メリーが死んだ日

その犬は、名前を「メリー」といった。
いつも、父親に木刀で殴られては、
床下に逃げ込む情けない犬だった。
そのメリーが死んだ。その夜――。
まだ小学校に上がる前、家には「メリー」と呼ばれる犬がいた。
雑種のポインターで、体表は白と黒のまだら。ポインターなので、体は、そこそこ大きかったように記憶している。
しかし、その「メリー」は、あまり、家族にかわいがられていなかった。
というより、嫌われていた。嫌っているのは、父親だった。
変な犬だった。メリーの好物は、人の便だった。
まだ、便所が汲み取り式だった時代だ。メリーは、その臭いをかぎ取ると、便槽に潜り込んで、便を食った、
頭に便をつけて便槽から這い出してきたメリーを見ると、母親は「まったくこの子は」と顔をしかめながら、頭から水をぶっかける。それをメリーは体をブルッと震わせて振り払う。その水がかかるので、母親は、「もう汚かねェ、この子は」と、ほうきで追い払う。
すると、メリーは、恨めしそうに母親の顔を見上げて、床下に逃げ込む。そうなると、メシの匂いがするまで、名前を呼んでも出てこなくなる。
メリーは、図体のわりに気の弱い、少し情けない犬だった。

そのメリーを、父親はよく殴った。
便槽に潜り込んで便を食らったことがわかると、父親は「この腐れ犬が!」と声を荒げて、背中をしたたかに板きれで殴った。
板切れはやがて、木刀に変わった。
木刀で殴られると、メリーは「キャイーン」と悲鳴を挙げ、尻尾を股の間に巻き込んで、床下に逃げ込んだ。
それから、メリーは、みるみる元気がなくなった。
母親が「ごはんだよ」と呼んでも、床下から出てこなくなった。
「息しとらんごたる」
母親が悲しそうに言い、「あんた見て来て」とボクを床下に潜らせた。
床下を這って進むと、メリーは、奥の柱と柱の間に体を横たえていた。目を開け、歯を剥いてはいたが、もう息はしていなかった。
「メリー、メリー」と呼びかけ、体を揺すってみたが、ピクリとも反応しない。
「母ちゃん、メリー、死んどる」
ボクが言うと、母親は、「こっちに持ってきて」と言う。
「持ってくと?」
「足ばつかんで、引っ張ってきんしゃい」
死んだ動物の体に触るのも、動かすのも、初めての経験だった。
気持ちわるい、怖い――と思いながらも、ボクはメリーの体を引きずり、引きずりながら、なぜか、涙がこぼれて仕方なかったのを覚えている。
雑種のポインターで、体表は白と黒のまだら。ポインターなので、体は、そこそこ大きかったように記憶している。
しかし、その「メリー」は、あまり、家族にかわいがられていなかった。
というより、嫌われていた。嫌っているのは、父親だった。
変な犬だった。メリーの好物は、人の便だった。
まだ、便所が汲み取り式だった時代だ。メリーは、その臭いをかぎ取ると、便槽に潜り込んで、便を食った、
頭に便をつけて便槽から這い出してきたメリーを見ると、母親は「まったくこの子は」と顔をしかめながら、頭から水をぶっかける。それをメリーは体をブルッと震わせて振り払う。その水がかかるので、母親は、「もう汚かねェ、この子は」と、ほうきで追い払う。
すると、メリーは、恨めしそうに母親の顔を見上げて、床下に逃げ込む。そうなると、メシの匂いがするまで、名前を呼んでも出てこなくなる。
メリーは、図体のわりに気の弱い、少し情けない犬だった。

そのメリーを、父親はよく殴った。
便槽に潜り込んで便を食らったことがわかると、父親は「この腐れ犬が!」と声を荒げて、背中をしたたかに板きれで殴った。
板切れはやがて、木刀に変わった。
木刀で殴られると、メリーは「キャイーン」と悲鳴を挙げ、尻尾を股の間に巻き込んで、床下に逃げ込んだ。
それから、メリーは、みるみる元気がなくなった。
母親が「ごはんだよ」と呼んでも、床下から出てこなくなった。
「息しとらんごたる」
母親が悲しそうに言い、「あんた見て来て」とボクを床下に潜らせた。
床下を這って進むと、メリーは、奥の柱と柱の間に体を横たえていた。目を開け、歯を剥いてはいたが、もう息はしていなかった。
「メリー、メリー」と呼びかけ、体を揺すってみたが、ピクリとも反応しない。
「母ちゃん、メリー、死んどる」
ボクが言うと、母親は、「こっちに持ってきて」と言う。
「持ってくと?」
「足ばつかんで、引っ張ってきんしゃい」
死んだ動物の体に触るのも、動かすのも、初めての経験だった。
気持ちわるい、怖い――と思いながらも、ボクはメリーの体を引きずり、引きずりながら、なぜか、涙がこぼれて仕方なかったのを覚えている。

夕方、仕事から戻ってきた父親は、メリーが死んだことを知らされると、「あんなんで死ぬとか」と吐いて捨てるように言い、スコップを持って庭の隅のビワの木の根元に穴を掘った。
その穴の底にメリーの死体を放り込むと、「オイ、埋めとけ」と、スコップをボクに渡して風呂に立った。
掘り出した土は、埋めたメリーの体のぶんだけ余って、土饅頭のような盛り土が出来上がった。
「メリーのお墓やね」
母親は「そうやね」とうなずいて、庭の隅に咲いていたあざみを1本、根っこから引き抜いて、盛り土の上に植えた。引き抜くときに葉先のとげが母親の指を刺して、少し血が滲んだ。
ボクの身長ほどもある茎の先端では、紅色の花が揺れていた。
「この花は、春が終わる頃には、綿毛になって飛んでいくんよ。メリーの魂も、天国に飛んでいければよかとにね」
そう言って、母親はあざみの花に向かって手を合わせた。
「かわいそうにね。あんなに殴らんでもよかとに……」
つぶやく母親の目に涙が浮かんでいるのを見て、ボクも隣で手を合わせた。

夜になると、庭は冷気に包まれた。
しんと静まり返った庭をメリーが走り回る姿も、バカみたいに何かに吠え立てる姿も、もう見られない。
いつになく静かな庭。その隅っこのビワの木の根元にできたこんもりとした土饅頭は、ものも言わずに土中の暖気を吐き出し、てっぺんに植えられたあざみの花を揺らしていた。
あの土の下には、メリーが眠っている。
もしかしたら、土の下でまだメリーは息を吐いていて、そのうち、土を揺らして起き出してくるんじゃないか。起き出してきたメリーは、体をブルッと震わせて、体にまとわりついた土を払い落とすんじゃないか。
そんなことを考えて土饅頭を見ていると、ボクは少し怖くなった。
しかし、それは起こらなかった。
1週間後、あざみの花は綿毛になった。
綿毛は、やがて5月の風に吹かれて花茎を離れ、晴れ上がった空をふわりふわりと、どこへともなく飛んでいった。
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