自伝的創愛記〈7〉 水への恐怖心が生まれた日

老犬自伝的エッセイ 「創愛記」  Vol.7  


忘れることのできない一日がある。
もしかしたらあの日でボクの人生は
終わっていたかもと思う一日。
そのとき、ボクは、8歳だった――。


 その日は、朝から猛烈な雨が降り続いていた。
 傘をたたいた雨水が瀧となって流れ落ちるような、恐ろしいほどの雨足。それが、朝から降り続いて、学校は、午前中の二時限で休校となった。
 昼過ぎには、父親が会社から帰って来た。たぶん、「早めに帰宅するように」という指令が会社から出たか、会社にそういう通達が回されて来たのだろう。
 「きょうは水が出るかもしれんけん、濡れて困るもんとかは、できるだけ高いところに上げとけよ」
 そういうときになると張り切る父親の指示で、ボクは教科書やノートをランドセルと一緒に天袋に上げ、当面、学校に着ていく服などを、木箱に詰めて押し入れに上げた。
 日が暮れると、ボクたちは、畳を押し入れに積み上げ、リンゴ箱を重ねて作った食卓に食器を並べ、余ったリンゴ箱をイス代わりにして、夕食を済ませた。
 いつも食事をする食卓は、父親が押し入れに上げていたからだ。食卓を濡らさないように――という配慮からではない。
 父親が言うには、もし水が出たら、押し入れの上段ぐらいまで水が上がってくる。布団などは、押し入れの上段に並べた食卓の上に上げとったほうがよかろう――というのだった。
 「エッ、そげんとこまで水が上がってくると?」
 その高さを見て、ボクは怖くなった。その高さは、まだ小さなボクの頭をはるかに超えていた。

            

 まだ、TVもない時代だった。
 もちろん、コンピュータもなければ、インターネットなんてものもない。
 気象衛星はおろか、気象レーダーさえ各気象台には配備されてない時代だから、各地方の管区気象台は、各地の観測所から送られてくる気圧や雨量のデータを元に、天気予報や各種の警報を流していた。
 そんな時代に、「きょうは水が出る」と予測して、生徒を下校させた学校の先生たちや荷物を押し入れに避難させた親たちは、天変地異について、何かしらボクたちには想像のできない予知能力のようなものを備えているように見えた。
 リンゴ箱での夕食がすむと、今度は、ありったけのリンゴ箱を畳を剥いだ床板の上に並べ、その上に敷布団代わりに座布団を敷いて、ボクたちは仮眠をとることにした。
 屋根に降り注ぐ雨の音が聞こえていた。横殴りに降りつける雨が雨戸を叩いて、不気味な音を立てていた。
 ボクたちは、無事に朝を迎えられるんだろうか?
 そんな不安から逃げたくて目を閉じると、いつの間にか、眠りに落ちていた。

            

 どれくらい寝ていたのかわからない。
 ほんの1、2時間だったかもしれないし、4、5時間はまどろんだのかもしれない。
 玄関をドンドンと叩く音がした。
 「××さ~ん、××さ~ん」
 だれかが大声で呼ぶ声がしている。向かいの自動車修理工場のおじさんだった。
 起き出した父親が玄関を開けると、玄関の外の泥水が、一気に部屋の中に流れ込んで来た。床下に流れ込んだ水が、すでに床板の下でチャプチャプ音を立てていたが、そこへさらに膨大な量の水が流れ込んで、床は一気に水に浸かった。
 「白川が決壊しとる。平屋は危ないけん、うちの工場の2階に。みなさん、もう避難しとらすけん、お宅も早く」
 父親は弟を肩に負ぶい、ボクはおじさんに肩車されて、泥水の中を向かいの工場に向かった。
 水はおとなの胸の高さぐらいまであった。渦を巻いて街角に流れ込んでくる水が、浸水の嵩をジワジワと上げていた。
 このまま流れ込み続けたら、みんな、泥水の中に呑み込まれてしまうかもしれない。それが怖くて、ボクはおじさんの肩の上で震えた。

            

 工場の2階には、近所の10家族ほどが避難していて、おばさんたちが共同で炊き出しのおにぎりなどを用意していた。
 しかし、とてもそのおにぎりをパクつく余裕は、ボクにはなかった。
 氾濫した水は、2階への階段を一段、また一段と上がってくる。このまま水位が上がり続けたら、この2階も水浸しになってしまうかもしれない。
 そうなったら、もう、逃げる場所はない。
 「まだ増えよっと?」
 「ここまで登ってくるっちゃろか?」
 おとなたちも、口々に不安な声を挙げて、階段をにじり上ってくる泥水を見つめていた。そんな時間がどれくらい続いたか。
 「オーッ!」
 階段の降り口から下をのぞいていた町内で一番年長のおじさんが、大きな声を挙げたので、2階の避難民全員が、「どうした?」という目を向けた。
 「水の、引き始めよっゾ!」
 「ほなこつ?」
 おばさんたちがうれしそうな声を挙げて降り口に集まって来て、「ほんなこと、引きよぉばい、ね、あんた」と、あじさんたちを呼んだ。
 「こら、朝までには引いてしまいますばい」
 他人事のように言う父親の脇から階段をのぞくと、おじさんたちの言うとおり、水は、栓を抜いたフロの湯のように、階段の板段の上から流れ落ち始めていた。
 やがて、夜が明けた。
 前日の雨がウソのように、東の空から夏の太陽が昇り、庭木では鳥たちがチチ……と鳴いていた。
 ふつうに明ける朝。燦燦と降り注ぐ陽光を、あのときほどありがたいと思ったことはない。
 そして、だれの顔にも、「やれやれ」という安どの色が浮かんでいた。

            

 水が足のくるぶしのあたりまで引いたのを見て、ボクたちはそれぞれの家に帰った。
 家の中は、ひどいありさまになっていた。
 床の上まで泥水をかぶった家の中は、どこもかしこも泥だらけになっていた。まだ、水洗トイレも普及してない時代である。泥の中には、汲み取り式の便槽から流された汚物も混じっていた。
 そんな汚物交じりの泥を、まず、水で洗い流さなくてはならない。水が引いた後の2日間は、家族総出で泥だらけの床板を洗い落とし、庭に積もった泥を掻き出す作業に没頭した。
 幸い、畳や布団は、出水の前夜、押し入れに避難させておいたので、被害はなかったが、何とか家でふつうに生活できるようになるのに、まる3日はかかった。その間、学校は休校になっていたし、父親の会社も、臨時休業になっていた。
 しかし、ボクたちが受けた被害なんて、そのとき、地域全体が受けた被害から見ると、屁でもないものだった。
 新聞には、屋根まで水に浸かった家屋や、崩れ落ちた橋や、グニャグニャに折れ曲がった鉄道のレールの写真などが掲載され、

 西日本の水害、未曽有の被害
 死者、千人超

 などの見出しが躍っていた。
 市内を流れる白川にかかる橋は、市電の走るメインストリートの橋を含めて、何本かが落ちてしまい、市電もストップして、復旧には半月近くがかかった。
 熊本・福岡を中心に1000人を超す死者が出た被害は、単一の水害の被害としては、戦後最悪だった。
 「生きとるだけで、運がよかったとよ」
 母親が言い聞かせるように口にした言葉が、すべてを押し流していく濁流の恐怖とともに、いまも、ボクの胸に残っている。



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