ポーラに忘れな草〈4〉 デュエットを奪った男

それは、「花咲荘」での繁と公子の恒例に
なっていた。そこへドスドスとやって来た
新参者。飯尾は、近くの大学生だった。
連載 ポーラに忘れな草 第4章

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ここまでのあらすじ 深川繁は高校の3年間を下宿で過ごした。その下宿「花咲荘」に、母親に連れられてひとりの女子高生が引っ越してきた。ミッションスクールに通う矢田公子が障子戸一枚と廊下で隔てられた隣人となったときから、繁の生活が変わった。日曜日、部屋で『ヘイ・ポーラ』を歌っていると、障子の向こうからメゾソプラノのコーラスがかぶってきた。そうして始まったふたりのデュエットは、日曜日ごとの下宿の風物となっていった――
ドスドスと、廊下を行き交う人の足音がした。
「おい、障子に気ぃつけや」
「ダンボールは、天地、気をつけゆうたやろ」
野太い、男の声がした。
時計を見ると、朝の8時半。
夏休み最後の、日曜日の朝だった。
布団を抜け出し、這って障子戸を開けてみると、男たちが荷物を運んでいた。
ああ……奥のドア付きの部屋に、だれか引っ越してきたんだ。
眺めていると、男たちの中でいちばん背の高い男と目が合った。
耳の下からあごにかけて髭を生やし、目には黒縁のメガネをかけている。さっきから野太い声で指示を出していたのはこの男だな……と、すぐにわかった。
「すまんのぉ、朝早うから。ワシ、奥の部屋に越してきた飯尾ゆうんや。そばのM大の3回生。キミ、高校生か?」
「ハァ……深川と言います。よろしくお願いします」
「H校か?」
「いや、A学園です」
「A学園? ほぉ、頭いいんだ」
横柄なやつだ――と思った。
話し声を聞きつけて、向かいの公子も障子戸を開けた。隣の藤田クンも、斜め向かいのチーちゃんとケン坊も、何事かと顔を出した。
「みんな、朝からドタバタして、申し訳ない。奥の部屋に越してきた飯尾、言います。きょうからここに住みますんで、よろしく」
公子が繁の目を見て、一瞬、片方の眉を吊り上げ、それから首をかしげて見せた。
そこへ、つかつかと男が歩み寄ってきた。
「飯尾です。キミは?」
「S学園の矢田公子です。よろしくお願いします」
「オーッ、S学園! 道理で美人や思うたわ」
言われた公子は、キョトンとしている。
「ハハ……ジョーダン、ジョーダン。今度、ボクの部屋にお茶でも飲みにおいでや」
「ダメやでェ。この先輩、手ェ早いよって、気ぃつけないかんでェ」
荷物を運んでいた後輩らしい男が、横からチャチャを入れた。
飯尾はその頭をコツンとやって、繁と公子の顔を交互に見やり、それからあごの髭を意味ありげに撫でながら言った。
「A学園とS学園か……。ええコンビじゃのぉ。よっしゃ、荷物、片づけてしまおうで」
それが、飯尾と繁たちの出会いだった。
「おい、障子に気ぃつけや」
「ダンボールは、天地、気をつけゆうたやろ」
野太い、男の声がした。
時計を見ると、朝の8時半。
夏休み最後の、日曜日の朝だった。
布団を抜け出し、這って障子戸を開けてみると、男たちが荷物を運んでいた。
ああ……奥のドア付きの部屋に、だれか引っ越してきたんだ。
眺めていると、男たちの中でいちばん背の高い男と目が合った。
耳の下からあごにかけて髭を生やし、目には黒縁のメガネをかけている。さっきから野太い声で指示を出していたのはこの男だな……と、すぐにわかった。
「すまんのぉ、朝早うから。ワシ、奥の部屋に越してきた飯尾ゆうんや。そばのM大の3回生。キミ、高校生か?」
「ハァ……深川と言います。よろしくお願いします」
「H校か?」
「いや、A学園です」
「A学園? ほぉ、頭いいんだ」
横柄なやつだ――と思った。
話し声を聞きつけて、向かいの公子も障子戸を開けた。隣の藤田クンも、斜め向かいのチーちゃんとケン坊も、何事かと顔を出した。
「みんな、朝からドタバタして、申し訳ない。奥の部屋に越してきた飯尾、言います。きょうからここに住みますんで、よろしく」
公子が繁の目を見て、一瞬、片方の眉を吊り上げ、それから首をかしげて見せた。
そこへ、つかつかと男が歩み寄ってきた。
「飯尾です。キミは?」
「S学園の矢田公子です。よろしくお願いします」
「オーッ、S学園! 道理で美人や思うたわ」
言われた公子は、キョトンとしている。
「ハハ……ジョーダン、ジョーダン。今度、ボクの部屋にお茶でも飲みにおいでや」
「ダメやでェ。この先輩、手ェ早いよって、気ぃつけないかんでェ」
荷物を運んでいた後輩らしい男が、横からチャチャを入れた。
飯尾はその頭をコツンとやって、繁と公子の顔を交互に見やり、それからあごの髭を意味ありげに撫でながら言った。
「A学園とS学園か……。ええコンビじゃのぉ。よっしゃ、荷物、片づけてしまおうで」
それが、飯尾と繁たちの出会いだった。

飯尾義次がやって来てから、「花咲荘」の雰囲気は一変してしまった。
まず、人の出入りが激しくなった。
飯尾の部屋には、夜昼かまわず人がやって来る。そして、来れば酒盛りが始まる。酒を飲んでは、大声で議論をしたり、笑ったりして、夜更けまで騒ぐので、静かな「花咲荘」の夜は、失われてしまった。
その被害をまともに受けたのが、壁一枚で飯尾の部屋と接している藤田クンだった。
公子も何度か、被害を受けた。
酔った飯尾の来客が、「公子さん、一緒に飲みませんか?」と戸を叩いたりして、脅えた公子が繁の部屋に逃げ込んできたこともあった。
たまりかねた藤田クンが大家さんに抗議して、夜9時以降の来客は禁止――ということで、飯尾と家主との間で取り決めが交わされ、夜更けのドンチャン騒ぎだけは収まった。
しかし、問題は、それからだった。
九月の終わりの日曜日、繁と公子が、いつものように洗い場で洗濯をしながら、『ヘイ・ポーラ』をデュエットしているときだった。
最初の十小節を繁が歌い、次の十小節を公子が歌い、そして、デュオで歌うサビへ――
「トゥルー・ラブ・ミーンズ・プランニング………」
繁たちが声をそろえて、きれいなユニゾンを響かせようとしたそのときだった。いきなり、ふたりの声に、第三の声がかぶさってきた。
声は、洗い場の右手にある、ドアの中から聞こえてきた。
やがて、音もなくドアが開き、声の主は、歌いながら繁たちのほうに歩み寄ってきた。
繁も公子も、一瞬、歌うのを止めようとした。
すると、声の主は、「続けて、続けて」というふうに手を回して、ふたりの間に割って入り、繁と公子の肩に手を回した。
その手の先が、「テンポはこうだよ」というふうに、トン・トン・トン・トン……と肩をノックした。

第三の声は、太い、張りのあるバリトンだった。
繁と公子が心をくだいたふたりの声のバランスは、あっという間に崩れ、繁の声も、公子の声も、その太いバリトンに吸い取られてしまうようだった。
「キミたち、いい声しとんなぁ」
歌い終わると、飯尾は繁と公子の肩に手を置いたまま、ふたりの顔を交互にのぞき込んだ。
「いい声しとんのやけど、もうちょっと、腹から声出したほうがええのう。あ、ワシのぉ、M大で混声合唱やっとるんよ。そうや。ちょうどよかった。うちの団なぁ、ソプラノの人数が足りんのんよ。公ちゃんゆうたかなぁ、よかったら、うちの団にオブザーバーとして参加してくれんかのぉ?」
公子が、ちょっと困った顔して、繁の顔を見た。
繁が、口をキュッと結んだので、公子も同じように口を結んだ。
「そやのぉ。いきなり、こがいなことゆうても困るわいのぉ。ほやったら、今度、うちの団のテープと今度の定演の譜面持ってくるけ、それ聴いて、譜面見て、それで考えてみてくれんかのぉ」
「いや……でも、うち、レコーダーなんてないし……」
「ああ、レコーダーぐらい、持ってくるけん。頼むわ、な……」
その日はそれで終わったが、以来、繁と公子は、「花咲荘」でのデュエットを止めた。少なくとも、飯尾が部屋にいる間は、歌わなくなってしまった。
『ヘイ・ポーラ』も、せっかく完成しかかっていた『トゥナイト』も、胸の中でハミングするだけになってしまった。
飯尾は、繁たちのいちばん幸せな時間を、無遠慮な、野太いバリトンで奪ってしまったのだった。
そうして2週間が過ぎた十月半ばの、少し肌寒さを感じるぐらいの夜だった。
飯尾がテープレコーダーを抱えて、公子の部屋をノックした。
「公ちゃん、おる? こないだ話したテープ、持ってきたんやけど……」
時計の針は十時を回っていた。
公子の部屋の障子戸が、静かに開いた……。
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美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。40年後、ボクが知った真実は?
【右】『『チャボのラブレター』
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