第74夜☆「エロス」を「アガペー」の海に軟着陸させる方法
第74夜
「愛とは何か?」をめぐって、管理人・哲雄がパートナー・AKIを相手に展開する、オヤジ・ギャグ風+ちょっぴりアカデミックおしゃべり。今回は、「愛」のありようが、歳とともにどう変化していくべきかを、図を使って解説します――。
哲雄 ヨシッ!
AKI 気合入ってますね、哲ジイ。
哲雄 この世に生を受けて半世紀余。
AKI 「余」って、かなりな「余」ですが……。
哲雄 ウル茶イ! 幾星霜を経て、私が悟るにいたった「愛のエナジー」の熱交換理論を、本日は、いきなりドーンとお見せしよう。

AKI いきなり、図ですか。これはまた、極彩色な……。前回のエロス、フィリア、アガペーが、フムフム、歳とともに変化していくぞ……と。そういうことを表した図なんですね。
哲雄 前回、確か、こんな話をしたよね。愛の対象が、「エロス」では自己中心的、「フィリア」では社会的、「アガペー」では普遍的、というふうに変化していく……と。
AKI ハイ、確かに。そして、私と哲ジイとは、フィリアで結ばれている関係であって、決してエロスが介在する関係ではありませんよ~~と、深~くクギを刺しておきました。
哲雄 まったく、ひと言多いガキだ。
AKI 何か……?
哲雄 ナンでもありません。ジャ、パンだ(←いちおう、シャレです。すみません
)。それで、この「自己中心的」「社会的」「普遍的」という愛の対象の変化は、実は、経年変化でもあると申し上げました。
AKI つまり、歳とともに変化していくということですよね。それが、この図。
哲雄 実はね、この「愛の対象」の変化は、自我が拡大していく過程と符号しているんですよ。
AKI ヘーッ、自我は拡大していくんだ。
哲雄 考えてご覧なさい。ごく幼い頃の自分は、親と子という関係の中で、ただ「与えられること」を望んでいるだけの存在だったはずです。
AKI 「乳飲ませろー」とか言ってるだけの、わがままな存在だったんですね。よく覚えてませんけど……。
哲雄 エロスと言えば「超エロス」。これほど利己的な愛はないはずです。ところが、そのうち、近所の子どもたちと触れ合うようになり、幼稚園、小学校……と進むにつれて、「集団の中の自分」という自我が育っていきます。
AKI ハイ、私も「クラスでいちばんかわいい子」なんていう自我を、しっかり育てさせていただきました。
哲雄 ま、そういう妄想も自我のうち。小学生ぐらいだと、せいぜい「クラスの一員」ぐらいなんだけど、だんだんそれが拡大していって、「学校の一員」「地域の一員」「市民」「国民」なんていう、より大きな自我へと発展していくんだよね。
AKI 私も、しっかり、宇宙の一員になってました、中学に入る頃には……。
哲雄 ハイー?(←これ、『相棒』の右京さんの口調です)
AKI 『宇宙戦艦ヤマト』に夢中だったんですよ。
哲雄 みなさん、この部分の発言、議事録から削除してくださいね。この方がおっしゃっているのは、単なるアニメ的自我のことですから。
AKI エーッ、それじゃダメなんですかぁ?
哲雄 ダメです。「宇宙的」ということは「普遍的」と同義で、つまり、自我の発展の究極に位置するものなんです。さっき言った、「学校の」とか「地域の」とか「国民としての」なんていうのは、「社会的自我」と言ってもいいんだけど、こういう自我は、自分が帰属する社会が変わると、消えてしまう自我です。
AKI 消える?
哲雄 たとえば、「○○女子学園のAKI」という自我は、キミが学園を卒業してしまうと消えるでしょ。「一家の主婦」という自我も、夫婦という関係が解消されると、消えてしまう自我です。「日本国の国民」という自我も、「日本なんてつまらん国だ」と思ったとたんに消えてしまいます。
AKI するってえと、なんですか? 「亭主元気で留守がいい」なんて言ってる妻の「妻としての自我」も、半分は消えかかっているわけですね。
哲雄 少なくとも、「フィリア」は消滅しかかっていると言っていいんじゃないでしょうか。「フィリア」っていうのは、小は友人・家族から大は国家まで、そういう社会の中で、自分と他の成員とを信義や愛情で結びつける「愛」なんだよね。だから、「フィリア」の対象は、そのとき、その人が信を置く集団が何であるかによって、時々刻々変化していきます。でも、そのうち、深くものを考える人間は、気づくんだよね。
AKI 「フィリア」はアテにならない?
哲雄 というより、「フィリア」の対象である「社会」というものは、それが家族であろうと、会社であろうと、国家であろうと、いつかは消えてなくなるものだ。もしかしたら、家族みたいに、突然、離散することになるかもしれない。もっと、不変で、確かなものはないのだろうか……とね。
AKI 金だ! とはならないわけですよね?
哲雄 いや、そう思う人もいるかもしれない。そういう人にとっては、金が「神」になるわけです。しかし、もっと深く考える人は、そう言えば、そんなことを考えている自分の肉体だって、いつかは滅びてしまうんだ――と気づきます。すると……。
AKI わかった。神や仏のことを考え始める。
哲雄 だね。正確に言うと、神や仏も含めた「超越的な何か」だよね。そこで、出会うのが、キリスト教で言うと「神の愛=アガペー」であり、仏教で言うと仏の「慈悲」。どちらも、普遍的で無償的な、無条件の愛。人間の魂は、こういう「超自我」と出会って、初めて、自分の生命が有限であるという絶望や恐怖から抜け出せるわけです。
AKI それ、だれでも出会うわけではありませんよね。私、まだ出会ってないし……。
哲雄 ま、キミはやっと、パエディアを食べさせる相手と出会ったばかりだからね。まだ、エロスまっ最中。でもね、早熟な人は、早くも10代の半ばぐらいから、こういうことを考え始めたりもする。反対に、いつまでも、欲にしがみつこうとする人は、死ぬ寸前まで考えないだろうしね。
AKI だれでも、歳をとると自然にそう変わっていくってわけじゃないんですね。
哲雄 うまく切り替えができないと、いつまでもエロスにしがみついてもがき続ける……なんてことになりかねない。
AKI 切り替えというのは?
哲雄 まず、エロスからフィリアへの切り替え、次に、フィリアからアガペーへの切り替え。「切り替え」と言っても、前のを「0」にするっていうことじゃないよ。ゆっくり移行していきなさい……ってことなんだ。最初の図を、1組の男女の愛の歴史と重ね合わせて考えたらどうなるか?
AKI エーッと、最初が、ラブラブのカップル段階。次が、夫婦という形。最後が熟年夫婦――ですか。
哲雄 ラブラブ状態のカップルを動かしている愛は「エロス」だよね。でも、やがてふたりは夫婦になり、そのうち子どもが生まれて、「家族」という社会を形成します。この段階でも、もちろん「エロス」は健在ですが、それよりも、家族という「社会」を力を合わせて守っていこう――という「フィリア」の要素が強くなります。
AKI 「フィリア」はだいたい、40歳ぐらいでピークに達してますね。
哲雄 というのも、これくらいから、子どもがひとり立ちし始めますからね。50歳ぐらいになると、完全に自立してしまいます。そこで「フィリア」は、ほぼお役ご免になってしまうわけです。すると、どうなるか?
AKI ン? 夫婦を支える「愛」がなくなっちゃう?
哲雄 「フィリア」を支えにしていた夫婦は、危機を迎えますよね。これが、「熟年離婚」のひとつの原因だと、私は思ってるんだけどね。そうなる前に、「エロス」や「フィリア」を超える「愛」を形成していないと、夫婦はもたないということです。
AKI つまり、アガペーに目覚めよ、というわけですね。
哲雄 ザッツ、ライト! できれば、「フィリア」が下降線をたどり始める40歳前後から、少しずつ「アガペー的な愛」へと、夫婦の愛の形を変えていかないと、この危機を避けるのがむずかしくなると思うんだ。実は、ここにアラフォー問題の本質がある――と、私は見ているんだけど、ここから先は長くなるので、次回にしましょうか。
AKI 話はまだまだ続きますよ、yukkyさん。
※今回の話も、「yukkyの再構築夫婦生活」のyukkyさんの悩みにお答えすべく、お届けしました。この話が、夫婦関係で悩むすべての方の、問題解決のヒントになれば幸いです――管理人
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【復習】「愛」を表すギリシャ語3種。念のために、もう一度まとめておきます。
エロス……肉欲、情欲に導かれた、自己中心的な愛。
フィリア……友人、家族など、特定の結びつきを持った人間同士の間で交わされる「友愛」。
アガペー……どんな人間にも分け隔てなく、普遍的に示される無償の愛。神の愛。
エロス……肉欲、情欲に導かれた、自己中心的な愛。
フィリア……友人、家族など、特定の結びつきを持った人間同士の間で交わされる「友愛」。
アガペー……どんな人間にも分け隔てなく、普遍的に示される無償の愛。神の愛。
哲雄 前回、確か、こんな話をしたよね。愛の対象が、「エロス」では自己中心的、「フィリア」では社会的、「アガペー」では普遍的、というふうに変化していく……と。
AKI ハイ、確かに。そして、私と哲ジイとは、フィリアで結ばれている関係であって、決してエロスが介在する関係ではありませんよ~~と、深~くクギを刺しておきました。
哲雄 まったく、ひと言多いガキだ。
AKI 何か……?
哲雄 ナンでもありません。ジャ、パンだ(←いちおう、シャレです。すみません

AKI つまり、歳とともに変化していくということですよね。それが、この図。
哲雄 実はね、この「愛の対象」の変化は、自我が拡大していく過程と符号しているんですよ。
AKI ヘーッ、自我は拡大していくんだ。
哲雄 考えてご覧なさい。ごく幼い頃の自分は、親と子という関係の中で、ただ「与えられること」を望んでいるだけの存在だったはずです。
AKI 「乳飲ませろー」とか言ってるだけの、わがままな存在だったんですね。よく覚えてませんけど……。
哲雄 エロスと言えば「超エロス」。これほど利己的な愛はないはずです。ところが、そのうち、近所の子どもたちと触れ合うようになり、幼稚園、小学校……と進むにつれて、「集団の中の自分」という自我が育っていきます。
AKI ハイ、私も「クラスでいちばんかわいい子」なんていう自我を、しっかり育てさせていただきました。
哲雄 ま、そういう妄想も自我のうち。小学生ぐらいだと、せいぜい「クラスの一員」ぐらいなんだけど、だんだんそれが拡大していって、「学校の一員」「地域の一員」「市民」「国民」なんていう、より大きな自我へと発展していくんだよね。
AKI 私も、しっかり、宇宙の一員になってました、中学に入る頃には……。
哲雄 ハイー?(←これ、『相棒』の右京さんの口調です)
AKI 『宇宙戦艦ヤマト』に夢中だったんですよ。
哲雄 みなさん、この部分の発言、議事録から削除してくださいね。この方がおっしゃっているのは、単なるアニメ的自我のことですから。
AKI エーッ、それじゃダメなんですかぁ?
哲雄 ダメです。「宇宙的」ということは「普遍的」と同義で、つまり、自我の発展の究極に位置するものなんです。さっき言った、「学校の」とか「地域の」とか「国民としての」なんていうのは、「社会的自我」と言ってもいいんだけど、こういう自我は、自分が帰属する社会が変わると、消えてしまう自我です。
AKI 消える?
哲雄 たとえば、「○○女子学園のAKI」という自我は、キミが学園を卒業してしまうと消えるでしょ。「一家の主婦」という自我も、夫婦という関係が解消されると、消えてしまう自我です。「日本国の国民」という自我も、「日本なんてつまらん国だ」と思ったとたんに消えてしまいます。
AKI するってえと、なんですか? 「亭主元気で留守がいい」なんて言ってる妻の「妻としての自我」も、半分は消えかかっているわけですね。
哲雄 少なくとも、「フィリア」は消滅しかかっていると言っていいんじゃないでしょうか。「フィリア」っていうのは、小は友人・家族から大は国家まで、そういう社会の中で、自分と他の成員とを信義や愛情で結びつける「愛」なんだよね。だから、「フィリア」の対象は、そのとき、その人が信を置く集団が何であるかによって、時々刻々変化していきます。でも、そのうち、深くものを考える人間は、気づくんだよね。
AKI 「フィリア」はアテにならない?
哲雄 というより、「フィリア」の対象である「社会」というものは、それが家族であろうと、会社であろうと、国家であろうと、いつかは消えてなくなるものだ。もしかしたら、家族みたいに、突然、離散することになるかもしれない。もっと、不変で、確かなものはないのだろうか……とね。
AKI 金だ! とはならないわけですよね?
哲雄 いや、そう思う人もいるかもしれない。そういう人にとっては、金が「神」になるわけです。しかし、もっと深く考える人は、そう言えば、そんなことを考えている自分の肉体だって、いつかは滅びてしまうんだ――と気づきます。すると……。
AKI わかった。神や仏のことを考え始める。
哲雄 だね。正確に言うと、神や仏も含めた「超越的な何か」だよね。そこで、出会うのが、キリスト教で言うと「神の愛=アガペー」であり、仏教で言うと仏の「慈悲」。どちらも、普遍的で無償的な、無条件の愛。人間の魂は、こういう「超自我」と出会って、初めて、自分の生命が有限であるという絶望や恐怖から抜け出せるわけです。
AKI それ、だれでも出会うわけではありませんよね。私、まだ出会ってないし……。
哲雄 ま、キミはやっと、パエディアを食べさせる相手と出会ったばかりだからね。まだ、エロスまっ最中。でもね、早熟な人は、早くも10代の半ばぐらいから、こういうことを考え始めたりもする。反対に、いつまでも、欲にしがみつこうとする人は、死ぬ寸前まで考えないだろうしね。
AKI だれでも、歳をとると自然にそう変わっていくってわけじゃないんですね。
哲雄 うまく切り替えができないと、いつまでもエロスにしがみついてもがき続ける……なんてことになりかねない。
AKI 切り替えというのは?
哲雄 まず、エロスからフィリアへの切り替え、次に、フィリアからアガペーへの切り替え。「切り替え」と言っても、前のを「0」にするっていうことじゃないよ。ゆっくり移行していきなさい……ってことなんだ。最初の図を、1組の男女の愛の歴史と重ね合わせて考えたらどうなるか?
AKI エーッと、最初が、ラブラブのカップル段階。次が、夫婦という形。最後が熟年夫婦――ですか。
哲雄 ラブラブ状態のカップルを動かしている愛は「エロス」だよね。でも、やがてふたりは夫婦になり、そのうち子どもが生まれて、「家族」という社会を形成します。この段階でも、もちろん「エロス」は健在ですが、それよりも、家族という「社会」を力を合わせて守っていこう――という「フィリア」の要素が強くなります。
AKI 「フィリア」はだいたい、40歳ぐらいでピークに達してますね。
哲雄 というのも、これくらいから、子どもがひとり立ちし始めますからね。50歳ぐらいになると、完全に自立してしまいます。そこで「フィリア」は、ほぼお役ご免になってしまうわけです。すると、どうなるか?
AKI ン? 夫婦を支える「愛」がなくなっちゃう?
哲雄 「フィリア」を支えにしていた夫婦は、危機を迎えますよね。これが、「熟年離婚」のひとつの原因だと、私は思ってるんだけどね。そうなる前に、「エロス」や「フィリア」を超える「愛」を形成していないと、夫婦はもたないということです。
AKI つまり、アガペーに目覚めよ、というわけですね。
哲雄 ザッツ、ライト! できれば、「フィリア」が下降線をたどり始める40歳前後から、少しずつ「アガペー的な愛」へと、夫婦の愛の形を変えていかないと、この危機を避けるのがむずかしくなると思うんだ。実は、ここにアラフォー問題の本質がある――と、私は見ているんだけど、ここから先は長くなるので、次回にしましょうか。
AKI 話はまだまだ続きますよ、yukkyさん。
※今回の話も、「yukkyの再構築夫婦生活」のyukkyさんの悩みにお答えすべく、お届けしました。この話が、夫婦関係で悩むすべての方の、問題解決のヒントになれば幸いです――管理人

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