ポーラに忘れな草〈8〉 早めのサンタクロース

「私、あの人には何も奪われてないんよ」。
そう訴える公子の手に自分の手を重ね、
繁は指を絡め合った。
連載 ポーラに忘れな草 第8章

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ここまでのあらすじ 深川繁は高校の3年間を下宿で過ごした。その下宿「花咲荘」に、母親に連れられてひとりの女子高生が引っ越してきた。ミッションスクールに通う矢田公子が障子戸一枚と廊下で隔てられた隣人となったときから、繁の生活が変わった。日曜日、部屋で『ヘイ・ポーラ』を歌っていると、障子の向こうからメゾソプラノのコーラスがかぶってきた。そうして始まったふたりのデュエットは、日曜日ごとの下宿の風物となっていった。そこへ、新しい住人が越してきた。近くのM大に通う学生・飯尾。混声合唱部に所属する飯尾は、ふたりのデュエットに割って入り、公子に「うちの混成」に「助っ人」として参加しないかと誘いかけてきた。ある夜、その飯尾が、テープレコ―ダ―を持って、公子の部屋をノックし、それからもしばしば公子の部屋をノックした。公子の部屋から漏れる忍び声に眠れぬ夜を過ごす繁。そんなある夜、公子の部屋から男女が争い、もつれ合う音が響いて、大家が駆け上がってきた。飯尾は部屋を追い出されることになり、繁は公子に声をかけられなくなった。そんな繁に、ある日、公子の友人だという女が、手紙を託してきた。《お願いです。一度でいいから公ちゃんの心のドアをノックしてあげてください》。繁は、勇気を奮い起こして、その願いを実行した――
スッと開いた障子戸の向こうで、公子が肩をすくめて立っていた。
もこもこのセーターの上から、毛編みのショールを羽織り、足にも毛糸の靴下を穿いている。
しばらく目と目を見詰め合っていたが、その鼻のてっぺんが赤くなっているのを見て、思わず口元がゆるんだ。
公子は、「何かおかしい?」とでも言うように、自分の全身を見回し、それから、恥ずかしそうに目元をゆるめた。
「まさか、サンタさんやないよね」
「ごめん。ちょっと日にち、間違うたかなぁ……」
「入って……」
繁を招き入れると、公子は静かに障子戸を閉めた。

それは、初めて目にする女の子の部屋だった。
熊のぬいぐるみがチョコンと置かれた座机には、ノートと筆箱がきちんと重ねて置いてあり、小さな電気スタンドが手元を照らしていた。
あとは、衣類をしまうための整理ダンスと小さな本箱。整理ダンスの上には、チェックの布を敷いて、目覚まし時計と花瓶、それに白いフレームのフォトスタンドが置いてあり、そこには、公子と母親の写真が収めてあった。
勧められた座布団に腰を下ろすと、公子は繁の正面に正座した。両手を内向きに合わせてヒザの内側にそろえ、やや下向き加減の顔から繁の顔を見上げながら、公子はあらたまった口調で切り出した。
「もう、深川クンとは、話できんかと思うとった。声かけてくれて……あり……」
途中で声帯が詰まったようだった。
「ごめん……」と、ちり紙を取り出すと、赤くなった鼻の下をぬぐった。
「風邪、引いとん?」
「ちょっと……。鼻、赤いやろ?」
「ウン。トナカイみたいや……」
「この格好、エスキモーの子どもみたいやし……」
言いながら、クシュンと鼻をかみ、それから、目の縁で笑った。
「ほんまは、もうちょっと早うに声かけたかったんやけど、なんか……かけにくうて」
「ウウン。たぶん、深川クンには誤解されてるやろなぁ……て、思うたんやけど、私のほうからも、よう声かけられんかったんよ。あのね、飯尾さんのことやけど……」
「ええよ、それは話さんでも。それよか、この部屋、寒うない? 暖房するもん、何もないん?」
「アンカがあったんやけど、壊してしもた。来週、お母さんに電気ひざかけ、送ってもらうんよ」
「あ、そしたら、ちょっと待っとって」
もこもこのセーターの上から、毛編みのショールを羽織り、足にも毛糸の靴下を穿いている。
しばらく目と目を見詰め合っていたが、その鼻のてっぺんが赤くなっているのを見て、思わず口元がゆるんだ。
公子は、「何かおかしい?」とでも言うように、自分の全身を見回し、それから、恥ずかしそうに目元をゆるめた。
「まさか、サンタさんやないよね」
「ごめん。ちょっと日にち、間違うたかなぁ……」
「入って……」
繁を招き入れると、公子は静かに障子戸を閉めた。

それは、初めて目にする女の子の部屋だった。
熊のぬいぐるみがチョコンと置かれた座机には、ノートと筆箱がきちんと重ねて置いてあり、小さな電気スタンドが手元を照らしていた。
あとは、衣類をしまうための整理ダンスと小さな本箱。整理ダンスの上には、チェックの布を敷いて、目覚まし時計と花瓶、それに白いフレームのフォトスタンドが置いてあり、そこには、公子と母親の写真が収めてあった。
勧められた座布団に腰を下ろすと、公子は繁の正面に正座した。両手を内向きに合わせてヒザの内側にそろえ、やや下向き加減の顔から繁の顔を見上げながら、公子はあらたまった口調で切り出した。
「もう、深川クンとは、話できんかと思うとった。声かけてくれて……あり……」
途中で声帯が詰まったようだった。
「ごめん……」と、ちり紙を取り出すと、赤くなった鼻の下をぬぐった。
「風邪、引いとん?」
「ちょっと……。鼻、赤いやろ?」
「ウン。トナカイみたいや……」
「この格好、エスキモーの子どもみたいやし……」
言いながら、クシュンと鼻をかみ、それから、目の縁で笑った。
「ほんまは、もうちょっと早うに声かけたかったんやけど、なんか……かけにくうて」
「ウウン。たぶん、深川クンには誤解されてるやろなぁ……て、思うたんやけど、私のほうからも、よう声かけられんかったんよ。あのね、飯尾さんのことやけど……」
「ええよ、それは話さんでも。それよか、この部屋、寒うない? 暖房するもん、何もないん?」
「アンカがあったんやけど、壊してしもた。来週、お母さんに電気ひざかけ、送ってもらうんよ」
「あ、そしたら、ちょっと待っとって」

繁は、自分の部屋から電気火鉢を持ってきて、公子の部屋のコンセントにつないだ。
公子と繁は、赤く発熱する火鉢に体を近づけ、冷え切った手をかざして、電熱コイルが放射する熱を分け合った。
「ああ、やっと、手が温まってきた。ホラ……」
公子は、血の色が戻ってきた手を繁の手に重ねた。
細く、長い公子の指は、繁の手に重なったまま、ピンと反り返っていた。
「公ちゃんの指、長い」
指を伸ばして合わせると、すべての指がツメ半分だけ、公子のほうが長かった。
「小さい頃から、ピアノやってたんよ。少しも上達せんかったけど……」
「それで、音感がいいんや」
「音感だけは……」
言いながら、公子は伸ばした指を繁の指と指の間にもぐり込ませてきた。ふたりの指は、それぞれのパートナーを見つけて組み合わされ、どちらからともなく閉じられた。
握り合った指に力を入れると、公子も力を返してくる。力を返しながら、公子は顔を俯け、大きく息を吸う。握り合った公子の指が、しっとりと汗ばんでくるのがわかった。
「ごめんね、心配させて……」
力を込めた公子の指先が、繁の手の甲に食い込んでくる。痛いほどに食い込んだ指先から、公子の「訴える力」が伝わってきた。
「でも……私、何も……何も、奪われてないんよ。信じてくれる?」
負けないくらいの力で公子の指を握り返しながら、「ウン」とうなずいた。
「ホント?」
公子の大きな目が、下から繁の目をのぞき込んだ。その目に少しずつ、温かい色が溶けて、黒目いっぱいに広がった。
「ウン。信じとる。公ちゃんの望まんものを、だれも公ちゃんから奪い取っていくことはできん」
「あ・り・が・と・う……」
やっと、公子の指から力がほどけ、握り合った指がゆっくり離れた。
しかし、繁の指も、公子の指も、そのまま離れてしまうことはできなかった。伸ばした指の腹と腹が、相手を求めて触れ合い、こすれ合い、そうしていると、また相手がいとおしくなって、再び、ギュッと握り合う。
繁たちは、何度も何度も、飽きることなくそれを繰り返した。

「冬休み、何日から?」
「二十三日。公ちゃんは?」
「二十五日。休みになったら、深川クン、九州に帰るん?」
「ウン。二十八日に帰る」
「私は、二十六日。クリスマスは、どうしてる?」
「別に、何も予定ないけど……。公ちゃんは?」
「私は、教会の聖歌隊。イヴは、けっこう忙しいんよ。よかったら……あ、でも、深川クンとこは、カトリックやね」
「学校はカトリックやけど、そんなん、関係ないよ」
「もしよかったら、うちの教会のクリスマス礼拝に来てみる? 深川クンの部屋でお話したとき、本棚に聖書が置いてあったから、もしかして……と思うてたんよ」
「ウン、いいよ。ボクは、宗派なんて、あんまり気にしてないから」
それで、クリスマスの予定が決まった。
いつまでもつながっていたい手と手は、それで安心してゆっくり離れ、繁は「おやすみ」を言って、自分の部屋に戻った。
電気火鉢は、公子の電気ひざかけが届くまで、公子の部屋に置いておくことにした。
「寒うなったら、私の部屋に来て。寒くなくても……」
最後の言葉は、ほとんどささやくような声だった。
実際、繁は、それから毎夜のように、公子の部屋をノックすることになった。
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【右】『『チャボのラブレター』
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美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

管理人は、常に、フルマークがつくようにと、工夫して記事を作っています。
みなさんのひと押しで、喜んだり、反省したり……の日々です。
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