最初で最後の「家出」の誘い

幼少期のボクに、一度だけ、
母がつぶやいたことがあった。
母さんと一緒に家を出ていこうか?
ボクはその誘いに首を振った――。
父と母が仲睦まじくしているという光景を、幼い頃のボクは、ほとんど見た記憶がない。
父が母に口を開くときには、「××しとけ」とか「〇〇せェよ」と、何かを命令する口調ばかりだったような気がする。
母は、その命令に、たいていは「ハイ」「ハイ」と従っていたが、「××て言うたじゃないですか?」と涙まじりに抗議することもあった。ときには、怒った母が父に向って茶碗を投げつけることもあった。
怒った理由が何なのか、子どもであるボクにはさっぱりわからなかったが、そんなとき、母はいつも涙を流していたので、子どもの目には、父が母を虐げている――としか映らなかった。
ボクの家は、
和気あいあいとして、
温かい空気に満ち溢れているように見えるよその家とは、
少し違うようだゾ。
子ども心にも、そう感じていた。そんな日が続いた初夏のある日のことだった。

「ねェ、テツオ」
母親が、いつになくしんみりとした声で、呼びかけてきた。
いつのことだったか、ハッキリとした記憶はない。
あの大水の前だったか後だったかも、いまとなってはわからない。
弟は生まれていたはずだが、妹が生まれていたかどうかも定かではない。
ボクはそのとき、自分が使った寝具を畳んで、押し入れにしまっていた。重い布団を「ヨイショ」と抱えているときに、「ねェ、哲雄」と母の声が覆いかぶさってきたのだった。
母さんと一緒にこの家ば出て行こうか?
ボクには、一瞬、その意味がわからなかった。
意味はわからなかったが、「家を出て行く」が、住み慣れた家からどこか遠くへ行ってしまう――というふうに聞こえたのだろう。
後で母親が言うには、ボクは即座に、「イヤだ」と首を振ったのだそうだ。
「そうね、イヤね……」
母親は、声を落としてつぶやいた。
そして、二度とその言葉を口にすることはなかった。
父が母に口を開くときには、「××しとけ」とか「〇〇せェよ」と、何かを命令する口調ばかりだったような気がする。
母は、その命令に、たいていは「ハイ」「ハイ」と従っていたが、「××て言うたじゃないですか?」と涙まじりに抗議することもあった。ときには、怒った母が父に向って茶碗を投げつけることもあった。
怒った理由が何なのか、子どもであるボクにはさっぱりわからなかったが、そんなとき、母はいつも涙を流していたので、子どもの目には、父が母を虐げている――としか映らなかった。
ボクの家は、
和気あいあいとして、
温かい空気に満ち溢れているように見えるよその家とは、
少し違うようだゾ。
子ども心にも、そう感じていた。そんな日が続いた初夏のある日のことだった。

「ねェ、テツオ」
母親が、いつになくしんみりとした声で、呼びかけてきた。
いつのことだったか、ハッキリとした記憶はない。
あの大水の前だったか後だったかも、いまとなってはわからない。
弟は生まれていたはずだが、妹が生まれていたかどうかも定かではない。
ボクはそのとき、自分が使った寝具を畳んで、押し入れにしまっていた。重い布団を「ヨイショ」と抱えているときに、「ねェ、哲雄」と母の声が覆いかぶさってきたのだった。
母さんと一緒にこの家ば出て行こうか?
ボクには、一瞬、その意味がわからなかった。
意味はわからなかったが、「家を出て行く」が、住み慣れた家からどこか遠くへ行ってしまう――というふうに聞こえたのだろう。
後で母親が言うには、ボクは即座に、「イヤだ」と首を振ったのだそうだ。
「そうね、イヤね……」
母親は、声を落としてつぶやいた。
そして、二度とその言葉を口にすることはなかった。

あのとき、母親は離婚しようとしていたのではないか?
そのことに思い至ったのは、中学校に上がってからだった。
その頃からボクは、何かにつけて父親とぶつかるようになっていた。
何だったかは忘れたが、学校のある催しに参加する・しないをめぐって、ボクは父親とえらくぶつかり、「もう、学校なんか行かん。家を出て働く」「オゥ。出て行け」などとやり合ったことがあった。
そんな衝突があった翌日だったと思う。
「母さんも、この家、出て行こうかて、思うたこと、あったとよ。そやけど、あんたたちがおったけん、私はこの家におることに決めたと」
秋の日の縁側。エンドウ豆の筋獲りを手伝っているボクに、なにげにつぶやいた母親の言葉に、ボクは「もしかして、あのとき……」と気づいたのだった。
「あんたたち」とは言うけど、あのとき、まだ妹は生まれていなかったはずだ。
そして、母親に離婚を踏みとどまらせたのは、ボクが発した「イヤだ」だったのかもしれない――と思うと、何だか複雑な気持ちになった。
ボクは、自分の権力を振りかざすことしかしない父親を、嫌っていた。
母親も、たぶん、父親の暴君ぶりを嫌っていた。
あのとき、ボクが「ウン」と答えていたら、母親とボクは、まったく違う人生を歩むことになっていたのかもしれない。
それがどんな人生になっていたか、いまとなっては、想像のしようもない。
その想像を、弟や妹には、口にすることもなかった。
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