家族はボクを幸せにしてはくれない

「家庭」を「暖かい場所」「幸せを生み出すところ」とは、一度も思わずに、
ボクは幼年期・少年期を過ごした。
少年・長住にとって、「家」は、
いつか「出て行くべき場所」だった。
「おまえ、どこの子だ?」
3か月ぶりに家に帰った私を迎えたのは、父親のそんな言葉だった。
私が生まれて2年後に弟が生まれ、3年後には妹が生まれた。その度に、私は、祖母の家に預けられていた。
その頃、私の家は熊本にあった。
父は、福岡市西部の早良(現・早良区、当時は早良郡)の出身、母は小倉市(現・北九州市小倉北区)の出身だったが、損害保険会社に勤める父の赴任地がたまたま熊本だったため、私が生まれたときも、弟たちが生まれたときも、生誕地は熊本となった。
母が臨月を迎え、出産して、授乳などに手がかかる間、3歳になった私にまでは手が回らないだろうということで、私は祖母の家へ預けられたのだった。
それをだれが言い出したのかは、わからない。
わからないものの、私は、その期間、自分が家族の「やっかいな者」として扱われたのだ――と感じた。
父親の「おまえ、どこの子だ?」という言葉は、その疎外感を決定的にするひと言だった。

祖母は、後で知ったことだが、いまで言う「未婚の母」だったらしい。
私にとって祖父となるべき人は旧陸軍の将校で、福岡市内に家族と共に住んでいたが、病を得て、そのときは病院のベッドで末期の症状と闘っていた。
祖母は、私をその病床に連れていって祖父と会わせたらしいのだが、私にはその記憶がない。
祖母の家は、福岡市内の千代町(現・博多区)にあって、祖母はそこで、新聞社に勤める息子、つまり私にとっては叔父と暮らしていた。
終戦から、4年か5年という時期。博多の街では、おそらく他の町でもそうだったろうが、まだ、馬車がゴミを収集して回っている時代だった。
物心つくかつかないかの時代を、2つの家庭を行ったり来たりして育った私には、「ここが生まれ育った家」という感覚が、あまり、育たなかった。
どこに行っても自分は「よそ者」である――という感覚は、そういう幼年期の育ち方から身に着いたのかもしれない。
私は、精神的には、「ふる里」を持たない少年だった。
3か月ぶりに家に帰った私を迎えたのは、父親のそんな言葉だった。
私が生まれて2年後に弟が生まれ、3年後には妹が生まれた。その度に、私は、祖母の家に預けられていた。
その頃、私の家は熊本にあった。
父は、福岡市西部の早良(現・早良区、当時は早良郡)の出身、母は小倉市(現・北九州市小倉北区)の出身だったが、損害保険会社に勤める父の赴任地がたまたま熊本だったため、私が生まれたときも、弟たちが生まれたときも、生誕地は熊本となった。
母が臨月を迎え、出産して、授乳などに手がかかる間、3歳になった私にまでは手が回らないだろうということで、私は祖母の家へ預けられたのだった。
それをだれが言い出したのかは、わからない。
わからないものの、私は、その期間、自分が家族の「やっかいな者」として扱われたのだ――と感じた。
父親の「おまえ、どこの子だ?」という言葉は、その疎外感を決定的にするひと言だった。

祖母は、後で知ったことだが、いまで言う「未婚の母」だったらしい。
私にとって祖父となるべき人は旧陸軍の将校で、福岡市内に家族と共に住んでいたが、病を得て、そのときは病院のベッドで末期の症状と闘っていた。
祖母は、私をその病床に連れていって祖父と会わせたらしいのだが、私にはその記憶がない。
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一生に一度も結婚できない「生涯未婚」の率が、男性で30%に達するであろう――と予測されている「格差社会」。その片隅で「貧困」と闘う2人の男と1人の女が出会い、シェアハウスでの共同生活を始めます。新しい仲間も加わって、築き上げていく、新しい家族の形。ハートウォーミングな愛の物語です。
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よろしければ、下記タイトルまたは写真をクリックしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。



【左】『聖少女~六年二組の神隠し』
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。40年後、その真実を知ったボクは……。
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
美しい養護教諭と「ボク」の、淡い恋の物語です。
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