女神の探し物〈11〉 師と仰ぐ人の死

「メモリー」のピアニストであり、
翠さんの師匠でもある大下博明が死んだ。
肝硬変で腹を腹水でパンパンに膨らませての
壮絶な最期だった。その葬儀に、龍二兄ィも
参列するという。兄ィの顔を見ると、
児玉敦が「ちょっといいか」と声をかけてきた。
つかみ合うように向き合ったふたりは——。
連載 女神の探し物 第11章
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ここまでのあらすじ 翠さんは、ジャズクラブやライブハウスで歌っている歌姫だ。そのダンナ・浅尾龍二は、世間が「総会屋」と呼ぶ右翼の活動家だ。オレはその舎弟として使いっぱしりをやっている。翠さんが毎週、顔を出しているジャズクラブ「メモリー」に、大下博明というピアニストと玉川恵一というベーシストがいる。その3人で出したファーストアルバムが、メジャーに注目され、翠さんにTV出演の話が舞い込んだ。芽生えたメジャー・デビューのチャンス。しかし、その芽をつぶしたのは、龍二兄ィその人だった。ベースの「タマちゃん」が「だんなであるあなたが、彼女のチャンスをつぶすのか」とかみついたが、兄ィの気持ちは変わらなかった。翠さんには、熱心な固定ファンがいた。その中には、彼女に酒をすすめてくる者もいる。しかし、翠さんは酒乱だった。酒が犯させる過ち。そんな日、兄ィと翠さんの夜は修羅場となった。「おまえは血を汚してんだゾ」と声を荒げ、手を振り上げる兄ィ。翠さんは「禁酒」を宣言したが、その翠さんには変な「追っかけ」がついていた。「変なのが現れるかも」というので、しばらくその送り迎えをおおせつかったオレは、初めて翠さんのステージを見て、その姿と声にホレた。その夜、オレはママに頼まれて、ピアニストの大下博明を自宅に送っていくことになった。肝硬変に冒されて歩くこともままならない老ピアニスト。その体を支えたのは、客の児玉敦という男だった。実は、その児玉と浅尾龍二の間には、20代の頃から続く因縁があった。右翼と左翼。ふたりはぶつかり合っては血を流す、天敵同士だった――
7カ月後、ピアニスト・大下博明は、この世を去った。
最後は、腹を腹水でふくらませて、息を引き取った。苦しい息の下から最後に残した言葉は、「ああ、うまいバーボンが飲みたい」だったという。
葬儀は、「メモリー」の常連だった客たちが中心になってとり行われた。その音頭をとり、葬儀委員長を務めたのは、児玉敦だった。翠さんは、大下博明の教え子代表として、参列者のひとりひとりに頭を下げた。
その葬儀に兄ィが線香を手向けに行く――という。
「女房が世話になった先生だ。線香のひとつも上げるのが礼儀だろ」
義理と人情の世界に生きる男だ。兄ィは、そういうところには、妙に義理がたい。
浅尾龍二が弔問にやって来たのを見ると、児玉敦は「どうも」というふうに頭を下げた。それに、兄ィが抑制された会釈を返す。
ふたりの間には、オレにはわからない感情のやり取りが流れているように見えた。
宗派色のない葬儀だから、兄ィの言う「線香をあげる」はなかった。読経もなかった。
しかし、「音」はあった。大下博明の指導を受けたミュージシャンたちが次々に追悼の演奏を捧げ、最後には、翠さんがアカペラで『アメイジング・グレース』を歌った。
ピアニスト・大下博明の棺が運び出されると、参列者たちは一様に空虚感に包まれた。
西の空に向かって「フゥ」とため息をついた龍二兄ィが、「さ、行くか」と歩き始めようとしたとき、その背中をポンと叩く手があった。
「きょうは、足を運んでもらって、すまなかった」
児玉敦が頭を下げる。
兄ィが「オゥ」と応じると、「ちょっと時間あるか?」というふうに、児玉敦が龍二兄ィの腕を引っ張るようにして、会場の隅に誘った。
ふたりは、会場のドアの脇に立って何かを真剣に話している。しきりに手を振って何かを訴えているのは、児玉敦のほうで、浅尾龍二はそれに「ああ」「ああ」とうなずいているように見えた。
言葉を交わすうちに、コダッチの手ぶりが大きくなっていく。その手がグイと龍二兄ィの両肩をつかんで、体を揺するようなしぐさを見せる。
龍二兄ィはそれに応じて、児玉敦のスーツの胸襟をつかんで、その体を揺すり返した。
おふたりさん、まさか、こんなところでどつき合いやらかす気じゃないだろうな――と、一瞬、あせった。
しかし、違った。
二言、三言、言葉を交わすと、龍二兄ィはコダッチの胸をポンポンと叩いて、つかんでいた胸襟を突き放し、コダッチは兄ィの両肩を挟んだままトントンと叩いて、手を離した。
ふたりが何を話していたのか、オレにはよくわからなかった。
翠さんは、そんなふたりの様子を心配そうに見ていたが、最後は「やれやれ」というふうに手を振ってその手を腰に当てた。
最後は、腹を腹水でふくらませて、息を引き取った。苦しい息の下から最後に残した言葉は、「ああ、うまいバーボンが飲みたい」だったという。
葬儀は、「メモリー」の常連だった客たちが中心になってとり行われた。その音頭をとり、葬儀委員長を務めたのは、児玉敦だった。翠さんは、大下博明の教え子代表として、参列者のひとりひとりに頭を下げた。
その葬儀に兄ィが線香を手向けに行く――という。
「女房が世話になった先生だ。線香のひとつも上げるのが礼儀だろ」
義理と人情の世界に生きる男だ。兄ィは、そういうところには、妙に義理がたい。
浅尾龍二が弔問にやって来たのを見ると、児玉敦は「どうも」というふうに頭を下げた。それに、兄ィが抑制された会釈を返す。
ふたりの間には、オレにはわからない感情のやり取りが流れているように見えた。
宗派色のない葬儀だから、兄ィの言う「線香をあげる」はなかった。読経もなかった。
しかし、「音」はあった。大下博明の指導を受けたミュージシャンたちが次々に追悼の演奏を捧げ、最後には、翠さんがアカペラで『アメイジング・グレース』を歌った。
ピアニスト・大下博明の棺が運び出されると、参列者たちは一様に空虚感に包まれた。
西の空に向かって「フゥ」とため息をついた龍二兄ィが、「さ、行くか」と歩き始めようとしたとき、その背中をポンと叩く手があった。
「きょうは、足を運んでもらって、すまなかった」
児玉敦が頭を下げる。
兄ィが「オゥ」と応じると、「ちょっと時間あるか?」というふうに、児玉敦が龍二兄ィの腕を引っ張るようにして、会場の隅に誘った。
ふたりは、会場のドアの脇に立って何かを真剣に話している。しきりに手を振って何かを訴えているのは、児玉敦のほうで、浅尾龍二はそれに「ああ」「ああ」とうなずいているように見えた。
言葉を交わすうちに、コダッチの手ぶりが大きくなっていく。その手がグイと龍二兄ィの両肩をつかんで、体を揺するようなしぐさを見せる。
龍二兄ィはそれに応じて、児玉敦のスーツの胸襟をつかんで、その体を揺すり返した。
おふたりさん、まさか、こんなところでどつき合いやらかす気じゃないだろうな――と、一瞬、あせった。
しかし、違った。
二言、三言、言葉を交わすと、龍二兄ィはコダッチの胸をポンポンと叩いて、つかんでいた胸襟を突き放し、コダッチは兄ィの両肩を挟んだままトントンと叩いて、手を離した。
ふたりが何を話していたのか、オレにはよくわからなかった。
翠さんは、そんなふたりの様子を心配そうに見ていたが、最後は「やれやれ」というふうに手を振ってその手を腰に当てた。

火葬場まで付き合うという翠さんを残して、オレと兄ィは、街宣活動に戻った。
「児玉さんと何話してたんすか?」
オレが訊くと、兄ィは「ああ……」と面倒くさそうな声を出した。
「ホレてるんだってさ」
「エッ……?」
「翠に……つっても、唄にだけどさ」
「なんだ……」
「なんだ……なんて言うなよ。翠の唄のためにだったら、何でもするんだってよ、あいつら」
「あいつら……すか?」
「児玉も、そして、あのベースの玉川なんとかってやつもさ。大下さんも、言い残して死んでったらしい」
「何て……ですか?」
「最高のメンバーで、翠のセカンド・アルバムを出してやりたかった――ってさ。オレたちは、全力でその遺志を受け継ぐ。だから、あんたもどうか、妨害しないで応援してやってほしいってよ」
「ヘェーッ」とオレは思った。
「翠さん、セカンド出すんですか?」
「何だい、そっちかい?」
龍二兄ィは、「あきれた」という顔をした。てっきり、オレが児玉たちを「まったく余計なことを」と腐すとでも思ったんだろう。
しかし、オレは、兄ィの期待を裏切った。

大下博明が亡くなった半年後、今度は「メモリー」のママ・雪乃さんがガンの再発で入院して、60歳を目前にこの世を去った。ママの死を受けて、「メモリー」は店を閉ざすことになった。
翠さんも、ベースの玉川恵一も、そして「メモリー」を根城にしていた児玉敦たち常連の客たちも、そのベースを失った。
毎週2回、決まって出演していた場所を失うことは、翠さんの音楽活動にもちょっとした変化をもたらした。
それまでの翠さんは、やや渋めで、通な客の多い店を選んで出演していた。
どちらかと言うと、女の子目当てで通ってくる客の多いクラブ系の店や、ジャズをショーの演目程度にしか理解してないような店は、避けているようなところがあった。
その基準が、少し緩くなった。
よく言えば、丸くなったと言ってもいいかもしれない。
しかし、その分、児玉たちが「スピリチュアル」と称賛した翠さんの歌が、コダッチに言わせると、少し濁った。
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【右】『『チャボのラブレター』
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