女神の探し物〈12〉 美しき歌姫とホームレス

翠さんを出演する店に送り迎えするオレを
児玉敦は「付き人」とからかった。
「いつもわるいわね」と、翠さんはオレを
ラーメン店に誘う。その帰り、彼女は、
ホームレスがたむろする公園に足を踏み入れた。
ひとりひとりの顔をのぞいて歩く美しき歌姫、
その行動が意味するものは——。
連載 女神の探し物 第12章
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ここまでのあらすじ 翠さんは、ジャズクラブやライブハウスで歌っている歌姫だ。そのダンナ・浅尾龍二は、世間が「総会屋」と呼ぶ右翼の活動家だ。オレはその舎弟として使いっぱしりをやっている。翠さんが毎週、顔を出しているジャズクラブ「メモリー」に、大下博明というピアニストと玉川恵一というベーシストがいる。その3人で出したファーストアルバムが、メジャーに注目され、翠さんにTV出演の話が舞い込んだ。芽生えたメジャー・デビューのチャンス。しかし、その芽をつぶしたのは、龍二兄ィその人だった。ベースの「タマちゃん」が「だんなであるあなたが、彼女のチャンスをつぶすのか」とかみついたが、兄ィの気持ちは変わらなかった。翠さんには、熱心な固定ファンがいた。その中には、彼女に酒をすすめてくる者もいる。しかし、翠さんは酒乱だった。酒が犯させる過ち。そんな日、兄ィと翠さんの夜は修羅場となった。「おまえは血を汚してんだゾ」と声を荒げ、手を振り上げる兄ィ。翠さんは「禁酒」を宣言したが、その翠さんには変な「追っかけ」がついていた。「変なのが現れるかも」というので、しばらくその送り迎えをおおせつかったオレは、初めて翠さんのステージを見て、その姿と声にホレた。その夜、オレはママに頼まれて、ピアニストの大下博明を自宅に送っていくことになった。肝硬変に冒されて歩くこともままならない老ピアニスト。その体を支えたのは、客の児玉敦という男だった。実は、その児玉と浅尾龍二の間には、20代の頃から続く因縁があった。右翼と左翼。ふたりはぶつかり合っては血を流す、天敵同士だった。7か月後、大下博明がこの世を去った。その葬儀で顔を合わせた児玉と龍二兄ィは、たがいの胸をつかみ合って――
それからも何度か、オレは翠さんを、彼女が出演する店に送り届けた。
「質の悪いストーカーから翠を守ってやってくれ」という龍二兄ィの指令は、いつの間にかあまり聞かれなくなったが、オレはオレの意思で、必要に応じて送り迎えを続けた。
「きょうは、初めて入る店だから、ちょっと不安なんだ」
翠さんは、暗に「一緒に来てほしい」というニュアンスを伝えてくることもあった。
そんなときは、オレは翠さんの荷物を持ってついて行き、店の支配人には、「きょうは浅尾翠がお世話になります」と、まるでマネジャーのような口を利いた。
しかし、どう見ても、やっていることは「マネジャー」とは思えない。店でオレの姿を見かけた児玉敦には、「よっ、付き人さん!」と冷やかされたりもした。
兄ィのカミさんである美しい歌姫の付き人。それもわるかぁねェけど――と思った。
その浅尾翠の歌が、少し濁ってきたと言ったのは、児玉だった。
「最近、彼女、ビリー・ホリデイにはまってるみたいでね。別に、それはそれでいいんだけど、どうも、歌い方がホリデーっぽくなった。ムリして影響を受けなくてもいいのに――と思うんだけどね」
ビリー・ホリデーは、ジャズの世界に黒人女性歌手が進出するきっかけを作った先駆者。それまでの女性ジャズ・ボーカルは、白人の美人系歌手が、バンドの演奏に合わせて、はかなげな声で歌う添え物的な存在にすぎなかったが、ビリーはその価値を一変させた。
自らの声を操って曲に新しい解釈を与え、曲想を創り上げていく演奏スタイルは、その影響を受けたエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーン、アニタ・オデイらにも引き継がれていった。
浅尾翠がそんなビリー・ホリデーに傾倒していくのもわからないじゃない。しかし――と、児玉敦は言うのだった。
「傾倒するのはいいんだけど、声の使い方とか、唱法とかが、ビリーっぽくなっていくのは、翠ファンとしては、ちょっと残念な気がするんだよね。影響されるのもムリないとは思うけど……」
オレには、音楽の技術的なことはわからない。
しかし、最初に聴いたときよりも、翠さんの歌には重みが加わったような気がする。
それを口にすると、コダッチはオレの肩をポンポンと叩いた。
「さすが付き人。よくわかってますね」
その言い方はちょっとイヤだったが、そのうち、翠さんまでがオレのことを「付き人」と紹介するようになった。
「質の悪いストーカーから翠を守ってやってくれ」という龍二兄ィの指令は、いつの間にかあまり聞かれなくなったが、オレはオレの意思で、必要に応じて送り迎えを続けた。
「きょうは、初めて入る店だから、ちょっと不安なんだ」
翠さんは、暗に「一緒に来てほしい」というニュアンスを伝えてくることもあった。
そんなときは、オレは翠さんの荷物を持ってついて行き、店の支配人には、「きょうは浅尾翠がお世話になります」と、まるでマネジャーのような口を利いた。
しかし、どう見ても、やっていることは「マネジャー」とは思えない。店でオレの姿を見かけた児玉敦には、「よっ、付き人さん!」と冷やかされたりもした。
兄ィのカミさんである美しい歌姫の付き人。それもわるかぁねェけど――と思った。
その浅尾翠の歌が、少し濁ってきたと言ったのは、児玉だった。
「最近、彼女、ビリー・ホリデイにはまってるみたいでね。別に、それはそれでいいんだけど、どうも、歌い方がホリデーっぽくなった。ムリして影響を受けなくてもいいのに――と思うんだけどね」
ビリー・ホリデーは、ジャズの世界に黒人女性歌手が進出するきっかけを作った先駆者。それまでの女性ジャズ・ボーカルは、白人の美人系歌手が、バンドの演奏に合わせて、はかなげな声で歌う添え物的な存在にすぎなかったが、ビリーはその価値を一変させた。
自らの声を操って曲に新しい解釈を与え、曲想を創り上げていく演奏スタイルは、その影響を受けたエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーン、アニタ・オデイらにも引き継がれていった。
浅尾翠がそんなビリー・ホリデーに傾倒していくのもわからないじゃない。しかし――と、児玉敦は言うのだった。
「傾倒するのはいいんだけど、声の使い方とか、唱法とかが、ビリーっぽくなっていくのは、翠ファンとしては、ちょっと残念な気がするんだよね。影響されるのもムリないとは思うけど……」
オレには、音楽の技術的なことはわからない。
しかし、最初に聴いたときよりも、翠さんの歌には重みが加わったような気がする。
それを口にすると、コダッチはオレの肩をポンポンと叩いた。
「さすが付き人。よくわかってますね」
その言い方はちょっとイヤだったが、そのうち、翠さんまでがオレのことを「付き人」と紹介するようになった。

付き人・野原憲治郎の仕事は、譜面などの荷物を持って浅尾翠を出演する店に送り迎えし、変なストーカーがつかないようにガードすることだった。
と言っても、別に「付き人料」とか「マネージメント料」なんてものをもらってるわけじゃない。そもそも、ジャズクラブやライブハウスに出演するミュージシャンや歌手に、そんなものを支払う余裕などあるはずがない。
「ギャラより高い交通費」なんて言葉が、自虐的に飛び出す世界である。それでも翠さんは、「ケンちゃん、これ、少ないけど」と、自分のギャラの中から千円札を何枚か手渡そうとする。
オレは、それを受け取らなかった。
なけなしのギャラから分け前なんていただいたんじゃ、総会屋の名がすたる。だいいち、龍二兄ィに顔が立たない。
オレが受け取りを拒否すると、「じゃ、その代わり……」と翠さんは言い出した。
「私がおごるから、ちょっとつき合わない」
連れて行かれたのは、ラーメン店。豚骨ラーメンがうまい――と評判になっている店だった。
「ごめんね、こんなところで。ほんとなら、一杯、ごちそうしたいところなんだけど、ケンちゃん、運転があるでしょ。私も、お酒、止めてるから」
それでも、翠さんのおごりで食うラーメンは、超うまかった。

ラーメン店を出て駐車場に向かう道の途中に、少し大きな公園がある。
来るときには気がつかなかったが、公園内の遊歩道に沿ったブッシュの脇や樹木と樹木の間には、青い花が咲いていた。「青い花」と見えたのは、ブルーシートだった。
「ここら辺も増えましたねェ。まったく、あいつら……」
「ね、翠さん?」と同意を求めようと振り向くと、翠さんの姿がそこにない。
エッ、どこへ行った?
見回すと、翠さんのベージュ色のコートが公園の中へ入って行く。
オレは慌ててその後を追った。
翠さんの足は、意外と速い。その足が、遊歩道脇に並んだブルーシートのほうへと向かう。
「ちょ、ちょっと……翠さん」
呼びかけながら後を追うが、翠さんの足は止まらない。
いったい、何をする気か?
おろおろしながらついて行くと、翠さんは、並んだビニールシートの住人と思われる男の顔を、ひとりひとり、のぞき込むようにする。
のぞき込んでは、イヤイヤ……というふうに首を振って、次のブース(?)へと移っていく。
のぞかれたブースの住人の中には、「なんだ、おまえは?」と挑みかかってきそうなのもいる。何かあるといけないので、オレはいつでも飛び出せるように身構えて、翠さんの背後に控えた。
それを翠さんに「ちょっと離れてて」と止められた。「怖い顔で立っていられると、警戒されてしまうから」というのだった。
最後にのぞいたブースの住人は、白い顎髭を伸ばしっぱなしに伸ばした仙人のような風貌の男だった。一見、その一帯の長老のようにも見える。
男が「何か?」という目を向けると、翠さんはその場に腰を下ろして、バッグからハガキほどの大きさの紙片を取り出した。
その紙片を指さしながら、男に何かを訊くが、男は力なく首を振るばかりだ。
そうか、しょうがないわね――というふうに、翠さんはゆっくり腰を上げ、裾の埃を払うと、仙人と二言三言、あいさつを交わして、公園の出口に向かった。
いったい何を話していたのか、離れて見守っていただけのオレには、さっぱりわからない。
クルマに乗り込むと、翠さんは「あ~あ」と小さなため息をついた。
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教師のビンタが支配する教室から、突如、姿を消した美少女。40年後、ボクが知った真実は?
【右】『『チャボのラブレター』
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美しい養護教諭とボクの、淡い恋の物語です。

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