ポーラに忘れな草〈9〉 彼女の制服の匂い

smile.jpg年が明けると繁は早めに花咲荘に戻った。
「年賀状をみなさんの部屋に」と頼まれて、
公子の部屋に入った繁は、漂う甘い匂いに
誘われて、彼女の制服に口をつけた——。


 連載   ポーラに忘れな草   第9章 



この話は連載 9回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 深川繁は高校の3年間を下宿で過ごした。その下宿「花咲荘」に、母親に連れられてひとりの女子高生が引っ越してきた。ミッションスクールに通う矢田公子が障子戸一枚と廊下で隔てられた隣人となったときから、繁の生活が変わった。日曜日、部屋で『ヘイ・ポーラ』を歌っていると、障子の向こうからメゾソプラノのコーラスがかぶってきた。そうして始まったふたりのデュエットは、日曜日ごとの下宿の風物となっていった。そこへ、新しい住人が越してきた。近くのM大に通う学生・飯尾。混声合唱部に所属する飯尾は、ふたりのデュエットに割って入り、公子に「うちの混成」に「助っ人」として参加しないかと誘いかけてきた。ある夜、その飯尾が、テープレコ―ダ―を持って、公子の部屋をノックし、それからもしばしば公子の部屋をノックした。公子の部屋から漏れる忍び声に眠れぬ夜を過ごす繁。そんなある夜、公子の部屋から男女が争い、もつれ合う音が響いて、大家が駆け上がってきた。飯尾は部屋を追い出されることになり、繁は公子に声をかけられなくなった。そんな繁に、ある日、公子の友人だという女が、手紙を託してきた。《お願いです。一度でいいから公ちゃんの心のドアをノックしてあげてください》。繁は、勇気を奮い起こして、その願いを実行した。「私、あの人には、何も奪われてないんよ」。懸命に訴える公子の手に自分の手を兼ねる繁。ふたりは指と指を絡め合い、クリスマスの約束を交わし合った――




『聖書』と『共産党宣言』。
 相容れないと思われている2冊の本が、公子と出会った頃の、繁の2大愛読書だった。
 「でも、共産主義は宗教を否定しとんやろ?」
 そういう話をすると、公子はいつも、キョトンとした顔をして、素朴な疑問を投げかけてきた。そんな公子に、得意げに持論を展開して聞かせるのが、繁の愉しみのひとつにもなった。
 「共産主義が否定しとんのは、たぶん、組織としてのとか、社会勢力としての宗教の力やと思う。ボクは思うんよ。イエスの語っとる愛を、社会的に実現しよう思たら、共産主義に行き着くし、共産主義のベースにある人間の解放ゆうことを突き詰めたら、イエスの愛にたどり着くんやないかて……」
 「フーン……私、よおわからん。わからんけど、そおゆう話してるときの、深川クンの顔、ステキやわ」
 繁は、公子を通して、女というものがどういうものの考え方をするかを、少しずつ学んだような気がした。

 クリスマス・イヴの礼拝に参加したのは、半分は、そんな公子の、女としての気持ちに寄り添うためでもあった。
 自分はものすごく不純かもしれない――と思いながら、繁は、公子たちが清唱するクリスマス・キャロルに耳を傾け、讃美歌を唱和し、「アーメン」を唱えた。
 目を閉じて祈りを捧げながら、聖歌隊の白い上衣の下で息づく公子の胸の形を想い、飯尾はあの胸をもんだのだろうか、と想像をふくらませたりもした。
 「深川クンは、かなり聖書に詳しいそうですね」
 礼拝が終わると牧師に声をかけられ、「よかったら、日曜日の礼拝にもいらっしゃいませんか?」と誘われた。
 横で公子が、「おいでよ。深川クンが来てくれるとうれしい」と言うので、またも不純な気持ちで、「ハイ」と答えてしまった。
 繁は、その2日後の日曜礼拝に参加し、礼拝後に各層に分かれて行われる聖書研究会にも顔を出して、高校生部会のメンバーの前で、自分なりの聖書の解釈を披露したりしたものだから、「来週もこの続きをやろう」ということになって、とうとう日曜日の教会通いは定番化することになってしまった。

            

 クリスマスが終わると、すでに冬休みに入っていた公子は、神戸に帰省し、繁もその翌々日には、九州に帰省した。
 その年の冬休みほど、長く感じた冬休みはなかった。
 実家にいても退屈なだけなので、正月の三が日が終わると、繁は「勉強」を理由にそそくさと実家を後にし、「花咲荘」の2階に戻った。
 「花咲荘」は、もぬけの殻だった。
 ガランとした2階の廊下は冷え切って、共同の流し場の三和土も灰色に乾ききっていた。
 「深川さん、早いんやねぇ。もうお戻りたん? 申し訳なんいやけど、五日までは、賄いできんのんよ」
 1階にあいさつに下りると、大家夫人がすまなそうな顔をして言った。
 「あ、いいです。そこらの食堂で適当にすませますけん」
 「すまんですのぉ。そうしてもらえますかいのぉ。あ、そうそう、みんなに年賀状がきとんですよ。深川さんやったら安心やで、これ、仕訳して、みなさんの部屋にお願いしてもええですやろか?」
 ふつう、そんなこと、下宿人にやらせるか?――と思いながらも、笑顔で「ええですよ」と答え、束になった郵便物を自分の部屋に持ち帰って仕訳した。
 矢田公子宛には、全部で二十通ほどの年賀状と普通郵便物が届いていた。
 ヘーッ、どんな人たちから来てるんだろう――と、つい、その差出人に目が行く。
 見たことも聞いたこともない名前の、たいていは女の子からの年賀状だったが、中に一通、分厚い封書があった。裏を見ると、「飯尾義次」とあった。
 正月のくつろいだ気分が、一瞬で吹っ飛び、胸の中で三角波が騒ぎ始めた。
 手に持ってみると、ずっしり重い。いったい何が書いてあるのか、開けて見てみたい衝動に駆られたが、さすがにそれはできない。
 しょうがないので、他の郵便物と一緒に輪ゴムで束ねた。
 宛先ごとに仕訳した郵便物は、それぞれの部屋の障子戸を開けて、入り口の畳の上に、名前を上向きにして置いた。公子の部屋にも……。

            

 公子の部屋の障子戸を開けると、他の部屋とは明らかに違う匂いがした。
 カビ臭い匂いでも、畳の焼けた匂いでもない、石けんのような、甘い匂い。それに混じって、動物の毛が濡れたときのような匂い。
 公子の匂いだ……と思った瞬間、この匂いをもう少し嗅いでいたい、と思った。
 繁はそっと障子を開け、公子の部屋に足を踏み入れた。
 主のいない公子の部屋は、何もかもがきれいに片づけられていた。
 いつもは障子の框に掛けてある制服は、タンスの横のフックに吊り下げられていて、その下の畳の上には、ブラウスとカーディガンがきれいに畳んで置いてあり、洗いたての白いソックスが、すぐに穿けるように揃えてあった。
 動物の毛のような匂いは、その制服から立ち上っているようだった。
 心臓がドクドク音を立て始めた。
 繁はそっと吊り下げられた公子の制服に足を忍ばせ、ボックス・プリーツのスカートの、いつも公子の腹部を覆っているあたりに鼻を近づけた。
 動物の毛の匂いが濃厚になった。その中にかすかに、公子の体から染みついた匂いが混じっているように思えた。
 心臓の音が激しくなり、下腹に血が集まっていくのがわかった。
 繁は、公子のスカートを手に持って、公子の腹部が存在するだろうと思われるあたりに顔を押しつけ、そして、手を、痛いほどに燃えたぎる下腹へと、静かに這わせた……。

            

 そんな繁に罰を下すかのように、公子の神戸からの帰還は遅れた。
 みんなが「花咲荘」に戻ってきても、公子の部屋だけは、いつまでたっても明かりがつかなかった。
 「公子さん、どしたんやろ?」
 繁も、藤田クンたちも、新学期が始まった。みんなが本気で心配し始めた頃になって、やっと、手にいっぱい荷物を持って、公子が戻ってきた。
 年が明けて十日が経つ。公子たちの学校も、新学期がスタートしているはずだった。
 「家のほうでいろいろあって……」
 戻ってきた公子の顔色が浮かないので、「何かあったん?」と声をかけると、公子はますます浮かない顔になって、繁の目を見た。
 「ねェ、深川クン、よかったら、明日の放課後、城山でデートせん? いろいろ聞いてもらいたい話があるんよ」
 男女交際を禁止している繁の学校の校則からすると、制服を着たままの外でのデートはまずい。いっぺん下宿に戻って着替えることにして、4時半の待ち合わせを約束した。

            

 市内のど真ん中に、饅頭のような形に盛り上がった小山がある。
 市内のどの位置からも見えるその小山のてっぺんに天守閣のある城山は、市の象徴と言ってもいい存在だった。
 冬の四時半。
 すでに太陽は、西の端に傾いて、小さな町の造形物のすべてを黄金色に染め始めていた。
 その天守閣の真下が、ちょっとした公園になっていて、繁と公子は、そこのベンチで待ち合わせた。
 公子はそこに、制服の上から厚手のダッフルコートを羽織った格好でやってきて、「寒いね」と手に息を吹きかけた。
 「小さな街……」
 黄金色に染まる街並みを見ながら、公子がポツリとつぶやいた。
 そのまま黙っているので、繁が「ネ、何か……」と話しかけたとき、公子の口が開いた。
 「うち……お父さんとお母さん、別れることになったんよ」
 ちょうどそのとき、公園のスピーカーから、5時を知らせる音楽が流れ始めた。ドボルザークの『家路』だった。
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