ピンちゃん〈1〉 平均台を舞う鶴

平均台が置いてあった。その平均台で
鶴のように舞うひとりの女子生徒。
ボクは、そのレオタード姿に恋をした。
連載 ピンちゃん 第1章
中学3年の2学期、ボクは突然、転校生になった。
瀬戸内海を渡ったその街は、海沿いに並ぶ工場群からやたら硫黄臭い排煙が立ち上る、小さな工業都市だった。
同じようなくすんだ瓦の屋根が、碁盤の目のように並ぶ企業城下町。その社宅街の端に建つ鉄筋コンクリート3階建ての校舎が、ボクが中3の残り6カ月を過ごすことになった「西中学校」だった。
全校生徒の6割近くが、同じ系列の企業で仕事をしている家庭の子弟で占められる中学校。父親も、その系列の企業に勤務するサラリーマンだった。
まったくなじみのない街、耳慣れないイントネーションが飛び交うその街で、ボクは高校進学までの6カ月間を過ごし、その後、どこかの高校に進む。しかし、その高校生活の途中で、再び、親たちは転勤することが予定されていた。
高校を途中で転校することはむずかしい。
どうするのか?
その見通しも立たないまま、ボクの中学校最後の半年間が、スタートすることになった。

その中学校には、ひとつだけ「おや?」と思うものがあった。
周囲をグルリと杉の木で囲まれた校庭の裏門の脇に、ポツンと放置された平均台。
いつ、だれが、何のために使うのか、さっぱりわからなかったが、忘れ去られたように置かれた平均台は、雨風にさらされ、塗料もすっかり剥げ落ちていた。
放課後、ヒマがあると、ボクやコンちゃんや笠ブーは、その平均台に上って、TVで見た体操の真似ごとみたいなことをやってみたりもしたが、狭い台の上では、端から端までまっすぐに歩ききることさえ困難で、すぐに飽きた。
こんな台の上で、前転したり、宙返りしたり……なんていうことは、とても人間にできるワザではない――と、ボクもそのときまでは思っていた。
あれ!? だれかいる。
その日、いつものように裏門から出ようとしていたボクの目に、平均台の上でだれかが動いている姿が飛び込んできた。
その影は、黒いレオタードに身を包んだ女子生徒だった。
平均台の上のその人は、スラリと伸びた手足でバランスをとりながら、幅10センチの梁の上をスイスイと歩いていく。端まで歩き着くと、片足を振り上げ、クルリと体を回転させて、また中央へ戻る。
中央に戻ると、レオタードの胸をグイと反らし、大きく息を吸って、両手を肩の高さに広げてバランスをとる。
背中で肩甲骨が盛り上がっている。その姿は、まるで、飛び立とうとしているツルのようで、気高く、美しい。
ボクがそうして見とれていることも知らず、その人は、広げた両腕を体の後方に引くと、体をさらに反らした。
やわらかそうな体は、頭が台の梁の上に着くほどに反り返っている。そこまで来ると、その人は、後ろに引いた手をグイと伸ばし、そのままクルリと体を回転させた。
両手を台に着けて、体を一回転させると、台の上に右足⇒左足の順に着地して、再び両腕を広げてバランスをとる。
人間にそんなことできるわけない――と思っていたことを目の前でやられて、ボクは頭をガーンとやられたような気分になった。
だれだろう?――と目を凝らして、ボクはハッとなった。
レオタードの上で美しく切りそろえられたショート・ヘア。
わずかに血管の色が浮かび上がった長い手足。
やや細めで切れ長の涼やかな目元。
ピンちゃん……?
あやうく口に出そうになったとき、平均台の上のその人と目が合った。
その人は、イタズラを見つけられた子どものように、照れくさそうに笑って、それからちょっと怒ったような顔をして、平均台を下りてしまった。
あ、ごめん――と声をかける間もなく、その人の姿は、校舎の中に消えてしまった。
瀬戸内海を渡ったその街は、海沿いに並ぶ工場群からやたら硫黄臭い排煙が立ち上る、小さな工業都市だった。
同じようなくすんだ瓦の屋根が、碁盤の目のように並ぶ企業城下町。その社宅街の端に建つ鉄筋コンクリート3階建ての校舎が、ボクが中3の残り6カ月を過ごすことになった「西中学校」だった。
全校生徒の6割近くが、同じ系列の企業で仕事をしている家庭の子弟で占められる中学校。父親も、その系列の企業に勤務するサラリーマンだった。
まったくなじみのない街、耳慣れないイントネーションが飛び交うその街で、ボクは高校進学までの6カ月間を過ごし、その後、どこかの高校に進む。しかし、その高校生活の途中で、再び、親たちは転勤することが予定されていた。
高校を途中で転校することはむずかしい。
どうするのか?
その見通しも立たないまま、ボクの中学校最後の半年間が、スタートすることになった。

その中学校には、ひとつだけ「おや?」と思うものがあった。
周囲をグルリと杉の木で囲まれた校庭の裏門の脇に、ポツンと放置された平均台。
いつ、だれが、何のために使うのか、さっぱりわからなかったが、忘れ去られたように置かれた平均台は、雨風にさらされ、塗料もすっかり剥げ落ちていた。
放課後、ヒマがあると、ボクやコンちゃんや笠ブーは、その平均台に上って、TVで見た体操の真似ごとみたいなことをやってみたりもしたが、狭い台の上では、端から端までまっすぐに歩ききることさえ困難で、すぐに飽きた。
こんな台の上で、前転したり、宙返りしたり……なんていうことは、とても人間にできるワザではない――と、ボクもそのときまでは思っていた。
あれ!? だれかいる。
その日、いつものように裏門から出ようとしていたボクの目に、平均台の上でだれかが動いている姿が飛び込んできた。
その影は、黒いレオタードに身を包んだ女子生徒だった。
平均台の上のその人は、スラリと伸びた手足でバランスをとりながら、幅10センチの梁の上をスイスイと歩いていく。端まで歩き着くと、片足を振り上げ、クルリと体を回転させて、また中央へ戻る。
中央に戻ると、レオタードの胸をグイと反らし、大きく息を吸って、両手を肩の高さに広げてバランスをとる。
背中で肩甲骨が盛り上がっている。その姿は、まるで、飛び立とうとしているツルのようで、気高く、美しい。
ボクがそうして見とれていることも知らず、その人は、広げた両腕を体の後方に引くと、体をさらに反らした。
やわらかそうな体は、頭が台の梁の上に着くほどに反り返っている。そこまで来ると、その人は、後ろに引いた手をグイと伸ばし、そのままクルリと体を回転させた。
両手を台に着けて、体を一回転させると、台の上に右足⇒左足の順に着地して、再び両腕を広げてバランスをとる。
人間にそんなことできるわけない――と思っていたことを目の前でやられて、ボクは頭をガーンとやられたような気分になった。
だれだろう?――と目を凝らして、ボクはハッとなった。
レオタードの上で美しく切りそろえられたショート・ヘア。
わずかに血管の色が浮かび上がった長い手足。
やや細めで切れ長の涼やかな目元。
ピンちゃん……?
あやうく口に出そうになったとき、平均台の上のその人と目が合った。
その人は、イタズラを見つけられた子どものように、照れくさそうに笑って、それからちょっと怒ったような顔をして、平均台を下りてしまった。
あ、ごめん――と声をかける間もなく、その人の姿は、校舎の中に消えてしまった。

「ピンちゃん」というのはニックネームで、本名は、真鍋みゆきという。
同じクラスの女子で、「ピンちゃん」という呼び名は、「ピアノがうまいから付いた名前だ」と、コンちゃんたちから聞いたことがあった。
転校生だったボクには、すぐには友だちもできなかったが、そんな中で仲よくなったのが、コンちゃんや笠ブーだった。ふたりとも、クラスの中では、「二流の人」だった。
勉強はふつう。特にスポーツができるとか、ケンカが強いというのでもなく、どちらかというと目立たない存在だったが、コンちゃんは天文に、笠ブーは歴史にやたら詳しく、そういう話をしているときのふたりが生き生きしているのに惹かれて、いつの間にか仲よくなっていた。
女子とはほとんど言葉を交わす機会がなかったが、ある日の放課後、帰る支度をしているところへ、ピンちゃんがその友だちの合田幸恵という子と一緒にやってきた。
「ね、秋吉クン。秋吉クンって、歌、うまいんやろ?」
いきなりの質問にボクが目を白黒させていると、ピンちゃんが言った。
「社宅でいつも大きな声で歌っとるゆうて評判になっとってね、それでね、この子が合唱部にどうかゆうもんやから……」
企業城下町のようなその街では、「今度、転校してきた○○さんの家は」といった話は、たちまち町中のウワサになる。
合唱は嫌いではなかったので、ボクは、ピンちゃんたちの誘いに乗ることにした。
といっても、ピンちゃんは合唱部員ではなかったので、結局は、合田幸恵の誘いに乗った、という形になったのではあった。
⇒続きを読む
筆者の最新実用エッセイ! キンドル(アマゾン)から発売中です!

「好きです」「愛してます」――そのひと言がスラッと口にできたら、この世の恋する男性や女性の心は、ずいぶんとラクになることでしょう。しかし、なかなか言えないんですね、このひと言が。勇気がなくて口にできない。自分は口ベタだからとためらってしまう。
そんな人たちに、「これなら言えるんじゃないか」とすすめるのが、「愛」と言わずに「愛」を伝える「メタメッセージ」の技術。あなたの恋愛の参考書として、お役立てください。
2019年11月発売 定価:600円 発行/虹BOOKS
「好き」を伝える技術: あなたの恋のメタメッセージ・テク (実用エッセイ)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。
〈1〉 〈2〉 〈3〉






【1】妻は、おふたり様にひとりずつ
2016年3月発売 定価/342円
【2】『聖少女~六年二組の神隠し』
2015年7月発売 定価122円
【3】チャボのラブレター
2014年10月発売 定価/122円
そんな人たちに、「これなら言えるんじゃないか」とすすめるのが、「愛」と言わずに「愛」を伝える「メタメッセージ」の技術。あなたの恋愛の参考書として、お役立てください。
2019年11月発売 定価:600円 発行/虹BOOKS
「好き」を伝える技術: あなたの恋のメタメッセージ・テク (実用エッセイ)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。
〈1〉 〈2〉 〈3〉
2016年3月発売 定価/342円
【2】『聖少女~六年二組の神隠し』
2015年7月発売 定価122円
【3】チャボのラブレター
2014年10月発売 定価/122円

管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
どうぞ正直な、しかしちょっぴり愛のこもった感想ポチをお願いいたします。



→この小説の目次に戻る トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- ピンちゃん〈2〉 彼女の親衛隊 (2019/12/10)
- ピンちゃん〈1〉 平均台を舞う鶴 (2019/12/04)
- ポーラに忘れな草〈終章〉 フォゲット・ミー・ノット (2019/08/02)