ピンちゃん〈12〉 待ち伏せ

ピンちゃんに誘われて、ボクは大北たちと
彼女の家を訪ねた。楽しい一夜を過ごして
外に出ると、突然、黒い影が襲ってきた。
連載 ピンちゃん 第12章

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ここまでのあらすじ 中学3年の2学期、ボクは瀬戸内海に面した工業都市のその中学校に転校した。その中学校の校庭に忘れ去られたような平均台が1基、据えてあった。ある日の放課後、ボクは、その平均台で舞うひとりの女子生徒を目にした。「ピンちゃん」と呼ばれる同じクラスの女子。その姿に恋をしたボクだったが、彼女には親衛隊がついていた。ピンちゃんと親しく口をきく転校生のボクは、その標的になっていた。そんな中、クラス対抗のリレーが行われ、なぜか、転校生のボクがメンバーに選ばれた。それは、転校生に恥をかかせてやれ、というクラスの連中の意地悪でもあった。その手には乗るか。ボクは必死で足を動かしたが、後続のランナーに次々抜かれていく。そのとき「ガンバって」と叫ぶ声が聞こえた。ピンちゃんの声だった。秋になると、担任の教師から「弁論大会に出てみないか」と声がかかった。ボクがその準備にかかった頃、ピンちゃんはひとりで平均台の練習に励んでいた。その練習姿を見ていると、「おい」と長尾が突っかかってきた。「止めんね」と止めに入ったピンちゃんは、長尾に校舎の裏に連れていかれた。コンちゃんたちは、「ピンちゃん、長尾にやられたらしい」と言う。怒りに体が震えた。そんな中、やってきた弁論大会当日、ボクはその日の弁論を、「ピンちゃんの勇気に捧げよう」と決意した。最後の1枚半、1分間分の原稿にさしかかったとき、ボクの頭に突然、用意した原稿とは別のフレーズが浮かんだ。急遽、差し替えた原稿に、担任は苦い顔をしたが、結局は、そこが評価されて、ボクの弁論は金賞に選ばれた。その大会の会場には、ピンちゃんも来ていたが、金賞を祝福する輪の中に、彼女の姿はなかった。弁論の内容に傷ついて、姿を消したか? 心配しながら帰り支度をしていると、自転車の前カゴに、ドスンとだれかが荷物を放り込んできた。ピンちゃんだった。ボクが自転車を引き出すと、「乗せて」と荷台にまたがって、手を腰に回してくる。だれかに見られたら大変だと思いながら、ボクは、彼女の体温を背中に感じながら、農道を走った。翌週、金賞の弁論を、校内放送で再演することになった。その原稿を放送すれば、ピンちゃんに危害が及ぶかもしれない。原稿を変えなくちゃと言うボクに、ピンちゃんが言うのだった、「一字一句変えずに放送して」と。放送が流された数日後のホームルームで、その事件は報告された。ピンちゃんの手袋が、なんと、男子トイレで発見されたと言うのだ。ピンちゃんは。長尾に男子トイレに連れ込まれ、いやらしいことをされそうになった。つかまれた手をふりほどくとき、手袋が脱げ落ちたというのだ。そのピンちゃんが、「家でクリスマス会をやるけど、来ませんか?」と言う。ピンちゃんの部屋には、大北が描いたという絵が飾ってあった――
クリスマス会のハイライトは、ピンちゃんのピアノだった。
彼女のピアノを聴くのは、それが初めてだった。
背中をピンと伸ばしてピアノに向かうピンちゃんの姿を、ボクは、平均台のピンちゃんの姿とダブらせた。
ピンちゃんには、やっぱり、真っ直ぐが似合う。
その真っ直ぐを歪めようとする人間が現れたら、ボクは、今度こそ、逃げずに立ち向かうんだ――と、心に決めた。
演奏してくれたのは、ショパンだった。
1曲目は、ボクの知らない曲。『幻想即興曲』という曲だ、と大北が教えてくれた。まるで魔法のように、鍵盤の上を滑るピンちゃんの指に圧倒され、ボクは言葉を失った。
2曲目は、『別れの曲』だった。音楽の授業にも出てくる曲で、ときどき家で歌うこともあったが、その聴きなれた曲が、ピンちゃんの指にかかると、まったく別の曲に聞こえた。
ピンちゃんは、しなやかな指先にありったけの詩情を込めて、その単純な旋律から、「愛しさ」や「切なさ」や「深い思慕」を紡ぎ出してくれた。聴いているうちに、目がしょっぱくなってくる。それを見て、幸恵がそっとティッシュ・ペーパーを渡してくれた。
ピンちゃんの演奏が終わると、大北が「みんなでクリスマス・ソングを歌おう」と言い出した。
合唱部が3人も揃っている。ボクたちは、ピンちゃんの伴奏で、『きよしこの夜』『赤鼻のトナカイ』『もろびとこぞりて』……と、知っているクリスマス・ソングを次々に歌った。

みんなが知っている曲が出尽くすと、ピンちゃんがリクエストした。
「だれか、ナットキング・コールの『クリスマス・ソング』を英語で歌えない?」
「それだったら、覚えてるよ」と名乗りを挙げて、最後は、ボクの歌とピンちゃんのピアノのデュオになった。
《オールゾー・イッツ・ビーン・セッド、
メニー・タイムズ、メニー・ウエイ~、
メリー・クリスマス・トゥ・ユー》
最後の8小節に、思いの丈を込めて歌い終わると、ピンちゃんが手を差し出してきた。
「この曲、ソラで歌った人、初めて見た」
ピンちゃんが手を握り締める横から、「あんなむずかしい転調があるのに、よく歌えるね」と大北真一が合唱部のキャプテンらしい感想を口にし、合田幸恵が「レコード聴いてるようだった」と、恥ずかしくなるような感想をもらした。
「なんだか、お家の中がやっと、クリスマスらしくなったわ」
ピンちゃんの母親が、お盆に載せたケーキと紅茶を持ってきてくれて、ボクたちのミニ・コンサートはお開きになった。
知らない町の中学校に転校して来て以来、いちばんの楽しい夜が、そうして更けていった。
彼女のピアノを聴くのは、それが初めてだった。
背中をピンと伸ばしてピアノに向かうピンちゃんの姿を、ボクは、平均台のピンちゃんの姿とダブらせた。
ピンちゃんには、やっぱり、真っ直ぐが似合う。
その真っ直ぐを歪めようとする人間が現れたら、ボクは、今度こそ、逃げずに立ち向かうんだ――と、心に決めた。
演奏してくれたのは、ショパンだった。
1曲目は、ボクの知らない曲。『幻想即興曲』という曲だ、と大北が教えてくれた。まるで魔法のように、鍵盤の上を滑るピンちゃんの指に圧倒され、ボクは言葉を失った。
2曲目は、『別れの曲』だった。音楽の授業にも出てくる曲で、ときどき家で歌うこともあったが、その聴きなれた曲が、ピンちゃんの指にかかると、まったく別の曲に聞こえた。
ピンちゃんは、しなやかな指先にありったけの詩情を込めて、その単純な旋律から、「愛しさ」や「切なさ」や「深い思慕」を紡ぎ出してくれた。聴いているうちに、目がしょっぱくなってくる。それを見て、幸恵がそっとティッシュ・ペーパーを渡してくれた。
ピンちゃんの演奏が終わると、大北が「みんなでクリスマス・ソングを歌おう」と言い出した。
合唱部が3人も揃っている。ボクたちは、ピンちゃんの伴奏で、『きよしこの夜』『赤鼻のトナカイ』『もろびとこぞりて』……と、知っているクリスマス・ソングを次々に歌った。

みんなが知っている曲が出尽くすと、ピンちゃんがリクエストした。
「だれか、ナットキング・コールの『クリスマス・ソング』を英語で歌えない?」
「それだったら、覚えてるよ」と名乗りを挙げて、最後は、ボクの歌とピンちゃんのピアノのデュオになった。
《オールゾー・イッツ・ビーン・セッド、
メニー・タイムズ、メニー・ウエイ~、
メリー・クリスマス・トゥ・ユー》
最後の8小節に、思いの丈を込めて歌い終わると、ピンちゃんが手を差し出してきた。
「この曲、ソラで歌った人、初めて見た」
ピンちゃんが手を握り締める横から、「あんなむずかしい転調があるのに、よく歌えるね」と大北真一が合唱部のキャプテンらしい感想を口にし、合田幸恵が「レコード聴いてるようだった」と、恥ずかしくなるような感想をもらした。
「なんだか、お家の中がやっと、クリスマスらしくなったわ」
ピンちゃんの母親が、お盆に載せたケーキと紅茶を持ってきてくれて、ボクたちのミニ・コンサートはお開きになった。
知らない町の中学校に転校して来て以来、いちばんの楽しい夜が、そうして更けていった。

足元が少しフワフワしていた。
ピンちゃんのお母さんが、「クリスマスだから、一杯だけ、召し上がれ」と出してくれたポート・ワインで、頭もポーッと熱くなっていた。
みんなとは、ピンちゃんの家の前で別れて、ボクだけは、線路の反対側にある社宅街に帰らなくてはならない。
見送るピンちゃんに手を振って、生垣の門を曲がり、口笛を吹きながら軽い足取りで歩き始めたそのときだった。
次の十字路にさしかかったとき、いきなり、生垣の陰から、黒い塊が飛び出してきた。
エッ、何だ……!
思う間もなく、ボクの頬に衝撃が走った。
目の奥で、一瞬、赤や黄の閃光が走った。
気がついたときには、ボクの体は、地面になぎ倒されていた。
倒れたボクの体に、なおも黒い影が飛びかかってきた。
学生服の胸倉をつかんだ黒い影が、再び、手を振り上げる姿が見えた。
そこで、やっとわかった。長尾だった。
ボクは必死で顔をガードしようとしたが、間に合わなかった。
その一発のほうが強烈だった。
長尾の拳は、ボクの頬にクリーン・ヒットし、当たった瞬間、顔から「ミシッ」という音がした。
「あいつに近づくな、ゆうたやろ。今度、こんなマネしたら、半殺しにしょんで!」
なんとか手を伸ばして、足をつかもうとした瞬間、今度は、その足が動いて、ボクの腹にめり込んだ。
息ができなくなった。
長尾は、横たわってうめくボクの顔にツバを吐きかけて、暗闇の中に消えていった。
口の中が、鉄サビの匂いでいっぱいになった。
ツバを吐き出すと、それは血だった。
吐いても吐いても、血は口の中に溜まってくる。
ボクは、いま、どんな顔をしてるんだろう――最初に考えたのは、それだった。
このままの顔で帰ると、親に何を言われるか、わからない。
どこかで顔を洗わなくちゃ――と思った。
引き込み線を貨物列車が近づいてくる音がした。
ボクは、何とか体を起こして、服についた泥をていねいに払い落とした。
家に向かう途中に学校がある。
だれもいない校庭に裏門から入って、体育倉庫の脇にある水飲み場で顔を洗い、口の中をゆすいだ。
水道の水が、口の中に沁みる。
たぶん、どこかが切れているのだ。
「クソーッ!」と、知らず知らず大きな声が出た。
しかし、こんなことで負けてはいられない。
あの、ピンちゃんの真っ直ぐな背中を、少しでも丸めさせようとするヤツがいたら、ボクは許さない。
闘うんだ!
もう一度、自分に言い聞かせて、校庭を出た。
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管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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