自伝的創愛記〈9〉 「正直」の罪と罰

「正直に答えて」――ある日、教壇に
立った先生が真剣な顔でボクたちに
問いかけてきた。しかし、その問いに
答えることは、先生を裏切ることに
なるかもしれなかった――。
小学校3年からの2年半を、ボクは福岡市で過ごした。
担任は、初めてのおんな先生だった。少し肉づきのいい先生で、ボクたちの目には、「先生の体、ゴムマリのごたる」というふうに映っていた。
確か江頭先生とか言った。そのゴムマリが、昼休みになると、ボクたちを運動場に誘った。
「勉強もいいけど、体を動かして元気な体を作ることも大事よ」
そう言って、女の子にはゴム跳びの遊びを教え、ときには彼女たちと一緒になって遊びに興じたりもした。ボクたち男の子には、「先生とお相撲とろうか?」などと言って、組み合ったりもした。
喜んで、先生の体に飛びつく子もいた。
「先生の体、やわらかかぁ」
「フワッ……としとった」
「ほんに、ゴムマリのごたった」
ボクらは、口々にそう感想をもらした。
相撲が得意だったボクは、先生の腰にしがみつき、スカートのベルトをまわし代わりにつかんで、四つに組み合った。ボクの頭は、先生の胸に包まれていた。その胸がやわらかなクッションのようで気持ちよかった。
何とか先生を押しきろうとして力を込めてみるのだが、力を入れれば入れるほど、ボクの頭は先生のクッションの中に沈み込んで、息苦しくなる。思い切り息を吸うと、先生の体からは甘酢っぱいミルクのような香りが漂ってきて、鼻腔をくすぐった。
そうして先生と遊ぶ時間が、ボクは、けっこう好きでもあった。

そのゴムマリ先生が、ある日、険しい表情で教壇に立った。
全員を見回しながら、先生が口から発した言葉の調子が、母親が子どもを叱りつけるときのように重いので、教室は、一瞬、静まり返った。
「きょうは、先生、みんなに訊きたかことがあると」
ボクらは、「エッ」とおたがいの顔を見合わせた。
「残念なことだけど、みんなの間で私がえこひいきをしている――と言うとる人がいます。川上クンのことです」
担任は、初めてのおんな先生だった。少し肉づきのいい先生で、ボクたちの目には、「先生の体、ゴムマリのごたる」というふうに映っていた。
確か江頭先生とか言った。そのゴムマリが、昼休みになると、ボクたちを運動場に誘った。
「勉強もいいけど、体を動かして元気な体を作ることも大事よ」
そう言って、女の子にはゴム跳びの遊びを教え、ときには彼女たちと一緒になって遊びに興じたりもした。ボクたち男の子には、「先生とお相撲とろうか?」などと言って、組み合ったりもした。
喜んで、先生の体に飛びつく子もいた。
「先生の体、やわらかかぁ」
「フワッ……としとった」
「ほんに、ゴムマリのごたった」
ボクらは、口々にそう感想をもらした。
相撲が得意だったボクは、先生の腰にしがみつき、スカートのベルトをまわし代わりにつかんで、四つに組み合った。ボクの頭は、先生の胸に包まれていた。その胸がやわらかなクッションのようで気持ちよかった。
何とか先生を押しきろうとして力を込めてみるのだが、力を入れれば入れるほど、ボクの頭は先生のクッションの中に沈み込んで、息苦しくなる。思い切り息を吸うと、先生の体からは甘酢っぱいミルクのような香りが漂ってきて、鼻腔をくすぐった。
そうして先生と遊ぶ時間が、ボクは、けっこう好きでもあった。

そのゴムマリ先生が、ある日、険しい表情で教壇に立った。
全員を見回しながら、先生が口から発した言葉の調子が、母親が子どもを叱りつけるときのように重いので、教室は、一瞬、静まり返った。
「きょうは、先生、みんなに訊きたかことがあると」
ボクらは、「エッ」とおたがいの顔を見合わせた。
「残念なことだけど、みんなの間で私がえこひいきをしている――と言うとる人がいます。川上クンのことです」
「川上」という名前が出たことに、全員がビクッとなった。先生の口から、そんな固有名詞が飛び出すことなど想像していなかったので、みんな「何事か?」と体を強張らせた。
「川上クン」というのは、クラスではいちばん勉強ができる男の子だった。学区の外れの、小高い丘の上に建つ洋館風の家に住んでいて、いつも小洒落た服を着こなし、姿もいいかわいい男の子だったので、クラスの女の子も、男の子たちも、みんな、川上クンと親しくなりたい――と、その周りに群がった。
ゴムマリ先生も、何かと言うと、川上クンに声をかけた。
授業中に「ハイ、ここまでのところ、みんなわかりましたか?」と尋ねて、全員が黙っていると、「川上クンはどうですか?」と名指しで質問する。級長選挙のときも、だれも立候補の手を挙げないと、「だれもいないの? 川上クンは?」と、真っ先に打診の声をかける。参観日の授業で、だれかに教科書を朗読させるなんていうときにも、最初に声をかけるのは、川上クンだった。
そんな様子を見ていた生徒たちの間には、「江頭先生は、川上クンばえこひいきしとる」という声を上げる者もいた。ゴムマリはそのことを気にしているのだろう――と、ボクらは思った。

「先生は怒らんけん、正直に言うてごらん。あなたたちの間で、先生が川上クンばえこひいきしとると思う子、手を挙げてんしゃい」
ソロッと手を挙げた子が何人かいた。最初は、女の子が3人、4人。続いて男の子が、1人、2人……と、手を挙げた。
どうしようか――と、ボクは迷った。
先生は、確かに、川上クンを特別扱いしとる。
そう感じたことが、何度かあったからだった。
ここで手を挙げないでいると、「正直に」と言った先生を裏切ることになるかもしれない。それは、「正直であろう」とする自分自身を裏切ることにもなるんじゃないか。
しかし、正直に手を挙げてしまうと、ボクは先生の「えこひいき」を認めたことになり、その心を傷つけてしまうことになるかもしれない。
どうしたらいい?
迷った末に、ボクはソロリ……と手を挙げた。
その後に先生が見せた行動も、口にした言葉も、ボクにはまったく予測できなかったものだった。
「長住クン、あんたまで……。あんたまで、そんなこと思いよったとね」
「あんたまで」という言葉に、どんな意味が込められていたのか、すぐにはわからなかった。わからなかったが、「まで」という言い方にもまた、何かの《特別扱い》が含まれているような気がして、ボクはどういう態度をとったらいいのか、わからなくなった。
次の瞬間に、ゴムマリ先生がとった行動に、ボクたちは、ほぼ全員が唖然となった。
「もう、知らん。あんたたちとはもう……」
そう言うなり、先生は両手で顔を覆って、肩を震わせた。
「先生、泣きよんしゃる」
隣の席の女の子が、そっとつぶやいた。
ゴムマリのような体を揺らしながら、江頭先生は教室の戸を開け、そのまま廊下に出て行ってしまった。
次の日、教壇に立ったのは、ボクたちの知らない男の先生だった。
「江頭先生は、体ば壊して学校に出て来られんごとなったけん、きょうから私が授業ばします」
ボクの「正直」がいけんかったんやろうか。
江頭先生は、どこか他の学校に移って行った――と、後になって、後任の先生から知らされた。
ボクはそれ以来、「正直にモノを言うこと」を、深く考えるようになった。
「川上クン」というのは、クラスではいちばん勉強ができる男の子だった。学区の外れの、小高い丘の上に建つ洋館風の家に住んでいて、いつも小洒落た服を着こなし、姿もいいかわいい男の子だったので、クラスの女の子も、男の子たちも、みんな、川上クンと親しくなりたい――と、その周りに群がった。
ゴムマリ先生も、何かと言うと、川上クンに声をかけた。
授業中に「ハイ、ここまでのところ、みんなわかりましたか?」と尋ねて、全員が黙っていると、「川上クンはどうですか?」と名指しで質問する。級長選挙のときも、だれも立候補の手を挙げないと、「だれもいないの? 川上クンは?」と、真っ先に打診の声をかける。参観日の授業で、だれかに教科書を朗読させるなんていうときにも、最初に声をかけるのは、川上クンだった。
そんな様子を見ていた生徒たちの間には、「江頭先生は、川上クンばえこひいきしとる」という声を上げる者もいた。ゴムマリはそのことを気にしているのだろう――と、ボクらは思った。

「先生は怒らんけん、正直に言うてごらん。あなたたちの間で、先生が川上クンばえこひいきしとると思う子、手を挙げてんしゃい」
ソロッと手を挙げた子が何人かいた。最初は、女の子が3人、4人。続いて男の子が、1人、2人……と、手を挙げた。
どうしようか――と、ボクは迷った。
先生は、確かに、川上クンを特別扱いしとる。
そう感じたことが、何度かあったからだった。
ここで手を挙げないでいると、「正直に」と言った先生を裏切ることになるかもしれない。それは、「正直であろう」とする自分自身を裏切ることにもなるんじゃないか。
しかし、正直に手を挙げてしまうと、ボクは先生の「えこひいき」を認めたことになり、その心を傷つけてしまうことになるかもしれない。
どうしたらいい?
迷った末に、ボクはソロリ……と手を挙げた。
その後に先生が見せた行動も、口にした言葉も、ボクにはまったく予測できなかったものだった。
「長住クン、あんたまで……。あんたまで、そんなこと思いよったとね」
「あんたまで」という言葉に、どんな意味が込められていたのか、すぐにはわからなかった。わからなかったが、「まで」という言い方にもまた、何かの《特別扱い》が含まれているような気がして、ボクはどういう態度をとったらいいのか、わからなくなった。
次の瞬間に、ゴムマリ先生がとった行動に、ボクたちは、ほぼ全員が唖然となった。
「もう、知らん。あんたたちとはもう……」
そう言うなり、先生は両手で顔を覆って、肩を震わせた。
「先生、泣きよんしゃる」
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