第72夜☆嫉妬するのは、「愛」ではなく、「所有欲」
第72夜
「愛とは何か?」をめぐって、管理人・哲雄がパートナー・AKIを相手に展開する、オヤジ・ギャグ風+ちょっぴりアカデミックおしゃべり。今回は、「愛」と「所有」の違いについて、「ギブ」と「テイク」の話を展開します――。
AKI 私、だんだんわかってきました。
哲雄 何がですか? この私の隠された性癖とかですか?
AKI 知りたくな~い、そんなもん。
哲雄 わかった。隠し資産とか……?
AKI ないくせに。もっと大事なことですよ。哲ジイがなぜ、この講座のタイトルを「不純愛講座」としたか?
哲雄 コホッ!
AKI カゼですか? 気をつけてくださいね。その歳になると、たかがカゼと思ってるうちに、コロッといっちゃったりするんですから。
哲雄 失礼な。私はまだ壮年だっちゅうの。それで? AKIクンの聡明な頭脳は、いったい、その理由をなんだと推論したわけですか?
AKI 前回の話でわかりました。哲ジイは、こう言いたかったわけですね。「愛すること」と「所有すること」は違うんだ。世間で「愛」と呼ばれているものの多くは、実は、「所有欲」の変形にすぎない。それは、「愛」としてはきわめて「不純」である。よって、私はこの講座を「不純愛講座」と名づけ、その「不純さ」のよってきたるところをつまびらかにすることによって、諸兄姉の「愛」のより健全な発展を期待するものである。
哲雄 本日の講師は、長年にわたってエステ嬢として活躍されてきた、AKIさんでした。それでは次回をお楽しみに……。
AKI ちょ、ちょっと……終わりにしないでくださいよ。
哲雄 だって……きょう、言おうと思ってたこと、ぜんぶ、言っちゃうんだもん。
AKI そうじゃないでしょ? では、こちらからお尋ねしますけれども、「愛」と「所有」とはどう違うのでしょうか?
哲雄 ひと言で言いましょう。違いは、「ギブ&テイク」です。
AKI 「あげる」と「もらう」ですか? これが成立していると、「愛」?
哲雄 ウンニャ。その逆。「ギブ&テイク」で成り立っている愛は、「愛」ではなくて「所有関係」です。昔、『上流社会』という映画があったんだけど、ご存じかな?
AKI ご存じじゃございませんことよ。
哲雄 簡単に言うと、上流社会を皮肉った映画なんだけど、その主題歌に使われた『True Love』という曲がありまして……。
AKI 出ました、得意のスタンダード話。
哲雄 コール・ポーターという、皮肉を言わせたら世界一みたいな作詞&作曲家がいて、その人が作った曲なんだけど、その歌詞の冒頭で、こんなことを言ってます。
《私があなたにギブし、あなたが私にギブしている限りは、
真実の愛 真実の愛》
AKI オーッ、強烈な皮肉。
哲雄 そう感じるということは、AKIクン、キミの愛は健全だということです。コール・ポーターは言ってる。与え合うことでしか成立しない愛なんて、クソッタレだ、とね。「与え合う」は、自分サイドから言うと、「ギブ&テイク」なわけですよ。
AKI 「ギブ&テイク」が愛の本質でないとしたら、哲ジイは、なんと言いたいわけですか?
哲雄 その方式で言うなら、「ギブ&ギブ」。しかも、「ギブ」している本人は、それが「ギブ」だなんてことは、これっぽっちも意識していない。私は、そういう精神のありようを「愛」と呼びたい。
AKI 「あれもしてあげた」「これもしてあげた」とか思わないわけですね。
哲雄 「育ててやった」とか「だれのおかげで」なんことも思わない。
AKI 要するに、「無償」ってことなんですね。
哲雄 真実の愛は、いっさい見返りを期待しない。見返りなど期待しないで、ただひたすら「相手のため」を想い続ける。この「無償性」こそ、「愛」が「愛」であるための、第一の、そしてもっともたいせつな要件だと思うんだけどね、いかがでしょうか? 愛のハンド・テクニシャンとしては?
AKI そうですね、わたくしとしましても、ただ、お客様が気持ちよくなってくだされば……と、ただ、そのことだけを願って――って、それ、話がちがうでしょ。でね、哲ジイ、もし、「愛」をそんなふうに感じられたら、嫉妬とかに苦しむこともなくなるでしょうね。
哲雄 というか、「嫉妬」という概念自体が、そういう人の頭の中には存在しないと思うんだ。『新約聖書』の中に、こんな言葉が出てくるんだけど、読んでみようか。
AKI ワッ、耳が痛い!
哲雄 私も耳が痛い。というのは、ここにうたわれている「愛」は、「アガペー(神の愛)」を模範とした愛であって、その神の愛を人間が人間同士の間で実践しようとしたら、こんなふうになるんじゃないか――と語った部分だと思うんだよね。でね、この手紙の筆者であるパウロは、こう言ってるんだ。「たとえわたしが自分の全財産を人に施しても……(中略)……もし愛がなければ、いっさいは無益である」ってね。
AKI つまり、どんなに一生懸命パエディアを作っても、そこに愛がなかったら、ただのグチャグチャ飯だ――と、そういうことですね。
哲雄 わかりにくいたとえだなぁ。もっとわかりやすいのにしようよ。どんなにガンバってヌキまくって、指名ナンバーワンになろうとも、そこに愛がなかったら、ただの手淫だ――とかさ。
AKI クーッ、いつか殺してやるゥ!
哲雄 てなことを、「愛」は言わせないわけです。そういう言葉が頭に浮かぶこともない。
AKI でもさ、哲ジイ、思わなかった? 例の20世紀の彼女に捨てられたときに、「この野郎、いつか……」なんて?
哲雄 あのね、言っときますけど、私は、この世に生を受けて以来、一度たりとも、だれかに「裏切られた」とか「捨てられた」とか「寝取られた」とか「利用された」なんてことを、頭の片隅にでも思い浮かべたことはない。それだけは、胸を張って言えます。
AKI エライッ!
哲雄 そういう汚い言葉って、頭に浮かべるだけで、自分という存在がスポイルされていくんだよね。人がスポイルされるのは、他者によってではなくて、自ら選んだ言葉によるんだと、私は思ってるからね。そして、そんな言葉が頭に浮かぶのは、パウロ式に言うと、「愛がないから」ということになってしまうんだよね。
AKI そういう言葉がポンポン飛び出してくるような「愛」は、「愛」ではないってわけですね。
哲雄 ウン、「愛」じゃなくて「所有欲」。あえていうなら、その一種と言っていい「エロス(情愛)」。
AKI オッ、きょうは、「アガペー」だの「エロス」だの、いろんな新語が登場しましたよ。
哲雄 新語じゃなくて、紀元前から使われているギリシャ語です。ギリシャ人は「愛」を表すのに、3種類の言葉を使い分けてるんだけど、この話は長大になるから、次回にしようか。
AKI よしッ! 私は家に帰って、愛を込めたパエディアでも作ろう。
哲雄 もしもし、それ、だれのために?
AKI 「For 哲ジイ」でないことだけは確かです。じゃね……。
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AKI 「あげる」と「もらう」ですか? これが成立していると、「愛」?
哲雄 ウンニャ。その逆。「ギブ&テイク」で成り立っている愛は、「愛」ではなくて「所有関係」です。昔、『上流社会』という映画があったんだけど、ご存じかな?
AKI ご存じじゃございませんことよ。
哲雄 簡単に言うと、上流社会を皮肉った映画なんだけど、その主題歌に使われた『True Love』という曲がありまして……。
AKI 出ました、得意のスタンダード話。
哲雄 コール・ポーターという、皮肉を言わせたら世界一みたいな作詞&作曲家がいて、その人が作った曲なんだけど、その歌詞の冒頭で、こんなことを言ってます。

真実の愛 真実の愛》
AKI オーッ、強烈な皮肉。
哲雄 そう感じるということは、AKIクン、キミの愛は健全だということです。コール・ポーターは言ってる。与え合うことでしか成立しない愛なんて、クソッタレだ、とね。「与え合う」は、自分サイドから言うと、「ギブ&テイク」なわけですよ。
AKI 「ギブ&テイク」が愛の本質でないとしたら、哲ジイは、なんと言いたいわけですか?
哲雄 その方式で言うなら、「ギブ&ギブ」。しかも、「ギブ」している本人は、それが「ギブ」だなんてことは、これっぽっちも意識していない。私は、そういう精神のありようを「愛」と呼びたい。
AKI 「あれもしてあげた」「これもしてあげた」とか思わないわけですね。
哲雄 「育ててやった」とか「だれのおかげで」なんことも思わない。
AKI 要するに、「無償」ってことなんですね。
哲雄 真実の愛は、いっさい見返りを期待しない。見返りなど期待しないで、ただひたすら「相手のため」を想い続ける。この「無償性」こそ、「愛」が「愛」であるための、第一の、そしてもっともたいせつな要件だと思うんだけどね、いかがでしょうか? 愛のハンド・テクニシャンとしては?
AKI そうですね、わたくしとしましても、ただ、お客様が気持ちよくなってくだされば……と、ただ、そのことだけを願って――って、それ、話がちがうでしょ。でね、哲ジイ、もし、「愛」をそんなふうに感じられたら、嫉妬とかに苦しむこともなくなるでしょうね。
哲雄 というか、「嫉妬」という概念自体が、そういう人の頭の中には存在しないと思うんだ。『新約聖書』の中に、こんな言葉が出てくるんだけど、読んでみようか。
愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、
自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
コリント人への第一の手紙第13章4-7節
愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、
自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
コリント人への第一の手紙第13章4-7節
AKI ワッ、耳が痛い!
哲雄 私も耳が痛い。というのは、ここにうたわれている「愛」は、「アガペー(神の愛)」を模範とした愛であって、その神の愛を人間が人間同士の間で実践しようとしたら、こんなふうになるんじゃないか――と語った部分だと思うんだよね。でね、この手紙の筆者であるパウロは、こう言ってるんだ。「たとえわたしが自分の全財産を人に施しても……(中略)……もし愛がなければ、いっさいは無益である」ってね。
AKI つまり、どんなに一生懸命パエディアを作っても、そこに愛がなかったら、ただのグチャグチャ飯だ――と、そういうことですね。
哲雄 わかりにくいたとえだなぁ。もっとわかりやすいのにしようよ。どんなにガンバってヌキまくって、指名ナンバーワンになろうとも、そこに愛がなかったら、ただの手淫だ――とかさ。
AKI クーッ、いつか殺してやるゥ!
哲雄 てなことを、「愛」は言わせないわけです。そういう言葉が頭に浮かぶこともない。
AKI でもさ、哲ジイ、思わなかった? 例の20世紀の彼女に捨てられたときに、「この野郎、いつか……」なんて?
哲雄 あのね、言っときますけど、私は、この世に生を受けて以来、一度たりとも、だれかに「裏切られた」とか「捨てられた」とか「寝取られた」とか「利用された」なんてことを、頭の片隅にでも思い浮かべたことはない。それだけは、胸を張って言えます。
AKI エライッ!
哲雄 そういう汚い言葉って、頭に浮かべるだけで、自分という存在がスポイルされていくんだよね。人がスポイルされるのは、他者によってではなくて、自ら選んだ言葉によるんだと、私は思ってるからね。そして、そんな言葉が頭に浮かぶのは、パウロ式に言うと、「愛がないから」ということになってしまうんだよね。
AKI そういう言葉がポンポン飛び出してくるような「愛」は、「愛」ではないってわけですね。
哲雄 ウン、「愛」じゃなくて「所有欲」。あえていうなら、その一種と言っていい「エロス(情愛)」。
AKI オッ、きょうは、「アガペー」だの「エロス」だの、いろんな新語が登場しましたよ。
哲雄 新語じゃなくて、紀元前から使われているギリシャ語です。ギリシャ人は「愛」を表すのに、3種類の言葉を使い分けてるんだけど、この話は長大になるから、次回にしようか。
AKI よしッ! 私は家に帰って、愛を込めたパエディアでも作ろう。
哲雄 もしもし、それ、だれのために?
AKI 「For 哲ジイ」でないことだけは確かです。じゃね……。

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