言葉を「狩る」文化は、危険だ!

「非難されるかもしれない自分」を隠すために、「敬語」で話す人たちが増えている。その背景には「不寛容な社会」がある。そんな社会では、不用意に発した言葉は、「言葉狩り」に遭い、バッシングされてしまう。今回は、その「言葉狩り」の実態と理由について、掘り下げてみます――。
Talker
哲雄 自ら著作を手がけるエッセイスト。当ブログの管理人です。
AKI 出張エステ嬢として働きながら、作家を目指すアラサーの美女。
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AKI 恋人同士なのに「敬語」で話すカップルがいる。それはなぜか――という話を、前回はしたんですよね。
哲雄 ハイ。おそらく、「ありのままの自分」をあまり出したくないからだろう。それは、「隠したい自分」があるからではないか、と申し上げました。では、彼らは何を隠したいのか? それは、「非難されるかもしれない自分」だ。その背景には、何かというと人をバッシングしたがる「不寛容」な社会がある――と、確か、そこまでお話したような気がするんですが……。
AKI 「不寛容」な時代を象徴する風潮のひとつとして、「言葉狩り」がある。実は、その「言葉狩り」が危険である。きょうは、その話をしようという予定になっているのですが――。
哲雄 ハイ、そうでしたね。AKIクンは、「言葉狩り」と聞いたとき、真っ先にどんな言葉を思いつきますか?
AKI セクハラとか、パワハラとか……?
哲雄 それは、「言葉狩り」する側の言葉であって、「狩られる言葉」ではありません。
AKI じゃ、「チビ」とか「デブ」とか「ハゲ」とか……。
哲雄 おヌシは、しばしば、その種の言葉を私に対してお使いになりますなぁ。言われると、確かにいい気はしませんが、しかし、そういう言葉を使ったからと言って、社会から叩かれるとか、地位を失う……などといった社会的制裁を受けるわけではありません。好ましくはないが、「狩られる」というほどではない。
AKI 「バツイチ」とか「出戻り」とかはどうです?
哲雄 確かに、言われると気分がわるいので、できるだけそういう言葉は口にしないようにしようという配慮は、はたらくかもしれません。しかし、「使ってはいけない言葉」として排除されるほどではありません。「狩られる言葉」というのは、もっと厳しい扱い受ける言葉です。
AKI 厳しい扱いですか? たとえば、どんな?
哲雄 わかりやすいのは、「放送禁止」ですかね。放送だけでなく、新聞や雑誌でも「自主規制」の対象になったりします。キミも知っているでしょう? 「めくら」とか「ぴっこ」といった「身体的差別」につながるような言葉は、「放送用語」としても「新聞雑誌用語」としても、現在では使えなくなっています。
AKI もし使ったら罰せられるとか?
哲雄 いえ、それはありません。それらの言葉を「使ってはいけない」などという法律は、存在しませんから。そんなことをやったら、「表現の自由」「報道の自由」を侵すことになってしまうので、民主国家である日本などでは、やらないわけです。
AKI でも、「自主規制」はやるわけですね。
哲雄 やるわけです。そして、その規制に触れる事案が発生したりした場合には、組織内で何らかの処分が下されることだってあります。問題はそこなんですよね。
AKI 「そこ」って、「処分が下される」ってとこですか?
哲雄 いや、そこじゃなくて、その「自主規制」のほう。これは、気をつけないとエスカレートする場合がある。ヘタすると、「言論統制」にもつながりかねない危険な兆候とも言える。先に挙げた「身体的差別」に関する言葉などは、社会全体でハンデを背負った人たちに配慮しましょうということですから、「気をつけましょう」というレベルで規制するのも止むを得ない――と、私は思います。しかし、そうではない言葉もある。
哲雄 ハイ。おそらく、「ありのままの自分」をあまり出したくないからだろう。それは、「隠したい自分」があるからではないか、と申し上げました。では、彼らは何を隠したいのか? それは、「非難されるかもしれない自分」だ。その背景には、何かというと人をバッシングしたがる「不寛容」な社会がある――と、確か、そこまでお話したような気がするんですが……。
AKI 「不寛容」な時代を象徴する風潮のひとつとして、「言葉狩り」がある。実は、その「言葉狩り」が危険である。きょうは、その話をしようという予定になっているのですが――。
哲雄 ハイ、そうでしたね。AKIクンは、「言葉狩り」と聞いたとき、真っ先にどんな言葉を思いつきますか?
AKI セクハラとか、パワハラとか……?
哲雄 それは、「言葉狩り」する側の言葉であって、「狩られる言葉」ではありません。
AKI じゃ、「チビ」とか「デブ」とか「ハゲ」とか……。
哲雄 おヌシは、しばしば、その種の言葉を私に対してお使いになりますなぁ。言われると、確かにいい気はしませんが、しかし、そういう言葉を使ったからと言って、社会から叩かれるとか、地位を失う……などといった社会的制裁を受けるわけではありません。好ましくはないが、「狩られる」というほどではない。
AKI 「バツイチ」とか「出戻り」とかはどうです?
哲雄 確かに、言われると気分がわるいので、できるだけそういう言葉は口にしないようにしようという配慮は、はたらくかもしれません。しかし、「使ってはいけない言葉」として排除されるほどではありません。「狩られる言葉」というのは、もっと厳しい扱い受ける言葉です。
AKI 厳しい扱いですか? たとえば、どんな?
哲雄 わかりやすいのは、「放送禁止」ですかね。放送だけでなく、新聞や雑誌でも「自主規制」の対象になったりします。キミも知っているでしょう? 「めくら」とか「ぴっこ」といった「身体的差別」につながるような言葉は、「放送用語」としても「新聞雑誌用語」としても、現在では使えなくなっています。
AKI もし使ったら罰せられるとか?
哲雄 いえ、それはありません。それらの言葉を「使ってはいけない」などという法律は、存在しませんから。そんなことをやったら、「表現の自由」「報道の自由」を侵すことになってしまうので、民主国家である日本などでは、やらないわけです。
AKI でも、「自主規制」はやるわけですね。
哲雄 やるわけです。そして、その規制に触れる事案が発生したりした場合には、組織内で何らかの処分が下されることだってあります。問題はそこなんですよね。
AKI 「そこ」って、「処分が下される」ってとこですか?
哲雄 いや、そこじゃなくて、その「自主規制」のほう。これは、気をつけないとエスカレートする場合がある。ヘタすると、「言論統制」にもつながりかねない危険な兆候とも言える。先に挙げた「身体的差別」に関する言葉などは、社会全体でハンデを背負った人たちに配慮しましょうということですから、「気をつけましょう」というレベルで規制するのも止むを得ない――と、私は思います。しかし、そうではない言葉もある。
AKI たとえば――?
哲雄 AKIクンは『竹田の子守歌』という歌を知っていますか?
AKI 昔、『赤い鳥』というフォーク・グループが歌って、何かでグランプリを取った曲ですよね?
哲雄 「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」です。このコンテストは1967年から1971年までの5年間開催され、当時は、アマチュア・バンドの登竜門として注目されていました。赤い鳥、吉田拓郎、オフコース、チューリップなどが、そこでの活躍を機に、プロへと巣立っていったコンテストです。ご存じでない方もいらっしゃろうかと思いますので、ご紹介しておくと、こんな曲でした。
「赤い鳥」の『竹田の子守歌』
AKI ヘーッ、この曲が「放送禁止」になっちゃったんですか? どうして?
哲雄 ただ聞いているだけではわからないと思いますが、実はこの曲で歌われている舞台が「被差別部落」で、歌の主人公である娘はその被差別部落の子ども。子守り女として奉公に出された子が、「子守り」の仕事の辛さを嘆きながら、親の元へ帰りたい心情を訴える、という曲なんですが、同じ理由で「放送禁止」になった曲は、これだけじゃないんですよ。
AKI エッ、他にも……?
哲雄 その頃、反体制フォークの神様と言われていた岡林信康が作って歌っていた曲に、『チューリップのアップリケ』とか『手紙』というのがあったんですが、これも、「被差別部落」がテーマになっているということで、テレビからもラジオからも締め出されてしまいました。「放送禁止」にはなりませんでしたが、有名な民謡『五木の子守歌』も、テレビなどにはあまり登場しなくなりました。
AKI こっちも、被差別部落が絡んでる?
哲雄 いや、似てるけど、ちょっと違います。こちらは、歌詞に「差別用語」が含まれているから。
AKI 差別用語? 何だろう?
哲雄 歌詞にこういうくだりが出てきます。
おどまかんじんかんじん
あん人達ゃよか衆
ここに出てくる「おどま」は、「おど=私」+「ま=は」で、「私は」の意。問題は、その後に出てくる「かんじん(=勧進)」です。「勧進」は「小作人」を表す言葉ですが、ここでは「乞食」の意味で使われています。「勧進」である「おど」たちは、源平合戦に敗れて逃げ延びてきた平家の落人たちの末裔。「よか衆」とうたわれている「あん人達」は、落人を監視するためにやって来た源氏の武将たちで、彼らは地主として小作人である「勧進」たちを支配していました。「勧進」の娘たちは、子守りとして「よか衆」の家に奉公させられていた。その悲しみや辛さを歌ったのが、『五木の子守歌』だったわけですね。
AKI 『竹田の子守歌』と何だか似てますね。
哲雄 どちらも、歌われているのは、「差別」という「負の精神」。それゆえに、「自主規制」の対象となったわけです。
AKI なんで、それが「自主規制」の対象になってしまうんでしょうね? 別に隠す必要はないと思うのに……。
哲雄 そこがおかしいところで、危険なところでもあると思うんですよ。日本の政治権力やマスコミが「言葉」を管理しようとする背景には、「負の歴史」を隠そうとするモチーフがひそんでいる。それでいいのか? そうして「言葉」を狩る文化を、私たちは許していていいのか?
AKI 哲ジイとしては「NO」なんですね?
哲雄 ハイ、激しく「NO」です。
AKI その怒り、まだ続きがありそうなので、また次回、お聞きします。
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管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
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