしい。
本心ではなかった――ということを、ボクたちは、突然、知らされることになった。

それは、ボクたちが3年の2学期を過ごし始めた、ある放課後のことだった。
ボクたちは、2週間後の秋の学園祭で発表するコーラスの練習に取り組んでいた。「合唱部」は、中尾百合が音頭をとって創設された部活動だった。
最初は、カトリックの学校らしく、聖歌中心の選曲だったが、そのうち、バッハのミサ曲を取り入れたり、ニグロ・スピリチュアルをレパートリーに加えるようになった。ボクたちのセンスも進化したが、ミス・リリー自身も進化しているように見えた。
その文化祭前の最後の練習を終えたとき、ミス・中尾が突然、改まった口調で切り出したのだ。
「短い間でしたが、きょうまでみなさんと音楽の交流を深めてきて、私にとっても、この学園で過ごした3年間は、たいへん楽しく、貴重なものでした。しかし……」
そこで、ミス・リリーは言葉を切った。
「残念ながら、私は、今度の文化祭を最後に、学園を去ることになりました」
「エーッ、なんでや?」
「ウソやろ!?」
驚きと歓声と、それらが入り混じったような声を挙げるボクたちに向かって、ミス・リリーの口からは、さらに衝撃的な言葉が飛び出した。
「実は……洗濯板は、結婚することになりました」
「エーッ、洗濯板が……」とだれかが素っ頓狂な声を挙げ、他のだれかがその頭をポカンとやった。
その様子を見ていたミス・リリーは、一瞬、クスリと笑ったが、すぐにその顔は真顔に戻った。
「ほんとはね、、私も、この先生の仕事、続けたかったんだけど、先方のお家の事情もあって、専業主婦となることになりました。でもね、みなさんと過ごしたこの3年間のことは、私の宝物にします。みんな、ありがとう……」
ボクたちに向かって頭を下げながら、その肩が震え始めた。
あまりに突然の話に、ボクたちの全員がどう反応していいのかわからず、教室はしばらく、沈黙に包まれた。

その沈黙を破って、だれかが言い出した。
「オイ、谷間を去る先生のために、みんなで、あれ歌おうや」
「あれ」とは、1年生の授業のときに習った『Red River Valley』だった。
「おお、そうや。あれ、歌おう」と、みんなが次々に席を立ち、教壇に立ち尽くすミス・中尾を取り囲んだ。
《谷間をきみ、去りゆく
愛し、きみの姿……》
ジョン・ウエイン主演の映画『赤い河』で使われた、哀調あふれるフォーク調の曲だった。
ボクたちの歌が始まると、ミス・中尾の目はみるみる水であふれ、その堰堤からあふれた水が、ロザリオのように連なって、頬を流れ落ちた。
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