「栄誉」なんぞで人の一生は「豊か」にはならない

「栄誉」を受けることを人生の目標と考える人もいます。
しかし、そんなものは欲しくないと言う人もいます。
筆者もまったく欲しくありません。そんなものを求める心からは
豊かな人生は得られないと思うからです。その理由——。
しかし、そんなものは欲しくないと言う人もいます。
筆者もまったく欲しくありません。そんなものを求める心からは
豊かな人生は得られないと思うからです。その理由——。
メンタル エロ 恋愛観 男の心理 女の心理 官能小説
先日は、イチローが「国民栄誉賞」の受賞を辞退しました。
何とこれで3度目の辞退。
現役を退いた後でいただけるのであれば、ありがたい。
というのが、辞退の弁でしたが、筆者には「現役を退いた後に」は、「死んだ後に」と言っているようにも聞こえました。
つまり、この人は、「生きているうちには栄誉など求めない」と言っているようにも感じられたのです。
「栄誉」など求めない――ということについては、筆者もまったく同感です。
そんなものを求めて、記念のメダルやらトロフィーやらをマントルピースの上に並べるとか、額縁に入れた賞状で欄間を埋め尽くすなんぞということは、やってみようとも思いません。(←やってみようにも、ブツがないんでございますがね)
もちろん、死んだ後でどこかに銅像を建ててもらおうなんていう野心も、まったく持ち合わせておりません。
しかし、世の中にはいるんですね、それこそが「人生の目標」とばかりに、追い求め続ける人たちが。
人から「評価」されることを求める卑しい性質
「栄誉」とは、他人から与えられる「評価」です。
「栄誉」を追い求め続ける生き方は、すなわち、他人からの「評価」を求め続ける生き方という言い方もできるかと思います。
人からどう評価されるかをたえず気にして、「いい評価」得よう、得よう――と行動する生き方。
はたして、そんな生き方で、人は心豊かに生涯を過ごすことができるか?
私の答えは「NO」です。
そんなの息苦しいし、だいいち、「他人の評価を得よう」とする心根が「卑しい」と感じられるので、私はやらないのですが、周りを見回してみると、どうも、そんなふうに「ひとの目」を気にして生きている人たちが、けっこういます。
その「ひとの目」には、いろんな「目」があります。
何とこれで3度目の辞退。

というのが、辞退の弁でしたが、筆者には「現役を退いた後に」は、「死んだ後に」と言っているようにも聞こえました。
つまり、この人は、「生きているうちには栄誉など求めない」と言っているようにも感じられたのです。
「栄誉」など求めない――ということについては、筆者もまったく同感です。
そんなものを求めて、記念のメダルやらトロフィーやらをマントルピースの上に並べるとか、額縁に入れた賞状で欄間を埋め尽くすなんぞということは、やってみようとも思いません。(←やってみようにも、ブツがないんでございますがね)
もちろん、死んだ後でどこかに銅像を建ててもらおうなんていう野心も、まったく持ち合わせておりません。
しかし、世の中にはいるんですね、それこそが「人生の目標」とばかりに、追い求め続ける人たちが。

「栄誉」とは、他人から与えられる「評価」です。
「栄誉」を追い求め続ける生き方は、すなわち、他人からの「評価」を求め続ける生き方という言い方もできるかと思います。
人からどう評価されるかをたえず気にして、「いい評価」得よう、得よう――と行動する生き方。
はたして、そんな生き方で、人は心豊かに生涯を過ごすことができるか?
私の答えは「NO」です。
そんなの息苦しいし、だいいち、「他人の評価を得よう」とする心根が「卑しい」と感じられるので、私はやらないのですが、周りを見回してみると、どうも、そんなふうに「ひとの目」を気にして生きている人たちが、けっこういます。
その「ひとの目」には、いろんな「目」があります。
筆者の友人には「カミさんの目」という「ひとの目」を気にする男がいます。
「カミさんがいやがるから」と焼き鳥の臭いを着けて家に帰るのを避けたり、「カミさんがホメてくれるから」と白髪を染めてみたりもします。しかし、こんな「ひとの目」ならかわいいものです。「カミさんの目」が「友人の目」に代わろうが、「子どもの目」に代わろうが、その目を気にしたところで「栄誉」を求めるということにまではなりません。
筆者の知人には、こういう男もいました。この男が気にした目は、「上司の目」です。
何かにつけて「こんなことしたら、上はどう思うだろう?」と上司の評価を気にし、「上はオレの仕事をきちんと見てくれてない」とボヤきます。こうなると、「ひとの目」は「組織」という他人の目に近くなります。
「上司は……」が「課は……」とか「部は……」とかに代わり、さらに「会社は……」に代わると、もはや、それを気にする態度を「かわいいもの」とは言っていられなくなります。求める「評価」も「栄誉」に近いものとなります。
「評価」を求める「組織」が大きくなればなるほど、その「評価」は「栄誉」と呼ぶにふさわしいものとなり、それを求める態度は、人の目に「強欲」と映るようになります。
そうやって、自らその「栄誉」を求めようとする強欲な人間が、実は私は、あまり好きではありません。というか、嫌いです。
「悪」に評価されても、うれしくない
仮に私が、何らかの功績を評価されて「栄誉」を手に入れたとしても、そんなことで人生が豊かになったなどとは決して思えないだろう――と最初に申し上げましたが、その理由のもうひとつは、評価してくれる相手のせいでもあります。
たいていの場合、人を評価してなんらかの「栄誉」を与えようとするのは、学校や企業、地方公共団体や自治体、国家などの「組織」です。
その「組織」が「善」であると判断できる場合ならともかく、管理人が見る限り、「善なる組織」などというものは、存在しない。というか、「善なる組織」は、その成員を評価し、栄誉を与えることによって忠誠を誓わせよう――なんてことをしません。
極論を言わせてもらうなら、
組織は、組織であるがゆえに「悪」なのである。
ですかね。
そんな「悪」に評価されたりしてもうれしくない――どころか、不名誉でさえあると思うので、私はこれまで、「組織に評価される」ことを追い求めてはきませんでした。
「絶対」を持たない人間は「評価」に揺すぶられる
「評価」されることを好まず、「栄誉」を求めないとすれば、人はいったい、何をもって自らの人生を総括すればいいのか?
私の場合、希求するのは、「それでいいんだよ」という声です。
その声は、どこからもたらされるのか?
家族や友人たちではありません。学校や会社でもありません。市でも、県でも、国家でもなく、したがって「社会」でもありません。
そういう「有限」の存在ではなく、「無限」であり、「絶対的」な存在です。
無限で絶対的な存在。それは、一般的に「神」とか「仏」と呼ばれる存在です。
筆者は、どんなときでも「いいんだよ、それで」と認めてくれる存在を心の中にキープしているので、「世間的な評価」を気にすることもないし、「栄誉」なんぞを追い求めたりもしないですんでいます。
しかし、日本の社会では、そんな態度でいると、「けしからん」と責められたり、「あいつ、変わり者だから」と変人扱いされたりしてしまいます。
「周りからどう思われているか、もっと気にしろ!」というわけです。
日本では、親は子どもを「そんなことしてると、周りに笑われるぞ」と教育し、TVはしきりに「日本は世界からどう思われているか?」を報道したりします。
そうして「世間体」や「外聞」を気にする傾向は、日本人の場合、他の傾向に比べて、図抜けて高いのだそうです。それは、日本人が「絶対的な神」を持たず、「神との一対一の関係」を築けてないからだ――とも言われています。
心理学的には、それは「従順な子どもであろうとする性質」というふうにも分析されています。
「評価」を気にするからこそ、「評価されない自分」を気に病み、極端な場合には、それが「自殺の原因」になったりもします。
「ひとの目」から自由になれ!
私は、思春期を過ぎた頃から、ず――っと、自分にそう言い聞かせてきました。
おかげで、気楽にここまで生きてこられた。それでいいんだよ――と、心の中の「絶対なるもの」は言ってくれています。
「カミさんがいやがるから」と焼き鳥の臭いを着けて家に帰るのを避けたり、「カミさんがホメてくれるから」と白髪を染めてみたりもします。しかし、こんな「ひとの目」ならかわいいものです。「カミさんの目」が「友人の目」に代わろうが、「子どもの目」に代わろうが、その目を気にしたところで「栄誉」を求めるということにまではなりません。
筆者の知人には、こういう男もいました。この男が気にした目は、「上司の目」です。
何かにつけて「こんなことしたら、上はどう思うだろう?」と上司の評価を気にし、「上はオレの仕事をきちんと見てくれてない」とボヤきます。こうなると、「ひとの目」は「組織」という他人の目に近くなります。
「上司は……」が「課は……」とか「部は……」とかに代わり、さらに「会社は……」に代わると、もはや、それを気にする態度を「かわいいもの」とは言っていられなくなります。求める「評価」も「栄誉」に近いものとなります。
「評価」を求める「組織」が大きくなればなるほど、その「評価」は「栄誉」と呼ぶにふさわしいものとなり、それを求める態度は、人の目に「強欲」と映るようになります。
そうやって、自らその「栄誉」を求めようとする強欲な人間が、実は私は、あまり好きではありません。というか、嫌いです。

仮に私が、何らかの功績を評価されて「栄誉」を手に入れたとしても、そんなことで人生が豊かになったなどとは決して思えないだろう――と最初に申し上げましたが、その理由のもうひとつは、評価してくれる相手のせいでもあります。
たいていの場合、人を評価してなんらかの「栄誉」を与えようとするのは、学校や企業、地方公共団体や自治体、国家などの「組織」です。
その「組織」が「善」であると判断できる場合ならともかく、管理人が見る限り、「善なる組織」などというものは、存在しない。というか、「善なる組織」は、その成員を評価し、栄誉を与えることによって忠誠を誓わせよう――なんてことをしません。
極論を言わせてもらうなら、
組織は、組織であるがゆえに「悪」なのである。
ですかね。
そんな「悪」に評価されたりしてもうれしくない――どころか、不名誉でさえあると思うので、私はこれまで、「組織に評価される」ことを追い求めてはきませんでした。

「評価」されることを好まず、「栄誉」を求めないとすれば、人はいったい、何をもって自らの人生を総括すればいいのか?
私の場合、希求するのは、「それでいいんだよ」という声です。
その声は、どこからもたらされるのか?
家族や友人たちではありません。学校や会社でもありません。市でも、県でも、国家でもなく、したがって「社会」でもありません。
そういう「有限」の存在ではなく、「無限」であり、「絶対的」な存在です。
無限で絶対的な存在。それは、一般的に「神」とか「仏」と呼ばれる存在です。
筆者は、どんなときでも「いいんだよ、それで」と認めてくれる存在を心の中にキープしているので、「世間的な評価」を気にすることもないし、「栄誉」なんぞを追い求めたりもしないですんでいます。
しかし、日本の社会では、そんな態度でいると、「けしからん」と責められたり、「あいつ、変わり者だから」と変人扱いされたりしてしまいます。
「周りからどう思われているか、もっと気にしろ!」というわけです。
日本では、親は子どもを「そんなことしてると、周りに笑われるぞ」と教育し、TVはしきりに「日本は世界からどう思われているか?」を報道したりします。
そうして「世間体」や「外聞」を気にする傾向は、日本人の場合、他の傾向に比べて、図抜けて高いのだそうです。それは、日本人が「絶対的な神」を持たず、「神との一対一の関係」を築けてないからだ――とも言われています。
心理学的には、それは「従順な子どもであろうとする性質」というふうにも分析されています。
「評価」を気にするからこそ、「評価されない自分」を気に病み、極端な場合には、それが「自殺の原因」になったりもします。
「ひとの目」から自由になれ!
私は、思春期を過ぎた頃から、ず――っと、自分にそう言い聞かせてきました。
おかげで、気楽にここまで生きてこられた。それでいいんだよ――と、心の中の「絶対なるもの」は言ってくれています。
筆者の最新小説、キンドル(アマゾン)からリリースしました!

一生に一度も結婚できない「生涯未婚」の率が、男性で30%に達するであろう――と予測されている「格差社会」。その片隅で「貧困」と闘う2人の男と1人の女が出会い、シェアハウスでの共同生活を始めます。新しい仲間も加わって、築き上げていく、新しい家族の形。ハートウォーミングな愛の物語です。
「Kindle」は、「Amazon.com」が世界中で展開している電子本の出版・販売システム。「Kindle専用端末」があればベストですが、なくても、専用のビューアーをダウンロード(無料)すれば、スマホでも、タブレットでも、PCでも読むことができます。
よろしければ、下記タイトルまたは写真をクリックして、ダウンロードしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。



【左】『聖少女~六年二組の神隠し』
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭と「ボク」の、淡い恋の物語です。
「Kindle」は、「Amazon.com」が世界中で展開している電子本の出版・販売システム。「Kindle専用端末」があればベストですが、なくても、専用のビューアーをダウンロード(無料)すれば、スマホでも、タブレットでも、PCでも読むことができます。
よろしければ、下記タイトルまたは写真をクリックして、ダウンロードしてください。
2016年3月発売 定価:342円 発行/虹BOOKS
妻は、おふたり様にひとりずつ (小説)
既刊本もどうぞよろしく タイトルまたは写真をクリックしてください。
2015年7月発売 定価/122円
教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。卒業から40年経って、ボクはその真実を知ります。
【右】『『チャボのラブレター』
2014年10月発売 定価122円
中学校の美しい養護教諭と「ボク」の、淡い恋の物語です。

管理人は、常に、下記3つの要素を満たすべく、知恵を絞って記事を書いています。
みなさんのポチ反応を見て、喜んだり、反省したり……の日々です。
今後の記事作成の参考としますので、正直な、しかし愛情ある感想ポチを、どうぞよろしくお願いいたします。
→この記事はためになった(FC2 恋愛)
→この記事に共感した(にほんぶろぐ村 恋愛)
→この記事は面白かった(人気ブログランキング 恋愛)
⇒「心の抱き枕」の記事一覧に戻る ⇒トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- それでも、「お墓」は必要ですか? (2019/11/04)
- 「栄誉」なんぞで人の一生は「豊か」にはならない (2019/04/18)
- 「疲れちまった心」に「プチ出家」 (2018/10/02)