「ガミガミ」と「ヨシヨシ」。モテるシニアのタイプ考察

50代にも「モテ期」はやってくる。
そこで成立するのは、親と子のような
関係です。しかし、その関係が
成立するのは、あるタイプの間だけ。
50~60歳にかけての10年ほどは、「人生最後のモテ期」である――という話を、前回、ご紹介させていただきました。
まだお読みでない方は、下記記事をご参照ください。
『50代。人生最後の「モテ期」がやって来る!』
この「モテ期」に成立するのは、「父親のような男」と「娘のような女」の関係や、「母親のような女性」と「息子のような男性」の関係が多い――という話をしました。
今回は、その「親」の話です。
心療内科などでよく使われる心理的手法に、「エゴグラム」というのがあります。人の心の中には、「親」「自立したおとな」「子ども」という3種類の自我が住んでいて、そのミックス度合いによって、心の状態がわかるという分析手法です。
「エゴグラム」では、「親」の要素を「批判的親=CP」と「養護的親=NP」に分け、「子ども」の要素を「自由な子ども=FC」と「順応する子ども=AC」に分けて考えます。
まずは、「親」的性質の2つのタイプについて――。

歳をとるほど「ガミガミ」になる人がいるのは、なぜ?
「批判的親=CP」というのは、文字どおり、「他者に批判的」な態度をとる性質のことだと思っていいでしょう。
よく言えば、この性質を強く備えた人は「信念の人」とも言えます。「これが正しい」「こうすべきだ」を、いつも「理想」としてキープしていて、道徳的・倫理的に自らを律しようとします。
しかし、この性質がもっぱら他者に向けられるようになると、「××しなきゃダメじゃないか」と厳しくとがめたり、叱責したり、「そんなこともわからないのか」と威圧的・支配的にふるまったりするようにもなります。そうなると、周りからは、「頑固オヤジ」「教育ママ」「ガミガミおやじ」「ガミガミ母さん」などと呼ばれ、煙たがられるようになります。中には、「クレーマー」や「モンスター」と化してしまう人もいるかもしれません。
この性質は、歳をとるにつれてより強くなっていく傾向が見られます。
おそらくそれは、頭が固くなっていくせいだと思われます。新しい考え方や新しい情報を取り入れる能力が、加齢とともに衰え、それまで自分が固持してきた価値観などに、一層強く固着するようになるからだ――と思われています。
新しい情報を書き込まなくなった脳は、シナプス結合によって形成される神経細胞同士のネットワークが、どんどん粗くなっていきます。粗くなっていくと、古い時代に形成されたネットワークだけが残っていくようになります。
たとえば、あなたが、ある特定の価値観や倫理観などに頑固に固執しているとしましょうか。衰えていくネットワークの中で、最後まで強固に残るのは、その価値観なり倫理観なりが、最初に脳に書き込まれたときのネットワークです。その書き込みが強烈であればあるほど、そのネットワークは、いつまでも頑固に残って、その人の行動や感じ方・考え方を支配し続けます。
これが、「ガミガミ」言い続ける人の脳の仕組み。頑固であるほど、その人の脳は、新しい情報を拒み、新しいネットワークが形成されることを阻害しますから、ますます固定観念への固着の度合いを強めていくことになります。
これでは、新しい人間関係を築くことはむずかしいですよね。新しい出会いの機会があっても、自ら心を閉ざして、その可能性を塞いでしまうからです。

歳をとるほど「ヨシヨシ」になる人もいる。その理由
それでは、「親」的性質のもう一方のタイプ、「養護的親=NP」のほうはどうでしょう?
こちらは、他者を思いやり、「保護しよう」「養護しよう」とする性質のことだと言っていいと思います。
この性質を強く持った人は、よく言えば、「愛情の人」です。自分が持っている「温かさ」を、常に他者に分け与えようとします。
この性質が他者に振り向けられるときの基本的スタンスは、「寛容さ」と「世話焼き」。相手が何を言おうが、しようが、「ま、それもいいか」と寛容に受け止め、何かと面倒を見ようとするのですが、これが行き過ぎると、周囲からは「甘やかし」「過保護」と見られ、世話を焼こうとした相手から「過干渉」「おせっかい」などと迷惑がられることもあります。
この性質も、加齢とともに強くなっていく傾向が見られます。
「批判的親=CP」の場合とは逆に、このタイプは、歳を経るにつれて頭の柔軟度を増していくようにも見えます。
もともと、このタイプの人の脳には、「あれしちゃダメ」「これもしちゃダメ」というような固定化された規範が、あまりハッキリとは書き込まれていません。新しく入ってくる情報をブロックしてしまうような「バリア」が強固には形成されてない、「バリアフリー」な脳、と言ってもいいかもしれません。
新しい人に出会ったり、新しい情報を目にしたり耳にしたりする度に、「よしよし。ま、いいか」と、それを受け入れてしまう傾向が、「批判的親=CP」よりもはるかに強い。そんなふうに新しいものを「ま、いいか」と受け入れ続けるうちに、このタイプの脳は、「寛容度」を増していきます。つまり、キャパを増やしていくわけですね。
50代にやって来ると申し上げた「人生最後のモテ期」には、こういう性質のほうがモテるのではないか――とも思えます。
しかし、一概にそうとも言えない。実はこれは、相手次第でもあるのですね。

「モテ期」に成立する8通りの関係
「人生最後のモテ期」にあなたの目の前に現れるのは、もしかしたら、あなたとは親子ほど歳の離れた「娘のような女」や「息子のような男」かもしれません。「親」的な自我を強く持ったあなたがモテるのは、そういう「子ども」的自我を強く持った男女である場合が多いだろう――とも思われます。
その「子ども」的自我にも、2つのタイプがある――と、最初に申し上げました。
ひとつは、親の目を気にして、何とか気に入られようとする「順応する子ども=AC」という性質。もうひとつは、親の庇護をいいことに自由気ままにふるまい、わがままを言う「自由な子ども=FC」という性質。
彼らの前で「親」的にふるまおうとするあなたと、「子ども」のようでいようとする若者の間には、次の8通りの組み合わせが成立する可能性があります。
ひとつひとつ検証してみましょう。

『50代。人生最後の「モテ期」がやって来る!』
この「モテ期」に成立するのは、「父親のような男」と「娘のような女」の関係や、「母親のような女性」と「息子のような男性」の関係が多い――という話をしました。
今回は、その「親」の話です。
心療内科などでよく使われる心理的手法に、「エゴグラム」というのがあります。人の心の中には、「親」「自立したおとな」「子ども」という3種類の自我が住んでいて、そのミックス度合いによって、心の状態がわかるという分析手法です。
「エゴグラム」では、「親」の要素を「批判的親=CP」と「養護的親=NP」に分け、「子ども」の要素を「自由な子ども=FC」と「順応する子ども=AC」に分けて考えます。
まずは、「親」的性質の2つのタイプについて――。

歳をとるほど「ガミガミ」になる人がいるのは、なぜ?
「批判的親=CP」というのは、文字どおり、「他者に批判的」な態度をとる性質のことだと思っていいでしょう。
よく言えば、この性質を強く備えた人は「信念の人」とも言えます。「これが正しい」「こうすべきだ」を、いつも「理想」としてキープしていて、道徳的・倫理的に自らを律しようとします。
しかし、この性質がもっぱら他者に向けられるようになると、「××しなきゃダメじゃないか」と厳しくとがめたり、叱責したり、「そんなこともわからないのか」と威圧的・支配的にふるまったりするようにもなります。そうなると、周りからは、「頑固オヤジ」「教育ママ」「ガミガミおやじ」「ガミガミ母さん」などと呼ばれ、煙たがられるようになります。中には、「クレーマー」や「モンスター」と化してしまう人もいるかもしれません。
この性質は、歳をとるにつれてより強くなっていく傾向が見られます。
おそらくそれは、頭が固くなっていくせいだと思われます。新しい考え方や新しい情報を取り入れる能力が、加齢とともに衰え、それまで自分が固持してきた価値観などに、一層強く固着するようになるからだ――と思われています。
新しい情報を書き込まなくなった脳は、シナプス結合によって形成される神経細胞同士のネットワークが、どんどん粗くなっていきます。粗くなっていくと、古い時代に形成されたネットワークだけが残っていくようになります。
たとえば、あなたが、ある特定の価値観や倫理観などに頑固に固執しているとしましょうか。衰えていくネットワークの中で、最後まで強固に残るのは、その価値観なり倫理観なりが、最初に脳に書き込まれたときのネットワークです。その書き込みが強烈であればあるほど、そのネットワークは、いつまでも頑固に残って、その人の行動や感じ方・考え方を支配し続けます。
これが、「ガミガミ」言い続ける人の脳の仕組み。頑固であるほど、その人の脳は、新しい情報を拒み、新しいネットワークが形成されることを阻害しますから、ますます固定観念への固着の度合いを強めていくことになります。
これでは、新しい人間関係を築くことはむずかしいですよね。新しい出会いの機会があっても、自ら心を閉ざして、その可能性を塞いでしまうからです。

歳をとるほど「ヨシヨシ」になる人もいる。その理由
それでは、「親」的性質のもう一方のタイプ、「養護的親=NP」のほうはどうでしょう?
こちらは、他者を思いやり、「保護しよう」「養護しよう」とする性質のことだと言っていいと思います。
この性質を強く持った人は、よく言えば、「愛情の人」です。自分が持っている「温かさ」を、常に他者に分け与えようとします。
この性質が他者に振り向けられるときの基本的スタンスは、「寛容さ」と「世話焼き」。相手が何を言おうが、しようが、「ま、それもいいか」と寛容に受け止め、何かと面倒を見ようとするのですが、これが行き過ぎると、周囲からは「甘やかし」「過保護」と見られ、世話を焼こうとした相手から「過干渉」「おせっかい」などと迷惑がられることもあります。
この性質も、加齢とともに強くなっていく傾向が見られます。
「批判的親=CP」の場合とは逆に、このタイプは、歳を経るにつれて頭の柔軟度を増していくようにも見えます。
もともと、このタイプの人の脳には、「あれしちゃダメ」「これもしちゃダメ」というような固定化された規範が、あまりハッキリとは書き込まれていません。新しく入ってくる情報をブロックしてしまうような「バリア」が強固には形成されてない、「バリアフリー」な脳、と言ってもいいかもしれません。
新しい人に出会ったり、新しい情報を目にしたり耳にしたりする度に、「よしよし。ま、いいか」と、それを受け入れてしまう傾向が、「批判的親=CP」よりもはるかに強い。そんなふうに新しいものを「ま、いいか」と受け入れ続けるうちに、このタイプの脳は、「寛容度」を増していきます。つまり、キャパを増やしていくわけですね。
50代にやって来ると申し上げた「人生最後のモテ期」には、こういう性質のほうがモテるのではないか――とも思えます。
しかし、一概にそうとも言えない。実はこれは、相手次第でもあるのですね。

「モテ期」に成立する8通りの関係
「人生最後のモテ期」にあなたの目の前に現れるのは、もしかしたら、あなたとは親子ほど歳の離れた「娘のような女」や「息子のような男」かもしれません。「親」的な自我を強く持ったあなたがモテるのは、そういう「子ども」的自我を強く持った男女である場合が多いだろう――とも思われます。
その「子ども」的自我にも、2つのタイプがある――と、最初に申し上げました。
ひとつは、親の目を気にして、何とか気に入られようとする「順応する子ども=AC」という性質。もうひとつは、親の庇護をいいことに自由気ままにふるまい、わがままを言う「自由な子ども=FC」という性質。
彼らの前で「親」的にふるまおうとするあなたと、「子ども」のようでいようとする若者の間には、次の8通りの組み合わせが成立する可能性があります。
ひとつひとつ検証してみましょう。

相手が「順応する子ども=AC」タイプの年下の彼女である場合
相性 △
「○○しろ」「××しなさい」と断定的に命令したり、「××しちゃダメじゃないか」などと叱ってくるあなたに、「ハイ」「ハイ」と娘のように従い、「よくやったな」「えらいゾ」とホメられようとする彼女――という関係が、奇跡的に成立する可能性も、否定はできません。
ただし、あなたが振りかざす価値観が、彼女にとって「尊敬」に値しないもので、しかも、その価値観に心から準じることのできない彼女に対するあなたからの評価が、「おまえはダメなやつだ」「どうしていつもそうなんだ」などというマイナスの評価でしかなかった場合、彼女の側には、ものすごくストレスのかかる関係でもあります。
ヘタすると「うつ」な精神状態を生み出すこともある関係。良好な関係が成立するためには、あなたの掲げる価値観が、彼女にとって「魅力的」であるかどうかがカギになります。

相手が「順応する子ども=AC」な年下男である場合
相性 △
「待ち合わせしたら、5分前に来るのが常識でしょ!」「もォ、だらしないわねェ。なんで、こんな日にジーパンなのよ!」などと、何かと口うるさくパートナーに口出しして、その行動を支配しようとするあなた。
自分の価値観を「絶対」と思い、相手をそれに従わせようとするあなたに、厳しい母親のしつけを受けて育った「順応する子ども」である男は、何とかあなたの価値観に自分を適応させ、「よくできたわね」と認められようとします。
周りから見れば、典型的な「婦唱夫随」の関係。亭主やカレ氏を尻の下に敷く「カカア天下」なあなたと、それに従う「従順」な年下男――という関係が、もしかしたら、成立するかもしれません。

相手が「自由な子ども=FC」タイプの年下の彼女である場合
相性 ×
「部屋の中は、いつも、きちんと片づけろと言ってるだろ!」「時間は守れよって、何度も言ってるだろ!」などと、口やかましく相手の行動に注文をつけようとする「ガンコオヤジ」なあなたに対して、「わがまま」で、何事もマイペースなこのタイプの彼女は、何度も同じことを繰り返しては、あなたの神経を逆なでします。
なにしろ、彼女は、自分の「やりたい」「欲しい」を優先させる「わがままな子ども」。相手が何を言おうと、自分のやりたいようにやる――を止めようとはしません。そこで「人の話、聞いてんのか」とあなたが怒り出すと、「もういいよ!」と逆ギレ。場合によっては、自分のわがままを聞き入れてくれる他の男の元に走ってしまったりもします。
こうなると、両者の間には、ほとんど妥協点が見出せません。

相手が「自由な子ども=FC」タイプの年下の彼女である場合
相性 ×
「約束の時間、守ってよ」「食事中は、タバコ止めるの。何度も言ったでしょ」などと、口やかましく相手の行動に注文をつけようとする「ガミガミ」なあなたに対して、「わがまま」なこのタイプの男は、「聞く耳持たず」という態度。場合によっては、「いちいちうるせェんだよ」と、逆ギレしてしまいます。
なにしろ、自分の「やりたい」「欲しい」を優先させようとする「わがままな子ども」のような男ですから、相手が何を言おうと、自分のやりたいことをやる、欲しいものは後先考えずに手にする――を止めようとはしません。
問題は、この「わがまま」の中に、「ギャンブルに金を注ぎ込む」とか「女遊びする」といった、ちょっと困った「わがまま」が含まれている場合もある、ということです。しかも、男には、その「わがまま」を放棄しようとする気配が見えない。
こらの場合も、両者の間には、ほとんど妥協点が見出せません。

相手が「順応する子ども=AC」タイプの年下の女である場合
相性 △
何かと面倒を見たがり、彼女が何か失敗を犯しても「ああ、いいよ、いいよ」と寛容に受け止めてるあなたと、そんなあなたに認めてもらおうと、懸命に「いい子」を演じようとする彼女。
彼女は、何かにつけてあなたにすり寄っては、「きょう、○○したのよ」などと報告し、「ヘェ、よくやったねェ。えらいよ、おまえ」とホメられようとします。あなたも、そうして頭を撫でてもらいたがる彼女が、かわいくて仕方がありません。
そんなふたりの間には、一見、「密着」とも思えるような、ベタベタな関係が成立します。ちょっとだけ心配があるとすれば、「太っ腹父さん」の点数があまりにも甘すぎて、「順応しようとする彼女」のモチベーションが、低下してしまうことです。
もうひとつ、心配なのは、おたがいがおたがいに依存し合うような、そんな関係に陥る危険もある、ということです。
ときには、ビシッと叱ってみる(あなたの側)、少しわがままな要求を出してみる(彼女の側)――というスパイスも、必要かもしれません。

相手が「順応する子ども=AC」タイプの年下の男である場合
相性 △
何かと面倒を見たがる「世話焼き母さん」なあなたと、相手に認められるために「順応する子ども」であろうとする男。
男は、何かにつけて「ねェ、ねェ」とすり寄り、あなたは「どうしたの?」と応じる。そんなふたりの間には、「密着」と言ってもいい、ベタベタな関係が成立します。
ただし、そんなふたりには、ちょっとだけ心配が……。おたがいがおたがいに依存し合うような、そんな関係に陥る危険もある、という心配です。
ときには、パートナーから離れて自分の時間を持つ、自分の趣味に没頭してみる――などの「自立した時間」を持つことも、必要かもしれません。

相手が「自由な子ども=FC」タイプの年下の女である場合
相性 〇
「あれやって」「これ買って」「あっちに行こう」「今度はこっち」――と、あなたを振り回す彼女と、「まったくしょうがないなぁ」と言いながらも、それに従うあなた。
一見、この組み合わせは、「カカア天下」のようにも見えます。しかし、「カカア天下」と言えるほど、力関係がハッキリしているわけでもありませんし、彼女の側に確固とした信念などがあるわけでもありません。
彼女の側は、わがままな子どものように、自分の「やりたいこと」「欲しいもの」を主張しているだけ。そんな彼女にとって、「ああ、いいよ、いいよ」と要求を受け入れ、「思ったとおりにやってごらん」と「保護者役」を買って出る「太っ腹父さん」なあなたは、理想的とも言えるパートナーです。
もちろん、何かと世話を焼くことが好きなあなたにとっても、「あれして」「これして」と要求してくるこのタイプの彼女は、「かわいくてたまらない」と映っているはずです。
もし、ひとつだけ心配があるとしたら、「ああ、いいよ、いいよ」と彼女のわがままを受け入れるカレの甘やかしが、彼女を「ダメ」にしてしまうこともある――ということ。場合によっては、経済的ピンチを招くこともあるかもしれません。
それも覚悟の上なら、お好きにどうぞ――な関係と言っていいでしょう。

相手が「自由な子ども=FC」タイプの年下の男である場合
相性 〇
子どものように、自分の「やりたいこと」「欲しいもの」を優先させる、このタイプの男にとって、「いいわよ。私がやってあげる」「応援してるからね」と、「保護者役」を買って出る「世話焼き母さん」なあなたは、理想的とも言えるパートナーです。
もちろん、何かと世話を焼くことが好きな彼女にとっても、「あれして」「これして」と要求してくるこのタイプの男は、「かわいくてたまらない」というふうに映っているはずです。
というわけなので、このふたりの関係は、何かと要求の多い男に、あなたが「ハイハイ、まったくしょうがないわねェ」と応じている、「亭主(わがまま)関白」な関係に見えます。
同じ「亭主関白」でも、男が「ガミガミ」型の場合は、男の指示に女が従う「夫唱婦随」な関係になるのですが、このタイプの男の場合は、「夫唱」というほど何かを唱えるわけではありません。ただ、「要求」するだけです。
それはそれで、うまくいく関係なのですが、ひとつだけ心配があります。
それは、「世話焼き母さん」な女の甘やかしが、男を「ダメ」にしてしまうこともある――ということ。それを覚悟の上なら、お好きにどうぞ――な関係と言っていいでしょう。
以上、「親」のようにふるまいたいシニアと「子ども」のようでいたい年下の男や女の間で、どんな関係が成立し得るか――を検討してきました。
50過ぎた人生にも、花が咲くことはある。
みなさんの健闘をお祈り申し上げます。
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